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《十四》

     *


 万里はこれから住むことになる部屋を見回した。

 日比谷家であてがわれていた部屋とは比べものにならないほどの広さ。

 元から閏一人だけの部屋だったのか、それとも万里と暮らすために移動してきたのかは分からない。もしもずっとここに一人だったとしたら、日比谷家のあの広さでもそう思ったのだ、万里だったら広すぎて淋しいと思っていただろう。だけどここに今日から、閏とともに寝起きする。そう思ったら、あまり淋しいと感じなかった。

 隣は大和の部屋と説明されたが、そちらはどれだけの広さなのだろう。

 部屋に入ってすぐは広い空間があり、奥には大きな窓が付いていて、外がよく見える。窓の前にはダークブラウンの木製テーブルセットが置かれていた。天気のいい日にここでお茶を飲むのも素敵かもしれない。あるいは、食事をここで摂るのもいい。

 そこから左を見ると、ソファセットが置かれている。少し深めの座面で、座り心地が良さそうだ。

 窓の反対側の壁際には机が置かれていて、閏の私物だと思われるものが無造作に置かれていた。ごちゃごちゃに置かれているのを見て片付けたい衝動に駆られたが、勝手に触って怒られるのが嫌だったのでそのままにしておいた。

 さらに奥には壁があった。そこで部屋が終わりなのかと思ったが、扉がついている。どうやらここは二部屋になっているようだ。

 万里はそちらへ向かい、扉を開いた。

 明かりはついていないがカーテンが開けられていて、まばゆさに目を細めた。

 主室よりは狭いが、部屋の真ん中にかなり大きなベッドが一つ、置かれている。ここが寝室のようだ。その周りにはなにもなく、壁にはクローゼットと思われる木の扉が見えた。

 ここに閏とともに寝るのかと思ったら、それだけで万里は恥ずかしく、落ち着かなくなってしまったので、扉をきっちりと閉じた。


 寝室の扉の前で深呼吸をして、万里は気持ちを落ち着かせた。

 心臓がどきどきしている。

 しかし、閏に言われた言葉を思い出し、心が急激に冷えた。

 ──指一本、触れない。

 そう宣言したときの視線の冷たさ。憎しみのこもったような声。

 万里は閏との温度差を思い知った。

 期待をするなと言われた。

 期待とは一体、なんのことを意味していたのだろう。

 万里が閏と結婚した意味。

 帝に請われたから、そして、幸のために。

 それは閏も同じのようだ。大和の命令だったからと言っていた。

 お互い、そこは利害というとおかしいが、一致している。

 大切なだれかのため。そこに自分の意志はあったのか。

 幸の言葉を思い出す。

『あたしの幸せのため? 万里が犠牲になった上での幸せが、本当の幸せになるわけ、ないじゃないっ!』

 ──違うのです、幸さん。

 万里は心の中で呟いた。


「私は……幸さんの幸せを祈るフリをして、自分の幸せを取った」


 だれもいない部屋で、万里はなにかに懺悔をするように声に出した。

 だが、だれもいないこの部屋にその声は、静かに消えていくだけだった。


 万里は大きく息を吐き、荷物を片付けることにした。段ボール箱から荷物を出して、クローゼットや棚、タンスに荷物を詰め込んだ。用意してもらったスペースの半分ほどしか埋まらなかった。

 段ボール箱もすべて潰し、それをどこに片付ければいいのか分からず、邪魔にならないように部屋の隅に積んでおくことにした。閏が帰ってきてから聞こう。

 やることがなくなってしまったら、暇になってしまった。

 そうなると、今日の出来事を思い出してしまう。

 大和だと思い込んでいた人物は、万里の結婚相手である閏であった。激しい勘違いに恥ずかしくなってきた。

 閏は大和の側近だという。その彼が見合いの席にいても、不思議はない。あの場にだれがいたのか覚えていないが、大和はいなかったと思う。いくら万里が閏に見とれていたといっても、いるだけであれほど存在感のある人のことを覚えていないということは、さすがにない。仕事が忙しくて遅れるからなどの理由で、閏が先に来ていた可能性が高い。

 そこで万里は、幸に『見合い相手』の容貌を伝えた時の反応を思い出した。

 大和の髪の色を伝えたとき、幸はなにか引っかかりを覚えていたようだった。あの茶色い髪は生まれつきなのだろう。幸は違和感を覚えたが、幼い頃と今とで髪の色が違うこともあるだろうくらいにしかとらえていなかったと思われる。

 あの時は大和だと思っていた閏の側にいることが出来ると知り、万里は舞い上がっていた。髪の毛の色の違いなど些細なものだと思い、深く考えなかった。

 些細なものではなく、それは大差あるものだった。

 逆だったのならいざ知らず、万里としてみれば結果的にはまったく問題がないどころか、これ以上ない僥倖だったわけで、心配は杞憂に終わったと分かり、安堵した。

 のだが……。

 その肝心の閏の態度を思い出し、気持ちが沈んでいくのが分かった。

 冷たいというより、憎まれているといってもいいのではないかという態度。閏がこの婚姻を望んでいなかったというのは、態度と先ほどの言葉から痛いほど分かった。同じ部屋でも、指一本触れないと宣言された。

 初対面の時、支えてくれたぬくもり、そして、式の時にまごついていた万里をサポートするように添えられた指先の温かさ。それを思い出しただけで万里の身体は感じたことがないほどカッと熱くなる。さらにぬくもりを克明に思い出そうと万里は閏がはめてくれた指輪にそっと触れたが、つるりと輝く銀色のそれは予想以上に冷たかった。さらに閏の冷え切った視線を思い出すと、我に返った。

 閏がなにを思い、どう考えているのか、さっぱり分からない。

 今、分かっていることは、万里はとんだ勘違いをしていたが、結論は問題ないどころか望むところだったのだが、閏はそうではない。

 大和に言われ、渋々と万里を受け入れた。

 それでもきっと、閏は万里に歩み寄ろうとしてくれていた……と思いたい。だけど、万里がなにか、閏の気に障るようなことをやってしまい、あんな冷たい態度を取っているのだろう。

 そう思わなければ、万里は初日から心が折れてしまいそうだった。


 閏を一目、見たときから心惹かれていた。

 触れられた温かさを、もっと感じたいと思った。

 少しでも側に。ぬくもりを感じられなくても、閏という存在をもっと身近に感じたい。

 閏のことを考えただけで、胸がきゅっと締め付けられる。

 切なくて、胸が苦しくなる。

 姿を見ていたい。

 声を聞きたい。

 万里自身にも、どうしてこんなにも閏に心が惹かれているのか、分からない。

 片付けたばかりの棚に並べた本に視線を向ける。

 それほど多くない蔵書だが、何冊か恋愛小説が入っていた。

 好きな人がいなかった万里には、その中に書かれていたことが分からないことがあった。

 好きな相手の側にずっといたい。離れたくない。

 友だちは何人かいたし、楽しく遊んで時間になって帰る時、もうちょっと一緒にいたいと思ったことは確かにあった。だけど別れるとき、身が裂かれそうだとか狂おしい想いにどうにかなってしまいそうという気持ちにはならなかった。

 閏と結婚することになり、幸と離ればなれになってしまうと分かったときも、辛いものはあったが、今生の別れでもないし、会いたいときに会えると思ったから、それほど悲しくはなかった。

 だけど万里は、初めて恋をして、知った。

 好きな人の側にどんな状況でもいいからいたい。一目でも目にしたい。

 どうしてこんなにも惹かれるのだろう。

 辛辣な言葉を告げられても、万里はそれでもいいと思っていた。

 それがさらに辛い想いを重ねさせられることになるとは、そのときの万里は思ってもいなかった。

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