閑話4
ユリウス視点
最初に事件の一報を聞いた時には驚いた。まさかこの礎の里の学び舎で生徒が襲われるなど思いもしなかったし、しかも襲われたのは我が国の皇女である。俄かには信じられなかった。
しかし、血まみれのシャツを着たままのティムが意識のないコリンを抱きかかえたまま離宮に現れると、血の気が引くと同時に犯人に対して言いようのない怒りを覚えた。
「ちょっと待て、どこへ行く?」
一緒に戻られた皇妃様の指示のもと、姫様を一室に休ませると、ティムは踵を返して離宮を出て行こうとする。犯人の刃を受けた左腕は何かを裂いた布切れで止血してあるものの、着ているものは血だらけで目が座った状態の彼は鬼気迫るものを感じさせる。私は慌てて彼を止めた。
「大元をぶっ飛ばしてきます」
彼は今しがた犯人を叩きのめしたはずだ。その黒幕に何か心当たりでもあるのだろうか? だとしてもいきなり行ったところで素直に認めはしないだろうし、下手をすれば彼自身が逆に訴えられることもあり得る。とにかくこのままいかせるわけにはいかない。
「待ちなさい、ティム」
説得を試みたが聞く耳を持たない。思い込んだら一直線なところは彼の義兄と一緒だな。血はつながっていないはずなのによく似ているよ、ルークとティムは。
「だから、待てって!」
親友の過去を思い出してほっこりしている場合ではなかった。私は最後の手段としてティムのみぞおちに拳を叩き込んで気絶させた。ふう、これで大人しくなった。私は遠巻きに見ていた部下に空いている客間で彼を休ませるように指示を出す。そして離宮の警護をしながら陛下からもたらされる情報を待った。
陛下に同行しているアスター卿からの情報を整理すると、犯人は入念な下準備をしていたことが分かった。
コリンが連れ込まれた備品庫はほとんど使われていなかったらしく、犯人がそこの整理を自ら申し出ていたらしい。中を片付けるだけでなく、空いている寝台を持ち込み、内側からかかる鍵も取り付けていた。
コリンと仲のいいダーバのクレメンティーナ王女を引きはがすため、独占欲が強いらしい彼女の婚約者に卒業の祝賀会の招待状を送り付け、まんまとコリンを1人にする状態を作り出した。ぞっとする話だが、犯人はずっとコリンの様子をうかがっていたことになる。
陛下も偽の書状で引き離し、コリンが1人になったところを見計らって会場から連れ出し、あの備品庫へ連れ込んだ。彼にとって想定外だったのは、薬品をかがせた瞬間を見られたこととティムの存在か。
彼が駆けつけなければ、あの瞬間を目撃したものがいても手遅れになっていた可能性が高い。その彼もエルニアでの反乱が実際に起こってしまっていたら里に来ることすら出来なかっただろう。ちらりと聞いた話では、この反乱も里の誰かが関与しているらしい。全く、忌々しいことだ。
「ユリウス卿」
1階で新たな情報が届くのを待っていると、玄関の方が騒がしくなる。報告に来た部下の様子からどうやら焦れた黒幕が動きだしたらしい。
「神殿騎士がティム卿の身柄を寄越せと言って参りました」
「ティムは?」
「まだお休みでございます」
彼がコリンを運んできたのが夕刻。今は夜も更けて深夜というべき時刻だが、まだ起きてこないところを見ると随分疲れている様子だ。彼の事だからエルニアからほとんど休み無しで飛んできたに違いない。その前は反乱の平定に出向いていたわけだから、蓄積している疲労は相当なものだろう。
「彼は起きるまで休ませておこう。悪いが神殿騎士殿にはお引き取り願おう」
「かしこまりました」
私の命を受けて部下は下がった。しかし、玄関の騒ぎは一向に収まる気配はない。その騒ぎを聞きつけ、コリンに付き添っていた皇妃様も何事かと侍女を介してお尋ねになる。私は一先ず彼女に説明しておこうとコリンを休ませている部屋に向かった。
ティムの身柄を引き渡すよう、執拗に迫ってきた神殿騎士も陛下が戻ってきた途端に大人しく引き下がった。同道してくださった神官殿のおかげだ。だが、緊張から解放された皇妃様がその場で倒れられた。
慌てた陛下はその場で皇妃様を抱き上げ、私とアスター卿に離宮の警備強化とティムを外へ出すなという厳命をして部屋に戻られた。今回、奥さんはお留守番なので公然といちゃついていられる陛下が羨ましい。それは傍らにいるアスター卿も同じらしい。
途中、コリンとティムがお2人に声をかけるのが見えた。こうしてみるとコリンは大丈夫そうに見えるが、最も気にかかっているのが目に見えない部分なので今はまだ何とも言えない。だが、ティムといる限りは大丈夫だろう。楽観的な考えかもしれないが、そう思える。
アスター卿と離宮の警備の見直しを終えると、私達は2階に向かった。なんとなく予感がしてティムの部屋の前で待っていると、荷物をまとめた彼が部屋から出てきた。
「どこへ行くのかな?」
苦しい言い訳をするが、すべてお見通しだ。アスター卿と2人でティムを連れて行く。酒席の準備が整えられている部屋を見て彼は顔を引きつらせていたが、これだけ回復していれば朝まで付き合ってもらっても問題ないだろう。
「姫様を襲った神官の師匠から話を聞いたが、別の高神官の紹介で奴を弟子にしたと言っている。出来がいいので重宝していたが、規定に則ってすぐには学び舎で使うのは控えていたそうだ」
「それなのに何故?」
酒を酌み交わしながら私達は情報を照らし合わせて行く。離宮の警備を預かっている私達はさすがに酔いつぶれるわけにはいかないので、酒は集中的にティムの杯に注がれる。
「本人が強く希望したのもだが、どうやら紹介した高神官に圧力をかけられたようだ。どこの派閥に属さず、温厚で争いを好まない性格だったから学び舎の講師役を任されていたのだが、その辺がちょっと仇になった」
アスター卿の報告に頷きながら私はゆっくりと杯を傾ける。昼間の事件を思い出し、憤然としているティムは勢いよく杯を空にしていた。いくら強いからと言ってその飲み方は危険だよ?
「奴は一応の治療をして牢に入れてある。薬をかがせる瞬間を見たご令嬢もいるし、奴の関係先は既に大母様の名で差し押さえてある。一部は既に我々が監視する中で捜索が行われた。他も各国の関係者立会いの下で捜索することになっている」
黒幕の息がかかった神殿騎士が勝手に証拠を隠滅できないようにした措置だな。夕刻からの短時間で当代様も大賢者様も味方に引き入れ、そこまで成果をあげるとはさすがは陛下だ。
「で、その黒幕は?」
「お前の方が知っているんじゃないのか?」
何しろ叩きのめしに向かおうとしていたのだ。何か証拠でも掴んでいるのではないかとこちらの方が期待しているのだが?
「単なる憶測です」
そう言って出てきた名前にアスター卿は重々しく頷く。よくよく聞いてみると、エルニアの復興に何かと難癖をつけてきた高神官だったのでそう思ったらしい。確たる証拠はなかったらしいので、やはりあの時、止めておいて正解だった。
「ですが、エルニアの反乱に手を貸している里の関係者がいるのは確かです」
ティムはエルニアでの反乱鎮圧に至るまでの経緯を説明してくれた。関係者の中に3年前の夏至祭でコリンに絡んできた神官の名前を見付け、嫌な予感がしてこちらまで飛んできたらしい。その直感は見事に的中した訳だ。
「その証拠は?」
「アレス卿が持っておられます。着くのは……明日の昼かな」
まだ着いておられない他の国主方もその頃には到着されるはずだ。それまでに大方の調査は終わっているだろう。
「昼頃の予定で、当代様ご本人は難しいかもしれないが、大母補のどなたかがコリンを見舞いがてら事情を伺いに来られる。ティム、お前にも話を聞きたいそうだ」
「分かりました」
ティムは神妙に頷いた。彼はコリンを庇って重傷を負ったと噂されている。犯人がそれほどの殺意をコリンに向けたと印象付けるためにも、タランテラ側はあえてそれを否定していない。あまり元気に動き回られるのが困るのはその為でもある。色々気になるかもしれないが、とにかく今はここで大人しくしていてほしい。
「結局、変わりなしか……」
結構な速さで飲ませたので、さすがのティムもだいぶ酔いが回ってきているようだ。飲み干した杯をテーブルに何げなく置いた彼はポツリと漏らす。その言葉がふと気になって尋ねる。
「変わりなし、とは?」
「……俺は、姫様の隣に立つのに相応しくなろうと努力したつもりだった。1人でも姫様を守れるように、俺を選んだ事で姫様の立場が悪くならないように……。
3年前、飛竜レースで一位帰着を果たした時には満足していた。だけど、知らないところで事件は起きて、気付けば全部終わっていた。このままじゃいけないと思ってアレス卿の元で修行したけど、結局変わってないんだなぁって、さ……」
そういうと、今度は自分で酒を注ぎ、それを飲み干した。今彼が飲んだのはタランテラから運んできた蒸留酒。普段は薄めて飲むんだけどね。大丈夫かな?
「その望みは十分果たせていると思うよ」
「冗談でしょう?」
一瞬、ティムは驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を戻した。
「10年前のルークを見ているようだな」
「そうですね」
アスター卿の意見に私も同意見だ。全くよく似た義兄弟だよ。
「いいかい、ティム。君は10年前、皇妃様とコリンの2人を反逆者の手から守りながらフォルビアを脱出した。まだ騎士見習いにもなってなかった君の偉業は、今でも大抵の竜騎士には同じことはできないと言わしめるほどの手柄だ」
「ですが、最後までは……」
ティムが言いたいことはわかる。確かに彼らは目的地まではたどり着けなかった。それでもフォルビアを脱出できたからこそ、アレス卿に保護された。そして大陸最強の番を味方にできたのだ。
「3年前の夏至祭では、飛竜レースと武術試合の両方で1位になった。これもタランテラの歴史で成しえたものはごくわずかだ」
「飛竜レースはともかく武術試合は……」
またもや反論しようとするが、私とアスター卿が軽くにらむと押し黙った。とにかく最後まで言わせてほしい。
「そしてこの3年間、アレス卿の部下として活動する君の評価は高まる一方だ。各国から縁談と共に高額な報酬を提示されて勧誘されているのだろう?」
「それは……そうですが、あれはアレス卿の采配のおかげで、俺自身の働きだけではありません」
一部の迷いもなく答えるのは天晴だが、とにかく自分の能力をそろそろ認める気になってくれないだろうか。私は深いため息をつくと、再び彼に向き直る。
「今日だって君が来なければ我々は出し抜かれていた。コリンが助かったのも君のおかげなんだ」
「……それでも、もっと早く来るべきでした」
絞り出すような声だった。おそらく、細々したことを悔やんでいるのだろう。それは私にも覚えはある。だが、我々の称賛をもうちょっと前向きに受け取ってはもらえないだろうか?
「君はもう少し、自分の評価を素直に受け取った方がいい」
「そうだな」
それでもまだ彼は「それでも」とか「けれど」などと言っている。
「謙虚なのは君の美徳の1つだけど、それが過ぎれば欠点になる。君の事は陛下を始めとした各国の国主級の方々が認めているのに、それを否定し続けるのは不敬に当たるよ」
「……」
義兄のルークも謙虚過ぎることがある。今まで、彼の事を竜騎士の手本としてきたティムはそこまで思い至らなかったのだろう。
「いいかい、君は既に十分すぎるほど結果を残している。タランテラ国内はともかく、国外では既に「黒い雷光」の異名は「雷光の騎士」以上に知れ渡っている。もしかしたらアスター卿や私よりも知名度は高いかもしれない」
「え……」
彼にとって意外なことかもしれないが、他国で話を聞いていてもタランテラ人の竜騎士として名前を挙げてもらうと、たいてい陛下の次に黒い雷光が挙がってくるのだ。
「だから、君が隣に立つことでコリンがあれこれ言われる心配はもはやない。君は胸を張って堂々と彼女の隣にいればいい。何よりそれを一番望んでおられるのは陛下だからな」
面と向かってこうして褒めてもらうことが無いのかもしれない。ティムは今度こそ本当に驚いた表情をしたまま固まった。
「私は、陛下が羨ましい。娘の将来をこれほどまでに信用できる相手に託すことが出来る」
「私はどんなに優れた相手でも娘達を嫁に出す気はないがね」
冗談にしては目が怖いです、アスター卿。もしかして酔っておられますか?
「その……俺……」
「君はコリンを選んだ。未来のフォルビア公を。そのフォルビア公を守るのはもちろん君の仕事だ。けれども、フォルビア公の夫として時には周囲から守られることも仕事だと覚えておいた方がいい」
これは皇家の姫を娶った先輩としての助言だ。必要があれば話を聞いてやってほしいと、今回は国で留守をしている彼の義兄から頼まれていたことだ。ルークだけでなく、オリガやヒース卿、リーガス卿など様々な人から頼まれている。要はみんな、思いつめた様子の彼の事が心配なのだ。
「守られることも?」
「そうだね。大抵は自分で身を守れるだろうけど、どうしても苦手なこともある。1人で無理をしないことだ。とにかく今回の件は、我々に任せてくれないか? もちろん、隠し事はせずに必要な情報は伝える。君は傷の治療はもちろん、コリンの心のケアを優先してくれると助かる」
「……わかりました」
私の話で納得できたのだろうか? もちろんまだグダグダと悩む必要はあるかもしれないが、吹っ切れるきっかけになってくれればありがたい。
その後はタランテラ国内の事に話題を変え、空が白み始めるまで私達は杯を傾けた。さすがに飲ませすぎたらしく、いつしかティムはソファに体を沈めて寝入っていた。まあ、これでもう逃げ出す事は出来なくなったわけだ。
今回、フレアが留守にする上に、オリガも出産直後で休暇中のため、マリーリアもアルメリアも自ら買って出て皇都でお留守番となりました。
夫2人はそれがちょっと寂しい。やけ酒したいが立場上酔いつぶれるわけにもいかず、その矛先がティムに……。
でも、アスターはちょっと飲みすぎています。
ちなみに、娘がいないヒースはアスターに娘を自分の息子の嫁にくれと言い、アスターは娘は絶対に嫁に出さないと言い返すのが酒席でのいつもの光景。




