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またしても雨

 あれから数日、光毅はまた会話する機会を失くしていた。もともと関わる必要のない2人だったのだから、いきなり変えるのは至難の業だった。

 しかし、先日のようにモヤモヤする事はなかった。

 理由は単純。彼女の手元で光るあの栞だ。

 授業の合間に見かけるたび、自分をそばに置いてくれている気がして、嬉しくなった。

 モヤモヤどころか、むしろ満足していた。

 3限目が終わり、斉川はまた本を読んでいた。相当面白い場面なのか、ものすごく真剣な顔をしていた。

 栞のおかげで機嫌の良い光毅は、近くの席の友達とくだらない話で盛り上がっていた。

 話の途中でかばんからペットボトルを取り出し、蓋を開けた。

 飲みながら、チラッと斉川の方を見やる。もうこの行動は無意識になりつつあった。

 姿が見えた瞬間、口に含んだ飲み物を気管に詰まらせそうになってしまった。

 「っ!?げほっ、ごほっ」

 あの栞が、彼女の柔らかそうな唇に押し当てられていた。

 どうやら先生が来たらすぐに本を閉じられるように、手に持っていたらしい。

 むせる自分を心配する周りの声に手を挙げて返し、呼吸をなんとか整えた。

 「はー……」

 まさかそう来るとは思わなかった。

 いらん想像が浮かんじゃったじゃないか…。


 §


 昼休み。碧乃はいつもの3人でお昼を食べていた。

 「あ、ねーねー。そろそろお姉様って飽きたから、呼び方変えていい?」

 「え?」

 藤野が突然切り出してきた。

 やった!ついにきた!

 「良いけど…」

 「んー、じゃあ…、あ!碧乃っちは?」

 「あ、あおのっち?」

 「可愛いでしょー。ダメー?」

 藤野は碧乃にすりついてきた。

 「うう、わ、分かった。良いよ」

 「やったー!」

 碧乃はため息をついた。

 …まぁ、お姉様よりはましか。

 「えー、じゃあ私も碧乃ちゃんって呼びたいなぁ」

 三吉も羨ましそうに話に入ってきた。

 「あ…うん。良いよ」

 拒否する理由がないので、三吉の方も承諾した。

 「良いの?ありがとうー。じゃあ、碧乃ちゃん。ふふっ」

 ニコッと笑う三吉につられて、碧乃も笑顔で返した。

 そんなに可愛く呼ばれたら、ものすごく照れる。

 「あ!呼び方は変わっても、私達の仲は永遠だからね!」

 言いながら、藤野は指を絡めるように手を繋いできた。それはセクハラがまだ続く事を意味していた。

 「え…」

 碧乃はあからさまに嫌な顔をした。

 「んもー、そんな顔しちゃイヤー」

 繋いだ手を離すと、今度は碧乃の頬をむにっとつねった。

 「いたた、痛い痛い」

 「ふふふー」

 藤野にしかめ面を向けつつ、解放された頬をさすった。

 「……」

 全然飽きてなんかいなかった。


 §


 帰りのホームルームが終わり、担任が教室を出ていった。

 光毅が部活に行こうと机の上のかばんに手をかけた時、藤野の声が聞こえてきた。会話の相手はもちろん斉川と三吉だ。

 「碧乃っちは今日も遅くまで残るの?」

 あ、あおのっち?あいつ呼び方変えたのか?

 聞き慣れない言葉に、つい聞き耳を立てる。ゆっくり立ち上がり、友達からの挨拶をやり過ごしながら。

 「あ、うん。あの絵、今日で完成させたいから」

 「そうなんだぁ。頑張ってね、碧乃ちゃん」

 三吉まで下の名前で呼んでるし。なんかちょっと羨ましい…。

 3人はそのまま会話を続けながら、教室を出ていった。

 光毅も部活へ向かうため、歩き出した。

 絵って事は、美術部の話か。……斉川も残るんだ。

 あの雨の日を思い出し、淡い期待を抱いた。



 午後6時30分。バスケ部としての今日の活動は終了した。長々練習するより、短い時間できっちり頑張る方が集中力が高まって良いという方針のため、他校に比べると早い終了時間だった。しかしそれ以降の時間も体育館は使用可能で、部員は自由に自分に合った練習ができるようになっていた。

 光毅も少し休憩すると、そのまま自主練習を始めた。

 試合が近いため、今日は先輩部員が多く残っていた。

 緑星高校バスケ部は、インターハイでも上位に入るほどのレベルを有していた。そのため部員数がとても多く、1年生が試合に出る事はまずなかった。バスケの推薦で入学した光毅も、やっと練習試合に出させてもらえる程度だ。それでもこうして練習しているのは、3年生の引退後に行われる新しいレギュラーメンバーの選抜に、何としても勝ち残るためだった。

 短時間とはいえかなりハードな練習の後なので、毎日最後まで残っているのは光毅だけだった。

 今日も午後7時が近付くにつれて人が減っていき、時計の針が丁度その時間を指す頃には光毅1人になっていた。

 周りの目がなくなると、頭が勝手に考え事を始めた。

 まだ、学校に残って絵を描いてるんだろうか…?

 もしいたとしても、あの時のように彼女を引き留める雨は、今日は降っていない。

 「……」

 ボールを持つ手が動きを止める。

 なんだか、居ても立っても居られなくなってしまった。

 早々に片付けを済ませ、体育館を出た。

 すると暗い廊下の向こう側、文化系の部室が並ぶ辺りに、蛍光灯の光が漏れている部屋が見えた。

 期待が膨らむままに、制服に着替えて体育倉庫の鍵を職員室に返すと、光の方へ歩いていった。



 ……いた!

 そっと部室の中を覗くと、1人残って筆を動かす斉川の姿があった。彼女は制服のブレザーを脱いで、腕をまくったブラウスの上に作業用のエプロンをしていた。いつもと違う姿に、思わずドキドキしてしまう。

 真剣というより、少々悩んだ表情で目の前のキャンバスに向かっていた。

 いつもの癖が出るくらい集中しているので、こちらの存在には全く気付いていない。

 彼女が何を描いているのか、ここからではよく見えなかった。


 §


 完成間近の絵を前に、碧乃は行き詰っていた。

 今は風景画を描いているのだが、どうしても自分が思う仕上がりに見えないのだ。曖昧な記憶を頼りに描いているせいなのか、これで完成と言えるほど自信が持てないだけなのか、もうよく分からない。

 少し塗っては考え、少し塗っては悩みを繰り返していた。

 早くしないと、また玄関で鉢合わせてしまうかも知れないのに。わざわざからかわれに行くようなものなので、できる事ならそれは避けたい。

 しかし、これでは終わりそうになかった。誰かが止めてくれない限り。

 「んー……」

 筆の柄を唇に押し当て、絵の中の山々を睨んでいた。

 もう少し、深い緑だったような…。

 その時、部室の扉がガラッと開いた。

 ビクッと体が反応する。いきなりの事に、心臓が跳ね上がるほど驚いてしまった。

 扉の方に目を向けて、更に驚きが増した。

 「え!」

 「あ、ごめん。おどかすつもりはなかったんだけど」

 小坂はそう謝りながら、部室の中へと入ってきた。

 「な、なんで…」

 「ん?んー、明かりが見えたから、いるのかなぁと思って」

 「え…ぶ、部活は…?」

 「集中力切れちゃって、早めにやめた」

 「あ…そう…」

 小坂は嬉しそうにすぐ側まで来ると、碧乃の椅子の背もたれに手を置いて、描いていた絵に目を向けた。

 いつも思うが、彼はいちいち距離が近い。

 「何描いてるんだ?」

 「え?あー…えっと…」

 碧乃もその絵に向き直る。

 そこには、夕日に照らされた段々畑の景色があった。

 「…夕日?」

 「う、うん…。作品展のテーマが『太陽』で…」

 「へぇー。…きれいだな」

 「……」

 そんなにじっくり見なくていいから…。

 何だか恥ずかしさが込み上げてきた。まさか本当に見られる日が来るとは。

 「なんでこの絵なんだ?」

 「え?あ…その、前に父親の実家に行った時、この景色を見て…ずっと頭から離れなくなってて…。『太陽』って聞いたら、一番最初にこれが浮かんだの」

 「そうなんだ。確かにすげーいい景色だもんなぁ」

 「……」

 碧乃の表情がわずかにかげった。

 「ん?どうした?」

 気付いた小坂が、心配の目を向けてくる。

 「…その良さを、私の画力じゃ全然表現できてなくて…」

 碧乃は手に持った筆を見つめ、肩を落とした。

 「えぇ?こんなに上手いのに?」

 「上手くない。…もう、どこを直していいのか分かんない」

 らしくもなく、弱音を吐いてしまった。かれこれ2時間近く悩み続けたせいで、精神的疲労がピークに達していた。

 「…もう直さなくていいよ」

 彼の口調がふっと柔らかくなった。

 「え…?」

 顔を上げると、小坂は優しい微笑みで絵を見つめていた。

 「十分きれいに描けてるだろ」

 「え…描けてないよ…」

 彼は不安げな碧乃に笑いかけた。

 「描けてるって。少なくとも俺はこの絵に引き込まれたし、ずっと見ていたいって思った。もっと自信持って良いよ」

 「で、でも…」

 「もう完成で良いんじゃないか?この絵、俺は好きだよ」

 「う…」

 優しくも強い眼差しで言われ、反論できなくなってしまった。

 顔が熱くなり、慌てて目をそらす。

 …まただ。今日は全然意地悪なんかじゃないのに。

 自分はどうしても、彼には逆らえないらしい。

 「………分かった」



 学校を出た2人は、駅までの道を並んで歩いていた。

 こちらが片付け終わるまで待つと言われ、結局一緒に帰る事になってしまったのだ。

 今日の練習の事や作品展の話などをしながら歩いていると、ポツポツと雨が降り出した。

 最初は小雨程度だったのだが、あと少しで駅という所で本降りになってしまった。

 「雨、強くなっちゃったな」

 「そうだね」

 一応折りたたみ傘は持っているが、わざわざ差すほどの距離ではないのでそのまま歩く。

 すると突然、小坂が言い出した。

 「よし、走るか」

 「は?あっ、ちょっ!」

 小坂に手を取られ、駅まで一緒に走らされた。

 2人はほんの数十秒で駅に到着した。運動能力のない碧乃でも、息は切れていない。

 「走ったらすぐだったな」

 駅の入口で立ち止まり、小坂は来た道を振り返った。

 「別に走らなくても…」

 「だって濡れちゃうだろ?」

 碧乃はため息をつき、こう述べた。

 「走っても歩いても、濡れる度合いは一緒なんだって」

 「え?そうなの?」

 「この前テレビでそんな事言ってた」

 「へぇー。初めて知った」

 「それより…」

 驚いている小坂に、違う話題を振る。

 「ん?」

 「いつまでこのままなの?」

 碧乃は繋がれたままの2人の手を示した。

 「え?ああ、これ?」

 小坂はその手を持ち上げた。

 「早く離して」

 眉根を寄せる碧乃に、彼はニヤッと笑った。

 「えー?離さないとダメ?」

 「……」

 ダメに決まってるでしょ。

 表情を変えず、無言で返した。

 「分かったよ。しょうがないなー」

 小坂はニヤニヤしたまま手を離した。

 「……」

 最後の最後にこれだよ…。

 今日はからかわれずに済むかと思っていたが、間違いだった。

 せっかく、彼が優しいと言われる理由が少し分かりそうだったのに。

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