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彼女の中の気持ちと怖れ

 火曜日早朝。いつも通りに家を出て、碧乃はいつもと同じ電車に揺られていた。

 とある駅に差し掛かると、1つ深呼吸をして身構えた。

 駅に到着し、扉が開く。

 反対側の扉の前にいる碧乃は、人が乗り込む気配を背中で感じていた。

 「あれー?碧乃ちゃん?」

 声をかけられ振り向くと、すぐ後ろに谷崎涼也が立っていた。

 「おはよー」

 「…おはようございます」

 にこやかな笑顔に無表情で返した。

 「奇遇だねぇー。いつもこの時間だったんだ」

 「……」

 知ってたくせに。

 昨日先輩は、この男は確実にこちらが1人になるこの時間を狙うだろうと推測していた。そして敢えていつも通りにするようにという指示を出していた。

 扉が閉まり、電車が動き出す。

 「嬉しいなぁー、朝から碧乃ちゃんに会えて」

 「……」

 「そういえば、部長さんの絵は順調?」

 早速きたか。

 碧乃は1つため息をつき、平然とそれに返した。

 「はい。おかげさまで」

 「部長さんて、絵上手いんだよね?」

 「そうですが?」

 「作業が順調ならさぁー、早く完成しちゃうんじゃないの?」

 この質問も推測通り。

 「そうもいかないみたいですよ」

 「どうして?」

 「人は物と違って複雑だから、全てを描き切るには時間がかかるんだそうです」

 それに人には心がある。ただ描くだけではだめなのだと先輩は言っていた。

 だから、時間がかかっているのは本当。

 …嘘さえつかなければ、私はあなたに負ける気がしない。

 「ふーん。なんだ、それは残念」

 「……」

 「絵のモデルってどんな格好させられてんの?もしかしてヌード?」

 「違います」

 「やらしいポーズさせられてるとか」

 「しませんよ、そんな事」

 「えー?本当かなぁ?だってあの人変態ぽいじゃん」

 「どこがですか」

 「メガネな所が」

 「……」

 意味が分からない…。

 先輩の悪口を言いたいだけの低レベルな会話に、つい呆れてしまった。

 「ねぇ、どんな事させられてんの?」

 「…そんなに気になるなら、見に来れば良いじゃないですか」

 碧乃は真っ直ぐ谷崎を見据えた。

 質問攻めはもう終わり。本当はもう少し聞き流すつもりだったが、聞いててイライラするからやめた。

 「良いの?じゃあ、学校着いたらすぐに見たいなぁ」

 谷崎はニコッと笑いかけた。

 「そうですか。分かりました」

 「…あ、やっぱり見せてもらうのは今度でいいや」

 「?」

 「今日はこのまま遊びに行こうよ」

 「……」

 動揺させ、動けなくしてから捕まえる。昨日と同じやり方だった。

 「体調不良で休んじゃえば、部長さんにだってばれないよねー」

 「私がばらしたらどうするんですか?」

 「…そんな事俺がさせると思う?」

 不敵な笑みが、ずいっと碧乃に近付いた。

 「っ…」

 距離の近さに思わず顔をしかめてしまった。しかし恐怖は感じない。

 「私を脅しても無駄ですよ」

 表情を戻し、言い放った。

 「えー?何それ、負け惜しみ?」

 「そんな煩わしい事しませんよ。あくまで事実を言っただけです」

 「…どういう事だよ?」

 「すぐに分かりますよ」

 訝る谷崎に、碧乃は敢えて笑いかけた。

 「!」

 その笑顔で状況を悟った谷崎は、不敵に笑って碧乃の腕を掴んだ。

 「次で降りようか、碧乃ちゃん」

 腕を掴む力の強さに彼の焦りを感じ、碧乃は思わず笑ってしまった。

 「ふふっ、そんなにあの人が怖いですか」

 「あぁ?なんだと?」

 「もう遅いですよ」

 電車がホームに到着し、扉が開くと1人の男子生徒が乗り込んできた。

 「…おはようございます」

 田中は一瞬かすかに目を見張り、2人に向かって話しかけた。

 「奇遇ですね」

 谷崎は舌打ちをして、碧乃の腕を乱暴に離した。

 電車は再び走り出す。

 「どこが奇遇だよ。狙って乗ってきたんじゃねぇか」

 「狙って?どういう意味ですか?」

 「あんたの乗る駅ここじゃないだろ」

 「僕が乗る駅を知っているんですか?」

 「ああ、知ってるよ。友達が教えてくれたからねー」

 「そんなに僕の事が気になりますか?」

 「気になるねぇー。碧乃ちゃんに危険が及んだら大変じゃん」

 「……」

 危険なのはそっちでしょ…。

 横で聞いてて、またも呆れてしまった。

 「そうですか。周囲からどう思われているかは分かりませんが、僕はそれなりに健全でいるつもりです。少なくとも、朝の練習を仮病を使って欠席なんて事はしませんよ」

 「なっ!…」

 動揺した谷崎は、鋭く田中を睨みつけた。

 「仮病じゃねぇよ!本当に頭が痛かったんだ!」

 「そうでしたか。それはすみませんでした。今の様子がとても元気そうだったので、ついそう思ってしまいました。授業に出られる程回復して良かったですね」

 田中の言葉に、谷崎は苦虫を噛み潰した。

 「あーそうですね!お気遣いどーも!」

 程なく学校の最寄り駅に到着し、谷崎は早々に電車を降りて行ってしまった。

 田中と碧乃も電車を降り、谷崎の姿を見送った。

 「これで勝機は見えましたね」

 「そうですね」

 今日敢えてこのように谷崎と相対したのは、いくつかの推測を確かなものにするためだった。

 これならもう、あの男に負ける事はない。

 「…ところで」

 静かな声音に、碧乃はギクッと反応した。

 「そんなに酷かったですか、僕の悪口は?」

 「う…」

 隣からかすかに怒りと呆れの混じる視線を感じ、ばつが悪そうに目をそらした。

 実は、谷崎の質問に答えるだけにするようにという指示だったのだ。質問攻めの途中で田中が止めに入る筋書きだったのに、碧乃はそれを無視した挙句、谷崎を煽ってしまった。筋書き通りであれば、谷崎が碧乃に触れる事はなかった。

 「だ、だってあんな…」

 「稚拙な言葉は想定内でしょう?子供の戯言だと思っておけば良かったんですよ」

 「……」

 稚拙って…。

 初めて見る先輩の様子に、思わず唖然としてしまった。

 「…先輩って結構酷い人ですね」

 田中はふっと笑いかけた。

 「あなた程ではありませんよ」

 「……」

 私ってそんなに酷いでしょうか…?


 §


 学校に到着すると、圭佑は靴を履き替えている斉川を見つけた。

 昨日の話を思い出し、早速聞き出すことにした。

 「おはよー、斉川」

 「…おはよう」

 「なぁなぁ、昨日のあれ教えてよ」

 「ん?ああ、あれね」

 一緒に教室へ向かいながら、斉川は仕返しの話を教えてくれた。

 「後ろからおどかしてあげただけだよ」

 「え?それだけ?」

 「うん」

 「そんなので、なんで『死ぬ』になる訳?」

 「写真騒ぎの後、私に負い目を感じて話しかけられなくなってたでしょ?それでどうしようって考え込んでいる所を狙ったから、普通よりダメージが大きくなったの」

 「あー…なるほど」

 彼の場合、負い目以上のものを感じていたから、きっと彼女の想定を遥かに超える驚きを見せた事だろう。

 頭ん中をいっぱいにしてた人がいきなり現れたら、そりゃ死ぬ程びっくりするわ。

 彼の驚く様を想像し、つい吹き出しそうになってしまった。

 「くくっ…それは是非とも見てみたかった」

 「うん、あれはかなり面白かった」

 斉川も思い出し笑いを堪えていた。

 「何が面白かったって?」

 突然の後ろからの声に、2人はビクッと反応し立ち止まった。

 振り返ると、そこには鬼が立っていた。

 …やっぱりお前は単純だねぇ。

 「おはよー光毅!朝練早く終わったのか?」

 圭佑はにこやかに話しかけた。

 「早く終わらせてきたんだよ。お前を止めようと思ってな」

 「残念、一足遅かったねぇ。ねー、斉川」

 腰をかがめ、彼女の顔を覗き込んだ。

 「!」

 「なっ!?こらっ!お前近過ぎだ!!」

 光毅は2人の間に両手を突っ込み、べりっと引き剥がした。

 「わっ!」

 「おっと!」

 …やばい、これ面白いかも。

 「おい光毅ー、斉川まで押す事ないだろ」

 「え、あ!ごめん」

 「大丈夫だった、斉川ー?」

 そう言いつつ、ニヤけ顔で彼女に近付こうとした。

 「だから近付くなって!」

 2人の間に入っていた光毅が、圭佑を押さえ込んだ。

 「お前が押すのが悪いんじゃん。俺はただ心配してあげてるだけよー?ねー、斉かわ…」

 ………あ。

 斉川は表情を消し、真っ直ぐこちらを見据えていた。

 「…調子に乗らないでくれるかな」

 静かな声音に恐怖を感じ、圭佑だけでなく光毅もピタリと動きを止めた。

 「……すいませんでした」

 圭佑と光毅は姿勢を正し、再び歩き出した斉川に大人しくついていった。


 §


 放課後。碧乃と田中は、会話をしながらそれぞれの絵を描き進めていた。昨日、無言でいるとかえって見られている事に意識が向いてしまうと分かり、気をそらすために会話し続ける事になったのだった。内容は、他愛ないものもあるが、主に谷崎の事について話していた。

 「…そもそも、写真の彼とはどういう関係なのですか?」

 「………え?」

 突然の小坂についての質問に、思わずキョトンとした顔を向けてしまった。

 「騒ぎが起きた時、あなたが全く動じず冷静に対処している所を見かけました。それはつまり、ああなる事を想定していたからですよね?」

 「……」

 数回瞬きをした後、ゆっくりと自分のキャンバスに向き直り、ため息をついた。

 鋭すぎて怖いんですが…。

 この人は一体、どこまで自分を見抜いているのだろうか。

 「…そうですね」

 彼に隠し事はできない。

 碧乃は、キャンバスを見つめたまま話し出した。

 「実は…彼に頼まれて勉強を教えていたんです。一緒にいるのを見られると反感を買うだろうからと、皆には内緒で、学校では他人のふりをして」

 田中は無言で先を促した。

 「今まで全く関わりのなかった人だから、中間試験が終わるまでの関係だろうって思っていたのに、学校でも普通に話ができるようになりたいと言われて…。仕方なく承諾したら…あんな事になりました」

 言いながら、碧乃は顔をしかめた。

 「あの日は確か、遅くまでここに残っていましたよね?」

 「はい」

 小坂に手を取られるに至った経緯を説明した。

 「…そうだったんですか」

 「勉強を教えている時から、よく私をからかっていたんです。意地悪だって何度された事か」

 むすっとして愚痴をこぼした。

 初めて見る碧乃の様子に、田中は軽く目を見張った。

 深くため気をつき、碧乃は呆れ顔を見せた。

 「多分、ものすごく自分に素直な人なんだと思います。わがままなくらいに。そのせいで、たまに感化されてしまって少々困っている所です」

 「感化、とは?」

 「……今まで誰にも言わずにいた事を、彼に話してしまうんです。隠してる方が申し訳ないと思えてきて、なんの抵抗もなく。弱みを見せるとからかわれるのに…。この前も、言った後で気付いて…後悔しました」

 日曜の事を思い出し、眉間のしわを深くした。

 「そうですか…」

 田中はしばし思案すると、真剣な顔で1つ質問をした。

 「…あなたは、彼の事が嫌いですか?」

 「え?」

 どういう事…?

 「あれだけの迷惑を被って、意地悪な事も色々されて、あなたはあの人の事が嫌いになりましたか?」

 「……」

 あの人を…嫌いに…?

 しばし考えると、碧乃は首を振った。

 「いいえ」

 「それは、なぜです?」

 真っ直ぐ視線を向ける田中に、ふっと苦笑いを見せた。

 「だって…ものすごく落ち込んで、やりすぎなくらい謝られたら、許すしかないじゃないですか。…それに」

 「それに?」

 言いにくそうに俯く碧乃を、田中は優しく促した。

 「……嫌いに、なれないんです」

 「…?」

 「あの人本当は、わがままで、強引で、隙を見つけては人をからかうようなものすごく性格の悪い人間なんです。でも彼を見た目で判断する人達は、そうは思っていない。わがままなんて絶対言わないようなとても優しい人だって思ってる。その人達がもし彼の本当の性格を知ったら、かなりのショックを受けてしまう。あの人はそれを分かっていて、彼らを傷つけないように優しい人間を演じているんです。…それを知った時、『同じだ』って思いました」

 「同じ、ですか」

 「はい。…私も、1人で何でもできてしまうような強い人間だって思われて、その通りに振る舞っているから。本当は違うのにって思いながら生きるのは、慣れてはいてもやっぱりちょっと疲れますよね」

 そう笑いかけると、同じ笑顔が返ってきた。

 自分と似ている先輩も、同じ思いを抱いている。

 「だから、嫌いにはなれません」

 「…彼はきっと、それを分かってあなたに接しているのでしょうね」

 「だと思います。私の前では完全に素が出てますからね。自分をさらけ出しても嫌いにならないでいてくれる人は、とてもありがたい存在です。彼が私をそう思ってくれているのなら、もう少しだけ彼のわがままに付き合ってあげても良いかなって思ってます。…調子に乗られても、仕返しすれば良いだけですし」

 「仕返しですか」

 田中は可笑しそうにクスッと笑った。

 「はい」

 碧乃も同じく笑って返した。

 「……なら、あなたも彼にもっと素を見せたって良いんじゃないですか?」

 「え…?」

 「そうしたとしても、彼はきっと受け止めてくれると思いますよ」

 「……」

 碧乃は、途端に顔を曇らせた。

 「…残念ながら、それは無理です」

 「どうしてですか?」

 「……彼は、私を頼る側の人間です。頼ってほしいなんて、きっと思わない」

 頼る側の人間は、頼ってくれと言いながら、そうさせてくれた事なんて一度もない。悩みを打ち明けようとした瞬間、『あなたは1人で大丈夫だよね』とこちらの言葉を止めてしまう。それに、打ち明けた所で欲しい答えなんか返ってこない。相手に心配をかけるだけで、結局自分で解決する事になる。期待するだけ無駄なのだ。心配をかけた分、こちらの心が痛むだけ。

 ……痛い思いはしたくない。

 「………そうですね」

 田中は、碧乃の想いを読み取った。

 俯く碧乃に、彼の顔は見えなかった。

 「…ならせめて」

 彼の言葉に顔を上げると、優しい笑顔が浮かんでいた。

 「僕の事は頼って下さい。頼る側ではありませんから」

 「…はい。分かりました」

 碧乃も笑顔で頷いた。

 「…では本格的に策を練っていきましょうか」

 「はい」

 2人は作業を再開しつつ、谷崎への対抗策を導き出していった。

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