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途絶えた祈り01

7月。道子はフクシマのことが気がかりでしょうがなかった。テレビで映る津波の様子。その時、彼女の心にわだかまったものは彼女自身でさえ言葉で表現できなかった。けれども決して目をそらしてはいけないという気持ち。彼女はテレビ、新聞、週刊誌などに綴られるフクシマのようすと向きあおうとした。ネットは見なかった。フクシマの人々にたいする心ない言葉を見つければ、なにかが破たんするのではないかと思ったからだ。そうして紙媒体でつづられたフクシマの情報を切り抜き、スクラップ帳に丁寧にはりつけていった。そうしなければいけないと思った。フクシマから目をそらすことはヒロシマ、ナガサキ、あの戦争で亡くなった多くの人へのウラギリだと思ったからだ。そうしてフクシマ原発の放射能の拡散は止めるすべがないこと。さまざまな対応が提示され実行されるも、なすすべがないという言葉に行きつく現実。

ある朝、いつものように六畳間の居間で新聞を広げ、フクシマ原発の写真をチュウイ深く観察していた。するとデブ猫クロがのそのそと彼女の体にすりよった後に、フクシマ原発の写真のうえに寝そべった。道子は涙をながした。

(けっきょく、私はフクシマの人の苦しみと向き合っていない。写真は写真でしかない。フクシマの人々の苦しみと私が暮らす平穏な家庭との距離は遠く、それはとても遠く、現実世界としての距離以上に遠く隔てられている。)

祖母はそんな少女の姿をながめていた。少女が泣き止むまで待ってから祖母は言った。

「みっちゃんは絵が上手なのだから絵葉書でも書きなさい。トトロとかミッキーマウスとか漫画の絵を描いてこどもたちを喜ばせてあげればいい。あんたが泣いたってなにもかわりゃしないのだから。」

道子はその通りだと思った。最初からそうしていれば良かったのに。なんでそうしなかったのだろうと不思議に感じた。スクラップ帳はなにか負の煙のようで包まれていた。そうしてその煙を作り出しているのは自分だったのだと少女は思った。

彼女は自室に戻り勉強机に広がった自分の漫画を見た。自分が読んでもつまらないと思っていたが漫画を描くこと以外に楽しみが見つからないから漫画を描き続けていた。そうして机の端に少女が使うには大きすぎるカッターナイフが置かれえていた。祖母の家に来る前、母と二人で暮らしていたころ少女はそのカッターナイフで自らの腕を切り刻んでいた。彼女は傷痕が腕を包むように守ってくれていると思っていた。痛みを感じている時だけ自分が生きていると感じることができる。けれども祖母の家に住むようなってから、祖母から自分の腕を切り刻むことはやめた。これ以上切り刻むようことがあれば母の家に追い返すと言われたからだった。それでも彼女はカッターナイフがないと落ち着かないので机の端に常に置いている。耐えきれなくなったときにいつでも自分の腕を切れる様にと、手が届くところに置いている。カッターナイフは彼女の腕と、フクシマの記事を切断するために置かれていた。

彼女はため息をついた。そして椅子に座り、引き出しを開けて葉書を二十枚くらい取り出した。

そして赤く充血した目で彼女はまっしろな葉書に猫バスの絵を描こうとした。

時計をふと見ると、絵を描く余裕などない事が分かった。

彼女はジャージを脱ぎ以前通っていた高校の慣れ親しんだカッターシャツとスカートに着替えた。この街の高校とは違う制服。そうして自らの腕の傷が見えないように長袖のカッターシャツとカッターシャツの下に長袖の白いシャツ。

違う高校の制服を着ていることでいじめられないだろうかと彼女は心配していた。

部屋を出て台所に向かった。冷蔵庫からお盆に乗ったタッパーに収められた漬物と、冷凍室に入れられた白米を取り出した。漬物はスーパーで買ったものである。祖母は体が弱ってもう料理ができない。そうして道子も料理ができない。ただ米だけは毎日スーパーに買いに行くわけにいかず、そうしてレトルトの白米というのは味気なかった。道子はあらかじめ10合を炊飯器で炊いて茶碗一杯分の量に小分けして、それをラップしてから冷凍庫にしまう。冷凍された白米が無くなれば、道子はふたたび10号たいて冷凍する。

電子レンジの中で薄茶色の光に包まれ回転する二つの茶碗を道子は暫くぼんやり見つめていた。

温められた二つの白米と漬物をお盆にのせ、道子は祖母のいる居間のこたつ机の上にそれを置いた。祖母はベッドから離れることは無い。ベッドに腰かける形ですぐそばのこたつ机の上で何かしらの作業をしていた。

こたつ机の上。いくつかの官製はがき、束になった数独パズルが描かれた白い紙。重ねられた赤川次郎の文庫本。筆記用具、ハサミなどを包んだガラス細工の花瓶。黄ばんだマリア像。木製のロザリオ。何種類もの薬が入れられた100均のプラスチックの薬入れ。その薬がどのような効能なのか祖母は知らない。自分がどのようなヤマイにおかされているのか祖母は知る気もなかった。

こたつ机の上の僅かな空間に二人の食事は置かれた。

「いただきます。」

道子はいただくと思うから、いただきますと言う。

祖母はいただくと思わないから、いただきますと言わない。

二人でもくもくとソシャクする。

道子が言った。

「やっぱり私自身がない。新しい高校でもまたイジメられるんじゃないかって不安がある。だって、私は普通じゃないもん。普通じゃない自分を変えたくないから、いつまでたっても普通じゃない。普通じゃないからイジメられる。イジメられたら辛いからまた学校を休む。もう諦めた方がいいかもしれないって最近は思うようになった。」

祖母は道子の方に顔を向けて答えた。

「普通の人間なんてアタシは見たことがない。みっちゃんの欠点は自分を理解してもらおうとすること。相手を理解してあげようとすること。誰もみっちゃんの事は理解できないし、みっちゃんも自分自身の事を理解できない。理解すること、理解してもらうことは諦めなさい。でも生きる事を放棄するなら、あんたのお母さんの家に帰ってもらう。孤独になれなさい。言葉が通じ合う人間を探しなさい。私はそうやって生きてきた。」

道子は租借しながら黙って聞いていた。

暫く無言が続いた中で道子は恐る恐る祖母の顔を見上げて答えた。

「お祖母ちゃんって強いのね。私弱いから、お祖母ちゃんみたいになれない。」

「強かないわよ。弱いからそうやって生きてきた。」

道子は祖母から目をそらしソシャクを続けた。白米を食べ終わって手を合わせた。

「ごちそうさま。」

道子はごちそうだと思うから、ごちそうさまと言う。

祖母はごちそうだと思わないから、ごちそうさまと言わない。

道子は立ち上がった。

「お祖母ちゃん、今日何するの?」

「谷村新司さんのラジオ番組の録音したテープを聴こうかと思ってるよ。オーケストラが入って聴いていると心地良い気分になれるからね。聴き終わったら横になって寝る。」

それを聴いて道子は思った。お祖母ちゃんは寂しくないのかと。

茶碗と漬物を盆にのせて台所に行った。漬物を冷蔵庫にしまい、水の入ったステンレスのボールに二人の茶碗をつけた。

水が茶碗に侵入していくまで手で押さえた。茶碗が水いっぱいになったところで手を放した。茶碗は水の中で揺れている。

猫用ドライフードを床に置かれたペット用トレイの中に入れるとクロがのそのそとやってきてソシャクを始めた。

部屋に戻り必要な教材を入れた後、部屋を出て玄関に立った。二年半履き続けたくたびれた学校指定の革靴。道子は腰かけてその革靴に自分の足を入れた。立ち上がった。居間の方に向かって大きな声で言った。

「いってきます!」

道子と祖母の家は商店街の一角の隅にある。道子はゆるやかな下り坂を歩きながら思った。(小学生に上がる前までよくこの町に来ていけえど、あのころに比べたら随分町が寂れてしまった。どこかしかもシャッターが下りている。そうしてあれほど広いと思っていた町が随分と小さく感じてしまう。)

十字路に辿り着くとタバコをくわえたお米屋さんの山さんと出会った。

「おはようございます、山さん。わざわざいつも私たちの家にお米を届けてくれてありがとうございます。私、体が弱いからお米を運ぶことすらできなくて。山さんが家まで届けてくれるおかげで私たちはいつも美味しいお米が食べることができます。」

「おはよう。良いんだよ。もうお客さんも減ったし若い子の家庭はうちの米じゃなくてスーパーの米を買っているからね。お得意様がいるだけでこちらとしてはありがたいんだ。」

山さんはアスファルトでタバコの火を消して携帯灰皿に吸殻をいれた。

「今日から道子ちゃんも木下第一市立高校に通うんだね。僕は信じられないんだ。あんなに小さかった道子ちゃんが今では女子高生なんだから。幼い道子ちゃんがついこないだのように思い出せるから不思議でしょうがない。」

道子は顎に人差し指を置いてその言葉について考えた。考えた後に一言言った。

「もしかしたらスガタカタチは変わっても私の心はいまでも幼かった自分と変わらないかもしれないです。随分と心が淀んでしまったけれど、あの時より大人になった感覚がないんです。」

それから道子は山さんとサヨウナラして十字路の西側にある50度ほどの勾配はある険しい坂道を登り始めた。坂道の途中で二人の幼い少年と一人の幼い少女三人が道子を追い抜くようにして走り去っていった。三人のうちの一人の少女が転んだ。その姿を見た二人に少年たちは笑いながら坂を駆け上っていった。少女はゆっくりと立ち上がった。立ち上がった後にわっと泣き出した。道子は少女の方に駆け寄り少女の目線に合わせるように体をかがめた。道子がやさしく頭を撫で続けていると少女の涙はしだいに枯れていき、それから興味深そうに道子の顔を眺めた。

「お姉ちゃん何処の町の人?見たことない制服だね。」

「最近この町に引っ越してきたばかりよ。前はJinbo町という街に住んでいたのよ。ここからだととても遠い街。今日から木下第一高校に通うことになったけど知らない人ばかりだからお姉ちゃん少し心配で、友達できるかなって心配で。」

少女は赤く充血した瞳をまるまると広げ両手を上げて答えた。

「それならアタシが友達になってあげる。アタシも友達がいないから友達がほしい。それに昔からお姉ちゃんが欲しかったの。名前なんて言うの?。」

「私の名前は道子。道を歩く少女と書いて道子。あなたの名前はなあに?」

「アタシはアヤコ。道子ちゃん、これからよろしくね!私たち実の姉妹みたいに仲良くなろうね!」

「アヤコちゃんね。決して忘れないように覚えておく。私もこれからよろしくね。」

そうしてアヤコは坂道を駆け上っていった。暫くすると遠くの方で豆粒ほどのアヤコが振り返り右手を上げてバイバイと手を振った。道子もそれにこたえるように右手を上げてバイバイした。


木下第一高校の校門をくぐり、校門の正面にある職員用の玄関に入りカバンの中から上履きを取り出し、それを吐いた。左右を見渡すと右手側に職員室があることに気付いた。道子はそこまで歩き勇気を出して扉を引いた。教師たちはみな退屈そうに自分の仕事に取り掛かっていた。道子はすぐ近くにいた男性教諭に自分の名を告げた後、今日からこの学校に新しく入ってきた転入生だというこうことを説明した。

そうしてああ、あの子かと男性教諭は納得してから職員室の隅にいる女性教諭を指さし彼女のもとに行くように言った。

道子は女性教諭のもとに歩み寄り、すぐ目の前まで近づくとペコリと頭下げて言った。

「初めまして、本日よりお世話になる山下道子です。よろしくお願いします。」

小テストを採点していた女性教諭は顔を上げてシゲシゲと道子の顔を観察した。

「よろしく山下さん。私は久保明子。私は生徒の事を名前で呼ぶタイプだから道子ちゃんと呼ぶわね。そうして私の事は明子先生と呼んで。あらためて、よろしく道子ちゃん。」

「はい、ふつつかものですがよろしくお願いします、明子先生。」

明子先生はふっと吹き出しそれから微笑をたたえて答えた。

「その、前の学校で、道子ちゃんは、その、色々あったようだけど、安心して。私のクラスの子たちは良い子ばかりだから。そこは安心して。前の学校のように、多分、ならないだろうから、何も心配することなんてないわよ。」

道子はその言葉を聞いて目を伏せて呟いた。

「そうだと良いんですが。」


ふたりは三階の教室に向かうため階段を上った。道子は階段を上る途中で踊り場から見える風景に目を向けた。

「素敵な町ですね。みんな穏やかで。私のいた街はみんなピリピリしていたから。思い切ってこの町のおばあちゃんの家に来てよかった。」

ふたりは逆光を浴びている。天井まで続く大きな窓の中央に二つの淡い黒い影が窓の外を眺めていた。

「表向きは穏やかではあるけどこの町もピリピリしている。私はこの町が嫌いなの。だって子どもたちと老人ばかりで若者が少ない。若者は希望を求めて高校を卒業するとみんなこの町から去っていく。そうして子どもたちと老人はお互いを干渉しようとしない。別の生き物だから分かり合えるはずがないといった感じでお互いを無視しあっている。非行に走る生徒もいるけど彼らを管理するのは容易いことなの。この町は娯楽がないから若者が集まる場所はそう多くはない。そこに行って注意する。注意しても自分の行いを反省することは無い。それは世代という厚い壁があって、自分たちは他の世代とは違う生き物だと思っているのかもしれない。この町は死につつあるの。再生することは無いの。滅びをただ待ち続けているだけの空間。私はこの滅びを待ち続ける町で自分自身も滅びを待ち続けているのかなって、時々ナーバスな気持ちになる。」

道子は黙って聞いていた。何と答えていいか分からなかったから。

明子先生はすまなそうに言った。

「ごめんなさい、こんなこと話して。でもあなたの瞳を見た瞬間に、ああこの子は私の話に耳を傾けてくれるって思ったの。私がこんなことを行ったなんて他の生徒に言っちゃだめよ。」

「いいませんよ。でも先生の気持ちも何となくだけどわかるような気がします。」

二つの淡い黒い影はじっと窓の向こう側に目を向けていた。

それから明子先生は窓から離れ、階段を上って行った。それに付いて行くように道子も階段を上って行った。

窓の向こうの空は灰色の雲が覆っていた。

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