第3話 コリンシアの想い2
「ティム・ディ・バウワー」
名前を呼ばれ、父様の前に進み出た彼の姿に、私は思わず感嘆の溜息をついていた。隣に立つ母様にちょっとたしなめられたけど、癖のない黒髪をきちんと整え、竜騎士礼装に身を包んだ彼の姿に見とれるのは仕方ないと思う。それに思わずため息を零したのは私だけじゃない。この夜会に招かれている妙齢の女性の大半は彼に見惚れて熱い視線を送っている状態だ。
「本日の飛竜レースに於いて、飛竜テンペストと共にその持てる技を駆使し、1位帰着は見事である。その成績を称え、褒章を授与し、本日この時より上級騎士に任じる」
「謹んでお受けいたします」
彼は畏まって報奨金と上級騎士の身分を表す記章を受け取る。会場の視線を一身に浴びて少し緊張しているみたいだけど、フォルビア総督をしているヒースの指導で行われた礼儀作法の特訓の成果は十分に出ていた。
結局、なかなか見ることが出来ないティムの礼装した姿ばかり見ていて他の入賞者が褒章を授与される所は目に入らなかった。皇家の人間は公平な態度を求められているけれど、やっぱり好きな人に視線が向いてしまう私は皇女失格かな。気付けば授与式は終わり、軽やかな音楽が流れて夜会が始まっていた。
「彼も大変だな」
父様が呟く。夜会が始まると同時にティムの周りにはたくさんの女性が集まっていた。煌びやかな大人の女性達。中には余程自信があるのか、豊満な体をわざと密着させる女性もいる。ティムはそんな状況でも相手に邪険な態度をとらずに1人1人丁寧に接している。
「お話、出来ないな……」
本当は直接お祝いを言って、色々お話をしたかった。だけど、さすがにそんな中へ突っ込んでいく勇気は無い。躊躇している間に私も既にうとうとしかけているエルヴィンも宴を退出する時間になってしまった。
「姫様、参りましょう」
「……はい」
オリガに促されて席を立つ。護衛として数名の若い竜騎士が付き従い、既に寝かかっているエルヴィンをルークが抱き上げた。そしてお腹に赤ちゃんがいるマリーリアも一緒に出口に向かう。もう一度ティムの様子を伺うと、彼は先程体を押し付けてきた女性に今度はお酒を勧められて飲んでいる所だった。何だか、悔しい。まだ自分が子供なのが悔しい。「ティムに近寄らないで」と言えないのが悔しい。
「姫様、如何されましたか?」
もやもやした気持ちを抱えながらとぼとぼと歩いていると、隣を歩いていたオリガが立ち止まって顔を覗き込んでくる。どう答えるか迷ったけれど、「ティムにお祝いが言えなかったの」と素直に白状する。
「そうね、随分と綺麗どころに囲まれていましたからねぇ」
気持ちを察してくれたらしく、オリガはため息をつく。そしてルークに視線を送ると、彼はエルヴィンを抱えたまま器用に肩を竦め、ラウルにエルヴィンを預けた。
「ラウル、シュテファン、ちょっと頼む」
「では、私はエルヴィンと一緒に先に戻っていますね」
ルークが広間の方に戻って行くと、マリーリアはエルヴィンを抱いたラウルを従えて北棟へ戻ってしまった。訳が分からず私がポカンとしている間に、オリガと残ったシュテファンとの間に話がまとまっていた。
「では、行きましょうか、姫様」
「何処へ?」
私の問いにオリガはただ微笑みを返した。
オリガに言われた通り、保育室に面した中庭にある椅子に座って待っていると、ルークに連れられたティムが姿を現した。嬉しくて立ち上がると、彼はすぐさま側に駆け寄って来て跪いた。
「姫様、どうして?」
「あのね、お祝いが言いたかったの」
好きな人の顔がすぐ近くにあって嬉しい。でも、どうしよう、顔が火照ってくる。顔が赤くなっているのがばれちゃうかな? 暗いから分からないと思うけど、でも、竜騎士は夜目がきくから……。そんなことをグルグルと考えていたら、ティムは後ろにいるルークを詰問していた。だけど、父様が了承しているという返事を聞いて安堵し、2人きりになったところでようやく肩の力を抜いた。
「飛竜レース、一位帰着おめでとう、ティム。明日も頑張ってね」
ようやく言いたかったことが言えた。すると彼は笑顔でお礼を言って、私の手の甲に口づけてくれる。もう、本当に幸せ。
「武術試合に出ると決まったら、団長だけでなくヒース卿にもしごかれた」
ティムはロベリアでの訓練を面白く脚色してお話ししてくれる。法螺を吹くような人ではないけれど、だけど、それでも騎馬兵500人総がかりを相手したのは誇張しすぎだと思う。それでも、討伐期が済んで2ヶ月ほどは武術の鍛錬とテンペストとの飛行訓練に明け暮れたのは伝わった。
他にもハンスがまたお使いの途中で迷子になってとんでもない所まで行ってしまったとか、キリアンのお嫁さんになったディアナが男の子を産んでバートが喜んだとか、馴染のある人達の近況をたくさん教えてもらった。
「あのお館も完成したの?」
「もうじき完成しますよ。秋に礎の里へ行く前に立ち寄れるようにするとヒース卿が言っておられました」
「楽しみ」
私が幼い頃、先代フォルビア公のおばば様と暮らしていたフォルビア領の別荘は、内乱の折に火事で焼失していた。私だけでなく、父様も母様も思い入れのある場所なのだが、内乱の終結直後は余裕が無くて再建は後回しになっていた。
それでも第3騎士団の竜騎士達が、空いた時間に飛竜にも手伝ってもらって瓦礫を撤去したり、庭が荒れないように手入れしたりしていたの。そのおかげで再建が始まって2年ほどで館は完成。後は内装に手を加えるだけなんだって。あの館に思い入れのあるティムは、手伝っただけでなく今でも使いの途中に館の様子を見に立ち寄ってくれているらしい。
「オルティスさんの家も完成しましたよ」
「そっか……」
じいやのオルティスは家令として長年フォルビア家に仕えてきた。内乱終結後は本宮の北棟で私が成人するまでフォルビア家当主となった母様や父様に仕えてくれてたんだけど、高齢の為にこの秋で引退する事になっていた。長年の功績に感謝して、父様が本人の希望を踏まえてあの館の一角に隠居所を作る事になった。
寂しいけれど、近頃は務めを果たすのも一苦労だと言う彼をこれ以上引き留めるのは酷の気もする。でも、物心つく前から一緒にいるのは当たり前だったので、離れてしまうのはやっぱり寂しい。
「姫様、そろそろお部屋に戻りましょう」
オリガが呼びに来て、ティムとの個人的な面会は終わりとなった。楽しい時間はあっという間に経ってしまう。ものすごく残念だけれど、彼は明日も試合があるのでそれに備えて体を休めて貰わなければならない。わざわざ来てもらったのに、これ以上わがままを言う訳にはいかない。
「ティム、明日も頑張ってね」
「はい、姫様」
ティムはそう言って私の手を取り、もう一度甲に口づけてくれた。その様子をオリガは暖かく見守っていてくれる。
「では、参りましょう。ティム、貴方も早く休むのよ?」
「分かっています」
実の姉の忠告に彼が素直に頷くと、オリガは私を促して北棟へと向かう。ティムはそんな私達をその場で見送ってくれた。
好きな人と話が出来て、先程までしぼんでいた気持ちが嘘のように膨らんでいる。あまりにも幸せでフワフワと地に足が着いていない気がする。
「コリン」
名前を呼ばれて我に返ると、北棟の入口に母様が立っていた。アルベルトが小さいので、宴は中座する事になっていたのだけど、予定では私が退出してから優に1刻は経ってからだったはずだ。自分が思っていた以上に長い時間ティムと話をしていた事に気付く。
「母様」
「ティムとお話しできたのね?」
「うん……凄く、幸せなの」
私は母様に抱きついた。母様はそんな私の頭を優しく撫でてくれる。
「そう……。コリンはいい恋をしているのね」
母様の言葉に私は頷いた。母様は微笑むと、北棟の奥へと私を促す。
「母様も父様を好きになってこんな気持ちになったの?」
私の質問に彼女は少しだけ困った表情を浮かべる。
「色々と問題もあったから、切ない気持ちの方が強くて……。でも、お会いできた時は気持ちが温かくなったわ」
父様と母様の結婚は当初、反対する人がいて順調とはいかなかった。一番の問題は母様に記憶が無くて何者なのか分からなかったのが大きい。今では記憶も取戻したし、何よりも大陸で最も大きな後ろ盾を持っている事が知られている。今ではその働きぶりと合わせて誰からも皇妃として認められている。
2人を一番間近に見て来たから思うのだけど、母様は……勿論父様もだけど、今でもお互いに恋をしているのかもしれない。お互いを尊敬し、常に思いやる姿を見て、将来自分も結婚したらそうなりたいと密かに思っていたりする。
「明日も早いのだから、すぐに休みなさい」
「はい、母様」
母様と別れて2階の自室へと向かう。ふわふわとした気持ちはまだ続いていて、私は着替えを済ませるとすぐに寝台に潜り込み、幸せな気持ちのまま眠りについた。
両親だけでなく、コリンシアの周囲にいるのは非常にラブラブな夫婦ばかり。自然とそんな夫婦関係に憧れを抱いております。
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