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ついに完成

 水曜日。いつもと同じ電車に乗った碧乃は、昨日同様に途中の駅で田中と一緒になり、学校の最寄り駅に降りた。碧乃が1人になる時間を作らないよう、谷崎との事が解決するまで一緒に登校する事にしていた。ちなみに帰りも、碧乃が無事に電車に乗るまで一緒にいてもらっていた。

 今日は谷崎との鉢合わせはなかった。さすがに2日連続で来るほど愚かではなかったらしい。

 2人は改札を通り、学校までの道を歩いていた。

 「今日は妹さんは大丈夫でした?」

 田中の問いに、碧乃は苦笑いを向けた。

 「なんとか大丈夫でした」

 作業中に電車に乗る時間の話になり、早められるかと提案されたのだが、朝は忙しいから無理だと答えていた。その際、斉川家の朝の様子を愚痴を交えつつ少し説明しておいたのだった。

 「でも弟が行きたくないって言い出して、そっちの説得が大変でした」

 「そうなんですか。それはお疲れ様でした」

 「おかげで電車に乗り遅れる所でしたよ」

 碧乃は疲れたようにため息をついた。

 「どうやって説得したんですか?」

 「新しいゲームで釣りました」

 こういう時はいつもこの方法を使っていた。彼が好きそうなゲームの発売日をあらかじめ把握していたので、こちらが出す条件をクリアできたら買ってあげると提案したのだった。

 今回は、冬休みまで不満1つ漏らさず学校に行けたらという条件を出しておいた。

 田中は可笑しそうにクスッと笑った。

 「なんだか親子みたいなやり取りですね」

 「弟にとっては、私は母親みたいなものでしょうね。本当の母親より一緒にいる時間長いですし、しつけもほぼ任されているような感じだし」

 「…あなたの性格がどのように形成されたのか、少しだけ分かった気がします」

 苦く笑う彼に、屈託なく笑ってみせた。

 「親は子供の前で弱みを見せませんからね」

 だから自分は表情を隠す事を覚えてしまった。それに、ただでさえ忙しい母親に妹や弟が甘えているのを見たら、自分まで甘える訳にはいかないと思うようにもなった。

 家族に甘えられない人間が、他人に頼るなんてできるはずがなかった。

 「物心ついた時からこうでしたから、今更どうにもできないです。すみません」

 笑顔のままそう言うと、優しい笑顔が返ってきた。

 「…甘えさせてくれる人が早く現れると良いですね」

 「え……甘えさせてくれる人ですか?」

 その言葉に、碧乃は眉根を寄せた。

 「どうしました?」

 「現れなくていいです、そんな人」

 「なぜですか?」

 彼の目の奥に、楽しんでいる感情が読み取れた。

 「……」

 この人分かって訊いてるよ…。

 「先輩は想像できるんですか?」

 自分が誰かに甘える姿を。

 私はできない。というより、気持ち悪くてしたくない。

 若干むすっとして訊き返した。

 「そうですねぇ…。想像はできますが、あまり良いものではありませんね」

 やっぱり…。

 「じゃあなんで…」

 ふっと笑いかけるその表情から、彼の想いを読み取った。

 「……」

 求めてなんかいませんよ…。現れる訳ないんだから。


 §


 あれ……?

 学校に到着した圭佑は、校門を通った辺りで見慣れた後ろ姿を見つけた。

 斉川…だよな…?隣にいるの誰だ?

 彼女は1人の男子生徒と共に歩いていた。

 2人は玄関に到着すると、笑顔で別れてそれぞれの靴箱に向かっていった。

 圭佑は、1人になった斉川にすかさず話しかけた。

 「斉川おはよー」

 「…おはよう」

 「今の人誰?」

 「え?」

 「今一緒に歩いてた人」

 「…ああ、美術部の先輩だよ」

 「あー、そうなんだ」

 一旦斉川から離れて靴を履き替えると、同じく履き替えて教室へ向かおうとしている彼女の横についた。

 「なんで一緒に歩いてたんだ?」

 「電車で一緒になったから」

 「それだけ?」

 「…それだけ、ってどういう意味?」

 斉川に不審がる表情を向けられた。

 怖くて直視できず、目をそらして答えた。

 「え、いや、な、なんか仲良さそうだなぁーと思って…」

 2人の雰囲気からは先輩後輩の関係以上のものを感じた気がして、訊かずにはいられなかった。

 思い過ごしなら良いんだけど…。

 「んー…まぁ、仲は良いかもね」

 「え!マジで?!」

 平然とした答えに、思わず声を荒げた。

 否定しないのかよ!!

 「?」

 「あ、いや…」

 圭佑は渋い顔で頭を掻いた。

 これはちょっとまずいかも知れない…。

 「せ、先輩ってどんな人なんだ?」

 「?うーん……私と感覚が似てる人」

 「似てる?」

 「考え方が大体同じなの。だから、一緒にいてすごく楽」

 「へ、へぇー…」

 光毅の事は手がかかるとか言っていたのに。

 「それで、私が一番信頼してる人だよ」

 「え…」

 い、一番……。

 「そ、そんなにすごい人なの?あの人」

 「え?…うん」

 2人は教室に入り、それぞれの机にかばんを置いた。

 「どんな所が?」

 「………そんなに気になる?」

 斉川はこちらの質問攻めにうんざりしていた。

 「あー、いや、えーっと…」

 光毅のために気になるとは言えない……。

 すると彼女は1つため息をついて、真っ直ぐこちらを見据えた。

 「私に迷惑かけない所が」

 「!」

 心を読まれたその言葉で、質問攻めは強制終了させられた。

 「……」

 光毅………お前マジでやばいかも…。


 §


 全く…、朝から疲れさせないでよ。

 山内との会話を終えると、碧乃はかばんからノートを出して窓側の席へ向かおうとした。

 「ん?どこ行くんだ?」

 立ち尽くしていた山内が、我に返って訊いてきた。

 「萌花ちゃんにノート渡してくる」

 昨晩メールで、休んでいた間のノートを貸してほしいと頼まれていたのだ。三吉はもう席についていた。

 「あ、じゃあ俺も行く!」

 「……」

 まだついてくるのか…。

 彼の三吉好きは相変わらずのようだ。

 山内は碧乃の後ろを嬉しそうについてきた。

 「あ、おはよう碧乃ちゃん、山内くん」

 2人に気付いた三吉が声をかけてきた。

 「おはよう」

 「おはよー三吉ちゃん!風邪まだ治ってないの?」

 三吉はマスク姿で席に座っていた。

 「うん、そうなの。熱は下がったんだけどね」

 彼女の声は少し鼻声だった。

 「そっかぁー。無理しちゃだめだよ?三吉ちゃん」

 「うん。ありがとう山内くん」

 2人の会話が終わったようなので、碧乃はノートを差し出した。

 「はい、これ」

 「ありがとうー。ごめんね、碧乃ちゃん」

 「ううん」

 自分が頼る事はできないが、頼ってもらうのは素直に嬉しい。

 「じゃあ、1限目の現代文だけ今写しちゃうね」

 「うん、分かった」

 写し終わるのを待っていると、朝練を終えた小坂が教室に入ってきた。

 彼は自分の席にかばんを置きつつ、こちらに話しかけた。

 「おはよう」

 「おはよー光毅」

 「…おはよう」

 「あ、お、おはよう小坂くん」

 隣の席になったら少しは慣れるかと思ったが、三吉の緊張は変わらずだった。

 「三吉、まだ風邪治ってないのか?」

 「え、あ、うん。そ、そうなの」

 三吉は小坂の問いになんとか答えた。

 「あんまり無理すんなよ?」

 「!」

 小坂にふっと笑いかけられ、三吉の顔はマスクをしていても分かる程赤くなった。

 「う、う、うん…あっ、ありがとう」

 「……」

 今日も色気だだ漏れだな、この人…。

 相変わらずの無自覚に思わず呆れ、隣の席になってしまった三吉が気の毒に思えた。

 笑顔1つでこれでは心臓がもたないだろうに。

 ふと隣を見上げると、山内はなんとも渋い顔を浮かべていた。

 …まぁ、そうだよね。

 自分も同じ言葉をかけたのにこうも反応が違うと、複雑な気持ちになって当然だろう。しかも相手はお気に入りの子。意外にこっちの方が気の毒なのかも知れない。

 すると、廊下の方から聞き慣れた良く通る声が聞こえてきた。

 藤野はクラスメイトとの挨拶を済ませると、三吉を見つけて飛びついていった。

 「萌花おっはよー!」

 「きゃあっ!」

 「碧乃っちおはよー!小坂君と山内君もおはよー!」

 声をかけられた3人は、気圧され気味に挨拶を返した。

 「な、那奈ちゃん!風邪うつっちゃうよ?!」

 三吉が抜け出そうともがくと、藤野は腕の力を強めた。

 「えー?萌花のならうつっても良いよー」

 「だ、だめだよぉー」

 彼女の変態ぶりも相変わらずだった。

 …なんとも平和な人達だなぁ。

 「ん?なぁに、碧乃っち?あ、もしかしてヤキモチ妬いちゃったー?」

 呆れ顔で見つめていたら、セクハラの対象がこちらに移ってしまった。

 「いや、妬いてないから」

 「もうーしょうがないなー」

 「来なくていいよ…」

 今度は碧乃に抱きついてきた。

 今日は来ないと思ったのに…。

 豊満な胸が押し付けられると、ふわっとなんとも良い香りがした。

 「あれ…?那奈ちゃん香水変えた?」

 「あ、気付いた?実はそうなんだー」

 「え?そうなの?私、鼻が詰まってて全然分かんなかったー」

 碧乃と藤野の会話に、三吉が驚きの表情を浮かべた。

 「じゃあ風邪が治ったら嗅がせてあげるー。いい匂いでしょ?碧乃っち」

 「うん。前よりこっちの方が好き」

 「本当ー?」

 藤野は嬉しそうに碧乃を更に抱き込んだ。

 「ち、ちょっと!そんなにくっついたらまた匂い移っちゃう」

 「だっていい匂いって言ったじゃーん」

 「だからって移さなくていいから」

 「うふふふー」

 碧乃達3人は気付かなかったが、すぐ近くから鋭い睨みが向けられていた。



 昼休みになり3人でお昼を食べていると、藤野が急に話を振ってきた。

 「そういえば碧乃っちって、今何の絵描いてるの?」

 「え?」

 一瞬ドキリとしたが、表情には出さない。

 …大丈夫。先輩の言う通り、嘘をつかなければ絶対ばれない。

 碧乃は今自分が描いている絵の説明をした。

 「それってどこかに出したりするの?」

 今度は三吉が訊いてきた。

 「ううん。先輩に絵の描き方を教わってるの」

 これは決して嘘ではない。

 入部当初碧乃に絵の描き方を教えてくれたのは田中先輩で、今もたまに助言を請う事があった。そして実際、あのりんごの絵も先輩に色々訊きながら描いていた。

 先輩のおかげで、自分は嘘をつかずに済んでいる。

 「へぇーそうなんだぁ」

 「その絵見てみたーい」

 「え?あ、うん。良いよ」

 前にも見せてほしいと言われた事があったので、藤野の言葉は想定内だった。

 「本当?やったー!」



 放課後。職員室で鍵を借りると、碧乃は2人と共に部室へ向かった。昨日は階段を過ぎた辺りで先輩と一緒になったのだが、彼にメールをした所、2人がいるなら大丈夫だろうという事になったのだった。

 部室に入り、描きかけのまま置いてあるキャンバスを2人に示した。

 「すごーい」

 「碧乃っち絵上手いよねー」

 端のテーブルにかばんを置くと、絵を見ている2人に近付いた。

 「上手くないよ。教えてもらってなんとか描けてるだけ」

 「えー上手いってー!」

 「碧乃ちゃんの絵って、なんか癒されるよねー」

 「え?」

 い、癒される?

 三吉の言葉に、キョトンとした顔で返した。

 「雰囲気が柔らかいっていうか」

 「あー、それ分かる!」

 「??」

 私は全然分からない…。

 「これを描いてる人はとっても優しい人なんだろなぁって思うよね」

 「そうそう!」

 「えー?」

 碧乃は絵を睨み首を傾げた。

 一体どこにそんな要素があるというのだろう。

 すると、田中先輩が部室に入ってきた。

 「あ、お疲れ様です」

 碧乃が挨拶すると、三吉と藤野も後に続いた。

 「お疲れ様です」

 先輩はふっと笑いかけ、奥のテーブルにかばんを置きに行った。

 「ねーねー、碧乃っちに絵を教えてる先輩ってあの人?」

 藤野がぐいっと碧乃を引き寄せ、小声で訊いてきた。

 「う、うん。そうだけど…」

 「そうなんだぁ。なんか優しそうな人だね」

 三吉もこちらに身を寄せ、同じく小声になった。

 「?…うん」

 ……なんだ?

 と、突然藤野が先輩に話しかけた。

 「あの、先輩!」

 「…はい」

 先輩は、彼女の良く通る声に一瞬だけ驚いた。

 「先輩は碧乃っちの絵どう思いますか?」

 「!」

 なんで先輩に訊くかな?!

 「絵、ですか?」

 「はい!今、なんか癒されるよねーって話してて」

 藤野と三吉が、なぜかキラキラした目で答えを待っていた。

 「そうですねぇ…。お二人の言う通り、癒されると思いますよ」

 「え!」

 先輩の言葉に思わず驚いてしまった。

 「柔らかさの中に凛とした強さも感じられて、観る人に安心感を与えてくれるようなとても魅力的な絵だと僕は思います」

 「!」

 そ、そんな風に思ってたんだ…。

 「だってー!碧乃っち!」

 藤野は興奮して碧乃の腕に絡みつき、三吉は両手を頬に当て碧乃の代わりに照れていた。

 「……」

 なんだこれ。

 「あ!!作業の邪魔になったら悪いから、うちらもう帰るね!」

 「え?あ…」

 「じゃあねー!お邪魔しましたー!」

 「あ、碧乃ちゃんバイバイ!」

 藤野は三吉を引き連れ、バタバタと部室を出ていった。

 「……」

 何を期待してるんだ、あの2人は……。

 呆然と扉を見つめていると、クスッと笑う声が聞こえた。

 「面白い2人ですね」

 「なんか、すみません」

 扉を見つめたまま、渋い顔でため息をついた。

 「…これは必要ありませんでしたね」

 「ああ、そういえば」

 振り返ると、先輩は自分のイーゼルに置かれたキャンバスを見ていた。

 それは描きかけの風景画で、谷崎との事が起きるまで先輩が描いていたものだった。先輩の絵を他の誰かに見られても大丈夫なようにと、作業をしない時はダミーとしてそれを置いていたのだ。碧乃がモデルの絵は、部室の隅に隠してある。余計な詮索をされないための措置だった。

 先輩がその絵をテーブルに置いて隠し場所へ向かったので、碧乃も作業の準備を始めた。



 「できましたよ」

 いつの間にか作業に集中していた碧乃に声をかけ、田中は満足気に筆を置いた。

 「あ…はい」

 筆とパレットを机に置くと、恐る恐る田中の隣に立って絵を見た。

 「わ……」

 モデルが自分である事も忘れ、碧乃はその絵に見入ってしまった。

 筆を持つ手も、キャンバスを見る目も、肩から流した長い髪も、何もかもがとても繊細に描かれていた。

 彼の絵は、やはり人を魅了する。

 「これ…本当に私ですか…?」

 顔を見ると確かに自分なのだが、絵が美しいあまり信じる事ができなかった。

 田中はふわっと笑いかけた。

 「僕にはこう見えていますよ」

 「っ!」

 みるみる熱くなる顔を、慌てて彼から絵の方に戻した。

 「そっ、そうですか……」

 先輩の褒め言葉は破壊力が凄まじい。

 ……あれ?

 「私…こんな事してました?」

 絵をよくよく見ると、その中の自分は手に持った筆の柄を口に押し当てていた。

 「してますよ。集中している時や考えている時は必ず」

 「えー?」

 してたかなぁ…?

 「ほら、今も」

 「え?あ…」

 絵を見ながら考えていたら、いつの間にか自分の拳を押し当てていた。

 全然気付かなかった…。

 碧乃は複雑な面持ちでその手を下ろした。

 「可愛らしい癖だと思いますよ」

 「……」

 それはどういう意味でしょう……?

 「…さて、これで準備は整いましたね」

 彼の言葉に、碧乃はクスリと笑って返した。

 「そうですね。明日がとても楽しみです」

 「……やはり僕より酷い人ですね」

 「え、私酷くないですよ」

 田中は呆れてため息をついた。

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