閑話5 黒幕は甘美な夢を見る
「失敗だと?」
部下の報告にわしは手にした報告書を握りつぶした。あの忌々《いまいま》しい男をエルニアから排除するきっかけを作るために、奴に反感を持つ貴族にちょっとした情報を送ってやっていた。今頃は反乱が起こり、早ければ第一報が奴の元に届いたころだろう。慌てふためいた奴は国主会議どころではなくなるに違いない。
そんな中、先行して来ていたらしい奴の部下が学び舎で騒ぎを起こしたと聞いた。調べると平民出のその竜騎士は神官に重傷を負わせ、自身も怪我をしてタランテラにあてがわれている離宮にいると分かった。かの国の国主が留守にしている間であれば楽だろうと判断し、どうにも気になったわしは部下に身柄の確保を命じたのだ。
「皇妃とユリウス卿が案外手ごわく、手こずっている間にエドワルド陛下が賢者様を伴いお戻りになられてしまい、我々は引かざるをえなくなりました」
「忌々しい……」
学び舎で騒ぎを起こしたのならば、上司である奴にその責任を問うこともできる。「黒い雷光」などと呼ばれて有頂天になっているその若い竜騎士の身柄を拘束し、少し脅して尋問すれば奴に不利な証言も得られると踏んでいたのだが少々当てが外れてしまった。だが、この程度で引き下がっていられない。
かつて権勢を誇っていたカルネイロ一族が失脚して10年。ようやく好機が巡り、ついに末席ながらもあのベルクが成し遂げられなかった賢者の地位への打診があった。そのためにはどうしてもエルニアの利権……かの国で確立されている真珠の養殖の技法を手に入れる必要があった。この地位を維持し、更なる高みを目指すためには莫大な財産が不可欠である。大望を果たすまで諦めてなるものか。
「タランテラの動向を探れ」
「かしこまりました」
今必要なのは情報だ。子飼いの部下は頭を下げて下がっていった。
「当代様がタランテラの離宮へ赴かれたそうです」
翌日になってもなかなか有益な情報は入ってこなかった。しかし、夕方になって信じられない情報が入ってきた。タランテラの皇女を見舞うためにわざわざ当代様自ら足を運ばれたと言う。普通であれば高位の神官、もしくは大母補を名代とするところを御自ら行う前代未聞の事態に、驚きを禁じ得なかった。
「そこまで特別扱いをする理由があるのか?」
「皇女が学び舎での騒動に巻き込まれた責任を感じてとのことです」
緘口令が敷かれているのか、前日の騒動について詳しい情報が入ってこない。かろうじてわかっているのは、奴の部下の竜騎士がその力を使い、神官に重傷を負わせたという事だけだ。騎士資格剥奪が確定するほどの大罪であるにもかかわらず、タランテラの国主はその竜騎士をかくまっているのだ。他に何かあるのだろうか?
あの父子の訴えでは、重傷を負わせられた神官は皇女と将来を誓い合った仲だと聞いている。竜騎士を重んじ、神官を軽視する傾向にある国主によって2人は引き裂かれ、有能な竜騎士を引き留める為だけに婚約話を進められているらしい。
哀れな皇女を救うために息子を学び舎に送り込む手筈を整えた見返りとして、父親を私の計画に協力させた。もちろん、直接の接触は避けた。こちらからの指示は部下を通じ、息子からの私信という形で送ってある。万が一あちらの内乱が失敗しても、奴を切り離せば済む話だ。エルニアの再建が滞っていることを周囲に知らしめることが出来ればいい。
話がそれたが、ともかくもっと情報を集めなければ的確な対処ができない。引き続き情報の収集を命じたが、一向に正確な情報が入ってこない。いたずらに時間を費やしている間に、とうとう国主会議が始まってしまった。
賢者以上の神官でなければ国主会議に出席できない。だが、会議の5日目、わしは当代様のお召しで特別にその場に呼ばれていた。早くも賢者として扱われることが嬉しく、ここ数日の苛立ちは消え去っていた。だが、それは会場に入るまでに過ぎなかった。
「何故、奴がいるのだ?」
国主会議の会場で義兄と和やかに会話を交わしているアレス・ルーンの姿を見付けてわしは驚いた。もしかして国元からの情報はまだ届いていないのか? 足元に火がついているも知らずに何とものんきなことだと半ばあきれながらわしは用意された席に着いた。
やがて全員が席に着き、当代様が登場されて会議が始まった。だが、そこへ急使が現れ、当代様に何かを差し出す。すぐに奴が呼ばれ、断片的に「エルニア」「反乱」と聞こえてようやく反乱の知らせが伝わったのだとほくそえんだ。
「会議の前に皆に残念な報告をせねばならない」
周囲がざわつく中、当代様が立ち上がって口を開かれる。視線を伏せた奴が傍らに立っており、いよいよ奴が罷免される時が来たのだと悟る。
「皆も承知の通り、エルニアの再建をアレス・ルーンに任せていたが、内乱の終結後もなかなか落ち着かない現状が続いておる。つい先日も南部で不穏な動きがあった」
当代様が一端話を止めると、正面の扉が開いてあの「黒い雷光」などと呼びはやされている竜騎士が現れる。重傷と噂され、この数日間、タランテラ離宮から一歩も出ることが無かったその男は各国の国主方に一例をすると、当代様の前に作法通りに進み出る。
「この度の事件、このティム・ディ・バウワーの働きにより未然に防がれた。既に中心となった南部の領主、そして関係者はすべて捕縛された」
今まで俯いていた奴が顔を上げ、当代様に代わって現状を報告する。失敗……したのは残念だが、未だにエルニアが騒乱のただ中にある現状は伝わっただろう。とにかく目的は果たした。
「その関係者の中にこの里に籍を置く神官が混ざっていた。調べによると、その神官が領主をたきつけ、反乱を示唆していた。これは妾に対する背反行為である」
奴が傍らの竜騎士に目線を送ると、その男はなぜか真っすぐにわしの元へとやってくる。どういう事か?
「この書簡に見覚えは?」
その男がわしの前に突き出したのは、件の領主に送った指示書だった。すぐに消去されるはずのその書簡が残っていることに驚きを禁じ得なかったが、これは配下の者に別人の筆跡を真似させて書かせたのでわしの痕跡は残っていない。平常心を総動員し、わしは何食わぬ顔で「知らぬ」と答えた。
「そうですか」
「長年、里に貢献してきたわしを根拠もなく疑うとは随分と失礼ではないかね?」
以外にもあっさりと引き下がった。気を良くしたわしは奴に追い打ちをかけるべく嫌味も加えてやった。
「口を慎むがよい」
当代様に咎められ、顏を上げると何もかも見透かした目で真っすぐにわしを見据えていた。
「すでに調べはついておる。その書簡の筆跡はそなたの部下のものと一致した。捕らえて尋問したところ、そなたの指示によるものとあっさりと白状したぞ。他にも数名の部下から証言を得ておる」
「……存じませぬ」
あれだけ念入りに施した偽装を見破ったと言うのか? 背中を嫌な汗が流れていくのを感じながらも、努めて平静を装う。ここで認めるわけにはいかない。
「ならば、潔白を証明するためにもそなたの関係各所を調査いたす。異存はないな?」
「も、もちろんでございます」
断っては余計に疑念を持たれてしまう。ここは応じるしかない。どうせ、すぐにとりかかるのは無理だろうし、後ろ暗い機密の書類は普段の執務室とは別の場所に保管してある。あの場所を知っている者は限られ、カギはわしが自分で管理していた。
「失礼いたします」
そこへ神殿騎士団員が報告に現れる。その手には見覚えがある保管箱が抱えられ、驚いたことに既に中が開けられていた。すぐに賢者方がその書類に目を通していく。
「……」
一気に血の気が引いてくる。もうあの場所を探し当てたのか? 何故だ? いくらなんでも早すぎる!
「妾の権限により、そなたへの嫌疑がかかった時点で調査を命じた。そなたの側近の証言により、この保管箱を見付けたのだが、そなたのもので間違いないな?」
この部屋にいるすべての人間の視線が集まる。皆、知っていたと言うのか? わしを捕らえるために会議に呼んだのか? もうおしまいだ……。
「この者を捕らえよ。証拠の精査が済み次第、改めて審理の場を設ける。申し開きはその場でせよ」
当代様はそう申しつけると、一顧だにせず部屋を出て行かれた。入れ違いに多数の兵が現れてわしを取り囲む。そして問答無用で拘束すると部屋の外へと連れ出そうとするが、その前に小柄な少年が立ちはだかる。
「陛下、危険です」
すかさず奴が庇うところを見ると、この少年がエルニアの国主なのだろう。遠目に拝見しただけだったので、すぐにはわからなかった。
「僕はそなたを許さない。己の欲の為に罪もない人々を巻き込んだ。我が国の民を傷つけ、命まで奪ったのだ。絶対に許さない」
少年王は怒りを露わにして強く拳を握る。その真っすぐな目と合わせられず、わしは目をそらした。
「連れて行け」
奴……アレス・ルーンは少年王を背中に庇いながら兵士達に鋭く命じた。わしはそのまま乱暴に連れ出され、そして牢獄に押し込められた。
神官(父)は息子の計略を成功させるために、指示より少し早めに情報を流してティムの足止めを図っていた。ところが、思った以上に早くに解決してしまい、更には自分も身柄を拘束されてしまった。ただ、頼まれてやったことを強調するために、接触していた黒幕さんの部下の事をより詳しくしゃべってしったので、思ったよりも早くに黒幕さんにたどり着いた。
一方の黒幕さんは本文中にもあるように反乱は成功しなくても別に構わなかった。差し押さえられた後ろ暗い書類によって、今までアレスの邪魔をしていたのが全て明るみに……。
つまりは互いに互いを利用しておいしい所だけ持っていくつもりだった。




