第6話 ティムの本音3
目が覚めると寝台で横になっていた。独特の匂いから医務室にいるのはすぐにわかったが、上質な夜具と見覚えのない天井から西棟の騎士団にあるものではなく、南棟の貴人用に設けられているものだと気付いた。
「目が覚めた?」
「姉さん……」
声を掛けられて首をめぐらすと、寝台の傍の椅子に姉さんが座っていた。額からずれ落ちた布を取ると傍らの水を張った桶に入れ、ハーブ水が入った杯を渡してくれる。そこでようやく武術試合後に倒れたのを思い出した。
「姫様が随分と心配なさっていたわ」
それを言われるとつらい。俺は黙って杯を飲み干した。
「医師の見立てでは数日の安静が必要よ。今夜の舞踏会は欠席を勧められたわ。陛下にも既に報告が行っているはず」
「分かった」
しおらしく返事をすると、扉をたたく音がしてルーク兄さんが入ってくる。まるで少女のように頬を染めた姉さんはすかさず伴侶に近寄る。
「代わるから支度をしておいで」
ルーク兄さんは優しい声で姉さんを促す。窓の外から差し込む光は傾き、舞踏会の時刻が刻一刻と迫っているのがわかる。女性の支度は時間がかかるので、交代しに来たのだろう。だけど、起きているのが分かっていて目の前で口づけを交わさないでくれ。思う相手と会話もままならない状態の独り身には目の毒だ。
口づけを終えた後も互いに見つめあう。名残惜しそうに視線を絡ませながらも、本当に時間がないのか姉さんはルーク兄さんに軽く手を振ると部屋を出て行った。俺のことはもう眼中にないらしい。
「無茶したな」
姉さんが部屋を出ていくと、途端に兄さんの雰囲気が変わる。容赦ないダメ出しが始まるのを覚悟して思わず身構えた。
「分かっています」
「力の使い方が雑すぎる。もっと制御しろ」
兄さんはそれだけ言うと、持っていた包みを傍らに置いた。もっとねちねちとダメ出しをされると思っていたのだが、あっさりと終わって逆に拍子抜けする。
「昼間、姫様が妙な奴に絡まれていた」
「なぜ捕まえないんですか?」
おとなしく寝てなどいられない。俺は慌てて体を起こした。
「姫様の話では自分の息子が礎の里にいるから、向こうに行ったら頼ってくれといった話だったそうだ。狙いはあからさまだが、それだけではさすがに罪に問えない。」
「……」
「狙いが姫様だとすると、お前の存在は邪魔なはずだ。何か仕掛けてくる可能性がある。十分に用心しろ」
俺が神妙に頷くと、兄さんは持参した包みを俺に手渡す。
「一応礼装を用意した。念のためシュテファンに監視させているが、こちらが予定外の行動を起こせば向こうも行動を諦めるだろう。遅れてでもいいから顔を出せ」
「分かった」
包みを開けると新品の礼装が入っていた。作った覚えはないから、姉さんが誂えてくれたものだろう。今までのがまだまだ使えるからもったいない気がするのだが……。
「姫様も手伝っていたぞ」
ありがたく頂戴しよう。俺の考えはバレバレだったらしく、兄さんは苦笑すると自分の支度のために部屋を出て行った。
再度医師の診察を受け、短時間の出席を許可してもらうと俺は大急ぎで着替えて広間に向かった。1人で行動するなとくぎを刺されていたので、広間まではラウルさんが付き添ってくれる。
この2日間ですっかり顔を知られてしまったらしく、広間に出たとたんに周囲がざわつく。とにかく陛下に挨拶をと思ったが、姫様の姿を視界の隅にとらえて足の向きが変わった。傍らにいるのは神官の服装をした男。俺の姿を見てあからさまに狼狽えているところを見ると、ルーク兄さんが言っていた妙な奴に違いない。俺が近づくとそそくさと逃げていったが、シュテファンさんがしっかりマークしているから後は任せても大丈夫だな。
「ティム……大丈夫なの?」
「ご心配をおかけしました。お1人でいらっしゃいましたけど、いかがなされましたか?」
俺の姿を見て姫様はほっとした様子で表情を和らげる。きっと心細かったに違いない。護衛はどうしたのかと思ったら、帰るために陛下への伝言を頼んだところであの男が絡んできたらしい。どれだけ姫様を観察してんだ。けしからん。
伝言を終えた姫様の護衛も戻ってきたが、このまま残しておくことなどできるはずもない。俺は姫様をエスコートして陛下の御前に進み出た。
「もう良いのか?」
「はい。お見苦しい姿を御覧に入れて申し訳ありませんでした」
陛下の前に跪いて頭を下げる。気分を害された様子はなく、むしろ苦笑しておられるようだ。
「いや、全力を出し切った結果だ。ただ、もう少し自分の体を労われ」
「は、肝に銘じます」
今回の無茶な試合を言い出したのがオスカー卿だったこともあり、それほどまでに咎められることはなく、内心ほっとする。陛下はその場で一時舞踏会止められ、特別に褒賞の授与式を行ってくださった。新たに長剣と矛を象った記章が加えられ、誇らしい気持ちになったのは言うまでもない。そして陛下は思いもがけないご褒美も用意してくださっていた。
「コリンが部屋に戻る。北棟までの護衛を任せる」
「かしこまりました」
歓喜の雄叫びを上げそうになるのを必死に堪え、どうにか平静を装うと姫様の護衛という大役を謹んで拝命した。
さすがにまだ人目があるので、北棟までの道中は護衛に徹するよう自分自身に言い聞かせる。そうでもしないと、ついうっかりスキップをしてしまいそうだ。しかし、広間の出口ですれ違ったアスター卿が意味深な笑みを浮かべていたのでどうやら完全には隠せていなかったらしい。
北棟に無事姫様を送り届けると、オルティスさんが出迎えてくれた。私的な会話を交わすことはできなかったが、かわいらしく着飾った姫様を間近で堪能できたので満足だ。爺やに付き添われて北棟の奥へと帰っていく姫様を見送れば今宵の任務は完了する。
「ああ、間に合いました」
そこへ若い侍官が駆けつける。その騒ぎで姫様もオルティスさんもいぶかしげに足を止めた。
「こちらを言付かってまいりました」
誰かに伝令を頼まれたらしく、書簡筒を俺に差し出す。中を開けると一目瞭然、陛下の直筆で「北棟で待機するように」と書かれていた。侍官はオルティスさん宛の手紙も言付かっており、それを読んだ彼は俺を北棟の中へ招き入れた。
「今宵はお早めにお戻りになられるそうです。それまでこちらでお待ちくださいませ」
案内されたのは私的な居間だった。あのフォルビアにあった館の雰囲気を引き継いだこの空間に招き入れられるのは、ごく親しい人物に限られている。俺はちょっと誇らしい気分で勧められた席に着いた。そして姫様も一緒に待つと言ってくださったが、オルティスさんにたしなめられて彼の入れたお茶を一杯飲む程度で我慢となった。
「おやすみなさい、ティム」
「おやすみなさい、姫様」
イリスさんが迎えに来たので、姫様は名残惜しそうに部屋へと帰っていく。その後ろ姿を見送ると、俺は淹れなおしてもらったお茶に口をつけた。
自分でも思っている以上に体は疲れていたようで、いつの間にか眠り込んでいた。気付けば毛布が体にかけてある。竜騎士として鍛えているはずの俺に気取らせないとはさすがオルティスさん。年季のなせる業だ。
毛布をきちんとたたみ、用意されていた果実水で眠気を払ったところで陛下がアレス卿を伴ってお戻りになられた。眠りこけているところではなくて助かったと内心思いながら、立ち上がって迎える。
「疲れているのにすまんな」
「いえ、大丈夫です」
毛布があるので寝ていたのはバレバレだ。陛下もアレス卿も触れないでいてくれるが、なんだか気まずい。そんな気まずさをものともせずにオルティスさんは熟練の技で俺たちにお茶を用意してくれた。
「まずは、昨日に引き続き優勝おめでとう」
「いえ、あれは完全に俺の負けです」
オスカー卿が防具を外そうと言ってくれなければあそこまで互角の試合はできなかっただろう。しかも止めてもらった直後に倒れるという醜態までさらしている。今日の試合は完全に俺の負けだった。
「オスカーも似たような状態だったぞ。それは気にしなくていい」
「ですが……」
「公式の裁定がなされているんだ。遠慮することはないよ」
アレス卿にも口添えされてしまい、どうにも反論ができなくなってしまった。
「両方で優秀な成績を収めたのは間違いない。君がこの国有数の竜騎士であることが証明されたようなものだ」
「そうでしょうか?」
陛下はそう言ってくださるが、昨日といい今日といい、平民出であるだけで見下されればにわかには信じられない。
「信じられないか? 言っておくが、私は6年前の即位式の折にお前を招待することで私にとって特別な存在であることを世に知らしめた。しかもブランドル家という後ろ盾を用意することでその立場をより強固なものにした上で、だ。そのお前を蔑ろにするということは、己の無知をさらけ出している愚か者か、私に歯向かう反逆者となる」
「え……」
確かにブランドル家から後見をしてもらっているが、飾りのようなものでそこまで意味のあるものだとは思ってもいなかった。しかも即位式は周囲に半分脅されて出席したのだ。そんな深い意味があるなど今まで気づきもしなかった。
「そういうわけだから、いたずらに己を卑下することはない。よく頑張った褒美を与えたいのだが、何か望みはないか?」
「十分、頂いてますが……」
両日とも報奨金として今まで手にしたこともないような額の金貨を頂いている。これ以上望むのは贅沢すぎるような気がする。
「本当に欲のない奴だな。今後の希望でもいい」
そうは言われても俺の希望はもっと強くなりたいだけだ。独力でも姫を守れるくらいに強くなれるのならば、一時的に国を出ることになっても構わない。意表を突かれたせいか、油断してそれが思わず口に出ていた。
「だったら、聖域に来ないか?」
「聖域……ですか?」
アレス卿の誘いに俺は目を瞬かせる。内乱中に世話になったが、かの地の竜騎士は精鋭揃いだ。魅力的な提案だが、俺が行っても役に立つだろうか?
「私としては国に留まってほしいのだがね。ただ、君が今以上の成長を望むのであれば、アレスの提案を受けるべきだ」
「コリンの留学中だけでも来て腕を磨かないか? 君ならみんな歓迎するよ」
陛下は少し不本意な様子だが、反対しないところを見るとあらかじめアレス卿に打診されていたのだろう。強くなりたい俺にとっては、これ以上はないくらいに魅力的な提案だった。ただ、話を聞くと、姫様の出立までは待っていられないらしく、礎の里への護衛は諦めるしかなさそうだ。それでも俺は将来の為に聖域行きを決断する。
「俺……行ってみたいです」
「そうか」
俺の決断はすでに予想していたのだろう。陛下は特に反対されなかった。
「本来ならコリンシアの護衛に選ぶところだが、それはオスカーに任せることにしよう。腕を存分に磨いてこい」
「はい。ありがとうございます」
話がまとまると、改めてアレス卿に向き直る。
「よろしくお願いします、アレス卿」
「こちらこそ、よろしく頼むよ」
俺が頭を下げるとアレス卿が手を差し出す。その手を握り返して契約が成立した。けれども第3騎士団以上にいろんな意味で強力な聖域の騎士団についていけるだろうか? 一抹の不安はよぎったが、もう後には引けない。姫様の為にもっと強くなろうと俺は改めて決意した。
自分の力にまだまだ納得していないティム。
国を飛び出して更なる成長を目指します。