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《十》

     *


 万里が承諾したことにより、周りがめまぐるしく変わっていった。

 幸は万里の決断が気に入らないようで、ずっと不機嫌だ。側にはいるが、まともに口を利いてくれない。


「万里がいなくなったら、だれがこの家であたしの相手をしてくれるのよ」


 ぼそりと言われ、すっかり舞い上がっていた万里は幸のことまで気が回っていなかったことに気がつき、はっとした。


「すみません。自分のことで手一杯で、幸さんのことを……その」


 しゅんとした万里に、幸は小さくごめんなさい、とつぶやいた。


「八つ当たり、よね。あたしが嫌だっていうから、万里が……」

「幸さん、私はそんなつもりでは……」

「うん、万里なら、そういうと思った。お兄さまはきっと、万里が承諾するのが分かっていたし、そうなったらあたしもさすがに折れるだろうって思ったんだろうけど……」


 幸はふぅっとため息を吐いた。

 人の好き嫌いという感情は、どうすることも出来ない。

 だが、それを無視して無理矢理にでも幸を大和の元へ嫁がせることは出来たはずだ。それをしなかったのはやはり、帝の優しさと甘さでもあるのだろう。


「それにしてもお兄さまっ! いつの間にあんなに非情な方になったのかしら。万里を半ば脅すようにうなずかせるなんてっ」


 幸が言うように、脅しの部分も確かにあった。

 だが、帝が言った「チャンスだ」という言葉に乗っかったのは、万里だ。

 隣に立てなくてもいい、側で見ていられるのなら。そんな邪なことを考え、同意したのだ。幸には言えないが、帝とは利害は一致している。


「遊びに行きたくても、大和さまの元なら行けないじゃない」

「どうしてですか? なにも遠慮することはありませんし、私は幸さんが気になりますから、出来ることならたまに、こちらに戻ってきたいと思っていますが」


 大和の部下に嫁いだからといって、ここにもう、出入り出来ないと思いたくない。ただ、そんな自由が許されるのかは分からないが、万里はそのつもりでいた。


「……お兄さまと大和さまはきっと、あたしが万里に会いに行くように仕向けると思うわ。それで、偶然を装って、大和さまがあたしに近寄るって作戦なのよっ!」


 それは万里でも考えつくことだから、帝と大和の二人は最初に思いついているだろう。そんなに単純なことをしてくるとは思わず、万里は苦笑した。


「幸さんにきてもらうのは悪いですから、私からこちらに伺いますよ」

「……ほんと? 約束してくれる?」


 幸は潤んだ瞳で万里を見上げてきた。


「はい」


 万里は強く大きくうなずいた。

 それでようやく、幸の機嫌は直った。いつものように笑みを浮かべ、万里の準備を手伝おうとしてくれているのだが……。


「幸さん、服が汚れますし、怪我をさせてしまったら、私が帝さまに怒られてしまいます」

「ちょっとだけ、ね?」


 止める万里の言うことを聞かず、机の上に重ねていた文庫本を手に取ったまでは良かったのだが、手を滑らせて落とし、さらには積み上げられていた他の本を肘で押し倒してしまった。

 青ざめ、強張った表情で散らかしてしまった本を見つめている幸に、万里は笑みを返した。


「……ごめんなさい。あたしがいたら、万里の仕事を増やしてしまうわね」


 慌てて拾おうとする幸を止めた。


「お気持ちだけで充分です。ありがとうございます」


 万里はやんわりと幸を止め、手を取ると扉の前に導いた。


「幸さんには淋しい思いをさせてしまいますが、さっと片づけますので、お部屋で待っていてくださいますか?」


 今まで見たことがないような艶やかな万里の笑みを見て、幸は急に距離を感じて、ぎゅっとしがみついた。驚いたのは万里だ。


「……幸さん?」

「やだ。万里と離れるなんて、嫌」


 万里はどうすればいいのか分からず、幸にされるがままになっている。しばらく幸は万里に抱きついていたが、なにか決断したようで、口元を引き締め、顔をあげた。


「お兄さまに、万里をお嫁にやらないでって言ってくる」


 万里から離れると、幸は素早く扉を開け、駆け出した。


「幸さんっ!」


 帝は今日もここにいない。大和と会っていると聞いた。

 追いかけてそのことを伝えるのがいいのだろうかと悩み、止めた。

 いないと伝えても、幸はきっと、確認しに行くに違いない。

 それよりも、早いところ荷造りを終わらせてしまおう。

 万里は幸に申し訳ないと思いながら、荷物を詰める作業に戻った。


。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+


 普段の生活に必要なもの以外はすでに鹿鳴館の屋敷に送られてしまった。

 こんなにも慌ただしくなってしまったのは、鹿鳴館の都合のようだった。

 幸はそれも気に入らない。

 大学の送り迎えは万里以外は嫌だといい、さらには屋敷にいるときは万里にずっとついて回っている。


「幸さん」

「なぁに?」


 万里の左腕にしがみつき、頭を預けてきている幸に苦笑しながら万里は口を開く。


「そんなに私と離れたくありませんか?」


 万里の質問に、幸はほんのりと頬を染め、答える。


「もちろんよ。万里があたしの側から離れるなんて、とっても辛いわ」


 その答えに、万里は前から思っていたことを口にする決心をつけた。舌で唇を濡らして、大きく息を吸ってから口を開く。


「幸さん、大和さまとの結婚を前向きに考えてはいかがですか?」


 幸は思ってもいなかったことを言われ、万里に預けていた頭をあげた。


「なっ、なにをっ! 万里までそんなこと……っ!」


 幸は万里の腕を引っ張った。突然のことに万里はバランスを崩し、幸の膝の上につんのめりそうになった。どうにか体勢を整え、身体を起こした。万里は身体を捻り、幸を見た。今にも泣き出してしまいそうな横顔が見えた。


「私と離れたくないと幸さんがおっしゃってくれますし、私も離れたいと思っているわけではありません」

「それなら……っ!」

「帝さまのお話をお断りしたとしても、私たちはいずれ、離れ離れになってしまっていたでしょう」


 囁くような万里の声に、幸は万里に顔を向けた。万里の悲しそうな表情に幸は眉尻を下げた。


「私と幸さんが鹿鳴館家に嫁がなかった場合、きっと、すぐには目に見えて生活が激変することはないでしょう。でも、じりじりと悪くなり、最悪、幸さんはこの家を失うことになり、さらには今まで以上に意に添わぬ婚姻を迫られることになるでしょう」


 幸も分かっているのだろう。それでも、幸は緩く頭を振っている。


「万里はそうならないように……?」

「はい。私は幸さんの幸せを祈ってます。幸さんが幸せなら、私も」

「そんなの、違うわっ! あたしはあたし、万里は万里じゃない! あたしの幸せのため? 万里が犠牲になった上での幸せが、本当の幸せになるわけ、ないじゃないっ!」

「私は、犠牲になったとは、思っていません」


 万里はそれが嘘ではないということを証明するため、幸を真っ直ぐに見た。幸は挑むように万里を睨みつけた。


「嘘よっ! お兄さまがあんなことを言うから……」


 幸は並んで座っていたソファから立ち上がり、万里を見下ろした。万里は幸を見上げる。


「だって、今のあたしはちっとも幸せじゃない。万里が側からいなくなるのに、嬉しいわけ、ないじゃないっ! それなのに、万里はとっても幸せそうだわ。あたしのこと、嫌いになったのね?」

「違います」

「違わないわ。万里はあたしのためって言うけど、全然、そんなことないっ! あたしは今までの生活が」

「幸さん」


 いつもなら最後まで話を聞く万里だが、幸の言葉を遮った。


「いつまでも同じ場所に留まっていられないんです。時は流れ、私たちも知らない間に流されている」


 幸は無言で万里を睨みつけている。


「私も、いつまでもこのままでいたい。穏やかなこの生活を手放すのは、辛い。幸さんの側で、笑っていたい」

「それなら」


 万里を睨みつけていた幸は徐々に表情を緩ませ、気がついたら泣き顔になっていた。


「幸さんは、私と離れたくないとおっしゃってくださる。でも、今のままではそれは出来ない。それなら、私と一緒に鹿鳴館家に行きましょう。大和さまとご結婚されれば、私たちはまた、近くにいられます」

「そんなの、嫌っ!」


 幸も分かっているはずなのに、頑なに嫌だと言い続けている。


「万里も、お兄さまも、嫌いっ!」


 幸はそれだけ言うと身体を翻し、部屋を飛び出した。


「幸さんっ!」


 万里は立ち上がり、幸を追いかけた。しかし、幸は素早く自室に引きこもると、鍵をかけられてしまった。


「幸さん」


 万里はいつかのように扉を叩くが、出てこようとしない。


「幸さんっ!」


 万里は声が枯れるまで幸の部屋の扉を叩いたが、開けられることはなかった。


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