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《十八》

     *


 終業時間が来て、万里は一人で先に、鹿鳴館の屋敷に帰ることになった。

 閏はこれから大和と落ち合って、パーティに出るという。


「あの……お帰りはいつ頃に」


 駐車場に向かうエレベーターの中で、万里は閏へ問いかけた。


「帰りは分からない」

「そう……ですか」


 万里は閏が帰ってくるのを待つつもりでいたのだが、どうやら帰宅時間は不明という。昨日は気がついたら寝てしまっていたため、閏がいつ帰ってきたのか分からない。今日こそは帰ってくるのを待とうと万里は心に決めた。

 それから二人はなにも話すことなく、駐車場へと到着した。

 閏は無言で車へと近寄り、万里に乗るように促した。朝、大和とともに来た車ではなかったが、運転手付きのようだった。

 万里が乗ったのを確認すると、閏は助手席を開け、乗り込んだ。


「屋敷に寄ってから、ホテルに向かってくれ」

「かしこまりました」


 閏はそれだけ告げると、ジャケットからスケジュール帳を取り出すと、確認を始めた。

 万里はただ黙って、後部座席に座っていることしか出来なかった。


 車窓を眺めていたら、見覚えのある塀が見えてきた。どうやら鹿鳴館の屋敷に着いたようだ。


「裏門で止めてくれないか」

「……裏門、ですか?」

「ああ。そこで降ろす。中に入っている時間がない」

「しかし」


 運転手は戸惑ったように、バックミラーをちらちら見て、万里を気にしている。

 ここまで来る途中、どこかで事故があったのか、少し渋滞していた。閏はさっきからしきりに時計を気にしているところを見ると、間に合わないのかもしれない。

 それならば先にホテルへ向かえば良かったのに……と万里は思ったが、それは口にしなかった。


「いいです。ここで降ろしてください」


 自分のせいで大和に迷惑を掛けてはいけない。万里は心細いと思ったが、そう口にしていた。

 運転手はそれでも心配そうにしつつ、車を止めた。


「ありがとうございます。それでは、いってらっしゃい」


 万里は簡潔にお礼を告げ、車を降りた。

 車のドアを閉めたにもかかわらず、車はなかなか動こうとしない。急がないと間に合わないのではないだろうか。

 万里は車を見送るつもりでいたのになかなか動き出さないため、痺れを切らして運転席の扉を叩いた。すぐに窓が開いた。


「どうしたのですか。早く行かないと、遅れてしまうじゃないですか」

「……はい、その」


 運転手の言葉を遮り、閏は苛立った声を上げた。


「いいから、早く出せ」

「いや、しかし」

「いいから!」


 閏の叱責に運転手は首をすくめ、窓を閉めてようやく車を動かした。

 それを見て、万里はほっと胸をなで下ろした。

 間に合えばいいのだけど。

 去りゆく車を見ながら、万里はそんなことを思った。


 エンジンの音が消えると、辺りはしんと静まり返った。ぽつんと取り残され、万里は途方に暮れた。

 どこからこの屋敷に入ればいいのか、入ったところで自分の部屋がどこなのか。

 辺りを見回すと、門らしきものが見えた。万里はそちらに向かって歩いた。

 どうやらここは、閏が言っていた裏門らしい。

 杉の一枚板に彫刻を施した門。引き戸のような形になっていて、二枚、並んでいる。

 万里は思わずその門をじっと見た。

 日比谷家も大きいと思ったが、こちらの方が規模も手の掛かり具合も違うようだ。

 帝がどうあっても絆をさらに深めたいといった意味が分かった。

 門を見回していると、インターホンが目に入った。入るにはこれを押して、開けてもらえばいいのだろう。

 万里はインターホンの前に立ち、押した。

『どちらさまでしょうか』

 おっとりとした年配女性の声。そこでなんと言えばいいのか分からず、万里は焦った。

『あのぉ……?』

 インターホンの向こうから、いぶかしそうな声。万里は焦り、口を開いた。


「あの……わたら……いえ、乙坂万里です。仕事から帰ってきたのですが、その、開けていただけないでしょうか」


 万里の言葉を聞いたインターホンの向こうの声が、急にとげとげしい物に変わった。

『だれだい、あんた』

 手のひらを返したかのような冷たい声が返ってきて、万里は息をのんだ。なにかおかしなことを言ってしまったのだろうか。動揺している万里をさらに追い打ちを掛けるようなことをさらに言われた。


『困るんだよねぇ。そうやって屋敷に入ろうとされると』

「あ、いやっ!」


 なにか誤解をされている。万里は焦るのだが、インターホンの向こうの人は呆れた様子だ。


『大和さまに近寄ろうとして側近の名前を挙げれば入れるかと思ったら、大間違いだよ。とっとと帰りな』


 ぷつり……と通話が切れた音がした。

 万里は唖然として、インターホンの前で佇んでいることしか出来なかった。

 ここから入れないとなると、どうすればいいのだろう。

 万里は途方に暮れ、泣きそうな気持ちで門を見上げると、監視カメラが付いていて、無断で侵入してくる者を警戒しているのが分かった。そういえば、日比谷家にも付いていたなとぼんやりと考えていた。

 万里は裏門から少し離れて、外壁を見る。

 外からの侵入を阻む壁はかなり高く、等間隔に監視カメラが付けられている。塀の上をよく見ると、有刺鉄線が敷き詰められていた。

 容易に近づけないこの屋敷を見て、今の閏との関係を示しているようだと、万里は感じた。


 それから少しして、門が開く音がした。


「ああ、すまなかったね。とんだ早とちりをしてしまったよ」


 開いた門の向こうに、白いエプロンをつけた女性が立っていた。声で先ほど、応対してくれた女性と分かった。


「今、閏さまから連絡が入ったよ。疑って悪かった」

「え……あ、いえ」


 バツが悪そうな表情を浮かべた女性に、万里はどう返せばいいのか分からない。

 万里が中に入ったのを確認すると、女性は門を素早く閉めた。


「この頃、大和さまに取り入ろうとする不届き者が多くてね。正面から来るのもいれば、裏からまるで前から知っているかのようにして、屋敷に入ってこようとするのがいるんだよ。またそんな輩かと思ってね」

「あの……どうしてそんな人が」


 万里の疑問に、女性は大げさにため息を吐き、答える。


「大和さまもいいお年なのに、なかなかご結婚をされないから、我こそはと思うような人間がわらわらと集まってくるんだよ」


 まあ、と女性は困ったように続けた。


「大和さまと結婚すれば、玉の輿だからね。そりゃあもう、目の色を変えてやってくるのが多いよ。大和さまも想い人がいらっしゃるとかで、ずっと、お父さまからの縁談をすべて断っているってのも大きくてね……。なにか勘違いしたお嬢さま方が『わたくしこそが大和さまの想い人!』とやってくるんだよ」


 どうやらそれも、女性の口ぶりから一人や二人ではない様子だ。


「閏さまを介して、大和さまに近寄ろうとする人間も中にはいてね。閏さまは絵に描いたような生真面目人間だし、だれよりも大和さまを大切にされて、大和さま優先だったから」


 そしてその視線は万里を探るように見ている。


「あの人が結婚をすると聞いて驚いたけど……まあ、あんたも真面目そうだけど、日比谷の人間なんだって?」

「え……いえ。私は日比谷さまとゆかりがあるというだけで」

「ああ。そうなのか。あんたもじゃあ、なんだい? 大和さまに取り入ろうと?」


 またもやここでも誤解をされているようだと気がつき、万里は慌てた。


「そっ、そんなつもりは……!」

「ふーん。……まあ、どっちでもいいんだけど」


 といいつつ、女性は万里に疑いの視線を向けたままだ。


「あんたが大和さまに取り入ろうとして閏さまに近寄ったというのなら、忠告しておいてやる。あんたが思っている以上に、閏さまを慕っている人間も多い。あの人は大和さまに忠実だから、命令に逆らえずにあんたと結婚したんだろうけど、もしも、あんたが閏さまを傷つけたらどうなるか」


 完全な脅しの言葉に、万里は目を見開いた。

 当初、閏のことを大和と勘違いしていた万里は、少しでも近づこうとした。そんな下心があったのは確かだ。しかし、今の万里は閏の側にいられることが幸せだった。それなのに、なにか周りから酷い誤解をされているらしいのだが、それに反論することが出来ない。


「ここにはあんたの味方はだれ一人としていない。それを肝に銘じておくんだね」


 ただ、閏の側にいられたらいい──。

 そんな浅はかな万里をあざ笑うかのように、女性はきっぱりと言い切った。


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