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王子の提案

 午前6時。ここ数日は重い体を無理やり起こしていたが、今日は割とすっきり目覚めることができた。顔を洗うため、1階の洗面所へ向かう。

 昨日は午後6時には家に帰り着いていた。夕食の前に少しだけ勉強して、夜は早めにベッドに入った。寝不足の状態で藤野の攻撃を受けたせいか、夕方はものすごい眠気に襲われた。おかげで喫茶小路きっさこみちを出てからどのように帰ってきたのか、よく覚えていない。確か小坂とはあまり会話せずに歩いていたはず。彼はきっと、こんな自分に呆れて話しかけなかったのだろう。何にせよ、試験当日にあの状態に陥っては本末転倒だ。もっとちゃんと自己管理しなくては。



 家を出ると、少し冷気を帯びた風が吹いていた。先週から10月に突入していたためだろう。そんな事を考える余裕がなかったせいで、すっかり忘れていた。街路樹の葉は半分程色づいていた。少しずつ秋らしくなってきたようだ。



 教室へ入って自分の席にかばんを置くと、早速藤野が抱きついてきた。

 「お姉様おはよー」

 「…おはよう」

 碧乃はもう諦めているので、抵抗せずにそのまま挨拶を返す。

 斜め後ろ辺りの席で頬杖をついた小坂が、かすかに眉根を寄せてその様子を見ていた。


 §


 「おはよう、小坂くーん」

 「おはよー」

 3人組の女子生徒が、光毅の視界を遮って話しかけてきた。

 「え…ああ、おはよう」

 光毅は戸惑いを隠し、笑顔を取り繕いながら挨拶を返した。斉川を見ていた事には気付かれていないはず。

 「どうしたの?なんかいつもと違うよー?」

 若干反応が遅れた事に、1人が気付いた。

 「もしかして勉強疲れ?」

 「えー大丈夫ー?」

 それに対して、あとの2人も口々に話し出した。

 良かった、そこまでは気付いてない。話のきっかけに訊いただけのようだ。

 「あー、うん。まぁな」

 彼女達と話すのはいつもの事なのだが、今日は何だか面倒に感じる。

 「バスケできなくなったら大変だもんねー」

 「小坂君かわいそー」

 「テストとか本当やめてほしいよね」

 「私全然勉強してなーい」

 「私もー」

 アハハハ、と目の前で3人が笑い合った。以前なら自分もそこに加わっていたが、真剣に勉強する姿を見ていたら考えが変わった。あの人はただ頭が良かっただけではなく、陰でものすごい努力をしているから良い成績を収めていたのだ。どうせできないからと逃げる事が、いかに子供じみたものだったかよく分かった。今はもう笑わない。

 「あれー?小坂君、やっぱり今日なんか変ー」

 「勉強し過ぎなんじゃない?」

 「ちゃんと息抜きしてるー?」

 改めて思ったが、この人達は本当によくしゃべる。喫茶小路を見つけるに至った主な理由は、彼女らのような生徒から逃げるためだった。休みの日に偶然会った時も、ずっとこの調子で離してくれなくなる。さすがに毎日は疲れるので、誰にも見つからない場所を求めたのだ。

 「ちゃんとしてるって」

 『息抜き』という単語に、ちょっと嫌な予感がした。きっと次にくるのは、自分を誘うための言葉だ。

 「えーホントにー?」

 「でもまだストレス溜まってる感じだよー?」

 「じゃあみんなでカラオケでも行く?」

 「いいねー。小坂君も思いっきりパーッと息抜きしようよ」

 ……ほらきた。

 相変わらず見事な連携プレーだ。

 「あー、ごめん。家庭教師来るから無理だな」

 この前確立した理由で、はっきりと断る。

 「えーまたー?」

 「たまにはお休みしたらー?」

 「一緒に息抜きしようよー」

 …息抜きするほど勉強してないだろ。

 「ごめん。テスト終わったらな」

 頼むから、それまでは邪魔しないでくれ。

 「うー、わかった。じゃあ終わったら絶対ね!」

 「ああ、分かったよ」

 光毅が承諾すると同時に、クラスの担任が教室に入ってきた。

 ホームルームが始まるので、3人組はしぶしぶ席に戻っていった。

 やれやれ、やっと終わった。自分の事を慕ってくれるのなら、少しくらいこちらの都合も考えてほしいものだ。

 彼女達とワイワイ遊ぶより、あの空間で2人で勉強している方が遥かに楽しいと思った。



 2人の時間が早く来てほしいと待ち遠しくなったが、そうすんなりとは来てくれなかった。藤野の斉川への接触がひど過ぎて、ものすごく気になるのだ。事あるごとに抱きついては、ずっとベタベタしている。たまに変な触り方をして彼女の反応を楽しんでいる時もある。前回の被害者には、あそこまでしていただろうか。

 女同士にも程があるだろ。

 2人が一緒にいる所を見ると、気が気じゃない。学校では斉川に直接話しかけられないので、羨ましさもそこに加わってくる。おかげで全然勉強が手につかなかった。

 光毅の中で、さまざまな感情がごちゃまぜになっていた。


 §


 「ねえねえ那奈ちゃん、さっきから小坂くんがこっちを見ている気がするんだけど…」

 「えー、うそ?」

 三吉の言葉に藤野が後ろを振り返った。隣にいる碧乃もチラッとそちらを見た。

 今は昼休みで、碧乃は藤野に捕まり3人でお昼を食べていた。

 視線に気付かれた小坂はふいっと顔を友達のいる方に向け、話の輪に戻っていった。

 「本当だ。今ちょっと目が合っちゃった!…でも、なんで?」

 藤野はキョトンとした顔で三吉の方に向き直った。

 「小坂くんがやめろって言ったのに、斉川さんにずっとくっついてるからじゃない?」

 三吉が正しい推測を述べた。天然な割には結構鋭い。

 「だってー。斉川さん可愛いんだもん」

 「……」

 碧乃はお弁当を食べながら、藤野の言葉を聞き流していた。反応を面白がってるだけじゃないか、と思ったが、いちいち指摘するのも面倒なのでそのまま放っておく。

 「そろそろやめないと、小坂くんに嫌われちゃうかもよ?」

 「ええー?でもいくら小坂君でも、私とお姉様の仲は引き裂けないのだ!」

 藤野は碧乃の腕に絡みつき、そう宣言した。

 「んもー…」

 小坂を利用した三吉の脅しは、全く効果がなかった。

 一体いつになったら飽きてくれるんだ…?



 試験対策ばかりだった授業が終わり、喫茶小路までの道を小坂と並んで歩いていた。藤野はこちらの邪魔になる事まではしないので、用事があると言ったらすんなり解放してくれた。

 今日は珍しく、横にいる彼は無言を決め込んでいた。

 一向に話す気配がないので、仕方なく碧乃の方から話しかけた。

 「あの…、昨日はごめんなさい」

 「え?…あ、な、何が?」

 小坂が不意打ちを食らったように返答してきた。何か考え事でもしていたのだろうか。

 「寝不足でひどい状態だったから」

 「あ、ああ、その事か。…今日は大丈夫なのか?」

 小坂の問いに、碧乃は素直にうなずく。

 「ちゃんと早めに寝たから大丈夫」

 「なら良いけど」

 彼はふっと微笑むと、またすぐ無表情に戻ってしまった。

 何かあったのだろうか。



 いつもの席に落ち着くと、碧乃は小坂の言葉に素直に甘えて自分の勉強に集中し始めた。しかし5分程経って向かい側に目をやると、彼の手が止まっているのが見えた。

 「…どうしたの?」

 分からない問題でも出てきたのかと思い、碧乃は声をかけた。

 「え?あ…何でもない」

 ボーっとこちらを見ていた小坂は、首を横に振り手元のノートに目線を落とした。

 「?…別に質問してくれても大丈夫だよ?」

 「あ、ああ。今は、大丈夫…」

 「……なら、良いけど」

 若干腑に落ちないまま、碧乃は勉強を再開した。

 少しすると、また小坂の手が止まっていた。目線はノートの辺りに向いているが、焦点が合っていない。問題が分からないというより、勉強自体に身が入っていない感じだ。

 「…何考えてるの?」

 「えっ?」

 気になって尋ねると、彼は我に返ってこちらを見た。

 「さっきから全然進んでないけど」

 「ああ…ごめん」

 「……どうかしたの?」

 明らかに様子がおかしい。機嫌が悪いような、心配事があるような、判断のつきにくい表情をしている。

 すると小坂は頬杖をついて、碧乃を見据えてこう言った。

 「んー、ちょっと………藤野に嫉妬中」

 「……………はい?」

 さっぱり意味が分からず、変なトーンの声が出てしまった。

 ??…どういうこと?

 「斉川は俺の先生なのに、『お姉様』とか言ってずっとベタベタされてたら…なんだか取られた気分」

 「え……ええ?!」

 嫉妬って、そこ?!

 碧乃は動揺を露わにした。店の中なので、声の音量だけは何とか抑えた。

 「おかげで全然勉強に集中できなくなった」

 拗ねたように言い放ち、小坂は持っていたペンをクルクル回し始めた。

 「そ、そんなこと言われても…」

 なんだ、このおもちゃを取られた子供みたいなのは…?

 「…でもそうなった原因は俺なんだよなぁ」

 今度は落ち込んで、テーブルに突っ伏してしまった。

 「テストで良い点取るとか、もう無理かも…」

 「……」

 碧乃は頭を抱えた。もう、どこから突っ込んで良いのやら。

 だからって、私にどうしろと…?

 目の前の子供は完全にやる気を失くしていた。何でまた、そんなおかしな考えに至ってしまったのか。彼の頭の中は本当に理解不能だ。中間試験はもう4日後に迫っているというのに、これでは今までの苦労が水の泡だ。それだけは何としても阻止しなくては。

 でも、あの変態がすんなり止めてくれるはずはないし…。一体どうしたら……。

 何も思いつかず、碧乃は黙り込んでしまった。

 その様子を伺っていた小坂が、1つ提案をしてきた。

 「学校でもこうやって会話できたら、そんな気分にならないかも…」

 「え?」

 考え込んでうつむいていた顔を上げると、下から見上げる小坂と目が合った。

 「!」

 う、上目遣い……。

 無駄に顔が良いと、目力が強くて困る。

 「だめ?」

 「う、うーん……」

 その視線に耐えられず、碧乃は目をそらして考えた。

 学校では話さないと約束させた理由は、全く関わりのない2人が一緒にいたらおかしいと思ったからだった。しかし今は三吉と藤野を通じて、一応関わりができた。もうその約束を守る必要がなくなったと言えなくもない。

 ……だったら、もういいか。そんな事でやる気を出してくれるのなら。

 「…じゃあ、いいよ」

 「え、いいの?」

 小坂は嬉しそうに起き上がった。

 上目遣いがなくなったので、碧乃は彼の方に向き直る。言わされた感が満載で何だか癪なので、条件を付け加えた。

 「ただし、テストで良い点取ったらね」

 「分かった、頑張る」

 よほど嬉しかったのか、条件に対して嫌な顔は微塵もしなかった。そして上機嫌で勉強の続きを始めた。

 「……」

 試験後も小坂と関わる事になってしまったが、致し方ない。まあ、同じクラスにいるのだから遅かれ早かれ会話していただろうし、この程度なら問題ないはずだ。

 しかし、これはとんだわがまま王子に捕まってしまったみたいだ。あんなくだらない事にまで独占欲を抱くなんて。皆、本当にこんなのと付き合っていて平気なんだろうか。

 「あ、そうだ」

 「!」

 小坂の声に、ビクッと反応した。

 ま、まだ何か…?

 「さっきここ分かんなかったんだ。これだけ教えて。あとは自分で頑張るから」

 そう言って問題の箇所を指差した。

 なんだ……。

 碧乃は一拍置いてため息をつくと、彼のノートを覗き込んだ。



 次の日、小坂と取り決めをした。土曜日から試験が終わるまでは彼に1人で頑張ってもらう事になった。彼の今後のためにもなるし、碧乃も自分の事に専念したかったからだ。どうしても分からなかったら訊いても良いと言ってあるので、多分大丈夫だろう。小坂も意外にすんなり承諾してくれた。

 今回の中間試験は全部で10教科あり、月・火・水の3日間で行われる。前回ほとんど赤点だった所からどこまで実力がついたかは分からないが、彼の努力を信じる事にしよう。



 そして2人は試験当日を迎えた。

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