第10話 変わらないコリンシアの想い1
流血を伴う残酷なシーンがあります。苦手な方はご注意を。
礎の里での3年間は思っていたよりもあっという間に過ぎていた。私は16歳になり、昨年の誕生日の折に略式の成人の儀を済ませて大人の仲間入りをした。正式な儀式は国元に帰ったときに父様と母様が改めて開いてくれることになっている。
来たばかりの頃はタランテラが恋しくて泣いたこともあったけれど、同じ年頃の同性の友達が少なかった私には毎日が新鮮でその寂しさもすぐに感じなくなった。今回一緒に里で学んだのは各国の王家の血筋に連なる令嬢10名。そして半数はこのまま里に残って大母になる為の勉強をつづけ、私を含めた残り半数は国元に戻ることになっていた。
ただ、今までだとこの時点で帰る私達には里で学んだ学歴が残るだけだったのが、今回からは上位の高神官としての地位が約束され、時に大母の名代としての役割を与えられることになっていた。
今日はその全ての課程を終えたお祝いが開かれていた。私達生徒の他に講師役の神官や学者、そして間近に控えた国主会議の為に礎の里へ来た各国の国主も何人か招かれていた。
「よく頑張ったな、コリン」
「随分と大人になったわね」
昼間だし、主役が私達なのでお酒は用意されていない。甘みを抑えた果実水を手にした父様が私の姿を見つけて話しかけてきた。でも、傍らに母様がいてちょっと驚いた。昨年、妹を出産したばかりだから来れないだろうと思っていたから。
「父様、母様」
父様に会うのは前回の国主会議以来2年ぶり。母様はその時に来れなかったので国を出て以来になる。私は嬉しくて2人に抱き着いた。
「あらあら、甘えんぼさんなのは変わらないのね?」
苦笑しながらも母様は私を抱きしめてくれる。国元にいたころは見上げるようだった母の顔も、3年の間に背が伸びたからかほとんど同じ位置にある。変わりない様子に安堵したけれど、彼女の目の代わりをしていたのが見慣れない小竜だったのが残念だった。
仲良しのルルーも寿命と言われている10才を過ぎた。私が国元にいたころから老化が顕著に現れていたので、留学した直後に引退させて今は保育室で子供達と一緒に過ごしているらしい。まだ食欲が旺盛で元気なのだけど、以前に比べて寝ている時間が格段に増えたとみんなからの手紙に書いてあった。
「コリンのお友達を紹介してくださいな」
母様に指摘されてようやく友達と一緒だったことを思い出す。振り返るとダーバの王女クレメンティーナが父様と母様に見惚れていた。見慣れている私はなんともないけど、父様と母様の美しさに誰もがくぎ付けになり、こういった場でいつも会場中の視線を一身に浴びるのだけど、互いしか目に入らないのであまり気にしている様子はない。私は慌てて彼女を呼ぶと両親に紹介した。
「私達とはまた夜に話をすればいいから、皆さんにちゃんと挨拶していらっしゃい」
今日で学び舎を卒業するので、国主会議が終わるまではタランテラの宿舎としてあてがわれている離宮の1つに父様や母様と一緒に滞在する。そういった離宮は礎の里の広い敷地に点在していて、国主会議の間は各国にそれぞれあてがわれていた。
「はーい。また後で」
もう一緒にタランテラへ帰るのだ。積もる話はまた後ですればいいので、今は友達やお世話になった講師方に挨拶をするのが先。母様とお祝いの席が終われば、一緒に離宮に行くのを約束し、我に返った友達と一緒に再び会場内へ繰り出した。
「コリンのお父様とお母様、素敵ね」
一通り挨拶を済ませて疲れた私達はテラスに面した椅子に座っておしゃべりをしていた。あまりにも鮮烈だったのか、父様と母様の事をあれこれ聞かれたのだけど、感嘆のため息とともに褒められると悪い気はしない。
一緒に離宮に行くと約束した当の2人は、実は急用が出来て先に戻ってしまっていた。父様だけ帰ってもいいのだけど、母様が1人になるから心配だったみたい。後から誰か迎えを寄越してくれると言って、2人は仲良く会場を後にしていった。
「そういえばコリンの婚約者様はいらっしゃらなかったわね」
急に話を振られて私は飲みかけていた果実水でむせそうになる。
「今を時めく黒い雷光様が恋人だなんて羨ましいわぁ」
アレス叔父様と行動を共にしていたティムは、いつの間にか黒い雷光の異名で呼ばれるようになっていた。大陸全土にその才能が認められたのは嬉しいのだけど、各国の有力者が彼を手に入れるために競うように縁談を持ちかけていると聞くとちょっと複雑。
そこで今回の国主会議の折にティムも同意してくれたのでやっと婚約を公表することになった。一番仲の良いクレメンティーナには彼の事をよく話していたので事情を心得てくれている。去年は彼が叔父様の使いで礎の里に来たので、その時に彼女に紹介した。
「貴女だって婚約者がいらっしゃるじゃない」
私も負けずに言い返す。クレメンティーナはダーバ国内の有力貴族の跡取りと婚約していた。絵姿を見せてもらったけどなかなか美形だった。ただ、見かけによらずかなりの曲者なのだと言う。
そんな話をしていると、なんだか周囲が騒がしくなる。するとテラスへやけにキラキラとまぶしい笑顔の若者がやってくる。その姿を見た瞬間、クレメンティーナは逃げ出そうとしたのだけど、若者にがっちりと捕まって……というか抱きしめられていた。
「ハニー、会いたかったよ」
「ご、ごきげんよう」
若者の姿はいつか見せてもらった彼女の婚約者の絵姿そっくりだった。いや、どちらかというと実物の方がかっこいいというか、装飾品を付けているわけでもないのにやたらキラキラしていてまぶしい。
来ると思っていなかったらしい彼女は彼の腕の中で固まっていた。そんな彼女に彼は人目をはばからず口づけの嵐を降らしている。と、いうか、もしかして私の事目に入っていない?
今度は唇を合わせているし。しかもこれ、父様が母様によくしているいわゆる大人の口づけ? 長い口づけに彼女の体から力が抜けてくたりとしている。彼はそんな彼女を優しく抱き上げた。
「さあ、ハニー場所を変えて2人でゆっくりしよう」
我に返ったクレメンティーナから縋るような眼を向けられるが私に止めるすべはなかった。そのまま彼女は艶やかな笑みを浮かべた彼にお持ち帰りされていった。
「コリンシア姫」
目の当たりにした光景に衝撃を受け、しばらくの間その場に固まっていると、若い神官が声をかけてきた。彼は私達の講師役をしていた高位神官の弟子の1人だった。学び舎に出入りするようになったのはこの半年ほどの間だが、知識が豊富なうえに整った容貌をしているので大母補候補からは人気があった。尤も、私にはティムがいるので眼中にはなかったけれど。
「エドワルド陛下のご依頼でお迎えに上がりました」
なんだかちょっと意外。代理で呼びに来るならきっと随行している竜騎士の誰かだと思っていたから。疑問を口にすると、学び舎の外で竜騎士が待っているらしい。そこまで案内してくれるというので、少し早いが講師方に再度挨拶をして会場を後にした。
「方向が違うのではなくて?」
彼が先導してくれているのだが、向かった先は正面玄関とは逆方向。なんでも道に迷ったとかで普段出入りする西門に来ているらしい。だったらハンス卿かなともちらりと思ったけれど、なんだかおかしい。
「いったん戻ります。迎えを正面玄関に案内してください」
嫌な予感がして踵を返そうとすると腕を掴まれた。
「離していただけますか?」
「父から話は聞いております。あの平民風情に結婚を強要され、本当はそれから逃れるためにこちらに参られたのでしょう? 私が守って差し上げます」
いったい何のことだろう? それにこの人の父親っていったい誰? ますます訳が分からない。きっと他の人と勘違いしているのかもしれない。
「何か、思い違いをされていませんか?」
「つれないことをおっしゃらないでください。3年前、父が私を頼るように伝えたと聞いております。私は貴女様をあの男から救うためにこちらに出入りできるように頑張ったのです」
3年前と聞き、夏至祭の時、私に近づいてきた神官を思い出した。彼には息子がいると言っていた。この男があの時の神官の息子なのだと気付き、背筋に悪寒が走る。
「離して!」
こちらで護身術も習っている。それを駆使して手から逃れようとするが、男の方が一枚上手で私は抱きすくめられる。そこで声を上げようとすると、鼻と口を布で覆われた。ツンとした刺激臭から布には薬品が染み込ませてあるのが分かる。嗅ぐまいと息を止めるが、口も鼻も塞がれてしまえばそう長くはもたない。抵抗むなしく、意識が朦朧としてくる。
「では、まいりましょうか」
どこをどう歩いたかわからないが、足元がおぼつかない私を抱え、男はどこかの部屋に私を連れ込んだ。そして寝台に押し倒してのしかかってくる。
「これで……私のものだ」
男は私にのしかかったまま、ほつれかけた私の髪を弄ぶ。気持ちが悪くて仕方がないが、薬の影響で指一本動かせない。これではせっかく習った護身術も全く役に立っていない。
「おいたわしい姫様。すっかりあの男の言いなりなんですね。大丈夫、私が解放して差し上げます」
男の中で妄想がどんどん膨らみ、既に私の理解の範疇を超えている。ただ、自分がとてつもない危機に直面しているのだけは理解できた。
「陛下もあの男の言いなりのようだが、既成事実さえ作ってしまえば考えを改められるに違いない」
告げられたのは私にとって最も残酷な方法だった。ティムと結ばれるのを夢見ていたのにどうしてこんな男に……。悔しくて涙が出てくるが、それは男の妄想を更に駆り立てる結果になってしまった。
「涙を流すほど喜んでいただけて嬉しいですよ。今までの苦労が報われた気がいたします」
普段の品行方正な態度をかなぐりすてた男は己の不幸を語りだす。昔は裕福だったのに粛清されて財産が奪われた。男は苦労したのだと連呼するが、ただ、贅沢な暮らしが出来なくなっただけの話だ。
あの内乱で命の危険にさらされながらの逃避行を経験した私に言わせるとそんなものは苦労のうちに入らない。そもそも彼らはマルモアで行われていた不正にかかわったお零れで潤っていたのだ。まじめに働くことを疎い、楽をしてお金を手に入れようとすること自体間違っている。色々言ってやりたいが、薬はなかなか抜けてくれない。
「さあ、おしゃべりはここまでです。愛の営みと参りましょう。大丈夫。全て私にお任せください」
自分に陶酔している男は芝居がかった台詞を口にすると、私のプラチナブロンドに口づける。このままでは本当にすべてを奪われてしまう。私は自分を鼓舞するとままならない体の渾身の力を込めて手を振り上げた。
パチン
軽い音がして男の頬をはたく。想定外だったらしく、男はしばらく呆然としていた。だが、男の機嫌を損ねたらしく、今度は私が頬をはたかれ、髪をわしづかみにされる。
「私に必要なのは従順な妻だ。逆らう気がおきないように少しお仕置きが必要だな」
「いや……助けて……ティム」
怒った男は私の髪を掴んで何度も寝台に叩きつけた。そして懐に忍ばせていた短刀を抜くと、私の顔のすぐ横に突き立てる。刃で枕が裂け、詰め物の羽が辺りに飛び散る。
「そのきれいな顔に傷でもつければあの男は見向きもしなくなるさ。だが、私はどんな姿でも愛しているよ」
私の頬に刃を滑らす。その冷たい感触に私は思わず目をつむった。
ガツッ!
バキッ!
ゴン!
その瞬間に派手な音がして、気が付くと優しくて逞しい腕に抱かれていた。恐る恐る目を開けると、愛しい人がそこにいた。
「姫様」
そこにいたのは紛れもなくティムだった。安堵から涙が溢れてくる。すると彼はギュッと抱きしめた。
「俺がふがいないばかりに怖い思いをさせてすみませんでした」
「ティム、ティム」
私はかすれる声で何度も彼の名前を呼んだ。彼に縋りつきたいけれどもまだ体は思うように動かせない。彼は優しく抱擁すると、宥めるように優しく背中を撫でてくれる。
「この野郎……」
寝台の向こう側に転げ落ちていたらしい男が立ち上がる。顔を正面から殴られたらしく、鼻はいびつに曲がって腫れ上がり、血を滴らせていた。怒りに我を忘れた男は手にした短刀で斬りかかってくる。私はティムの腕の中で身をすくめた。
ドスッ
恐る恐る目を開けると、ティムの左腕に短刀が刺さり、羽にまみれた寝具にポタリポタリと血が滴っている。その事実を目の当たりにした私は血の気が引いてそのまま意識を手放した。
コリンシア、ピーンチ!
いいタイミングでヒーロー登場。
次はティム視点で。
ちなみに大きな音の内訳は
ガツッ=ティムが扉をぶった切った音
バキッ=男の顔面にティムの怒りの鉄拳が直撃した音
ゴンッ=吹っ飛んだ男が壁にしたたか打ち付けられた音
黒い雷光の名に恥じない早業だった。