閑話2
コリンとティムが知らないところで起きていた騒動
とある竜騎士の謀
屈辱的なレースから1夜開け、俺様は奴を貶めるべく行動を開始していた。昨夜のうちにいくらか情報は集めたが、そのどれも誇張しすぎて信用できる内容ではなかった。いくら何でも内乱中にたった一人で皇妃様と皇女様を守り切ったというのは嘘だろう。きっと他に何人も護衛がいて、奴はその一人に過ぎなかったという結論に達していた。
驚くべきことに奴は今日の武術試合にも参加していた。俺様は申請しても通らなかったのに、奴は一体どんなコネを使ったんだ? だが、奴の初戦は俺が兄者と慕う縁戚の竜騎士。朝一番に激励に行くと、自信満々で奴をたたきつぶすと請け負ってくれた。昔から武術では彼にかなわなかったので、奴がみじめな姿をさらすことになるのは間違いないだろう。俺は会場の警備をしながら高みの見物と決め込んだ。
「……嘘だろう」
だが、その自信は早くも砕け散ることになってしまった。奴はたった一撃であの強かった兄者をたたきのめしていた。そしてその後も次々と対戦者を打ち負かしてしまい、決勝へと勝ち進んでしまったのだ。このままでは奴を貶めるどころか更なる名声を与えてしまうことになる。大いに焦った。
うまい方策を思いつかないうちにとうとう決勝が始まってしまった。しかし、陛下の甥でもあるオスカー卿には敵わない様子。ああ、奴もここまでだなと安堵していたら、とんでもないことを言い出しやがった。
このままでは実力が出せないからと、試合では義務付けられている防具を外したいと言い出したのだ。前例のない話に周囲はざわつくが、陛下はあっさりと了承された。結局、試合は陛下の裁定で引き分けとなり、奴は規定を捻じ曲げることによって武術試合の栄誉も勝ち取ってしまったのだ。試合後にわざと倒れるふりをして同情を集めるあたりは平民らしい実に姑息な手口だ。
舞踏会が始まる直前、警備のふりして医務室の辺りを通りかかると、見舞いの品が大量に届けられ、侍官が対応に追われていた。使用人に届けさせている家が大半だが、物好きなことに中には自分で届けに来ている女性もいる。よく見れば昨夜、奴に振られたらしいあの女性だった。よほど奴のことが心配らしい。
体調不良を理由に陛下主催の舞踏会を欠席した人間が、部屋に女性を連れ込んでいるのが分かれば醜聞沙汰となる。この夏至祭で得た名声も地に落ちるだろう。うまく彼女をけしかけられればいいのだが、そそのかした本人が現場に踏み込むのも不自然極まりない。何か妙案はないだろうか?
「何かお困りですかな?」
考え込んでいる俺に声をかけてきたのは恰幅の言い神官だった。貴族の家柄出身で、礎の里での修行を終えて皇都に帰ってきたのだという。うまく言いくるめてこの男を利用できないだろうか? 神官ならばその言葉を疑う者はいないだろう。
俺は意を決すると平民が秩序を乱して困っているのだと訴えた。その人の良い神官は大いに同調し、俺の話を聞いてくれる。そして俺の知らなかった事実も教えてくれた。奴はまだ子供の姫様をたぶらかし、恐れ多くもフォルビア領を手に入れようとしていると言うのだ。つまり、奴は自分のあの女性が自分の目的の邪魔になって別れたのだ。
こんな不条理を黙って見過ごすなどできない。俺はその神官に女性の存在を明かし、先ほど考え付いた計画への協力を打診する。密会の現場を抑えられれば、姫様も目を覚まされるだろう。奴を優遇していた陛下も考えを改められるに違いない。その熱意は神官にも伝わったらしく、軽く打ち合わせを済ませると計画を実行した。
一年で一番長い日もようやく日没を迎え、大広間では夏至祭の締めを飾る舞踏会が始まっていた。本宮の警備を命じられていた俺は、数人の部下を従えて西棟を巡回していた。行先は当然、医務室。あの神官から首尾よく常駐している医師も遠ざけ、あの女性をうまく誘導できたと報告を受けたので、密会の現場を押さえに行くのだ。あのいけ好かない野郎が踏み込んだ時にどんな顔を晒すか楽しみだ。
慎重に医務室に近づくと、暗い部屋の中からわずかに艶めいた女性の声が漏れ聞こえる。どうやらことに及ぼうとしている。踏み込むなら今だ!
バン!
俺はわざと音を立てて扉を開けると医務室の中に踏み込んだ。そして寝台に手にしていた明かりを向ける。そこには半裸で抱き合う男女が固まっていた。
女性は奴の元彼女で間違いない。だが、そこにいたのは奴ではなく、俺が兄者と慕う竜騎士だった。何故だ?
第1騎士団所属大隊長のぼやき
私は現在、タランテラ皇国の第1騎士団の大隊長を任されている。この国では第1騎士団は近衛も兼ねているので、栄誉ある地位にいると言って過言ではないだろう。
だが、私には目下頭を悩ませている問題がある。それはわが隊では有能な若手に部類される部下のことである。彼は困ったことに、相手の地位や身分を重視する非常に偏ったものの見方をしていたのだ。
そんな考えを持っていては現在のタランテラでは通用しない。幾度か考えを改めるように諭してみたが、自分の都合のいいように解釈して改まる気配はない。これではいくら優秀でも上級騎士への推薦は無理だった。
「隊長、何で私を推薦してくださらないのですか?」
焦れた彼はついに直談判にやってきた。私は言葉を重ねて今の考えでは無理だと諭したのだが、理解することはなかった。結局、私の方が折れて飛竜レースへの参加を認めることになってしまった。
今年は第3騎士団の秘蔵っ子、ティム・バウワーが参加する。部下がいくら速くても彼に敵うことはないだろう。絶対的に自信を持つそのレースで彼に敗れればまた考えも変わるかもしれないと、この時の私は淡い期待を寄せていた。だが……それはものの見事に裏切られる結果となってしまった。
「デューク卿、アスター卿がお呼びでございます」
妻と共に夏至祭最大の催しとなる舞踏会に参加していると、侍官が私を呼びに来た。なんとなく嫌な予感がしたが、呼んでいるのが上司となるアスター卿なので断ることもできない。仕方なく妻に見送られて広間を後にした。
「何事、ですか?」
連れてこられたのは西棟の医務室。数名の竜騎士に囲まれて委縮していたのは問題の部下だった。私の顔を見ると、気まずそうにうつむいた。一体、彼は何をやらかしたのだろうか?
「自分で上司に報告しなさい」
アスター卿に促され、いつもの自信満々な態度が鳴りを潜めた彼は、ぼそぼそとことの成り行きを報告した。ティム卿に負けたのを逆恨みするだけでなく、彼を陥れるために何の罪もない令嬢を巻き込んで恥をかかせたのだ。あまりにも稚拙な動機と計略に眩暈を起こしそうだ。
「で、その気の毒なご令嬢は?」
「先ほど、ご両親が迎えに来られた」
アスター卿が苦笑気味に教えてくれた令嬢の名に心当たりがあった。自分の容姿に自信があるからか、気になる男性がいれば例え相手に恋人がいても誘惑する悪名が高い女性だった。
今回はティム卿に目を付けたらしく、昨夜の夜会では必要以上に迫っている姿を見かけた。彼のことだから全く相手にしていなかったのだろうが、その素っ気なさを部下は別れ話と勘違いしたようだ。名家の嫡子を自負するのであれば、社交界の有名人の顔くらいは覚えていて当然のはずなのだが、彼の性格上、自分より格下を覚えておく必要はないとでも思ったのかもしれない。
「もう一人の当事者は?」
部下の話ではここで休んでいたのは彼の縁戚でもある第2騎士団の竜騎士である。巻き込まれたわけだが、それでも休養を言い渡されて舞踏会の警護を休んだ身で女性と体の関係を持とうとするのはあるまじきことである。他の居合わせた部下の報告では「据え膳だと思った」と言っているらしい。
「正式な沙汰はまた後日言い渡すことにして、宿舎で謹慎させている」
「そうですか」
「あと、彼に協力した神官はルークの部下が監視している。後で話を聞くことになるだろうが、罪には問えないだろう」
首謀が立てた計略が稚拙だったために、結果は事件とも言えないような騒動で終わった。しかし、我が国で最も大掛かりな催しとなる夏至祭……しかも他国からも客を多く招待し、内乱終結後初めて大掛かりに行われた舞踏会で騒ぎを起こした罪は重い。場合によっては国の威信に傷がついたのかもしれないのだ。
それを淡々と部下に言い聞かせると、そこで事の重大さに気付いたらしい。顔を青ざめさせてその場に泣き崩れた。脆いとは思っていたが、どうやら精神面は子供のまま成長していなかったらしい。
「自室で謹慎していなさい」
舞踏会が続いている以上、これ以上騒ぎを大きくするのは得策ではない。彼への罰は改めて協議して決めることにしよう。泣き崩れていた部下は他の竜騎士に連れられて部屋を出て行った。
「そういえば、ティム卿は?」
気になるのは狙われた張本人である。上官の責任として後ほど部下の不始末を詫びに行かなければならないだろう。
「南棟の医務室で休んでいる。オスカーの提案がなければ面倒なことになっていた」
アスター卿の答えに私はただ頭を下げるばかりだ。ここで休んでいたのがティム卿ならば、そうやすやすと令嬢の誘いに乗ることはなかったのだろうが、それでも面倒なことになっていたのは間違いない。彼の経歴に傷がつかなくて良かったと今更ながらに思う。
それにしても、本当に困ったことをしてくれた。後始末だけでなく、上司としてその責任も取らなければならない。
あー、なんだか胃が痛くなってきた。ストレスで禿げたらどうしよう。陛下へ報告しに行ったアスター卿を見送ると、私は暗澹たる気持ちで事後処理を始めた。
デューク卿は内乱時、投獄されたルークが皇都を脱出する際に手助けした竜騎士の1人。皇都が解放されるまでうまく立ち回り、グスタフ側の情報を外部に漏らしていた。
当時は小隊長だったが、現在は出世して第1騎士団に5人いる大隊長の1人に。ただ、問題児を押し付けられて気の休まる暇もないらしい。