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《二》

     *


 どうにか万里はホテルから日比谷家へと戻ったのだが、戻ると同時に予想通り、幸共々、帝に呼び出された。

 万里は戦々恐々として、帝の部屋へと訪れた。

 装飾が施された重厚な扉をノックすると、入るように中から声がした。

 震える手で扉を開けるとまぶしくて、目を細めた。大きく取られた窓から外光が降り注ぎ、まばゆい空間が出来ていた。

 そういえば、今日は雲一つないよい天気だった。

 ホテルで着付けをされているとき、お見合い日和ですねなんて着付けてくれた人が言っていたことを思い出した。

 よい天気だということもあり、ブラインドが上げられているため外光がよく入ってきているようだった。外は空気が乾燥して風もあり寒かったが、この部屋はまるで春が来たかのようにぽかぽかと暖かい。そのせいなのか、いつもはスーツをきっちりと着込んでいる帝がジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めているのが視界に入った。

 帝の前にはマホガニーの机が、その手前には黒革のソファセットが置かれている。煌びやかなシャンデリアは、この建物が明治初期に贅を尽くして造られたのを物語っている。

 何度か帝の部屋には入室したことがある万里だが、来る度にやはり、息をのむ。

 いつもだとたっぷりと部屋の中を観察してから入室するのが万里の癖であったが、今日はそういう訳にはいかない。

 すでに幸が来ていて、怒りを露わにした帝に叱られているところだった。いらいらとワイシャツの袖を気にしながら、帝は幸に鋭い視線を向けている。


「幸」


 万里が扉を閉め、ソファセットの前に立ったのを見てから帝は口を開いた。


「あれほど必ず来いと言ったのに、どうして来ないばかりか、万里を代理に立てた?」


 幸はうなだれ、口を引き結んで黙っている。


「帝さま……」


 幸が責められているのが辛く、万里は代わりに理由を説明しようとしたのだが、睨まれた。


「万里に聞いているわけではない」

「……申し訳ございません」


 帝は万里から幸に視線を移し、理由を再度、問いかけた。


「どうして来なかった」


 幸は唇をかみしめて逡巡した後、顔をぱっと上げ、口を開いた。


「だって……大和さま、あたしをいじめるんですもの」


 幸はスカートを握りしめ、帝を睨み付けるように見上げている。その仕草と子どもじみた言い訳に、帝は苦笑いを浮かべた。


「子どもの頃の話を持ち出されても」

「意地悪な殿方は、嫌いですわっ」


 先ほどまで激しい怒りに震えているように見えた帝だが、幸が口にした理由に脱力したのか、すっかり普段通りの表情に戻っている。


「まあ……すっぽかすより、代理を立てるまで成長したのは喜ばしいことではあるが……」


 先ほどの怒りはどこへやら、いつも通りの妹馬鹿になっている帝に、万里は内心で苦笑した。


「今回は幸のために身を削ってくれた万里の顔を立て、不問にするが……」


 帝の意味深な言葉に、幸は泣きそうな表情を浮かべ、万里を見る。

 万里はどう反応すればいいのか困り、少しだけ眉尻を下げた。

 それを見た幸がなにを思ったのか、帝に詰め寄った。


「どういうことですか、お兄さま!」


 すごい勢いで窓辺に立つ帝の元まで突進していく幸を見て、万里は慌てて止めようとしたが距離がありすぎて、届かなかった。

 帝は幸にワイシャツの胸元を掴まれていたが、涼しい表情で口を開く。


「万里も、済まなかったね。いきなりで驚いただろう」

「いえ……すみませんでした」


 思ってもいなかった出来事に驚いたが、振り袖を着ることが出来たのは、実は密かにうれしかった。


「なにがあったのですかっ!」


 一人、訳が分からない幸は、帝の胸を叩く。帝は少しだけ困った表情を浮かべ、幸の黒くて艶のある髪を撫でて落ち着かせ、なだめるように口を開いた。


「ホテル側が幸がなかなか来ないのに焦り、フロントでボクを探していた万里を幸と勘違いして、振り袖を着付けてしまったんだよ」


 その説明に幸は目を丸くして、帝を見た。


「普段、あまりにも色気のない恰好を……ごほん、失礼。いや、なかなかあの振り袖は良かったよ、万里」


 そう言われ、万里は顔が真っ赤になるのが分かった。

 普段の万里は、黒のパンツスーツが基本だ。帝に色気のない恰好と言われても仕方がない。

 幸用にとそろえられていた振り袖は、幼さが残る幸を大人に見せるためにと選ばれた黒の絞りだった。袖と裾には色鮮やかな手まりの刺繍が施されていて、芸術的な逸品であるのはすぐに分かった。

 もし、いつもの幸のイメージで選ばれた振り袖だったならば、着付ける側もなにかがおかしいと気がついただろうが、それはまるで万里のためにあつらえたかのような物だったため、だれも疑念を挟むことはなかった。


「馬子にも衣装……」

「お兄さまっ! さっきから万里に失礼なことばかり言って!」

「あ……いや。その、失礼」


 帝はごほんと咳払いをして、バツが悪そうに万里から視線を逸らした。


「本当のことですから」


 怒るどころか肯定してしまった万里に対して、幸は頬をふくらませた。


「もうっ! 万里の振り袖姿、見たかった!」

「見合いをすっぽかして、代理を立てたのは、だれだったか?」


 藪蛇状態だと幸は気がつき、慌てて帝から身体を離し、くるりと身を翻すと万里の元へ駆け戻った。


「そうだっ! 今度のお休みに、お買い物にいきましょ? 万里って背が高いから、ワンピースとか似合いそうっ!」


 幸は話をそらすため、そんな話題を持ち出した。


「私はこれでいいです」

「なんで?」

「……ワンピースなんて、柄ではないですから」


 女性にしては身長のある万里は、着飾るのが昔から苦手だった。学生の頃はシャツにジーンズといったラフな恰好で通していたが、日比谷家に就職してからはそうはいかないため、パンツスーツだ。動きやすく、失礼に当たらない恰好であるため、万里は気に入っている。

 しかし、幸はどうやら、それが気に入らないようだった。なにかと理由を付けて万里を着飾らせようとするのだが、いつもするりとかわし続けているというのが現状だ。

 それでも昔は、スカートも履いていたこともあったのだが、癖毛のせいで髪を伸ばせずショートカットにしているため、身長も相まって、男性に間違われることがあった。男性がスカートを履いていると勘違いされてぎょっとされる顔を見たくなくて、万里はいつしか、パンツスタイルばかりになっていた。


「髪も伸ばして、スカートを履いたら、キレイだと思うんだけどなぁ」

「髪は……癖毛ですから」

「縮毛矯正で直せるから、一度、伸ばしてみたら?」


 幸と万里のそんな会話を微笑ましい気持ちで帝は聞いていた。


「そうだな。今でも充分、魅力的だとは思うが、ボクももう一度、キレイに着飾った万里を見たいな」


 帝の言葉の中にはとってつけた感のある部分も混じっていたが、幸は強くうなずき、同意していた。


「お兄さまが褒めているくらいですもの。万里の振り袖、素敵だったんだろうなぁ」


 普段なら、自分に不利なことは口にしないはずの幸であるが、それを言うとまた帝から怒られる可能性があるにも関わらず、再度、口にしていた。


「それならば、見合いの場を改めることになったから、万里に同席してもらうか」

「う……」


 幸は顔を引きつらせ、帝を恐る恐る見る。

 帝は口角をあげ、からかうような表情で幸を見ている。


「だからっ! あたしは大和さまと、お見合いなんてっ、しませんっ!」

「頑固だなぁ。昔と今とでは、違うぞ。大和はいい男に育ってるぞ?」

「嫌ですっ! 嫌と言ったら、嫌なのっ!」


 万里は思い出していた。

 幸の『見合い相手』である大和。

 見た目だけで言えば、噂通り、冷たい感じがした。

 しかし、万里のことを心配してくれたし、最後まで優しく丁寧に接してくれた。

 エスコートされたときの体温を思い出し……万里は思わず、赤くなった。

 普段、男性と接することのない万里にしてみれば、あれは急接近過ぎる出来事だ。

 冷静になって思い返すと、恥ずかしさの余りに穴を掘って隠れたくなった。


「万里、どうしたの? 顔が赤いわよ。やっぱり調子、あんまり良くないの……?」


 心配そうに見上げてくる幸に万里は慌てて否定する。


「なっ、なんでもないです! 大丈夫ですからっ」


 思い出した内容を幸に知られる訳がないというのに、万里は恥ずかしくて必要以上に否定した。


「本当に、大丈夫……?」


 ますます顔を赤らめている万里を見て、幸は心配そうだ。


「だっ、大丈夫ですよ!」

「万里が大丈夫っていうのなら信じるけど、今日は疲れたでしょ?」


 疲れていないと言えば嘘になるが、幸に気遣いをさせてしまうほどではないだったので、万里は大丈夫だと言おうとしたところ、帝に遮られた。


「ボクはまだ、幸と話がある。万里は下がっていてくれないか」

「あたしはなにもないわよ! 万里と一緒に」

「幸」


 静かな声だったが、有無を言わせぬ力強さに幸は肩をすぼめ、口を噤んだ。

 万里は帝の言葉に従い、一礼をすると部屋から辞した。

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