第16話 色々拗らせたティムの本音4
「この度の事、そなたの機転で妾も助けられた。感謝の気持ちにこれを授ける」
当代様が褒賞として差し出されたのは一振りの長剣だった。鞘も柄も黒一色でまとめられ、装飾と言えるものは鞘に施された銀の象嵌だけという実用品だった。それを目の当たりにした俺はもう目が離せなくなり、当代様が語る由来を危うく聞き逃すところだった。
当代様の話では、6代前の神殿騎士団長が愛用していた品で、彼が騎士団を引退する折に当時の大母様に託していったものらしい。見た目に反し、風の力を有するそれは俺にとって最も相性のいい一振りともいえる。こうして鞘ごと握っているだけで手にしっくりなじんでくるのが何よりの証拠だろう。
「貴重な品を……」
「相応しいものがいれば遠慮なく譲るようにと言って託されたと当時の記録に残っておる。黒い雷光に相応しい品だとは思わぬか?」
これが自分のものになる。得も言われぬ高揚感が沸き起こっていたが、続く当代様の言葉にそれは一気に冷めてしまった。
「そなたは現状で満足できずにタランテラを出たと聞く。この3年、アレス卿の元で働くそなたの評価はなかなかのもの。聖域ではなく妾直属の本隊に移り、ゆくゆくは騎士団長を目指してみるつもりはないか?」
当代様直属という事は礎の里に属する竜騎士の中でも精鋭中の精鋭が集まることで知られている。俺を評価してくれているのはわかるが、それは俺が望んだ未来ではない。俺が忠誠を誓い、剣を捧げる主君はエドワルド陛下ただ一人。そして一時的にせよ群青の装束を脱いでいるのは、姫様の隣に並び立つための過程でしかないと考えているからだ。
俺のこの考えはもしかしたら普通ではないのかもしれない。当代様がご厚意で本隊への移籍を進めてくださっているのだろうけど、それは俺にとって全く有り難い事ではなかった。
「それは……褒賞の一部としてですか?」
「そのつもりじゃ。そなたは竜騎士としての最高の栄誉と財を得る。妾は当代最高の竜騎士を侍らせ、周囲に誇示できる。双方共に明るい未来が期待できると思わぬか?」
念のために確認してみたが、当代様から帰ってきた言葉に俺はがっかりせざるを得なかった。彼女が必要としているのは、周囲に自慢できる見目の良いお飾りなのだ。俺には無理だ。竜騎士の本質からかけ離れている気がするから。
「そういう事でしたら、お断り申し上げます」
俺が即答すると、お付きの神官が気色ばむ。俺はにらみを利かせて黙らせると、一気のこちらの主張を捲し立てた。
「俺の主君はエドワルド・クラウス陛下ただ一人。俺の忠誠はタランテラに捧げると既にダナシアに誓っている。今は己の腕を磨くためにアレス卿の元にいるが、あくまでコリンシア・テレーゼ様と共にあるための過程に過ぎないと思っている。
竜騎士として最高の地位と言われても俺には無用。元々、褒賞を望んでいたわけではありませんので、こちらもお返しいたします」
俺が長剣を突き返すと、断れるとは思っていなかったらしい当代様は唖然としていた。どんな反応が返ってくるか辛抱強く待っていると、彼女は肩を震わせ、大母の地位にいるとは思えないほど豪快に笑いだした。
「あっはっはっ! 気に入った!」
先ほどまでの威厳は消え失せ、おなかを抱えて爆笑する当代様の姿に俺は長剣を抱えたまま唖然として見ているしかできなかった。やがてひとしきり笑って気が済んだのか、当代様は居住まいを正すと俺に対して深々と頭を下げた。その姿は大母そのもの。先ほどまで大笑いしていた人物とは到底一致させることが出来ない。
「無礼を許されよ。コリンシアが慕う殿方がそなたと聞いて、ちょっと確かめさせて頂いた」
「……試されたのですか?」
試されていたのか。だからと言って納得はできない。
「名誉を得るために国を出たと聞いていた故、その本心が知りたかったのじゃ。学び舎で学んだ娘たちはわが妹も同然。名声に左右されるようであれば、コリンシアが後に悲しむ事にならないか危惧した故の事。許されよ」
もう一度当代様が頭を下げる。だが、まだ何か隠している気がする。
「私の部下を勝手に引き抜こうとしないでいただけますか?」
不意に声がかけられて見ると、戸口に騎竜服姿のアレス卿が立っていた。陛下との会話でエルニアの陛下はエヴィル側に任せて単騎でこちらまで来られたらしい。その姿を見て狼狽えた当代様が小声で「ゲッ、アレス兄」と言っていたのは聞かなかったことにしていた方がいいのかもしれない。
「で、当代様。どういうおつもりですかな?」
仁王立ちになったアレス卿に追及されて当代様は洗いざらい白状させられていた。確か、以前にアレス卿から聞いた話では、当代様は御養母アリシア様の遠縁にあたられる方だとか。子供の頃に大母補教育の一環でアリシア様に預けられたことがあり、一時期一緒に過ごしたことがあるらしい。ちなみに思い付きで行動してしまうのは今も昔も変わらないと、ため息交じりにおっしゃっていた。
俺がそんなことを思い返している間に、容赦ない追及に耐えられなくなった当代様はお付きの神官すら置いて逃げるように部屋を出て行ってしまった。
「あ、これ……」
遅ればせながら長剣を握りしめたままだったことに気付く。突き返そうとしていたのになんだか間抜けだ。どうしていいかわからずに縋るようにアレス卿を見ると、彼の答えは明確だった。
「試された謝罪だと思ってもらっておけ」
「いいの……かな?」
ためらいながら改めて手の中の長剣を眺める。促されて鞘から抜いてみると、刃に複雑な文様が浮き出ている。その美しさに思わずため息が出た。
「返せと言われても、もう返せないだろう?」
「……そう……ですね」
陛下の問いに、もうこの長剣に俺は完全に魅入られていた俺は頷いていた。
高貴なお客様が帰られたので、昼食をとりながら情報交換となった。食堂にある円卓に陛下と皇妃様、アレス卿に姫様、アスター卿、ユリウス卿そしてなぜか俺も同席して座る。
「こちらに来る途中、里からの使節とちょうど会うことが出来たので大体の事は聞いております」
さすがに暑苦しいので全員正装は脱ぎ、楽な服装で食卓に着いている。まずはアレス卿が口を開き、エルニアで別れてからの経緯を教えてくれた。彼は俺の事を気遣ってくださり、エヴィルの一団と合流するとすぐに先に行くように勧め、事情を知ったエヴィルの陛下は単騎では危険と判断し、配下の竜騎士を同行させてくれたらしい。
使者とは休憩のために立ち寄った砦で会い、要請を知った彼はエルニアで留守番をしているレイド卿にあてた手紙を一緒に託した。
「神官の身柄を移送するのは早くても10日はかかる見通しです」
「それは仕方ないだろう。議題が増えた分こちらの会期も延びるだろうから、終わるまでには着けばいい」
「そうですね」
移送手段として考えられるのは船だが、もしかしたら拘束した状態で飛竜に乗せてくるかもしれない。この辺りはレイド卿の考え方次第だが、エルニアで必要な竜騎士が不足している現状では無理な選択かもしれない。
ひどかった二日酔いも皇妃様特製の薬のおかげでいつの間にかどこかに消え失せていた。昨夜から大して食事をしていなかったせいか、猛烈な食欲がわいてくる。なじみのある人とはいえ同席しているのはいずれも高位の方々。がっつかないように自制していたが、目の前には次々とおいしそうな料理がのった皿が並べられる。結局話を聞きながら黙々とそれらを平らげていた。
「お前の方はもう大丈夫そうだな」
負傷の事を使者から聞いたのならば、誇張した情報が伝わっていたに違いない。アレス卿は半ばあきれた様子で俺に視線を向ける。心配して損したと言ったところか。
「……すみません」
口の中のものを大急ぎで飲み込んで謝罪する。だが、アレス卿は笑いながら「誇張されているだろうとは思った」と付け加えてくれた。
「ティムは、私を庇ってくれたの」
隣に座る姫様が真剣な表情でアレス卿に訴える。あの時の事を思い出してしまったのか、少し顔色が良くない。俺は慌てて左腕を大げさに動かして見せる。
「姫様が治療してくださったおかげで痛みはなくなりました。もう、なんともないです」
「ごめんよ、コリン。君の騎士様を責めたんじゃないよ」
アレス卿も慌てたのか、姫様に優しい声で宥める。やはりまだ不安定なところがあるな……。もっと何か声をかけなければと思っていたら、皇妃様が少し休みましょうと声をかけて姫様を食堂から連れ出していく。
「参ったな」
その後ろ姿を見送ると、アレス卿が大きく息を吐いた。俺達がいなければ、その場に突っ伏していたかもしれない。
「やはり、影響は残っているか」
陛下の表情もさえない。改めてあの勘違い野郎への怒りがこみあげてくる。
「どうにかならないでしょうか?」
「こればかりは時間が必要らしい。今朝もちょっとしたことで取り乱した。フレアが機転を利かせてティムの治療に行かせたら少し落ち着いた」
「え?」
姫様が治療しに来てくれた経緯を知って驚いた。それにしても、あの時の恐怖が付きまとっている姫様が不憫だ。
「早く国に連れて帰ってやりたいが、先ほども言った通り、今回の国主会議は長引くだろう。始まってしまえば私達はそちらにかかりっきりになってしまう」
「俺に手伝えることはありますか?」
苦しむ娘に父親として何もできないと陛下は呟く。会議に出席できるような身分ではないが、何かしら手伝えることがあれば率先して引き受けるつもりだ。その旨を陛下に伝えている現状では無理な選択かもしれない。
「コリンの傍に居てやってくれないか? あの子が一番落ち着くのはフレアでも父親の私でもなく君の傍だ。国主会議が終わるまではコリンの護衛も兼ねてここにいてもらっても構わないだろうか?」
陛下の頼みとあれば即答するところだが、今の俺は神殿騎士団の一員としてアレス卿の指揮下に入っている。様子を伺うように上司の顔を見ると、彼は大きく頷いた。
「分かりました。俺で役に立つのであれば」
「頼むぞ」
「はい」
陛下が立ち上がって手を差し出してくる。俺も立ちあがるとその手を握り返した。国の英雄でもある陛下に頼りにされていると思うと、ちょっとだけ誇らしい気持ちになった。
黒い長剣にすっかり魅入られてしまったティム。
竜騎士を引退するまで愛用することになる。