第5話 コリンシアの想い3
武術試合のコリンシア視点。
「姫様、今日は可愛らしさを強調致しましょう」
武術試合が行われる今日は、侍女頭のイリスが熱心に勧めてくれた淡い桃色のドレスを着ることになった。普段あまり着ない色だけど、昨夜ティムとお話しできてふわふわとした気持ちがまだ続いている状態で強く勧められれば否とは言えない。気付けばプラチナブロンドも巻き髪にされて可愛らしい装飾品で飾り立てられていた。姿見には年相応の……もしかしたら実年齢よりも幼く見える自分の姿が映っていた。
「お似合いでございます」
ティムと早く釣り合いたい。その思いからいつも大人びた服装を選んでいたのだけど、今日はもしかしたら父様か母様の意向が働いたのかもしれない。不満は残るがイリスを筆頭とした侍女達の仕事は完ぺきだったので不平を言うのは単なる我儘になってしまう。
「陛下とアレス卿がお待ちでございます」
「分かりました」
今日の武術試合、母様はいつも通り午後の決勝からの観戦になるけれど、ティムが出るので私は朝から観戦する事にしていた。貴賓席への扉の前で待っていてくれた父様とアレス叔父様と合流すると、2人にエスコートされて席に着く。
既に出場者は広場に並んで待機していた。皆、同じような防具をつけているので分かりづらいが、それでも一目でティムは分かった。父様が彼等を激励し、揃って剣を掲げる姿を私はうっとりと眺めていた。
「今年はオスカーが最有力だな」
「ティムも強いが、昨日の飛竜レースの影響が少なからずあるだろうから優勝は厳しいかもしれませんね」
試合を観戦しながら父様と叔父様が聞き捨てならない話をしている。
「どうしてティムは勝てないの?」
「今回の参加者の中でもティムの実力はオスカーと並んで抜きんでている」
「だけどね、ティムは昨日の飛竜レースに出ていて、その時の疲労は残っているはずなんだ。ましてや、今日は暑い。決勝まで勝ち上がれるだろうけど、オスカーが相手の長期戦となれば分が悪くなるんだ」
噛み砕くように父様と叔父様が説明してくれるけど、やはり納得できない。不貞腐れる様にして試合を見ていると、従兄のオスカーの番になった。年が離れている事もあってあまり話をする機会は無いけれど、会った時にはいつも優しく接してくれる。ティムよりも柔和な印象を受ける彼がそこまで強いのだろうかと見ていると、審判役の開始の合図からほどなくして相手の長剣を弾き飛ばしていた。
「既に一団を任せられるほどの力はあるのだが、当人の意向で昇進は慰留となっている。まだ先陣をきって戦いたいらしい」
「その気持ちは分かりますよ。なまじ位を貰ってしまうと雑務に追われますからねえ」
父様と叔父様の会話を聞きながら改めて従兄の強さを実感した。ティムが強いのは知っているけど、ちょっと不安になってくる。
「お、出て来たな」
グルグルといろんなことを考えているうちにティムの出番となった。昨日の飛竜レースのおかげで随分人気があるみたい。名前を呼ばれると大きな歓声に応え、対戦者に向き直る。
「え……」
それは一瞬の出来事だった。審判役の合図と共に彼は試合用の長剣で相手の胴を払い、倒れた所で相手の首筋に剣を突き付けた。
「これは、可能性があるな」
何を今更と思いながら父様の呟きを聞き流し、私は大好きな人の姿を見つめ続けた。
午前の試合が終わり、決勝へは予想通りオスカーとティムが勝ち上がっていた。休憩の為に貴賓席に隣接する広間に移動すると、集まった人達の話題はどちらが勝つかでもちきりだった。冷たい果実水を飲みながら聞いていると、たいていの人は父様や叔父様と同じくオスカーの勝ちを予想している。やっぱり悔しいな。ティムは本当に強いのに。
「姫様にはご機嫌麗しく」
父様が会場に現れた母様を迎えに行ったほんのちょっとの隙を狙って神官服を着た恰幅のいいおじさんが私に恭しく頭を下げて話しかけてくる。一見すると人の好さげな印象だが、お腹の中は真っ黒な気がする。子供だったとはいえフォルビアに居た頃からおばば様の元を出入りしていた大人達を見て来たし、加えて6年前の内乱での経験から人を見る目は随分と養えられている。しかもこうして一人になった所を狙い澄まして声をかけて来るのが何よりの証拠だと思う。
私は内心溜息をついて、どうこの場を離れるか考えを巡らす。父様か叔父様が呼んで下さるのが一番だけど、彼等はちょうど大神殿に赴任したばかりの神官長様に話しかけられていた。助けてくれそうな人を探したいが、話しかけられた手前、あからさまに周囲を見渡すことも出来ない。
「某には息子がございましてな、礎の里で神官をしております。位はまだ低いのですが、年頃も近うございますので、ご留学中にお心細くなられることがございましたら存分に頼ってくださいませ」
神官としての位は低いが、この場に居られると言う事はそれなりの家の出なのだろう。こうして貴族の子弟を紹介されたり引き合わされたりするのは、将来のフォルビア大公の地位を狙ってのことだろうというのは父様をはじめとした身近な人達の見解だった。
「姫様、陛下がお呼びでございます」
対処に困っているとルークが助けに来てくれた。これ幸いと断りを入れて彼の後に続くと、わずかながらに舌打ちが聞こえた。呼んでいる相手が父様なので私を引き留める手立てはない。男が追い縋る事は無かったが、それでも休憩の間中絡みつくような視線を感じて居心地が悪かった。
夜になり、夏至祭の最大の宴となる舞踏会が始まっていた。けれども今宵の主役の1人となるティムの姿は無かった。武術試合の決勝でオスカーと長時間に亘る熱戦を繰り広げ、父様が互角と裁定した直後に倒れてしまったのだ。
心配でたまらなかったが、立場上お見舞いにも行けない。代わりに様子を見に行ってくれたオリガの話では少し休んでいればすぐに回復するので心配いらないらしい。それでも医師が大事を取って舞踏会への参加を止めたのだ。その為に医務室で休んでいる彼への褒賞の授与は後日改めて行うと父様は舞踏会に先んじて行われた授与式で発表していた。
堅苦しい授与式も終わり、舞踏会が始まった。軽やかな音楽にのせて父様と母様が優雅に踊っている。見つめ合う2人の間には甘さを含んだ空気が漂っていて、他の誰もが入り込むことが出来ない。
それがアルメリアお姉ちゃんとユリウス、ヒースと奥さん、ルークとオリガと続くにつれて更に濃密さを増してきて、見ている方が胸やけを起こしそうになってくる。
幸せそうな彼等を見ていると、自分もいつか大好きな人とこうして踊れるようになりたいと憧れる。嗜みの1つとして家庭教師からダンスも学んでいるけれど、練習相手は必然的にフロックス家の長男になってしまう。一度ティムと踊ってみようとしたのだけれど、身長差がありすぎて上手に踊れなかった。早く背が伸びないかな。
「もう帰ろうかな……」
予定では会場を後にするのはもう少ししてからだったけれど、ティムに会えないのなら居ても退屈なだけ。成人前なので授与式が終わればこの場に留まる義務はないので、早くに退出するくらいの我儘は許してもらえるはず。
護衛として付き添ってくれている竜騎士に帰りたい旨を伝えると、父様に伝えに行ってくれる。きっと昨日同様にルークとオリガが北棟まで付き添ってくれることになるだろう。
「姫様、お会いできて光栄でございます」
1人になった所を見計らってまたもや声をかけて来たのは昼間のあの神官だった。決めつけるのは良くないのだけれど、一度覚えてしまった嫌悪感は簡単に拭いきる事は出来ない。ずっと見られていたのだと思うとそのおぞましさから悪寒が走り、足がすくんでしまう。
「おや、お顔の色が優れませんな。あの平民上りのことがそれほどまでに心配ですかな?」
一部の貴族はいまだ家柄にとらわれた古い考えを持っていて、父様が文官だろうと武官だろうと能力があれば家柄に関係なく重用するのを快く思っていないみたい。この神官もそんな考えを持つ1人らしく、なんだか余計に嫌になってきた。
「姫様があの平民出の竜騎士を慕っておられるのは存じております。ですが、彼に無理をさせているのではありませんかな?」
確かに、私が彼を望んだ事でティムに重圧がかかっているのは知っている。そこをついて私を不安にさせるつもりなのだろうけれど、この辺りはいろんな人から忠告をうけていて心づもりは十分にできていた。それに、付き合いの長さを甘く見て貰っては困る。姉のオリガ以上に彼のことを私は知っている。彼の本当の姿を知りもしないで吹聴するこの男にだんだん怒りがこみあげてくる。
「先ほども綺麗な女性が彼を見舞うと言っておられました。きっと親しい間柄なのでしょう、お好きなものをお持ちしたと言っておられた。今頃は年頃の男女が2人きりでいるわけです」
彼は得意げに言葉を続ける。確かに昨夜の夜会ではティムは綺麗な女性達に囲まれていた。私と違い、大人の魅力あふれる女性ばかりだった。あの光景を目にしただけではこの男の言葉で不安になっていたかもしれない。けれどもあの後に直接会って話をしている。昔から変わらない誠実な彼の姿と言葉が私に力を与えてくれていた。
そのおかげで先ほどまで支配していた恐怖心はどこかに消え失せていた。そして調子に乗ったこの人は成人前の私に何を言っているのだろうと、冷めた目で相手を見ることができた。
やがて広間の入口のほうで大きなざわめきが起こる。何かが起こるのを神官は予測していたのか余裕の表情で振り返るが、みるみるうちに驚愕の表情へと変わっていく。
「ば……かな……」
その場に現れたのは礼装に身を包んだティムだった。医務室で休んでいるはずの彼が現れ、広間全体がざわついている。ティムは父様のもとへ向かおうとしていたけれど、私に気付いて近づいてくる。顔色は心なしかまだ青い。
「ティム……大丈夫なの?」
「ご心配をおかけしました。お1人でいらっしゃいましたけど、いかがなされましたか?」
いつの間にかあの神官は姿をくらましていた。先ほどの会話の内容と、ティムが姿を現した時の驚き様から、きっと陰で何か仕掛かけていたのだろう。心配かけるだろうけれど、後で父様に言っておこう。とりあえず護衛に伝言を頼んだのだと言い訳しておくと、それで納得した彼は私をエスコートして父様のもとへ向かう。
「もう良いのか?」
「はい。お見苦しい姿を御覧に入れて申し訳ありませんでした」
ティムは父様の前に跪いて深々と頭を下げる。
「いや、全力を出し切った結果だ。ただ、もう少し自分の体を労われ」
「は、肝に銘じます」
舞踏会は一時中断され、その場でティムの褒章が授与されることになった。彼の礼装の左胸には、飛竜レースの上位入着者に贈られた記章の隣に剣と矛をあしらった記章が加えられる。その姿はとても誇らしく思えた。
「コリンが部屋に戻る。北棟までの護衛を任せる」
ティムの体調を考慮して、父様が私を口実に広間からの退出を促してくれた。昨日に引き続き主役となった彼とお近づきになろうとする令嬢方が遠巻きにしていたけれど、退出するとわかってあからさまに落胆している。
「かしこまりました」
ティムは私の護衛を拝命すると、父様と母様に深々と頭を下げた。そして私達は他に数名の竜騎士を従えて大広間を後にする。
入れ違いに姿が見えなかったアスターが広間に入ってくる。私に深々と頭を下げて見送ると、そのまま父様のもとへ向かっていく。何かあったのかなと頭の隅で思ったが、ティムと一緒にいられるのが幸せでもう気にならなくなっていた。
コリン:「ルーク、踊れるようになったんだね」
ルーク:「……努力しました」(遠い目)
ティム:「姉さんとだけ踊れるんだよね」
ルーク:「後で付き合え」(黒い微笑み付)
ティム:「あ、俺用事が……」(さりげなく逃げようとする)
ルーク:「まあ、付き合え」(黒い笑みを浮かべたまま義弟の肩をがっしり掴んでそのままどこかへ連れていく)
ちなみに8年前のルークは、ダンスをするのに女性に体を寄せるのが恥ずかしかく、腰が引けてうまく踊れなかった。内乱後は奥さんとなったオリガと練習したおかげで人前でも踊れるまでに上達した。ただし、他の女性だとやっぱり腰が引けてしまうので、人前で踊るときの相手はオリガに限る。