天球儀
その形を見て、一目惚れした。
何に惹かれたのかはわからない。映画のワンシーンで目撃したとき、私はそれを手元に置きたいという衝動に駆られた。確かそれはイギリスを舞台にしたミステリー映画だっただろうか。いや、そんなことはどうでもよい。子どもの頃から大人しく控え目な性格で、欲を表に出さないと親に不思議がられた私にとって、それはまさに応えるべき、応えたい衝動であることに間違いはなかった。
何故それを求めたのだろう。わからない。昔、親にそれとよく形の似た地球儀を買ってもらったことがある。それを得たとき、得体の知れない満足感が沸々と沸き起こってきたが、長くは続かなかった。ただ回るだけ。世界地図上によくわからない国を発見しても、その名がわかるだけで何の面白みもなかったのだ。私が期待したのはもっと、こう、掌の上に世界を掌握したような、そんな大それた願いの成就だったのだろう。逆にいえば、それ以外に叶えたい望みなどはなかった。
私はそれを探した。しかし、天球儀の名のもとで差し出されるのはどれもこれも地球儀と大差ない代物ばかりだった。中身のない中身は必要ない。私は空洞を金属のフレームで包み込んだ、あの天球儀が欲しかった。あの空洞には、そこを陳腐な物質で埋めたものよりも大きな意味がある、そのような感覚が私を捕らえて離さなかった。
私はアンティーク好きの友人に当たることにした。すると、持ってはいない、ただ何処かの骨董屋で見た覚えがあるというのだ。友人は何故急にそんなものが欲しくなったのかと私に尋ねたが、私はそれに答えず礼だけ述べて電話を切った。
私は思いつく骨董屋を片っ端から車で訪れてまわった。行く先々の店主たちは、夏の日差しの中、汗水垂らしてそんなものを求めるこの老ぼれを訝しげに見つめてきた。家を昼過ぎに出たはずが、最後の一軒に辿り着く頃には辺りが暗くなっていた。夏の夜の涼しさで私の顔は冷静になっていたが、私の天球儀を追い求める情熱は静かに、鋭く研ぎ澄まされていた。
最後の骨董屋で、私は追い求めたそれを見つけた。私は落ち着き払った声で、店主にこれが欲しいと伝えた。すると店主は、お客さんごめんなさい、これは売り物じゃあないんですと答えた。私は再び冷静さを失い、幾らでも出す、だからこれを売って欲しいと頭を下げた。店主は困って顔を顰めたが、やがてそれを承諾してくれた。そのとき払った金額は覚えていない。それほどに、私はその老熟した天球儀に心を奪われていた。
家に帰るとすぐにそれを部屋に飾った。からからから、音を立てて回る姿を私は恍惚の表情で眺めた。けれども、しばらくするとその魅力は忽然と消えてしまった。私は一瞬動揺したが、すぐにその事実を受け止めた。私は金属のフレームが囲う空間に触れた。そこには当然のように何もなかった。
窓から夜空を眺めた。都会から離れた場所にあるここに家を建てたのは、星を見るためだった。私は星が好きだ。おそらく星も、手に入れてしまったらこんな風につまらないものへと成り下がるのだろう。そう思った。
私は自分の手を見た。皺くちゃで、薄汚れた手。振り返ればひたすらに荒野が広がる記憶の中でも、私はずっと必死にこの手で何かを掴もうと足掻いてきたのだろう。それでも欲しいものを掴むと、この穢れた手はそれを腐らせてしまう。
私はこの手を憎んだ。そして、この手を届かない星を、再び愛した。