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《七》

     *


 さすがに疲れてきたし、閉館の時間というアナウンスもあったことから帰ることになった。


「自分の買い物も楽しいけど、人のを選ぶのも、すっごく楽しいわね!」


 満足そうな笑顔を浮かべている幸を見て、喜んでもらえたのはそれはそれで良かったのかな……と万里は前向きにとらえることにした。


「ちょうどいいところにお手洗いが! あたし、行ってくる!」

「はい。私はここで待ってます」


 幸は手洗いへと向かった。万里はさすがに疲れて、近くのベンチに腰を下ろした。

 ふうっと息を吐き、なんとなく視線を通行人に向け、万里はそこに『見合い相手』を発見して、息をのんだ。

 まさかここで会うなんて……。

 いや、ここはそうだ。鹿鳴館が関与しているアウトレットパークだ。歩いていても不思議はない。

 万里は思わず、じっと見つめてしまった。

 向こうも万里の視線に気がついたのだろう。目が合ってしまった。

 あっと思ったときはもう視線を逸らすことが出来ず、そのまま固まってしまった。

 遠かった『見合い相手』がなぜか徐々に近くなってきている。


「あなたは、昨日のお嬢さま」


 向こうも覚えていたようだ。万里は頬が熱くなったのを自覚した。


「今日はこちらでお会いできるとは、奇遇ですね。体調、良くなったようで良かったです」


 言われ、そういえば昨日、介抱してもらったことを思い出した。立ち上がってお礼を言おうとするのに、思うように身体が動かない。


「あ……あのっ。きっ、昨日は……ありがとう、ございま……した」


 恥ずかしいから視線を逸らしたいのに、なにかに惹きつけられるかのように目が離せない。向こうも同じなのか、万里の瞳をじっと見つめている。


「元気になったのなら、なによりです。それでは僕は、これで」


 そういうと、『見合い相手』は一礼をすると、去って行った。

 万里はその背中が見えなくなるまで、じっと見つめていた。

 それからどれくらい経ったのか。


「万里、お待たせ」


 という幸の声ではっと気がついた。


「ごめんなさいね、思ったより中で待ってる人が多くって」

「あ……いえ。そっ、それでは、行きましょうか」


 万里はぎくしゃくと立ち上がり、よろめきながら歩き出した。

 その様子を見て、幸が心配そうに声を掛けてきた。


「万里、大丈夫? 昨日の今日で連れ回したから、疲れちゃったわよね」

「あ、いえ。大丈夫です」


 幸が心配そうに万里の腕を取り、見上げてくる。


「疲れたから、帰りの車の中で少し寝ましょ?」


 万里がこれだけ疲れているということは、幸もそれは一緒ということだ。そこに思い至らず、万里は申し訳なく思う。

 預けていた荷物を受け取ると、とてもではないが持ちきれない。カートを借りて、どうにか車へと戻ってきた。運転手とともに必死になって荷物を詰め込み、家路へと出発することが出来た。


「楽しかったね」

「そうですね」


 確かに、楽しかった。きっともう、こんなことはないだろう。


「幸さん、ありがとうございました」

「お礼を言うのなら、お兄さまにだわ」

「はい。帝さまにもですが、幸さんのおかげで、楽しいひとときを過ごせました」


 それに、と心の中で付け加える。

 またあの人に、会えた。

 幸に『見合い相手』──大和に会ったと報告をしておいた方がいいだろうと思ったのに、なぜだか分からないが、言うことが出来なかった。

 幸には偶然、会ったと言うべきなのだろう。

 そのままを告げればいいのに、なんと言えばいいのかと激しく悩み、どうしてこんなにも躊躇しているのか分からず、万里は戸惑った。

 その上、別にやましいことはないはずなのに、どうしてか後ろ暗い気持ちになってしまっている。

 幸が手洗いに行っている時、通りかかった大和と会って挨拶をした。

 ただそれだけのことだ。

 難しいことを伝えるわけではないのに躊躇している自分に、複雑な心境になった。

 どうして言えないのだろう。

 もやもやとした気持ちを解明しようと心と向き合おうとするのだが、なんだか気恥ずかしい。その感情はどこから来るのかと羞恥と戦いながら考え──思い至った。

 大和のことを思い出すと、今まで感じたことのない気持ちを抱いてしまうからだ。

 彼と出会うと、なぜか視線を逸らすことが出来ない。もっと見ていたいという気持ちになってしまう。見つめられると恥ずかしいのに、見ていたい。

 この気持ちはなんだろう。

 そして、こんな感情を抱いたことを知られるのが、すごく恥ずかしい。

 それ以前に、この気持ちを本来なら抱いてはいけないのに、気がついたら万里の心の中心に存在していた。追い出さなくてはならないのに、万里はそれをしたくない。

 追い出したくない、忘れたくない。知られるのはマズイ。それなら、隠さなければならない。

 そう考えて、万里はぎくりと身体を強ばらせた。

 隠す?

 だれから?

 大和に対して抱いたこの気持ちを、だれから隠さなくてはならないというのだろう。

 ──そうか。

 万里はその人物を特定して、すとんと腑に落ちた。

 大和は幸と将来、結婚するのだ。万里とそんな仲になるのは、天地がひっくり返ったとしても、あり得ない。願ってもいけない。

 幸と帝、そして本人の大和にさえ、この感情を知られてはならない。

 きりきりと万里の心を締め付ける、この切ない想い。

 この感情は、そう。

 名付けるならば、恋。

 決して想ってはいけない相手に、万里は恋をしてしまったのだ。

 自覚してしまった気持ちは、万里の心を締め付けていく。

 どうして初めて好きになった相手が、雇い主の婚約者なのだろう。

 こんな気持ちを抱いてしまうのなら、あの時、どうあっても幸を連れ出せば良かった。

 魔が差したように振り袖を着付けてもらい、あそこに立たなければ良かった。

 後悔は先に立たないと言うが、本当にそうだ。

 後悔しても、しきれない。

 よりによって、どうして……!

 万里は辛くて、ワンピースの胸元をぎゅっと握りしめた。

 綺麗になれば振り向いてもらえるかもなんて、試着をしているとき、ちょっとでも思わなかったか。

 さっき気がついてもらえたのは、幸が選んでくれたこのワンピースを着ていたからではないだろうか。いつものパンツスーツだったらきっと、分かってもらえなかっただろう。

 幸に会ったと言えなかったのは、少しでも自分が有利な立場にいたいと思ったからではないのか。だから会ったと素直に話せなかったのではないか。

 そんなことない!

 万里は自分に言い聞かせ、幸に会ったという話をしようと横に視線を向けた。


「幸さん」


 名を呼びかけたが、返事がない。ふとみると、幸は疲れ、シートにもたれて眠っていた。寒いのか、丸まって眠っている。

 万里が思い悩んでいる間に、寝入ってしまったようだ。

 眠ってしまっても愛らしい幸に笑みを浮かべ、膝掛けを抜き取り、肩から掛けてあげた。


「万里……あたしを置いて、いかないでね」


 寝言なのか、幸はそんなことをつぶやいた。

 その言葉に、ぎくりと身体を強ばらせる。

 すっかり万里の事を信頼しきっている幸の言葉に、抱いてしまった大和への想いはやはり、隠してしまわなくてはならない感情であることを思い知った。初めて抱いた恋心は鋭い痛みを伴い、万里の心にずっしりとのしかかってきた。

 幸を守る。

 それは万里の仕事でもあったが、それを越えた思いだった。

 幸の幸せが、自分の幸せにも繋がる。そのためなら自分のこの気持ちを偽り、隠すことが幸せへの近道なのだ。

 分かっているし、自分に言い聞かせるのだが、一度自覚してしまったその想いを簡単に隠してしまえるほど、万里に恋の経験はなかった。

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