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ナオミと京子

作者: SEIDAI

 最初は、おかしな事を、言い始めたもんだと思っていた。

「私、昭和の歌謡曲を演りたいの」とナオミは言い出した。

「えっ? 歌謡曲を、ライブハウスで演るの?」と俺は驚いた。最初は、イロモノのバンドを演りたいのか? と思ったのだが、聞くと真面目なバンドを目指しているらしかった。

「ピーナッツが出てた、シャボン玉ホリデーみたいな。」って、お前が生まれる遥か昔だろ! 確かに、発想とすれば面白いとは思うが、若い奴等が聞きたがるとは、到底、思えなかった。もう、俺たちの親父世代だって、リアルタイムで見た人間は、少ないだろう。

「一人でか?」俺は聞いた。

「一人で、どうしろというの?。バカじゃない!」ナオミは背を向けた。どうやら、本気で、バンドメンバーを探す気らしい。

 ナオミは、それからというもの、バンド結成に向け、そんな非常にコアな趣味を、共有出来る同志を探し始めた。それに向けての、準備だったのか? カッコから入るのが筋だと考えたのかは分からないが、だんだん姿形が変わってきた。まず、タワシのようなまつ毛になった。最初、見た時『いったいどこから生えたら、そんなまつ毛になるんだ』と笑ってしまった。服装も、昭和三十年代の頃のような、赤のワンピースに、ぶっとい皮のベルトを巻いてきた。見た目、ベルトの位置が上過ぎて『まるで、子供みたいだな。頭悪そうに見えるぞ』と忠告したのだが、結局、ベルトの位置を下げただけだった。

「ステージだけにした方が、インパクトがあっていいんじゃない?。」という意見で、普段、その服は着なくはなったが。本当は、一緒にいて恥ずかしいので、着てほしくなかったのだ。別に、二人は付き合っていた訳ではないが。ツイギーのようになったナオミを俺はちょっと距離をおいて観察していた。『でも実際、そんなイロモノ的バンドに、入りたい奴なんているか?』と思っていた。『普通、いるはずがない』と、思っていたのだが。何と、いた!。

 まず、ナオミは、近くの高校に通う、京子という女と意気投合してしまった。学校は違うが、二人は同い年だった。『ねえ、一緒に、ピーナッツにならない?』みたいな趣旨だったらしい。類は友を呼んでしまった。ナオミは、しっかりとした性格の不良といった雰囲気がある娘だったが、京子は一見、しっかり者できた嫁タイプの娘だった。ところが、実際は外見とは違い金持ちのわがままで勝手娘だったのだが。ナオミは、細身の、スラッとした感じで、京子は、今は痩せているが、将来は絶対肝っ玉母さんになる雰囲気を持っていた。どちらかというと、見た目は、ナオミは薄幸タイプ、京子は、多幸タイプに思えた。まあ、どちらも若いくせに、昭和歌謡が趣味の変人だった。

 京子の家には、金持ちだからだろうか? おじいさん時代から受け継ぐ、膨大な音源があった。「夢みたい!」ナオミはまるで、財宝を掘り当てたかのように喜んだ。LP盤だけでなく、SP盤まであったが、どうやって聴くんだ? 今の時代に? 

 問題は、楽器の出来るメンバー探し、だった。とにかく、GOALは、ライブハウスだった。ナオミと京子は、どんな手を使ってでも探すつもりだった。女の情念は、岩をも通す……のだろうか? 半ば、色仕掛けで落としたかもしれない冴えない男が集まった。ベースとギター、ドラムの三人。昭和歌謡で最も大事なキーボードには腕も達者な後輩の女の子を無理やり入れた。何とかこの困難な状況を、力技でねじ伏せた。

 練習といえば街の楽器屋に行けば、いつでもスタジオを借りれたのだが、金に余裕のない高校生ばかりだった。結局、広い家の京子の自宅がいつもの練習場所になった。鉄筋建ての大きな家だったが、ドラムを深夜に叩ける程、防音されている訳ではなかった。しかし、代々、お医者さんの自宅である。オーディオルームがあったのだ。巨大な左右のスピーカーの間に、無理やりドラムセットが置かれた。30W~50Wのギターとベース、キーボードのアンプ、取り敢えず、大きなカラオケセットが、ボーカル用になった。非常に、バランスの悪い、セッティングではあったのだが、音合わせ位は、何とか出来た。京子の親も、文句は言わなかった、というより、演っている音楽を聴いて、安心したのかもしれない。男達は、ナオミと京子の奴隷のように、強制的に呼び出され、選曲も、口出しは出来なかった。まるで、鉄のようにコンセプトのはっきりしたバンドだった。他の4人は、ナオミと京子のバックバンドであることは、誰が見ても確かだった。アマチュアバンドで、これほど自由のないバンドも珍しかった。というより、逆にまとまりを感じさせるものでもあった。主役と脇役が、はっきりしていたから。

 レパートリも、三十分位の間がもつほどにはなった。後は最も演りたかったステージングだ。振り付けの練習は、バンドのメンバーがいない時でも二人でやった。なんてたって、目標はピーナッツだった。ステージを意識し、目の前の大勢のお客を想像してはワクワクしていたようだ。思ったより、ずっと! 不思議な事に! 二人共歌は上手かった。

 月に一度の、ライブハウスのオーディション。サクラとして、俺をはじめとして、三十人以上は強制的に、会場に連行された。ライブハウスも、商売である、客を呼べるにこしたことはないはずだ。京子側の高校のサクラも合わせ、総勢六十名以上の大応援団であった。

ステージ上に例の赤いワンピースに、ぶっとい皮のベルトを巻いた、ナオミと京子が出てきた。平山三紀の『真夏の出来事』とピーナッツの『銀色の道』の2曲を演奏した。本当はもっと古い曲を演りたかったらしいがウケ狙いでポップな『真夏の出来事』と大好きなピーナッツの曲にしたらしい。まあ、どちらも、恐ろしく古いが。

 俺たちサクラの、熱狂的な応援と、それに呼応するノリノリのナオミと京子。一時的ではあるが、ライブハウスが昭和にタイムスリップしたような、雰囲気を起こせたのは、事実だった。オーディションは、全バンド、二曲づつで審査される。まあ10バンド以上出るのだから、そんなもんだろう。上手いバンドもいるのだが、ステージングが悪いと、落とされてしまう。テクニックより、ダイヤの原石のような、見せるものの方が、ずっと大事らしい。そして、いよいよ、結果発表である。合格バンドは、2バンドだとのアナウンス。時には、合格バンドが、ゼロの日もあると、付け加えられた。

 そして、『おおっ!』という歓声が、沸いた。ナオミと京子のNK&モーションディップス(Nはナオミ、Kは京子らしい)は見事、大量のサクラと鉄のコンセプトに支えられオーディションを突破したのだった。

 普通なら、ここで、打上げ祝勝会ということで、居酒屋でも行き、大宴会になるのだが。高校生、総勢六十人以上で、居酒屋に行けば、まとめて補導して下さいと、お願いするようなものだ。六十人以上まとめて、停学というのも、面白いかもしれないが……。せっかく、受かったオーディションも、壊れる可能性だってある。結局、俺とナオミと京子、バンドのドラムの子と、四人でナオミの家で、祝杯をあげることにした。他のバンドの子は、真面目な子ばかりで、酒も飲んだことがないので、おとなしく帰っていった。

 夢叶ったナオミと京子のその日の狂乱ぶりは凄まじかった。日頃から、飲み慣れている訳ではなかったが「昭和は酒たい!」のナオミの変な博多弁で火がついた。四人でウイスキーホワイトのボトルが二本、ビール350ミリリットル缶が二十四本、見事に空いた。ドラムの子は途中、失神したのでほぼ三人で呑んだと思われる。つまみは、家にあった、ポテトチップや缶詰、帰りの途中で買った焼き鳥、たこ焼き、ピザやお菓子類だった。ナオミの父親は単身赴任で不在、加えて母親は親戚のお産の手伝いで留守だったのが不幸中の幸いだった。朝、起きると俺は首から上だけ廊下に出ており、下半身素っ裸にされケツにマジックでブタ鼻マークを書かれて寝ていた。慌てて、奴等が起きないうちに、パンツとズボンを履き、この悪魔の館から逃げ出した。その日の翌日の月曜日、学校にて。『へへへっ』と不気味に笑うナオミに、近寄らないようにして、どうにかやり過ごした。

 それから月一回、ナオミたちのバンドはライブハウスでライブを演るようになった。二回位は、義理で、付き合いで、見に行ってやったのだが、流石に、若者に昭和歌謡はしんどい。そんなこんなで、ライブハウスでの活動は難航するかに思えたのだが……。


 何と、奇跡的に、ニーズがあったのだ。町の祭りやイベント、果ては、老人ホームからのお誘いだった。可愛らしい女の子二人のパフォーマンスは老人や昔を懐かしむおじさんやおばさんに絶賛された。何て若いのに気の利いた子達なんだろうと。おまけに、交通費やお礼まで貰い始めた。益々、ナオミと京子はステージングに磨きをかけオイラの町のピーナッツになっていった。

 しばらくすると、ナオミと京子のバンドは土曜日の夕方から始まる地方のテレビ番組『ドキドキサタデー』に出演した。キャッチフレーズは『地域を盛り上げる高校生の昭和歌謡』だった。地方ならではのフレーズの集合体なのだが、これを見た俺の高校の教師の間でも話題になった。まあ、デスメタルやパンクのように過激でもなければ、自分たちが誹謗中傷されるような音楽ではなかった。

『君たちの精神の自由さと、感受性に溢れた音楽を応援するよ』と、分かったような事を口にした。

 町が主催する、盆踊り大会、運動会、花火大会など、祭りがあれば必ず呼ばれた。その他デパートのイベント、商店街のイベント、色々な施設の催し事、まるで芸人の営業のように出まくった。その卓越した、マイクパフォーマンスとステージングは、もはや高校生バンドではなく、芸人一座と化していた。


 「名前は売れたよね…… でも、違うことない?」と京子はナオミにつぶやいた。確かに自分たちは老人やおじさん達の心を掴みたくてバンドを始めた訳ではなかった。大好きな雰囲気を持った昭和歌謡を演って若者に受け入れてもらいたかったのだ。

 ナオミと京子の出した結論、それは、『こんな小さな町で燻っていてはいけないのよ!』だった。ある意味、的を得た結論だったのかもしれない。たとえ若者でも日本中に視野を広げれば、昭和歌謡が好きな変わり者はいるはずだから。

 しかし、あっぱれであったのは、ナオミと京子のくじけない心だった。高校卒業と共に彼女達は揃って上京した。取り敢えず、親の反対もあり、女子大進学という名目ではあったが……。行けばこっちのもの、当初の思惑通り学校にも行かず、音楽漬けの毎日を送った。当たり前だが、バックメンバーを引き連れて、上京する訳にはいかなかった。再出発だ。二人で路上でもパフォーマンスできるようにカラオケを用意し、ゲリラ的に駅前や店舗先でも演った。

 やがて、変わった女の子二人がパフォーマンスする動画が、ネット上に公開された。

なにか強烈な昭和の香りと若さゆえに…… 演じることで時代の不憫さを感じる、その佇まいは観る側の勝手な想像力をかきたてた。

 やがて、彼女達はプロになった。

 まだ、テレビでの露出は少ない。でも、じきに出てくるはずだ。だって彼女達には、才能があるもの!


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