第18話 変わらないコリンシアの想い4
エルニアでの反乱未遂の黒幕が捕縛されたと聞いて、ほっとしたと同時に一抹の寂しさも感じた。事件が解決してしまえば、私の護衛としてティムをこの離宮にとどめておく理由がなくなってしまう。無理して任地を離れてきたので、もしかしたらすぐにでもエルニアに行ってしまうかもしれない。
この数日、ずっと一緒にいられたので急に離れてしまうと思うと、どうしようもない寂しさがわきおこる。幾度も針が止まり、ため息がこぼれる。それでももう一度気を取り直して針を進め、ようやく最後の一刺しを終えた。
「できた……」
離宮に籠っている間、手持無沙汰だった私は、裁縫が得意な侍女に手助けしてもらいながらティムの普段用のシャツを縫っていた。あまり派手にはならないように、襟元にだけ刺繍を入れ、街から取り寄せてもらった白く光沢のある貝のボタンを縫い付けてようやく完成した。
だいぶ手伝ってもらったけど、なかなかの出来栄えになったと思う。気に入ってもらえると嬉しいな。
「上手にできたわね」
ずっと見守っていてくれた母様が、編みかけのベビードレスを脇に置き、出来上がったばかりのシャツを手に取って褒めてくれる。幼い時にこういったものを作る楽しさを教えてくれた師匠ともいうべき人なので、褒めてもらえるととても嬉しい。
ちなみに今、母様が編んでいるのは妹のフランチェスカのもの。私はまだ見たことが無いけれど、きっとかわいいんだろうな。1ヶ月離れてしまうと随分大きくなっているかもしれない。人見知りが激しいから抱いても泣かれてしまうかも……。等と想像しながら良く2人で話している。
「今日は帰ってくるかしら?」
エルニアの復興を邪魔していた黒幕が捕縛されてから4日経っていた。あの会議の後、ティムは一度離宮に帰ってきたけれど、アレス叔父様に呼ばれて出かけたきり帰ってきていない。父様の話では所用で里を離れているとのこと。危険なことはもうないのだけど、不安が募ってしまう。出来上がったばかりのシャツを胸に抱き、私はため息とともに暗くなり始めた窓の外を眺めた。
「当代様主催の夜会は出席しなさい」
エルニア復興の妨害をしていた黒幕の捕縛という予定外の事態が起こったものの、国主会議はおおむね予定通り進み、父様の話では会期を延ばすことなく終了した。
会期中に幾度か夜会はあったけれど、学び舎の事があって私は全て欠席していた。周囲も気遣ってくれて無理に誘われることはなかった。しかし、会議の最終日に行われる当代様主催の夜会だけは欠席できない。
本当はまだちょっと怖いのだけど、いつまでも籠っているわけにもいかない。私は震える声で父様に了承を伝えていた。
「ティムは来るのかな……」
会場に向かう馬車の中でポツリと呟く。結局、あの日以来ティムの姿は見ていない。叔父様の用事が何だったのかわからないけれど、きっと彼にしかできない事なのだろう。規則正しい車輪の音を聞きながら、そんなことを考えているうちに会場に着いた。
「手を……」
先に降りた父様が母様に手を差し出して馬車から降りる手助けをする。そして今夜のエスコート役を引き受けてくれたユリウスが私に手を差し出してくれた。
「さあ、気を付けて」
着慣れない礼装の裾に気を付けながら外に出る。そして豪華な絨毯が敷かれた廊下を歩き、父様と母様の後に続いて会場に入った。既に各国の国主とその奥方が集まっており、目立つ私達は注目を集めていた。
「コリン!」
声を掛けられて振り向くと、親友のクレメンティーナが婚約者と一緒に立っていた。正確には婚約者殿の腕が彼女の腰にがっしりと回って離れないようになっているみたいだけど……。
離宮にいる間、手紙でやり取りしていたけれど、会うのは学び舎の卒業の祝いの席以来。事件の事を知って随分心配してくれていたけれど、今の彼女は、肌艶はいいのだけれど随分と疲れているみたい。逆にちょっと心配になってくる。大丈夫かしら。
「会えてよかった。心配だったの」
「ありがとう。もう大丈夫だから」
いつも通り愛称で呼ぼうとしたら、彼女の腰をがっちり掴んで離さない婚約者殿に睨まれた。私、女よ? どれだけ嫉妬深いの?
「ハニー、そろそろ行こうか?」
彼女が自分以外の人と仲良くしているのが気に入らないらしい彼は、挨拶が済むと早々に彼女を連れて行く。縋るような目を向けられるけど、ごめんなさい、私ではどうにもできそうにないです。
「いやー、なかなかの執着心だね」
傍らで見ていたユリウスが感心している。でも、私から見る限り、彼の奥方への愛も半端ではないような気がする。それを言ったら、父様やその側近一同の妻への愛も一緒かもしれない。
社交の場は嫌いではないけれど、こういった集まりに出るのはあの事件以来で今日はなんだか怖い。私が襲われそうになった事件は緘口令が敷かれているとはいえ、あの祝いの席に出ていた人たちは皆知っている。周囲でかわされるひそやかな会話すべてが自分の愚かさを蔑む内容ではないかと思い込んでしまいそう。
「当代様のおなりでございます」
やがて奥の扉が開き、数名の竜騎士を従えた当代様が会場に現れた。一際背の高い竜騎士が当代様の手を取って付き添っているのだが、よく見るとその竜騎士はティムだった。
「ティム……」
どうして彼が当代様の傍に居るのだろう? 気が変わって先日の当代様の誘いを受けることにしたのかな? この数日、離宮に来なかったのは、当代様のところにいたからなの? 考えが悪い方へ先走ってしまい、久しぶりに姿を見ることが出来たのに彼から視線を逸らして俯いた。
「帰りたい……」
具体的な内容は聞き取れなかったけれど、当代様が何かを宣言して周囲が沸き立っている。私の呟きは、その歓声にもみ消された。人の熱気で頭がクラクラしてくる。いつまでもここにいたくなかった。私が今いるのは会場の端なので、一段落したら手近な扉から外に出よう。
そんなことを考えていると、周囲のざわめきが大きくなる。顔を上げると、煌びやかな装飾が施された礼装を身に着けたティムが真っすぐこちらに向かっていた。
「姫様」
どうしてこっちに来るの? 当代様の護衛になったのならお傍に居なくてもいいの? 何か言わなきゃいけないと頭では思っていても、私はその場に固まって動けなかった。
「お帰り、ティム。いつ帰って来たんだ?」
「お聞きになっておられませんか?」
側にいた父様が気さくに声をかけるが、ティムは怪訝そうに聞き返す。
「いや、何も聞いていないが?」
父様の返事に彼は盛大なため息をついた。次いで小さな声で悪態をついていたのは聞かなかった事にした方がいいのかな。
「里に着いたのは昼前です。着場につくなり当代様に呼ばれたので、伝言をお願いしていたのですが……」
「聞いていないな」
その場にいた父様と母様、アレス叔父様そしてユリウスまでもが上座にいる当代様に視線を向ける。一瞬目が合ったみたいだけど、彼女は私達から慌てて目をそらした。
「全く……懲りない方だ」
「絶対、母上に言ってやる」
母様とアレス叔父様の養母、アリシアお祖母様は少し前まで里の学び舎で大母補候補の指導役をしていた。当代様は留学前から随分目をかけていただいて、今でも頭が上がらないと聞いている。
「きっと驚かそうと軽い気持ちでいたのでしょう」
母様は少しだけ当代様を擁護したけど、一つため息をつくと私の頬を撫でる。
「でも、私達の娘を悲しませたのですから、反省はしていただかなくては」
「そうだな」
必死に堪えていたけど、泣きそうになっていたのはばれていたみたい。今度は変な嫉妬をしていたのが恥ずかしくて、側にいるティムの顔をまともに見られなかった。
「少し、外の空気を吸っていらっしゃい。ティム、側にいてあげてくれるかしら?」
「もちろんです、皇妃様」
母様がにっこりと微笑んで気分転換を勧めてくれる。即答したティムがその大きな手を私に差し出す。父様も母様も頷いて後押ししてくれるので、私はこの世界で一番大好きな人の手を取った。
手近な扉から外に出ると、そこは中庭に面した露台になっていた。私達は広間の喧噪を離れ、設置された階段を使って宵闇の迫る中庭に降り立った。周囲には不思議なほど人影が無いので、もしかしたら人払いしてくれているのかもしれない。
「悲しい思いをさせてすみませんでした」
「……ティムの所為じゃ無い」
中庭の一角に休憩用の椅子が設置されていた。私に椅子を勧めると、ティムはまるで許しを請うように目の前に跪いた。そしてこの数日間のあらましを教えてくれた。
「アレス卿の要請でエルニアに戻っていました。こちらの黒幕を捕縛したことをいち早く知らせ、それによって不穏な動きを牽制する為です
「でも……反乱の首謀者は捕らえたのでしょう?」
私の疑問にティムはため息交じりに応えてくれる。発見された機密書類によると、あの黒幕は今回エルニアで捕らえた領主以外にも密使を送っていた。だけど、1人捕らえたことで他の領主は実際に行動を起こすのを躊躇ったらしい。
こういった輩は黒幕がいなくなったと分かればすぐに掌を返してすり寄ってくるだろう。もちろん注意は必要だけど、その間に若い王の地盤は十分に固められるはずだとティムは胸を張って答えた。
「これが、エルニアでの最後の仕事になりました。復興のめどが立ちましたし、ちょうど当初の契約から3年が経ちました。陛下やアレス卿と相談し、契約の更新はせずに一緒にタランテラへ帰ることになりました」
「本当に?」
エルニアの現状を考えれば、少なくてももう1年は帰れそうになかったはずだ。黒幕が捕縛されたのが大きいとは思うけれど、だからと言ってまだまだ人員は必要なはず。それは一体どうするのだろう。
「エルニアでも人材は育ちつつあります。後、黒幕が里の人間だったことから、当代様から今までと同等以上の支援の継続を取り付けたそうです」
「じゃあ……」
一緒に帰国できる。その一言で先ほどまでの暗い気持ちが一転し、心が弾んでくる。嬉しさのあまり、そのままティムに抱き着いた。鍛え上げた体は不安定な体勢だったにもかかわらず、私をしっかりと抱きとめた。そして、顏を見合わすと自然と唇を重ねていた。
「姫様」
唇を離すと、ティムは私を立たせて居住まいを正し、改めてその場に跪く。そして懐から何かを取り出すとそれを私に差し出した。
「既に決まっていますが、改めて申し込みます。コリンシア・テレーゼ・ディア・タランテイル様、愛しています、結婚してください」
差し出されたのは装飾も何もない黒い巾着。開けてみると、中には数粒の大ぶりな真珠が入っていた。かがり火の明かりではわかりづらいが、ティムの話では珍しい淡い青色をしているらしい。エルニアで任務の合間に集めてくれたと聞いて胸が熱くなる。
「私も、愛しています。ティムのお嫁さんにしてください」
「姫様……」
私の返事にほっとした様子でティムは達がると私を抱きしめる。そして再び唇を重ねようとするけど、ちょっとだけ不満があったので指で彼の唇を押さえる。
「姫様?」
「あのね、私達、結婚するのよね?」
「そうですね」
「名前で呼んで」
私の要望にティムは驚いたように目を見張る。けれども、すぐにあの優しい笑みを浮かべて私を抱き寄せると、耳元で私の名を呼んでくれた。
「コリン」
凄く嬉しいけどちょっとだけ照れくさい。その照れくささをごまかすために、彼の胸板に顔を押し付けた。すると、頬に手を添えられて上を向かされる。ティムはもう一度私の名を呼んで唇を重ねた。
ティムに名前を呼んでもらって逆に恥ずかしくなるコリンシア。
でも、嬉しい。
ちなみに、後半は書いてるこっちが恥ずかしかった。




