第2話 ティムの本音1
第3騎士団の個性的な面々にもまれて大人になったティムの視点。
この時ティム21歳。ちなみにこの世界で成人は16歳。
俺の名前はティム・バウワー。風の飛竜テンペストを相棒に持つタランテラ皇国第3騎士団所属の竜騎士だ。この国で最も権威のある飛竜レースに1位で帰着できたと言う事は、優秀な竜騎士と言えるのだろうな、多分。
何しろ身近にいる竜騎士が皆優秀だから基準がよく分からない。義兄のルーク兄さんは大陸最速だと言われているし、同じ騎士団の上官は強者ぞろい。しかも顔を見る度に親しげに話しかけて下さるのはこの国最強と言われる陛下とこの国の7つの騎士団をまとめているアスター卿。更には大陸最強(凶)とも言われている皇妃様の御家族とも交流がある。
有りがたい事に普通では到底お会いする事も出来ない方々との知己を得た上で特別に目をかけて頂いているのだ。俺は運がいいのかもしれない。
彼等の中にいると自分はまだまだなのだと思うのだが、正直、自分の力がどの程度なのかは分かっていなかった。だから今日の飛竜レースだけでなく、力試しのつもりで明日の武術試合にも挑んでいる。
「良い気になるなよ」
飛竜レースを1位で帰着し、陛下に挨拶を終えて御前を辞す時にすれ違った竜騎士に敵意を向けられた。何もこれが初めてでは無い。他団の同年代より上の竜騎士からは疎まれている自覚はある。敬称を持たない身分の俺が、高位の方々に目をかけられているのが気に食わないのだろう。内心「ああ、またか」とあきらめの境地で軽く受け流し、大人しく待つパートナーの元に戻った。
「お疲れ、テンペスト。よく頑張ったな」
さすがは飛行スピードに定評があるファルクレインとカーマインの子だ。1位で帰着できたのもこの相棒のおかげだ。後でたっぷりと好物の瓜を用意してやろう。
頭を摺り寄せてくる相棒を労うと、声援を送ってくれる観客に片手を上げて応えてからその背に跨る。そして陛下とご一家を中心にアルメリア皇女や5大公家の方々が揃ってとても煌びやかに見える貴賓席に目礼をする。でも、一際目立つのは姫様だろう。昔と違って今は年に一度会える程度。年々美しくなっていく彼女に目が離せない。
だが、いつまでもここに居たら後続の竜騎士の邪魔になる。貴賓席の背後に警護として立っているルーク兄さんに軽く睨まれ、俺は慌ててテンペストを飛び立たせて着場へと向かった。
「あなたはだあれ?」
そう声をかけられて振り向いた時、俺は信じられない存在を見た。ふわふわのプラチナブロンドに青い瞳。レース飾りをふんだんに使った青いドレスを着たお人形みたいな女の子だった。
今からもう8年以上も前、先の女大公グロリア様が隠棲しておられたお館の厩舎で働き始めたばかりの頃だった。すぐにその子が当時ロベリア総督をなさっていたエドワルド殿下の5歳になる御息女だと気付いたが、驚きのあまりその場に立ち尽くして姫様の御下問にすぐに答えることが出来なかった。
「あなたはだあれ?」
「……ティムと申します」
もう一度聞かれて慌てて頭を下げると、その場に跪く俺を姫様は興味深げにしげしげと眺められた。今にして思えば、大人ばかりのお館で育った姫様はまだ子供の俺が珍しかったのかもしれない。
その後、姫様は毎日の様に厩舎へ来られるようになった。下働きにすぎない自分が姫様と接していいのか不安になったが、殿下も女大公様も寛大な方で、それでとがめられることは無かった。寂しいのだろうと察しがつき、俺の事を兄の様に慕ってくる彼女の相手を時間の許す限り務めた。
だが、あの方は皇女。そして亡くなられてしまった女大公様の意思を引き継いでいずれは大公家の当主になる身。当時は竜騎士見習いにもなっていなかった俺とは身分が違う。あのまま何事も無く過ごしていたならば、俺の事は幼い頃に遊んでくれたお兄ちゃんというだけで記憶の片隅に留まる程度だっただろう。
あの内乱が全てを変えたのは言うまでもない。男手は俺だけ。姉さんと2人、奥方様と姫様を守りながらの追手を逃れたあの辛い旅の最中で俺は痛烈に己の力不足を悟らされた。辛うじてたどり着くことが出来た奥方様の故郷で、心細げな姫様を励ましながら「この方を守るためにもっと強くなりたい」と思った。
煌びやかに飾り付けられた大広間に入るのは6年ぶりだ。内乱終結の年の秋、陛下の即位式の後の宴に功労者の一人として特別に招待されて以来になる。
一介の騎士見習いでは荷が重すぎると固辞しようとしたのだが、それは招待してくれた陛下に失礼だと団長を始め、総督や先輩、更にはルーク兄さんにも半ば脅されて逃げ道を塞がれ、無理やり出席させられた。正直、緊張していてその時の事はあまり覚えていない。後見になってくれたブランドル公夫妻の側で、少し背伸びして着飾った姫様の姿を眺めていたことぐらいだ。
「おめでとうございます、ティム卿」
「お素敵でしたわ」
飛竜レースの褒章の授与が終わり、宴が始まっていた。1位で帰着した俺は着飾った女性達に囲まれている訳だが、正直に言うとうんざりしていた。俺は姫様のお姿を遠目でもいいから観賞していたかったのに、彼女達の対応に追われている間に姫様は大広間を退出されていた。成人されておられないから仕方ないのだが、非常に残念だ。
話しかけてくる女性陣の相手に疲れ、気分転換に辺りを見回してみると、他にもめぼしい独身男性には同じような人だかりができている。一際多いのは今回の夏至祭に招待されているアレス卿だろうか。一瞬目が合って互いに苦笑した。
それにしてもこの女、しつこいな。やんわりと拒否した筈だが、ご自慢らしい体を摺り寄せてくる。容貌は悪くないが、皇妃様を筆頭に本当にきれいな女性を見て来たからこの位じゃどうってことは無い。それに、化粧でごまかしているが、姉さんよりも年上だぞ、きっと。少しでも条件のいい男を捕まえようと必死なのだろうが、いかんせんこの香水の匂いには辟易する。
「お飲み物は如何ですか?」
気をきかせてか、下心があってなのか、その場にいた女性達が次々とワインを勧めてくる。後者の線が濃厚だが、無下に断っては角が立つ。仕方がないので適当に相手をしておく。酒豪にウワバミにザルに底なし。体質もあるだろうが、そう言った面々の第3騎士団の中で揉まれて来たので、お嬢さん方には申し訳ないがこの程度で酔う事は無い。
「ティム」
声をかけられて振り向くと、ルーク兄さんが近づいて来る。1人でいる所を見ると、姉さんは姫様に付き添っているのだろう。俺は内心「助かった」と思いながら、群がっている女性達に断りを入れる。
「すみません、義兄が呼んでいますので、これで失礼します」
だが、それでもさっきの女だけは側を離れない。
「悪いね。コイツは明日も出番があるんで」
ルーク兄さんがにこやかに断りを入れると、彼女もようやく引き下がった。経験の差か、今の俺にはそこまで愛想よくするのはさすがに無理だ。
「助かったよ、ルーク兄さん」
「感謝しろよ」
貸しが出来たけど、兄さんならそこまで無茶な要求をしてくることは無い。ほっと一息ついて手渡してくれた酔い覚ましの水に口を付けた。
「じゃ、ちょっと付き合え」
「え? 今から?」
「助けてやっただろう?」
ルーク兄さんの笑顔が心なしか黒い。絶対、何か企んでいるよ、この人。
「……分かったよ」
渋々頷いた俺が連れて行かれたのは本宮の南棟と北棟の間にある中庭の1つ。保育室のすぐ側で、普段は小さい子供達の遊び場にもなる場所だ。当然、夜だから今は遊んでいる子供などいないが、月明かりに照らされた庭の片隅、木製の椅子に誰かが座っていた。
「姫……様」
見間違える筈はない。結い上げたプラチナブロンドが月光の下でもキラキラと輝き、近づく俺達に気付いた姫様は顔を綻ばせて椅子から立ち上がった。その破壊力抜群の笑顔は反則だろう。だが、こんな暗い所で待たせていたのかと思うと、血の気が引いてくる。慌てて姫様に駆け寄り、その前に跪いた。
「姫様、どうして?」
「あのね、お祝いが言いたかったの」
少しはにかんで答える彼女に思わず表情が緩んでしまいそうになる。それをどうにか堪えると、背後にいるルーク兄さんを問いただそうと睨みつけた。
「この一帯は人払いした上で警護を数人配置している。陛下も了承済みだ」
手際、良すぎだよルーク兄さん……。気持ちを落ち着けてもう一度辺りの気配を探ると、兄さんの言うとおりこの中庭の周辺に見知った気配を感じる。
「用が済んだら声をかけろ」
気をきかせてくれるつもりらしく、ルーク兄さんはそう言い残して闇の中に紛れて行った。俺は肩の力を抜くと、もう一度姫様を見上げる。
「このような暗いところで怖くありませんでしたか」
「大丈夫。さっきまでオリガがいてくれたから」
自分の瞳に合わせて青いお召し物を着る事が多い姫君は、今も昼間とは異なる濃い目の青いドレスを身に纏っている。結い上げた髪には見事なサファイアの髪留めが飾られ、首元にも大粒のサファイアが誇らしげに存在を主張している。これ一個で俺の年収の何倍だろうか? 根っからの貧乏性なせいか、ついついこんな事ばかり考えてしまう。
「飛竜レース、一位帰着おめでとう、ティム。明日も頑張ってね」
「ありがとうございます」
化粧もしているからか、大人びた印象を受ける姫様が満面の笑みを浮かべて激励してくれる。頬が緩みそうになるのを堪えながら、彼女の手の甲にそっと口づけた。
もしも願いがかなうならば、この幸せな時間がいつまでも続きますように……。
出会いはティム13歳の秋。5歳のコリンシアに一目ぼれ。
周囲(主に先輩竜騎士)からは後々までからかわれます。