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三章③『ケモノとニンゲンの違い』

「その赤毛の男、確かに『ローズ』と呼ばれていたのだな?」

 ミッドノール子爵タイタス・ゴードンは、(きょ)()に似合った低音で、片膝突いて(かしこ)まるヨドークに問うた。

 窓から差し込む西日が、くすんだ金髪(ダーティーブロンド)を鈍く輝かせている。

「へ、へい! 確かに! 確かにローズって呼ばれてました! 最初はクロードって呼ばれてたんですが、途中でローズとも。なあっ、みんな?」

 ヨドークの問いかけに、床に(ひざまず)いた一味の男達がめいめい頷く。

 ここは、ヨドークがクラウズェア達に絡んだ酒場〈黄金の麦酒亭〉だ。ミッドノール子爵の私兵団が(せん)(きよ)したこの場には、客は一人も居らず、店主と女給もありったけの料理を出すだけ出して、店の奥に引っ込んでいる。酒は、おのおので勝手に飲んでいる次第だ。

細剣(レイピア)を使う赤毛の優男。女のように細く、ローズとクロード、二つの名前で呼ばれていた。それから、髪の異様に長い娘も一緒で、(うやうや)しい態度を取っていた。……おい、その娘の髪は、本当に白でなく黑だったのか?」

 そう、ドスの()いたタイタスの声に、ヨドークは震え上がりながら何とか答えた。

「ええ! ええ確かに! あれほど恐ろしく綺麗な黒髪は、今まで見たことありません。白だなんてとんでもない! そんな化け物みたいな色じゃなかったです。へい」

「俺の予想が合っていれば、()()()はしくじった事になる訳だが……。ふんっ、何らかの手段を講じて染めたか? 染まらぬ髪と聞いていたが、王都の連中はなにをやっていたのか。上も下も馬鹿揃いだな」

 両陛下すらも(おとし)めたと取れる物言いを、誰(はばか)ることなく吐いたタイタスに、ヨドーク達は顔を青ざめさせたが、私兵団の連中はゲラゲラと笑うだけだった。その中の一人が酒に酔った赤ら顔でヨドーク達をしかりつけた。

「なにビビってんだっ? 都はな、城ん中は入れ替わるんだよ。そこの将軍様になられるのが、我らが金の髪の美丈夫、戦場の覇者、光の剣の使い手として名高い、ゴードン様その人だ! その御方には、侯爵閣下がついてらっしゃるんだぞ? 侯爵閣下は未来の国王陛下だ。その名誉ある陣営に(くみ)する覇気のない奴は、とっとと帰りな!」

 兵士の言葉に、私兵の皆々が侯爵と子爵を称えて乾杯をした。

「と、という事は、つまりぃ、オレ達も騎士に取り立てて頂けるってお話しは……?」

 これ以上はないというくらいに卑屈な表情と声を作り、舐め上げるような視線でタイタスの碧眼を覗き込むヨドーク。後ろの連中も、期待に鼻の穴を膨らませている。セロン以外は。

「働き次第だ。そのためには、まずは俺の婚約者殿を連れ戻しに行かねばなるまい。王都に行くまでも無く会えるとは、運命の導きか」

 口許を大きくゆがめて笑うタイタスの言葉に、ヨドークが疑問の声を上げた。

「婚約者様、ですか? それは、あの黒髪の?」

 ヨドークの言葉に、タイタスはかぶりをふる。

「違う。それはおそらく、〈色なし王子〉だ。俺の婚約者殿は、赤毛の方だ。男装しているのだろう。正体は、ノーザンコースト伯爵令嬢だ」

「女? どうりで線が細い奴だとばかり」

 そう漏らしたヨドークに、タイタスの不機嫌そうな碧眼が向けられる。

「おい。俺の婚約者殿を『奴』よばわりとは、死にたいのか?」

 タイタスが身を乗り出す動きでテーブルがずれ、立てかけてあった金色の大剣が重そげな音を鳴らした。

「ひっ、ひいぃ! め、滅相もありません! どうかっ、どうかお許しを! 伏して、伏してお頼み申し上げますですぅ!」

 額の肉がこそげ落ちる勢いで、土下座をするヨドーク。

 それを見下ろしながら、タイタスは鼻を鳴らした。

「お前らのようなゴロツキでも、今は数が必要なのだ。一度だけ、無礼は許してやろう」

 横柄に(のたま)うと、椅子に深くかけ直し、麦酒(ビール)をぐびりと(あお)った。

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 既に額の皮は破れ、血がにじんでいるのも構わず、ヨドークは額を床にこすりつけた。無様な姿であった。

「みっともない、顔を上げろ。俺の兵隊になりたいなら、無礼は許さんが、卑屈も許さん。騎士とはそういうものだ」

 その尊大な物言いに、鞭で打たれた家畜のように身を跳ね起こしたヨドークは、飼い主を称えて叫んだ。

「お慈悲に感謝を!」

 恐怖によって手懐けられた男の目には、異様な光が灯っていた。

「じゃじゃ馬との噂名高い姫様だ。俺ぐらいの男でなければ乗りこなせまい。会うのが楽しみだ」

 すでにヨドークの事など眼中にないタイタスは、皿に盛られた兎肉のあぶり焼き(ロースト)を、()(ろう)のように食いちぎった。

 その、野獣共の酒宴を、セロン一人は人間の目で見続けていた。



 セロンは、王都よりすっと北、ノーザンコースト伯爵領の外れにひっそりと存在する小さな村で生まれた。

 彼は子供の頃から、男の子が一番大好きなおとぎ話〈英雄騎士〉の話がとても好きだった。語り部も兼ねる村の長老に、何度も何度もねだって聴いた。

 騎士は貴族と違って世襲制ではない。だが、たいていは先祖代々仕える貴族の門下で、騎士として召し抱えられ、ろくむ。平民の身で、ましてや金も学も(つて)もない猟師の息子風情がなれるものではない。

 だが、子供の頃からの夢だった。地べたを這う獣のような生活ではなく、大空を飛ぶ(たか)のような、そんな人生を歩んでみたかったのだ。高い青空を見上げるたび、セロン少年の心は(おど)った。

 ある時、彼の住まう村に〈試練を求める者〉と呼ばれる集団が訪れた。近くの山に〈古代の遺跡〉があるとの噂を聞きつけ、やってきたのだ。結局はガセだったのだが。

 彼らが不満たらたらに村を去ろうとした時、セロンの胸に乾きと焦りが生じた。飛び去ってしまいそうな鳥の羽を、腕を伸ばして掴みたい――そんな衝動だ。

 幸か不幸か、その集団(パーティー)には欠員が出たばかりで、セロンはあっさりと仲間に迎え入れられた。

 それが、ヨドークのパーティーだ。

 立身出世の第一歩。踏み出した足が大空に繋がっているのだと、この時のセロンはそう思っていたのだ。



「俺は馬鹿だ」

 セロンは呟いた。

 こんなの騎士じゃない。セロンが思い描いた〈英雄騎士〉とは大きくかけ離れていた。いや、正反対と言ってもいい。

 村を出る時、父親に怒鳴られた。今までで一番だ。母親に泣かれた。今までで一番だ。二人とも、もう老いていた。子はセロン一人しかおらず、面倒を見る者は彼以外には居なかったのに。

 両親は、老いた身を世話して欲しかったのか。いや、違う。父と母は、なんと言っていただろうか。

 弓と矢筒を背負って家を出た彼に、その背中に、『仕方のない奴だ』と銭袋を放ったのは父だったか。『いつでも帰っておいで』と手を振ったのは母だったか。

 袋の中には、粒銀が五つ入っていた。少し良いパンを十個ばかり買うことができる。おそらく、それが全財産だった。

 あの後、父は老いた身で猟に出たのだろうか。でなければ、飢え死にするだけだ。母は、地主の畑を耕しに行ったのだろうか。子供の頃、自分の頭を優しく撫でてくれた手に、やせた手に農具を握って、硬い地面を耕しているのだろうか。

「俺は馬鹿だ」

 もう一度呟いた。舌を噛みそうだ。馬には乗り慣れていない。

 後ろからは、“元”仲間の槍使いと、ミッドノール子爵配下の数名が、やはり馬で追って来ていた。

 夜の暗さを見通す目はセロンが上だったが、手綱捌きは追っ手に軍配が挙がった。

 じりじりと距離が詰められる。

 奪った馬は、すでに尻の方まで汗だくだった。もうあまり保たないだろう。そうなれば、捕まって殺されるだけだ。

 騎士にでもなったつもりだったのか。子爵達の悪巧みを、レイピア使いの剣士に知らせようと思った。もしかすると、一生お目通りが叶うはずもない領主のお姫様に。セロンが子供の頃から思い描いていた〈英雄騎士〉の、その生まれ変わりにも思えた、あの気高く凜々しい人に。

「俺はっ、俺は!」

 死にたくない。死ねない。父と母に会いたい。街道で会った剣士に会いたい。

「死ね! 裏切り者は死ね! “あいつ”みたいに殺してやる!」

 背後から、仲間だった男の――仲間だと勘違いしていた(けもの)のうなり声がする。

 出会った頃に言っていた“欠員”とやらは、仲間割れの挙げ句に殺されたのだなと、セロンはぼんやりと思った。

 暗い山道の、木々の間の道なき道を、悪夢のような時間を、見えない光を追うように、セロンは馬を駆けさせた。

 そして、体が浮く感覚が生じた時。セロンは馬ごと、崖から谷底へと転げ落ちる最中だった。


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