始まりの景色
「こんにちは」そういって、彼女は自分に声をかけてきた。 「ああ、まあな」とっさのことに俺はそう返すのが精一杯だった。
紫の朝靄にも美しい花にも心動かされなかったペルセだったが、目の前のその少女には目を止めた。そのくらい目の前の少女は美しいと言うに足る美少女で、また人を引きつけてやまなかったのである。
話しは少し前にさかのぼる。
ペルセは朝早くに霧が立ちこめる学園の大門の前で立ち往生していた。
立派な門も今このときばかりはペルセにはプレッシャーをかけてならない。
「まったく、面倒なことだな」そういってペルセは何もない空を思いっきりにらみつけた。
古今東西、人間は「英雄」というものが好きな生き物である。 例として大体どの国でも建国者はいつの間にか英雄になり、その建国までの道のりは伝説として語り継がれていく。そうしてそれを親に読み聞かせてもらった子供達も、また英雄に憧れていく。
なんともまあ実に上手いシステムだなと思わずにはいられない。
なぜそんなことをペルセが今思っているのかというと彼が、正確に言うと彼の実家ソルディン家こそがまさにその英雄パーセルダ・ソルディンの興した家だからである。
つまりペルセは名家も名家、英雄の家の生まれの立派なご令息である。
一種の現実逃避でもあった。初代は建国を助けた立派な人物だったらしいが、ペルセはまだ一介の男子生徒、せいぜい親の仕事の手伝いしかしていない。たとえ貴族の中でも一番の家柄とはいえ新入生代表の立場で挨拶するのは気が重いのだ。
事実、ペルセの気分はどんよりと暗くなってきている。
とは言っても、いつまでも校門の前で立ち止まっているわけにも行かない。
ペルセはこの金の縁取りで飾られた門を覚悟を決めてくぐると今一度、クセのついた髪を手で梳かした。十を越える頃からだんだんとひどくなってきているこの髪のクセは、もはや母や長年仕えているメイドすらあきらめかけているシロモノだ。
そんな彼の気持ちの反して天気はいい。すこぶるいい。気温はうららかな春の日、というにはまだ少し肌寒いがそれでも数週間前に比べたらだいぶ暖かくなっている。
少しまぶしくなってきた白い日の光に目を細めながら空を見上げると校門から校舎までの道のりは白い花が咲き始め、春の訪れを告げていた。
淡い空色の春の光と白い花は実に見事な組み合わせだ。もしペルセが時間に余裕があったり、または詩人的感覚を持ち合わせているならじっくりと眺めていただろう。気持ちを切り替えて校舎までの道をペルセは歩き始めた。
ペルセはこの春学園に入学し、この夏には十六歳の誕生日を迎える。まさにこれからが人生の咲き始めともいうべきという年頃だ。
茶色の髪は結構なクセっ毛だがそれ以外はなかなかのものだ。年ごろに見合った肉体を持ち、父親似のキリリとした眉と母親譲りのキレイな明るい瞳をしている。背も年にしては高く、それなりに整った顔立ちをしている。
まあ、そこそこモテるんじゃないかな、とペルセは自画自賛した。
このマルセス王立学園はエルンセル王国の中で一番歴史の古い教育施設であり、指折りの名門校でもある。
初代国王の方針でこの学校は身分の貴賤にとらわれずに試験の成績で生徒を受け入れてきた。故にこの学校に入ることを目標としてきた平民の生徒も数多く、そういった生徒は今頃入学できたことの喜びを噛みしめているだろう。
しかし貴族の中でもかなり上位に位置するペルセには特にそういった類の感情はない。いやみかもしれないがこの学校に入学することはペルセにとっては既に決まっていたようなものであったのだ。
ペルセは貴族である。貴族のような特権階級にとってこの学園はこの国の社会の縮図。コネクションを築くために殆どの貴族の子息、令嬢はこの学園に入学させられる。
ソルディン家は建国以来からの代々に渡っての活躍から公爵の地位を与えられている。公爵と言えば王族に継ぐ地位だ。そんな家の嫡男がこの学園に行かない訳にはいかないし、学園の方もなんとしてでも行かせただろう。
そんな理由でペルセは生まれたときから将来の道には困らない立場にある。ただその分、人より苦労するところも多いのだ。ペルセはその家名に恥じぬようにと現当主である父アライルの元、幼少期から期待と責務から周りからかけられ続け、厳しい躾と稽古をつけられてきている。そのことについてペルセは思うこともなくはなかったが取りあえずその期待に応えた一つの形としてとしてこの学園に主席で入学できた。
学園はその大きさのためか王都の外れに建っており、ほとんどの生徒は親元を離れて寮から通っている。地方から出てきた生徒は一週間程前から入寮しているが、ペルセの実家は王都にあるため入寮したのは昨日のことだ。
そんなペルセにとっては親元を離れて入寮することすらのんびりしたものである。そもそもペルセの両親は王都にいるのだ。外出届けを出せばすぐに会いに行ける距離である。
ただやっぱりそれはほんの一握りの生徒だけなのであった。
遙か遠く、地方から馬車に揺られてくる生徒もまた、いるのである。
ペルセのように王都に住まう一部の例外を除いて遠くから来たほとんどの生徒は昨日の時点までに既に入寮している。
そんな中今朝になってようやく、一人の女生徒が軽快な速さで走る馬車に乗せられて学園に到着していた。




