波乱の前触れ
「おい、君たち、アリナと同じ班の二人だよね。二人ともアリナ様を見なかったか」話しかけてくるのはアリナとここ最近親しくしている上級生だ。
記憶に間違いが無ければウェルセルムのテノンとか言う男子生徒だ。
「いえ、見ていませんけど。アリナがどうかしましたか。」
「今ミリヤ嬢の御家族が今学園の応接室に来ているんだ。アリナに話があるらしい。」
「ミリヤ先輩って二番目の事件の人だよな」なるほど、なんとなくセナンは事情を察してきた。
ミリヤの襲われた事件のことで話があるのだろう。
更に言うならその人達も疑っているのだ。校内の噂について。
そのアリナは応接室でフラクタル夫妻と対峙している所だった。
「フラクタル侯爵ですよね。初めまして、アリナ・クレイシアです」アリナはあくまで、冷静だった。
「はじめまして、アリナ嬢、たしかウェルセルムの伯爵令嬢だとか」
「はい。その通りです。」フラクタル候はアリナを一瞥すると高慢に鼻を鳴らした。
それは侯爵家の矜持だろうか。
「貴女のことは娘から聞いていましたよ。淑女の鏡を自負するウェルセルム女性には珍しい人物だとか」
「あら、エルンセルの女性は淑女じゃないんですか?ミリヤ様はそれこそ見事な淑女でいらっしゃるとお思いでしたのに」アリナはいたずらっぽい笑みで切り返す。
こんなことで取り乱すようならそれこそ淑女失格であろう。
本音と建て前が使い分けられない貴族など未熟者以外何物でも無い。
「いえいえ、そんな。」慇懃無礼という言葉がピッタリな姿勢で侯爵は否定する。
「今日は一つ貴女にお願いがありましてね」
「私にですか?」
「ええ、そうです。貴女に是非とも王妃様をご紹介していただきたい」
「私はここではただの留学生ですよ」やんわりとアリナは否定した。
「ご謙遜を、王妃様のお茶会に行くのはこの国の貴族の娘にとって憧れです。娘にとってもそれは同じことです。」
幸運ね・・・独り言のようにしてアリナはつぶやいた。事情はわかった。ただ言葉には別のことをする。
「ですがエルンセル候、娘さん容態は良いんですの?怪我は軽かったと聞いていますがやはりショックが大きかったのでしょうか」
「娘のことをそれ程までにお気にかけてくださるとは、親として感謝の念に禁じ得ませんな。ご心配には及びません。しかしやはり犯人は早く捕まって欲しいですな」なるほど、それが交換条件か。この人も考えているのは学園の有象無象と同じなのだ。
「ええ、それは私ももちろんのことです。私も自分に出来る範囲ですが色々としているんですよ。校内の平穏は生徒として一番に望むところですものね、そうでないとミリヤ様も戻って来た後のためにもそちらの方が宜しいでしょう」
「これ以上の騒ぎはごめんでしょう。ミリヤ嬢のためにも」
ミリヤ嬢は今なお休学している。戻ってきたとき噂話が広がれば、悪評が広がれば、困るのは本人の方なのだ
「いい気にならないでよ」腹の底から響くような声が聞こえてきた。
「フラクタル夫人、どうなさいました」これまでじっと黙っていた夫人が初めて口を開いた。
「ミリヤを蹴落としたからってあまり調子に乗らないほうがいいですわよ」にらみつける様な夫人の目は憎悪で燃えている。
その姿、娘そっくりだな。そうアリナは夫人を見てそう思った。
「他にご用件がないのなら失礼します」それだけ言うとアリナは退出した。
これ以上は精神衛生上よろしくない。
「なにを言われましたか」応接室をでてすぐの所にテノンが控えていた。
「そうね、ミリヤ嬢の事件に私が関わっていると疑っているようね」ため息をつきながらアリナは答えた。
「それで、どう答えましたか」
「もちろん、否定はしましたよ、この事件にこれ以上首を突っ込むと娘にもよくないと脅しておきましたからしばらくは大丈夫でしょう。レコン殿達にも伝えてくれるかしら、ウェルセルム人に罪をなすりつけるつもりかって。ウェルセルム貴族はまかりまちがっても自分の手を汚さないけど自分のプライドが少しでも傷つけられるのは大嫌いだから」いくら、自分がいそいそと動くのは嫌いとは言え、悪評を消すためならさすがの彼らも協力を惜しまないだろう。
「分かりました。アリナ様」そういってテノンは下がった。
「あ、アリナちゃん。今呼び出し受けたらしいって聞いて・・・大丈夫だった?」
「スピナス。ありがとう、ただの八つ当たりよ」直接アリナに押しかけてくるとはどうやったとしても目立ってしまう。
そのリスクを冒してまで来るとは向こうもよほど、追い詰められているのだろうか。
「まったく、アリナちゃんは被害を受けた側じゃない。噂だけで人を判断するなんて・・・」
弁護してくれるスピナスの言葉を否定するのは申し分けないが、噂とは結構しゃれにならない威力を持っている。社交界では貴族にとって噂話は武器なのである。
もっとも、そんなところでやられるつもりはそうそうないが。
「ところで、スピナス。昨日は貴女が見廻りだったわよね。なにか変わりはなかった?」アリナは話題をそらせた。
「ああ、昨日は大丈夫だったよ。今日はアリナちゃんの番だよね。その前に課題終わらせなきゃ。」そういって二人並んで来た道を戻っていった。
アリナはこのところ女子寮の夜の見廻りを毎日のように繰り返していた。別に当番制なのでアリナがそんなに必要はないのだが当番じゃない日でも当番の子からそれとなく話を聞いたりと何らかの形で関わるようにしていた。
当然しつこく聞いては嫌がられる。でも見回りをしてきた子にお疲れ様といってミルクと砂糖をたっぷりと淹れた紅茶を勧めるくらいなら喜んで話してくれる。甘い物が嫌いな女の子はほとんどいないのでついでにクッキーを勧めてもいい。太ると言っても、甘い物の誘惑は魅力的なのだ。
でもあまり目立ち過ぎると敵もその分多くなるということはよく理解していた。慎重すぎるに越したことはない。そうやって親しくなれば後は色々な情報が手に入ってくる。女子が集まれば自然と賑やかになるのだ。実家にも、王妃様にも騎士団の真似事をしているとしれたらあまりいい顔はされないだろうが、少ないとはいえ女生徒と親しくなるためだといったら納得してもらえるだろう。
当然だがアリナはこの国に長いつきあいのある家も友達もいない。一から築いていかなければならない。非常に面倒な事だがこれを欠かし仲間はずれにされるのは避けたい。
事件のおかげと言ったら不謹慎だろうが三年のカトリーン先輩と機知を得られたことは幸運だった。彼女はこの学園全体の女子生徒のリーダー的存在だ。少なくとも彼女に可愛いがられている間は他の女子生徒に手を出される心配は無い。
「えっ、ミリヤ先輩ってカトリーン先輩と又従姉妹同士なんですか」
「そうなの。お母様が従姉妹同士でね。だからミリヤは同い年だけど妹みたいに可愛がっていたの。小さくて細くてまるでお人形のような可愛い子だし。ね、それより教えてよ。王妃様のお茶会行ったんでしょ。どうだった」ミリヤと違って根っから素直で純真なところもまた魅力的だ。
「そうですね。私、正直いってウェルセルム人でよかったあ、って思いましたよ。だってウェルセルムの話はウェルセルム人じゃないとできないですから。もう真っ白な王宮に辺り一面花の園で、周りの貴婦人まで花のようにお美し方ばかり。」
「そうか、そうよねえ。ねえ、サルロー夫人は来ていらした?」
「いえ、ソルディン夫人や、他の方々にはお会いしましたけど。ご知合いですか。」
「ええ、まあ同じ地域に領地を持っているからね」
「そうですか、そういえばカトリーン先輩のご実家のリンベル家も西の方でしたね。」カトリーンの方にも噂が伝わっていないはずはないのだが彼女の様子からするとあまり気にしていないみたいだ。普通にミリヤの事をかわいがっていて、アリナの事もただ学園の平穏に協力していてくれている女子生徒とみているようだ。
「そういえばエルンセルの西はガラス細工が作られているとか」この様子なら、もう少しつついてもいけるかもしれない。
「そうなのよ、おかげで私の家は物心ついた時からガラス細工でいっぱいで。これだってそう」そういってカトリーンは自慢げに胸に輝いているブローチを見せた。
「とても綺麗ですね、キラキラしてまるで本物の太陽を閉じ込めたかのようです」
そんな風にして、アリナは毎日のように聞き込みをし続けていた。もっとも情報収集に関して言えばスピナスの方がずっと優秀だ。スピナスはあちらこちらから集めた情報を定期的に噂話という形でアリナに流していてくれていた。
そして今日も課題を終えたアリナは見回りをしているところだった。
暗い回廊は夜でなくても気味が悪い。なるべくならば通りたくないところだ。手元のランタン一つではとても頼りない。アリナは木製の槍を握りしめた。
「女の子が武器もって一人で見廻りとは穏やかじゃなないな」いきなり背後からかけられた声に思わず振り向いた。さっと木製の槍を突き出す。
「なんだ、アリナか」
「それはこっちの台詞よ」アリナもペルセだと分かってほっと槍を下ろした。
「物騒だな。突き刺されるかと思ったぜ」アリナは少し顔を赤らめた。確かにペルセから見れば今の行動は威嚇している様に見えたかもしれない。
「なんでこちらに?」
「今日の巡回は俺の番なんだ。数週間なんの音沙汰もない怪人なんて面倒なだけだけどな」
「ふふ、張り切っていると聞いていましたけど」
「・・・・それは、母上からか」ペルセの言葉にアリナの顔つきが若干変わる。
「最近よく聞いているぜ。ずいぶんと熱心に見回っているそうじゃないか?」
「私にも、この国のではないとはいえ貴族の義務がありますから」
「頑張っているのは良いことだと思うぜ。よかったら一緒にまわらないか?」なんだかはたからみたらまるで女を口説いているみたいな台詞だとペルセは思った。アリナは意外とすんなりついてきてくれた。
まだ初夏とはいえ夜は冷える。特に石造りの回廊は冷たかった。そこを歩くのはやはり気味が悪い。所々備え付けてあるたいまつの明かりも今はいっそう不気味だ。ランタン一つ加わっても大して変わらない。でも横に立ってくれる人間がいるのはありがたい事だった。たとえその二人が内心どう思っていたとしても、ペルセも不気味なのは同じようで一度身震いするとアリナの外側に並んで歩き出した。ここで自分がびびっていては男として面子が立たないと思ったのか。でもその姿がアリナにはたのもしかった。しばし無言で足を進めていく。石畳の廊下に二人分の足音だけが響いた。
そんな沈黙に耐えかねたのか先に口を開いたのはペルセだった。
「・・・なあ、こんなところ毎日一人で歩いているのか?」
「そんなことないわよ。先輩達もいるし見廻りっていってもここの辺りの他に寮の部屋の戸締まりを確認するだけだから」いくら一人ではないといっても距離が短いからといっても怖いものは怖いだろうに。アリナのいったいどこにその度胸があるのだろうか。思わずまじまじとアリナの方を向いた。相変わらずその表情からは何も感じない。
「ファントム・ナイフは本当にもういなくなったと思うか?」ペルセはやや強引に話題を動かした。
「なんでそんなことを私に聞くの?」
「それはなんでかって、俺だって騎士団の一員として知っておきたいし・・・」
「もし何か起きていたらとっくに広まっているわよ」
「まあそうだな。」確かにそれはそうだ。そんな決定的なことつかんでいたらとっくに知られているはずだ。ただ、もしかしたらアリナは何か手がかりくらいはつかみかけているのではないかと思った。根拠もない、ただのペルセの感だが。彼女の秘密がまたひとつ増えた。そもそもペルセは彼女がなぜこの学園にきたのかさえ知らないのだ。わざわざ留学してまでこの学園にきた理由はなんだろう。おせじにも貴族の令嬢が学ぶにふさわしい環境とはいえない。本人の適性は置いといてだが。
「ねえ、私からも一つ聞いてもいい?」アリナからの質問なんてめずらしい
「いいけど。」
「あなたの実家は国内貴族でも一、二を争う家柄よね。聞くまでもないけど」
「ならわざわざ聞くまでもないだろ。」ペルセは家のことを言われるのが好きではない。事実瞬間的に顔が曇りだした。
「なら公爵家にも会ったことがあるわよね」
「まあ、舞踏会やお茶会に顔出したことはあるな、それがどうした」
「サルロー家にも?」
「サルロー?」不思議そうな顔でこちらを見る。予想外の展開に戸惑ったのだろう。
「まあ一応、それがどうした」
「そう、ありがとう」この態度。ペルセはあまり最近の噂を知らないみたいだ。
ふとアリナの足音が止まった。あわててぺルセも続いて止まる。
「どうしたんだ。」アリナが立ち止まったのは古い空き部屋の前だった。元は教室だったのだろう。今は使われておらず埃まみれだ。
「この部屋昨日見たときは鍵がかかっていたわ。」そういう扉には確かに錠前がかかっているものだ。しかしそれは鍵の意味を成していなかった。錆び付いた南京錠は今外れてぶら下がっている。
アリナがいいたいことが分かってすぐに剣を抜いた。木製でも武器には十分になる。アリナも槍を持ち直した。
ちょっと考えて思い切り開けた。埃が舞い上がって思わず二人とも咳き込んだ。教室の中は月一つ出てない闇夜だ。ランタンの明かりだけを頼りにほぼ手探りの中で二人は進んでいった。
教室の中は古い机、椅子等が無造作に置かれている。その全部が埃かぶっている。アリナは袖で口を覆った。
「まるで廃墟だな」ペルセはそうつぶやいた。
ペルセは元々おとなしく物わかりの良い子供ではない。幽霊屋敷なんてものはペルセにとっては絶好の探検場所だった。父もそういったことには比較的寛容な人間だったので、何度かこういった廃墟にも忍び込んだことがある。だが、そんな活発は少年時代を過ごしたペルセですら今ここはただの古い一教室とは思えない不気味さを感じていた。
ぎゅっと後ろを握りしめられたことに気づいた。アリナだった。シャツの裾を握りしめてきたのを臆病というつもりはない。やっぱこういうところはアリナでも怖いのか。
だいぶ奥まで進んできた。ランタンの明かりが部屋の奥をわずかだが照らしている。そのとき前方からうめき声が聞こえてきた。息をこらさないと聞こえないくらいの小さい声だったが、ペルセ達にははっきりと聞こえた。ペルセはアリナをかばうように前に出て剣を両手でつかんだ。
ランタンをかざし、前に出た。何が起こったのかその時誰も分からなかった。次の瞬間アリナが崩れ落ちた。ペルセも絶句した。
そこには血文字と青ざめたスピナスの体があった。




