第12話 変わらないコリンシアの想い2
昔の夢を見た。悪い人に襲われる夢だった。幼い私はただ震えて母様やオリガが傷つけられるのを見ているしかできなかった。
その窮地に颯爽と現れたのはティムだった。まだ見習いになる前にもかかわらず、武術の手ほどきを受けていた彼はその軽い身のこなしを生かして悪者達を退治していく。けれども数には勝てず、彼は傷ついて倒れてしまった。
「ティム!」
側に駆け寄りたかった。だけど目の前には目をギラつかせた男達がいる。怖くて、怖くて動くことも出来ない。
「ティム!」
傷ついた彼に男は止めを刺そうと剣を振り上げた。私はその場で彼の名を叫ぶしかできなかった。
「ここ……」
悪夢から覚めると見慣れない部屋の寝台で横になっていた。室内はうす暗く、ぼんやりとした明かりの中で息が整うのを待っていると、優しい手が額に浮かんだ汗をぬぐってくれる。
「母様……」
優しい手の持ち主は肩に小竜を乗せて慈愛に満ちた笑みを浮かべている。その笑顔と浮かんだ汗をぬぐってくれる優しい手だけで気持ちが落ち着く。
「目が覚めた? 気分が悪かったり頭が痛かったりしない?」
心配げに訊ねられるけど、聞かれた症状はない。「大丈夫」と答えると、幾分ホッとした様子でもう一度汗を拭き、お水を飲ませてくれた。
幾分落ち着いてくると、自分の身に何が起こったのかを思い出した。あの男に触れられた感触を思い出すだけで悪寒が走る。だけど、最も気がかりなのはティムの事だった。腕を短刀で刺され、シーツが血で染まっていたのを思い出すと血の気が引いてくる。
彼の技量ならば、あんな攻撃ならば軽くあしらう事ができたはずだ。私がいたから、彼はよけることが出来なかったのだ。竜騎士である以上怪我してしまう事はあるかもしれない。だけど、私を守る為だけに傷ついてほしくはなかった。その為に3年間の留学を決意して色々学んだというのに、結局今日も私の不注意で彼が傷ついてしまった。
「母様、ティムは?」
体を起こすと止められたが、それでも彼の事が心配でこのまま寝てなどいられない。母様は諦めたように私が楽に体を起こしていられるように、背中に枕をあてがってくれた。
「エルニアから休みなしで飛んできて、随分疲れていたみたいだからこの離宮で休んでいるわ。腕の傷も出血の割にはひどくないから、しばらく安静にしていればすぐに良くなるでしょう」
「本当に?」
「ええ」
不安げに見上げると母様は優しく微笑む。
「後の事は私達に任せて、今はゆっくり休みなさい」
母様の口ぶりからすると、きっと今頃は父様が事後処理に奔走しているのだろう。もうちょっと慎重に行動していれば防げたかもしれなかっただけに、後悔と余計な仕事を増やしてしまった申し訳なさに苛まれる。
「何も心配はいらないから」
母様に促されてもう一度横になる。眠れないかもしれないと思っていたけど、母様が優しく頭を撫でてくれているうちにいつのまにか再び眠りについていた。昔から思っていたけど、母様の手は不思議。きっと魔法がかかっているに違いない。
それからどの位眠っていたのか、再び目を覚ますと傍に母様の姿はなかった。まだ夜は明けておらず、辺りは薄暗かった。物音ひとつしない部屋にいて、1人だと思うと急に心細くなる。もう眠れそうにもなく、私は寝台から体を起こした。
キュ?
1人だと思っていたら、足元で体を丸めて眠っていた小竜がむくりと起き上がり、私の方へよたよたと近寄ってくる。そういえばまだこの子の名前を知らない。私は小竜を抱きあげて膝に乗せると頭を撫でた。
クルクルクル……
小竜は気持ちよさそうに喉を鳴らす。しばらくの間、癒しとばかりに一心不乱に小竜を撫でていたけど、なんだか急にむなしくなってきた。
「ティムに会いたい……」
ポツリと零すと今まで膝の上で大人しくしていた小竜が体を起こす。撫でられるのも飽きたのかなと思っていると、パタパタと戸口の方へ飛んでいく。
クワッ?
扉のすぐわきにある飾り棚に止まると、小竜はこちらを見て首をかしげる。まるで「来ないの?」と誘っているみたいだ。そろそろと体を起こして寝台から降りると、小竜は器用に扉を開けて外へ出て行く。
「待って」
私は慌てて手近にあったショールを肩にかけ、室内履きを履いて小竜の後を追う。この離宮に来たのは2年前に父様に会いに来て以来2度目。正直、どんな作りになっていたかはよく覚えていない。
薄暗い廊下に出ると、なんだか騒がしい。私がいた部屋は2階にあったらしく、階下から言い争う声が聞こえている。階段に近づくと、暗がりの壁にティムが寄りかかって階下の様子をうかがっていた。小竜はそんな彼の肩に止まると、褒めてとばかりに頭をこすりつける。彼は階下から視線を逸らすことなく小竜の頭を撫でているが、袖口から覗く包帯が痛々しい。
「ティム……」
私が声をかけると彼は振り向く。私の姿に驚いた様子で動きが固まる。私は思わず駆け寄って彼に抱き着いた。
「姫様、ご気分が優れないのでは?」
なおも言い争いが続いている階下に配慮して、彼は小声で話しかけてくる。私は首を振ると、彼のシャツをギュッと握りしめた。母様から聞いてはいたけど、怪我は思ったほどひどくない様子なのと、会えた安堵感で胸がいっぱいになり、言葉がなかなか出てこない。
「部屋に戻られますか?」
私が首を振ると、ちょっと困った表情を浮かべる。
「会えて、良かった。会いたかったの」
ようやくそれだけ言うと、彼はギュッと抱きしめた。
「俺もです」
「怪我は?」
「大丈夫です。あれくらいはいつもの事です」
彼はそう言って私の額に口づけた。
「何度申し上げればお分かりいただけるのですか!」
不意に聞こえてきたのは母様の怒りを孕んだ声。いつも穏やかで私を初めとした子供達を叱るときも、言い含めるように諭していくあの母様が声を荒げるなんて珍しい。
そっと覗いてみると、母様とユリウス、そして2人を守るように数人の竜騎士の姿が見える。どうやら訪問者は竜騎士達の堅い守りに阻まれてまだ中に一歩も入れてもらえてない様子。さすがは父様が厳選しただけある。その様子にティムは深いため息をついた。
「俺の為……です」
階下を伺うと父様の姿はない。ティムの話だと、昼間の事の話し合いが終わっていないらしい。そして先ほど神殿騎士が来て、神官への暴行と竜騎士規約に反する力の行使でティムを捕縛しに来たと言う。
「そんな……だって……」
「俺にはやましいことはない。どうも胡散臭いと思ったら、神官の一部が論点をすり替えようとしているみたいだ」
10年前の粛正でだいぶ排除されたとはいえ、未だに己の利益のみを考える高位の神官がいる。そんな彼らが今狙っているのはエルニアで、まだ幼い国主を傀儡に仕立てて利権を貪ろうと画策しているらしい。
だが、そんな思惑を当代様はお見通しで、その再建にアレス叔父様を指名した。その決定に不服な彼らは、今までにも幾度となく難癖をつけて邪魔をしてきた。今回も部下であるティムを罪に問い、その責任を叔父様に取らせてエルニアから手を引かせる腹積もりなのだろう。
「そんな事、している暇があったらもっと違う事すればいいのに」
いつも思う。そんな悪だくみに使う手間と労力をもっと有意義に使えないのかと。その方が何倍も楽しく生きていけるはずなのに。
「姫様のおっしゃる通りです」
ティムも私の意見に同意してくれる。そうしている間に階下で新たな騒ぎが起こる。そっと覗いてみると、父様が神官を伴って帰ってきていた。
「このような夜更けに、しかも私の留守中にこの騒ぎはどういうことですかな?」
父様が本気で怒っている。その威圧に先ほどまで強気だった神殿騎士もタジタジになっているようで、先ほどから聞こえてくる受け答えが要領を得なくなっている。
「勝手な行動は慎むよう、当代様からのお達しでございます」
ちらりと見えた神官服から、父様と一緒に来たのは高位の神官だったらしい。彼の言葉に神殿騎士も反論できず、先ほどまでの騒ぎが嘘のようにあっさりと引き下がった。そしてその神官に追い立てられるようにその神殿騎士は部下と共に去っていった。
離宮の扉が占められ、静寂が戻る。父様は母様をねぎらうように抱きしめると、アスターやその場にいたユリウスにいくつか指示を与える。きっと離宮の警備を強化するように言ったのかもしれない。
「フレア!」
急に父様の狼狽する声が聞こえる。母様がその場にしゃがみ込んでおり、父様が慌てて抱き上げた。そしてそのまま階段を上がってくる。
「母様?」
私が声をかけると、父様は驚いたように足早に近寄ってくる。
「気分は悪くないか? 頭痛は? 吐き気は?」
矢継ぎ早の質問に狼狽えながらもどうにか大丈夫だと答える。やはり母様同様、薬の副作用を気にしてくれているのだろう。
「私は平気。母様は?」
「大丈夫よ。ちょっと力が抜けちゃって」
父様の腕の中で母様が力なく笑う。父様が帰ってきて安堵し、緊張の糸が切れてしまったらしい。
クウ、クウ、クゥ
ティムの肩でくつろいでいた小竜は母様のところへ飛んでいくと心配げに顔を覗き込む。母様はねぎらうように小竜の頭を撫でた。
「陛下、皇妃様、お手を煩わせて申し訳ありません」
ティムが神妙に頭を下げる。
「ティムに落ち度はない」
「しかし……」
「コリンを救うのに最善を尽くしてくれたのだろう? だったら、あんな言いがかりを気にすることはない」
「はい」
ティムが頷くと、父様は満足そうに笑みを浮かべる。
「元気になったようだが、朝までもう少し休んでいなさい。話はまたそれからにしよう」
父様はそう言って話を切り上げると、母様を休ませるために奥の部屋へ向かった。母様が大事なのもあるけど、先ほどまでの会合で今やるべきことは済んでいるのだろう。休めるときに休んで、後は他の国主方が揃ってからに違いない。
夜が明ければ、当事者の私も何らかの形で証言を求められるだろう。昼間の事をちょっと思い出し、急に怖くなって背筋に悪寒が走る。
「姫様?」
「……怖い」
「俺がついています」
ティムが包み込むように抱きしめてくれる。幾分楽になったが、それでも離れたくなくて彼のシャツにギュッとしがみついた。私の不安に気付いた彼は頬に手を添えて唇に軽く口づけた。
「テンペストの翼に誓って、俺が姫様を守ります」
「……うん」
ティムの厳かな宣誓に私は小さく頷いた。するともう一度唇が重なる。さっきよりも長い口づけにいつしか不安と恐怖は薄れていた。
普段は怒ることがないフレアに淡々と諭されると、誰もが罪悪感を感じて反省します。
ただし、例外が約1名。
討伐中に負傷したエドワルドを治療しながら
「エド、無茶はしないでって言ったのに……」
「そうだな」
「この間の傷も治っていないのに……」
「うん、そうだな」
負傷はわざとではないが、実は妻に構ってもらえるのが嬉しくて仕方がないエドワルド。
普段は子供達が優先なので、ここぞとばかりに妻とのスキンシップを図ります。




