閑話3
とある少女の決意
夏至祭が終わって5日。主だった貴族は夏の間所領で過ごすために大半が皇都を離れていた。代々武官として国に仕え、小さいながらも所領を賜っている我が家も出立を翌日に控え、その準備にいそしんでいた。
「お嬢様、旦那様がお呼びでございます」
侍女と共に荷物をまとめていた私は家令に呼ばれて父が待つ応接間に向かった。そこで待っていたのは私の婚約者とその父親だった。
「どうなさいましたの?」
今回の夏至祭の飛竜レースで2位帰着と活躍した婚約者は随分と憔悴した様子だった。一方、彼の父親は不機嫌らしく近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「座りなさい」
私の入室に気付き、どことなく困惑した表情を浮かべていた父様が私に席を促す。そして私が席に着くと、先に彼等から話を聞いていた父様がその用向きを要約して説明してくれた。
「破談……ですか?」
夏至祭での失態で謹慎を申し付けられているとは聞いていたけれど、まさか1位帰着したティム卿に逆恨みして陥れようと画策していたなんて……。気位の高いところがあるのは知っていたが、まさかそこまでするとは思ってもみなかった。
一時的にせよ竜騎士資格をはく奪されるほどの処罰を受け、家名を傷つけた彼に立腹した小父様は既に勘当を言い渡していた。それで私との婚約をなかった事にしたいと言ってきたのだそうだ。父へ敬意を払って揃って出向いてきたが、婚約者の彼は座ることも許されずに部屋の隅に立たされていた。
「私はどうなりますの?」
本来であれば来年の私の成人と共に婚礼を上げる予定だった。少々傲慢なところがある彼だが、婚約者の私にはとても紳士に振る舞ってくれていたのでいい印象しかない。正直に言うと婚約者の彼の事を私は好きだった。来年の婚礼の日を心待ちにするくらいに。
「今回はこちらに非がある。ご令嬢のお相手はこちらで責任もって探させていただこう」
私たちの婚約は確かに家同士をつなぐ意味合いもあった。だが、彼の言い方はまるで使い勝手のいい道具か何かになったみたいで、そんな申し出をされても少しも嬉しくはない。ついこの間まで優秀な跡継ぎだと自慢していたのに、もう彼の事をなかったかのように振る舞う小父様にだんだんと腹が立ってきた。
「結構です」
きっぱりと断ると小父様は一瞬驚いた表情を浮かべ、そして不快そうに顔をしかめる。一方の父も驚いた様子だったが、私の性格をよく知る彼は逆に面白そうに事の成り行きを見守る。
「私も彼も血の通った人間です。物みたいに扱わないでください」
「な……」
私に意見されると思っていなかった小父様は顔を真っ赤にして怒りを露わにしている。それでも私はひるむことなく小父様の顔を見据えるが、大層気分を害された小父様は「不愉快だ」と言い残して足音も荒く部屋を出て行ってしまった。
父は家令に彼を玄関まで見送るように命じると、1人取り残されてしまった彼に向き直る。
「とにかく座りなさい」
父は帰るタイミングを完全に逃してしまい、居心地悪そうにしている彼に席を勧める。小父様にきつく叱責されたのだろうか、随分と怯えた様子の彼は恐る恐るといった様子で先ほどまで小父様が座っていた席に座る。いつも自信満々な姿しか見ていなかったので、なんだかとても新鮮だった。
「さて、どうしたものかねぇ……」
恐縮している彼は気付いていないが、父は全然困った様子に見えないどころかこの状況を楽しんでいる。一言二言慰めの言葉をかけると、彼の口から改めて事のあらましの説明を求めた。
確かに愚かしい罪を犯したとは思うが、下された罰から判断するとまだやり直しができるはず。だからこそ陛下を初めとした騎士団の上層部は再教育の場所にルーク卿の元を選んだに違いない。
「さて、娘や、お前はどうしたい?」
「私はお待ちしたいと思います」
即答する私に迷いはなかった。婚約が決まって共に過ごした2年はとても充実していた。罪を犯したとはいえこれだけで全て無かった事にはできそうにない。さすがに予定通りに婚礼は上げられないかもしれないが、それでも彼を支えたいと思う。
「いい……のか?」
私が頷くと、彼は泣きそうな顔をしていた。それでも父は無条件で彼を許すつもりはないらしい。
「我が家にも体面というものがあってな、今の君を娘の婿にするにはいささか外聞が悪い」
父の言葉に彼はがっかりしてうつむく。
「娘の意志を尊重する代わりに君にはルーク卿の元でしっかり修行に励み、竜騎士に復帰することを条件とさせてもらう」
「本当……ですか?」
父親には勘当され、この分だともう周囲に味方はいないのかもしれない。彼は縋るように父を見上げる。もしかしたら今まで見せていた完璧な姿はどこか無理をしていたのかもしれない。だけどこんな弱弱しい姿を見ても彼を嫌いになるどころか支えてあげたいと思ってしまう私はおかしいだろうか?
「だが、期限を設けさせてもらうぞ。良いな?」
姫様の留学にあやかり、3年以内に復帰を目指すことを条件に出すと、彼は躊躇なく同意した。もちろん、今までの態度を改め、ルーク卿の元でまじめに勉強するのが大前提になる。
「当面の間、私が後見となる。厳しいとは思うが、頑張りなさい」
「貴方様ならきっと復帰できます。それまでお待ちしております」
話が終わり、我が家の家令に付き添われて宿舎のある本宮へ帰っていく彼を父と私は玄関で見送った。まだ涙の後が消えない彼は私達に頭を下げる。だけど、先の見えなかった将来に光が差したからか、彼はどこか吹っ切れた様子だった。
発つ者。見送る者。
「行っちゃやだぁ~」
着場に子供の泣き声が響き渡る。夏至祭が終わって10日余り、休暇を終えて皇都を発つティムを見送りに来たエルヴィン殿下が彼の服を掴んで離さない。この10日間、オリガに子守の手伝いを命じられ、彼はやんちゃな皇子達の相手をしたところすっかり懐かれてしまっていた。そして今、彼が遠くに行ってしまうことを知り、幼い殿下は泣いて駄々をこねていた。
「わがまま言ってはいけませんよ」
皇妃様が諫めるが、一向に泣き止む気配がない。殿下が握りしめたティムの騎士服に顔を擦り付けているおかげで服には涙ともよだれとも判別できないシミが出来てしまっていた。
「戻りましたら、また一緒に遊びましょう」
「やだぁ~」
ティムも説得を試みているが、芳しい成果を上げられない。子供のすることなので大目に見てもいいのだが、神殿騎士団に編入するとあって大々的に見送ることになり、集まっているのは陛下のご一家を始め国の中枢を担う重鎮が顔をそろえている。いたずらに時間を浪費するのも良くない。
「エルヴィン」
結局、やんちゃな6歳児の全力の抵抗に皇妃様では敵わないと判断した陛下が強引に引きはがし、泣きすぎてえずいている殿下を抱え上げた。
「すまんな、ティム」
「いえ。慕っていただけるのは嬉しいです」
ティムは苦笑しながらまだぐずっている殿下の頭を撫でる。
「タランテラの竜騎士の誇りを常に忘れずに行動してくれ」
「はい、陛下」
陛下から直に言葉を頂き、ティムは背筋を伸ばして応える。そして次々と他の重鎮たちからも声をかけられ、律儀な彼はそれぞれに礼を返す。
「ま、体に気を付けて頑張ってこい」
「ありがとう、ルーク兄さん」
最後に俺が声をかけると昔から変わらない人懐っこい笑顔が返ってくる。かわいい義弟に色々と言っておきたい気もするが、殿下の御機嫌を取るのに時間がかかり、出立の時間が遅れている。フォルビアまで同道するヒース卿に促され、ティムも出立を待つ相棒の元へ近づく。
「遠慮してちゃだめよ」
フロックス夫人にそう言って背中を押された姫様がバランスを崩して前につんのめる。ティムが慌ててその体を受け止めた。どうやら時間がないのを気にして姫様はティムに声をかけるのをためらっていたようだ。
「大丈夫ですか?」
「はい。……あの、気を付けて」
「はい」
2人の会話は実に初々しい。生暖かく見守られる中、姫様は急いで作ったという冬用の防寒具とお守りを彼に手渡す。ティムはそれを嬉しそうに受け取ると、姫様の額に口づけた。
「では、行ってまいります」
改めて一堂に頭を下げるとティムはテンペストの背中にまたがる。殿下がつけたシミの部分が当たり、心なしか飛竜は顔をしかめるのでそれを宥めるようにティムは飛竜の首を軽くたたいていた。
身重のジーン卿が気がかりで、リーガス卿は夏至祭が終わるとすぐにロベリアに帰還している。アレス卿も既に聖域に帰っているので、今日帰還するのはヒース卿とティム、そして彼等に同行する第3騎士団員が3名だった。今から出れば今日中にはフォルビアに着くだろう。
ティムはそれからロベリアに向かって自身の宿舎を整理して荷物をまとめ、数日のうちに聖域に向かう手はずとなっている。元々私物の大半は我が家で預かっているから大して時間はかからないだろうが、3年も留守にするなら向こうで世話になっている人たちへのあいさつ回りは不可欠だろう。
まずはヒース卿のオニキスが飛び立ち、3人の騎士団員がそれに続く。そして最後にテンペストが着場を飛び立っていった。飛行速度に定評がある飛竜ばかりで構成されているので、その姿は瞬く間に小さくなり、やがて見えなくなった。名残惜しいのか、姫様はその姿が見えなくなっても南の空をしばらく眺め続けていた。
ティムが出立した翌日、今度は俺が演習に参加するために着場に立っていた。帯同するのは今回の夏至祭で不祥事を起こし、見習いへ降格となった若い竜騎士だ。既にラウルとシュテファンには他の見習いを引率して西に向かってもらっている。俺はティムの出立を見送るのと若い竜騎士の謹慎がとけるのを待つために出立を遅らせたのだ。
「気を付けてね」
「ああ」
前日と違い、見送りに来てくれたのは妻と息子だけ。まあ、単なる演習だし、留守にするのは1か月ほどなので当然なのだが。所在なく立つ見習いを待たせ、俺は家族との時間を過ごした。
「では、行こうか」
「……はい」
夏至祭の翌日、ティムに逆恨みして突っかかった後、彼はデューク卿を初めとした第1騎士団の上役全員から厳しい叱責を受けていた。父親からも勘当され、それが追い打ちとなってすっかり様変わりしていた。彼にとって救いだったのは、婚約者が見捨てなかったことだろう。事前に父親の方に根回しをしていたのが功を奏したのだが、彼等からも見放されていれば逆に手が付けられないくらいに荒れていただろう。
「待ってください!」
騎乗しようとしたところで、着場に若い女性の声が響く。振り向くと1人の少女がドレスの裾が乱れるのも構わずに駆け込んでくる。傍らの見習い君の驚いた表情から彼女が彼の婚約者なのだろう。
伺いを立てるように俺の顔を見てくるので頷いて許可すると、彼女のもとに駆け寄る。多少遅れるがこのくらいは大目に見てやろう。その代り道中を少し急げばいい。飛竜レース2着の実力ならついてこれるだろう。
上司を待たせている自覚があるらしく、彼女とは一言二言会話を交わしただけで戻ってくる。会話の内容から彼女は領地に戻る日にちをずらしてまで見送りに来たらしい。感激している彼に彼女は何か小さな包みを手渡していた。
「もういいのか?」
「はい」
泣きそうな彼は顔を隠すように目深に騎竜帽をかぶる。俺も手早く準備を整えると妻と視線を合わせてからエアリアルを飛び立たせ、間をおかずに彼も続く。だが、婚約者が気になるのか、遠ざかっていく着場を何度も彼は振り返っていた。
「一番大変な時に味方してくれる人を大事にしろよ」
「はい……」
内乱の折の経験から、それがどんな宝石よりも価値のある宝だと身に染みた。全てが伝わったとは思わないが、それでも今回の事から彼も学んでいてほしい。彼が頷くのを確認すると、遅れを取り戻すために俺はエアリアルに速度を上げさせた。
この後ルークが本気を出したため、見習いに降格したお坊ちゃんはついていくのがやっとで感傷に浸る暇もなかった。新たな上司になった彼の技量に感服し、素直に彼の指示を受けるようになった。
ちなみに3年後には無事に見習いを脱し、婚約者ちゃんと結婚。だけど、しっかり者の彼女に尻に敷かれます。
次は一気に間を飛ばして3年後のお話。