第9話 ティムの本音5
前回のティム視点。
大急ぎで宿舎に戻り、正装に着替えた俺はアレス卿と共に陛下の執務室へ向かう。普段は足を踏み入れることなどないこの国の中枢ともいえる場所に行くと聞き、回れ右して逃げ出したい衝動に駆られたが、俺を呼んでいるのは主君であるエドワルド陛下。さすがに逃げ出すわけにもいかず、震える足でアレス卿の後に続いた。
「失礼いたします」
執務室には既に先客がいた。ルーク兄さんに直属の上司になるヒース卿とリーガス卿、第1騎士団の団長兼総団長でもあるアスター卿。部屋の主と共にソファに座っていた彼らは一様に眉間にしわを寄せていた。
そういえば聖域行きをルーク兄さんには言ったけどまだ上司には報告してなかった。そんな暇もなかったのだから仕方ないのだが、相談せずに決めてしまったから不快に思われたのかもしれない。
「来たか、まあ、座れ」
俺とアレス卿の姿を見て陛下は気さくに開いている席を勧めてくれるが、この面子に混ざる勇気はない。聖域行きの事もあって気が引けた俺は座るのを躊躇するが、「いいから座れ」と団長に無理やり座らされた。
「何をそんなにおびえている?」
「いえ、その……。聖域行きの事、まだ報告していなかったので……」
陛下の問いにしどろもどろで答えると、隣に座る団長からゴツンと拳骨をくらう。手加減をしてくれているのだろうが、その巌のような拳ではあまり意味がなく、殴られた箇所がジンジンと痛む。
「それはそんな暇がなかったからだろう。だが、欲を言えば、決断する前に一言欲しかったが」
「すみません」
「心配するな。誰もそれを叱責するためにわざわざ呼び出したわけじゃない」
恐縮する俺の肩をルーク兄さんがたたく。そして正面に座っている陛下が重々しく尋ねる。
「昨日の事は聞いているか?」
「先ほどデューク卿からは謝罪されましたが、詳しい話はまだ聞いていません」
「そうか……」
先ほどの騒動も既に陛下の耳に届いているのだろうか? 彼は深くため息をつくと、目線だけでアスター卿を促す。そして総団長の彼が昨日の騒動のあらましを教えてくれた。
聞くにつれて怒りがこみあげてくる。俺を目の敵にするのは構わないが、他人まで巻き込んで何やってんだ、あの坊ちゃんは! 上司だけでなく、陛下もいるのに思わず舌打ちしていた。
「彼は竜騎士資格を一時はく奪し、再教育となった。巻き込まれたわけだが、医務室にいた第2騎士団の竜騎士は謹慎と減俸。デューク卿も監督不行き届きで減俸となった。令嬢は家族が迎えに来た後どうなったかはまだ聞いていないが、当面は公の場に出るのは控えることになりそうだ」
「あの神官はどうなりますか?」
俺の一番の気がかりは姫様にちょっかいを出してきた例の神官だった。奴もかかわっていたのならば、二度と姫様に近づくことが出来ないくらい再起不能にして欲しいものだ。
「問いただしてみたが、彼に頼まれて親切心で令嬢を案内しただけだと言っている。さすがにそれだけでは神殿関係者を処罰できない」
「どうにもできないのですか?」
「確かに、かかわったことには変わりない。大神殿の神官長殿を通じて本宮への出入りを禁止した。今できるのはここまでだ」
「……」
アスター卿の追加情報では、あの男は内乱当時、旧ワールウェイド家の縁者だったマルモアの神官長の元部下らしい。箔をつけるために礎の里へ行っていたが、その間に内乱が終結し、神官長も失脚してしまって帰る当てが無くなってしまったらしい。そしてこのたび大神殿の神官長が新しく赴任してくるにあたり、自ら売り込んで帰国してきたようだ。
過去にマルモアで当時の神官長が好き勝手したお零れをもらって優雅な生活を送っていたのが忘れられないらしいが、自分で悪事に手を染める勇気はない。そこで手っ取り早く財産を手に入れる方法として政略結婚を思いつき、目を付けたのが成人後はフォルビア大公となるのが決まっている姫様だった。全く、迷惑な話だ。
「君たちの婚約の公表を早めるのも考えた。しかし、それでもなりふり構わない奴への牽制にはならないだろう。コリンには十分な護衛をつけるが、お前も上げ足を取られないように十分気を付けろ」
陛下の忠告に俺は神妙に頷いた。6年前、陛下の即位式で皇都に招かれた折、私的なお茶会の席で姫様は俺を望み、俺は姫様を望んだ。俺達の無謀ともいえる望みを陛下も皇妃様も笑わずに聞いてくださったが、当時の俺達は2人ともまだ子供。そこで姫様が成人されるのを待ち、その時に2人の気持ちが変わらなければ婚約を公表することになっていた。
その時、陛下が俺に出した条件は上級騎士になる事。今回の夏至祭でその結果を出したのだが、個人的にはまだ納得できない部分がある。姫様が成人されるまであと3年。時間が足りないかもしれないが、アレス卿のもとで修行して隣に立つ俺の事で姫様を煩わせることがないようにしておきたい。
「昨夜、あの後に義兄上とも話したんだけど、単に聖域へ修行に来るのではなくて、君を正式に神殿騎士団へ推挙することになった」
「え……」
「俺の要望でコリンの護衛という大役から外してしまったんだ。君の名誉を損なわないためにもそれに比肩する地位が必要だろう?」
神殿騎士団は各国の国主の推挙を経て礎の里の賢者の承認を得られないと入ることが出来ない大陸で最高峰の騎士団だ。アレス卿は悪戯っぽく笑っているが、俺を聖域に誘うために最初から準備を整えていたと思うのは考えすぎだろうか?
「なんだか過分な待遇なのですが?」
「当然だと思うけどね。でも、里に比べて聖域は人使いが荒い。新人は特にこき使われるから覚悟しておいた方がいい」
まあ、それはどこも同じだろう。既に第3騎士団で体験済みなのでそれは心配ない。ただ、気にかかるのは姫様の事だ。護衛から外れたことを知れば悲しまれるだろう。
「コリンには私から伝えておこう」
俺の懸念を察してくれたのか、陛下が大役を引き受けてくれた。それでも後で会う機会を作って俺からも話をしておこう。
「こいつが抜けた穴は補ってもらえますかね?」
団長が俺を小突く。急に決まった話なので人員の確保も大変だ。なんだか申し訳なくなってくる。
「そんな顔するな。こちらは気にせず自分を鍛えるのに専念しろ」
「お前の帰ってくる場所は残しておく。だから、お前の気が済むようにして来い」
「……すみません」
団長とヒース卿、2人の言葉に俺が神妙に頭を下げると、団長がガシガシと俺の頭を撫でまわす……というか、力が強すぎて首が……。
「その辺は調整させてもらう。この後、私の部屋へ来てくれ。ルーク、お前もだ」
「分かりました」
騎士団での話になるのでアスター卿が判断を下すことになるのだろう。若手の育成に手を貸しているルーク兄さんも指名されて頭を下げる。
「正式な辞令は近日中に出す。それまでは休暇とするから休養と準備にあてるといい」
陛下がそう話を締めくくる。アスター卿は早速人員の調整を行うと言い、団長とヒース卿、そしてルーク兄さんを伴って部屋を出て行った。
俺も出て行こうとしたのだが、陛下に呼び止められてアレス卿と共に部屋に残ることになった。
お茶が淹れなおされ、少しくつろいだ様子の陛下が何事か口を開きかけたとき、前触れもなくいきなり執務室の扉がバタンと開いた。誰か忘れ物を取りに来たのだろうか? それにしても乱暴だと思って振り返ると、そこに立っていたのは全身に怒りを漲らせた姫様が立っていた。
「父様!」
「コリン?」
姫様の姿に驚いた様子で陛下が立ち上がる。
「父様、ティムを護衛から外したのは本当なの?」
「……もう耳に入ったのか?」
陛下の答えに頭に血が上ったらしい姫様は彼に詰め寄る。
「どうして? ティムは飛竜レースも武術試合も頑張って、優勝したんだよ? 成績を評価して決めるって言ったのに、父様の嘘つき!」
怒った姫様は陛下の胸をポカポカたたく。現役の竜騎士として鍛えておられるが、力いっぱい叩かれて地味に痛そうだ。
「落ち着きなさい、コリン」
「だって、だって……」
姫様はわあわあ泣きながら陛下の胸を叩き続ける。俺の為に怒って下さっているのは嬉しいが、このままでは姫様が手を痛めてしまう。俺は彼女の背後に立つとその手を掴んで止めさせた。
「姫様、落ち着いてください」
「……ティム……」
俺がいることにようやく気付かれたらしい姫様は涙を流すと俺にしがみついた。そしてそのまま俺に縋って泣き出してしまった。
俺は今、必死に煩悩と戦っていた。あの後泣き疲れた姫様は俺に縋ったまま寝てしまった。陛下がソファに横にさせようとしたのだが、俺の正装の上着をしっかり握りしめていて離れない。結局、彼女を楽な体制にしてあげようとするには俺が添い寝をしなければならない状態になってしまった。
「じゃあ、頼むぞ」
陛下はあっさりと後を俺に任せた。執務用の机に残っていた特に急を要する書類を手早くまとめると、アレス卿と共に自分の執務室を出て行ってしまう。すると部屋の外からは周囲が目に入らない状態の姫様とすれ違い、後を追ってきたらしいルーク兄さんの声が聞こえる。
「ティム、入るぞ」
ほどなくして盆を手にしたルーク兄さんが部屋に入ってきた。盆の上には姫様が起きたときの為に程よく冷やした果実水と濡れた布が用意されている。侍官に任せなかったのは姫様への配慮だろう。
「……念のために忠告しておくが、姫様はまだ成人前だからな」
「分かってる」
生真面目な兄さんは釘を刺すのを忘れない。俺だってそれは十分承知している。だからこそちょっと困っている。
「ま、精神修行だと思って頑張れ」
ルーク兄さんは他人事のようにそう言い残すと部屋を出て行ってしまった。当然のごとく人払いがしてあるらしく、部屋の中はシンと静まり返っている。
好きな子と部屋に2人きり。しかも相手は自分の腕の中で無防備に寝ているのだ。邪な衝動に駆られそうになるのを耐えるために、何度も竜騎士の心得を復唱した。もちろん、それだけでは完全に気を紛らわせることなどできない。歴代国主の名前に難しい算術の計算式、大母ダナシアの教えを総浚えしたところで俺の頭の方が限界を迎えた。前日の疲れもあってか、そのまま一緒になって眠ってしまっていた。
腕の中で姫様が身じろぎして俺も目が覚めた。思ったよりも寝入ってしまっていたらしく、窓から差し込む光が幾分傾いていた。しわだらけになった上着はようやく解放されたらしく、俺は体を起こした。
「気付かれましたか?」
恥ずかしくて顔を合わせられないのか、姫様は俺の背中にしがみついてきた。なぜか俺の背中にくっついていると気分が落ち着くらしいので、俺は無言で背中を提供する。
「俺の為に怒って下さったんですね? すごく嬉しかったです」
どうにか手を伸ばして彼女の手に添えると、しがみつく手に力が入った。
「先に説明するつもりでしたが、ご心配をおかけしてすみませんでした。護衛から外れたのは俺の意志です」
「どうして?」
「アレス卿に聖域に来ないかと誘われました。姫様が礎の里で勉学に励まれておられる間、俺はかの地でもう一度鍛えなおすつもりです」
「ティムは強いよ?」
嬉しいことを言ってくれるが、この程度で喜んでいてはだめだ。
「夏至祭が始まる前までは、どちらかで結果を出せばそれでいいと俺も思っていました。けれども、昨日の武術試合で今の俺にはまだ何かが足りないと気付かされました。そしてその何かはこの国で守られている限り知る事が出来ないような気がします。もちろん、3年でその足りない何かが分かるとは限りません。それでも俺はこことは違う環境でもう一度自分を鍛えなおそうと決めました」
「でも、行くのは秋まで待てないの?」
俺が首を振ると姫様は寂しそうにうつむいた。
「俺もそうしたいのは山々です。ですが、俺とテンペストに求められるのは機動性です。妖魔が出没した地域にいち早く駆けつける為には地図だけでなく地形や気流まで頭に叩き込む必要があります。秋に行ったのではおそらく間に合いません」
「ティム……」
「本当は礎の里までご一緒したかった。ですが、今はそれを我慢して姫様の隣に立つのに相応しい男になるために己を鍛えたい。御託を並べてしまいましたが、要は俺の我儘です。この我儘で姫様を泣かせてしまいました。申し訳ありません。俺の事……嫌いになりましたか?」
姫様は俺の背中から顔を離すと、慌てて首を振る。ほっとした俺は姫様を抱きしめた。
「必ず貴女の元へ帰ってきます。お待ち頂けますか?」
「……はい」
はにかんで答える姫様が最高にかわいい。押し倒したくなる衝動を必死に堪え、俺は彼女の額に口づけて抱きしめた。彼女の目からはまた涙が溢れている。でも、先ほどとは違い嬉しい涙なのだろうというのはわかる。俺は彼女の涙をぬぐい、もう一度額に口づけた。
時が止まってほしい。そう願いながら日が完全に傾くまで2人だけの時間を過ごした。
一向にブラッシングしてもらえないパラクインスが暴れだし、それでやむなく2人の時間は終了。
ちなみにコリンの侍女に情報が漏れたのは前回のおまけで書いたマダムのお茶会での会話を彼女が聞きつけたため。