二章②『きれいなせかい。きれいなうた。』
夢を見ていたようだった。懐かしい夢。
きっとローズとの約束の夢だろうと、アルテミシアはぼんやりと思った。そういう時は決まって、胸の奥が温かくなる。同時に少しだけ、切なくもなる。そんな風に感じる必要は無いのにねと、贅沢な考えを心の奥底に沈める。
けれど、いつもはそれだけなのに、今回は何かが違った。
瞼の裏側を、限りなく黒に近い灰色の世界を、影よりも夜よりも真っ黒な“滴”が一滴、零れ落ちる幻視を見た。
(見る? 夢?)
アルテミシアの世界はとても狭かったから、いつもたった二種類の夢しか見ない。
一つは、とりとめもない、ぐちゃぐちゃした夢。何にも形容しがたい世界に、たまに、側仕えの巫女や家族の声がよみがえる。
もう一つは、ローズの夢。楽しくて、嬉しくて、この世は広くて、いけないことだけれど外に出かけたくなってしまう夢。形がある夢。
けれど、その夢の中のどれも“色”がついていた事は無かった。そもそも、何度も何度もローズが必死に教えてくれようとした“色”というものを、結局は理解できなかったのだ。
なのに。
(黑って、黒いことなの?)
黒いという事が不思議と理解できているし、今まで自分が見ていた盲目の風景が、“限りなく黒に近い、灰色の風景”だったんだと、初めて気がついた。
「え?」
目が、開いた。
今までは“瞼を開く”という行為に意味はなかったし、物が触れたら痛くて涙が出るから、閉じたままでいたのだ。
今までは。
「これって、なに?」
アルテミシアは、混乱していた。
自分が地面に倒れ伏しているという状況にも驚いたが、それは、他の驚きに比べたら、とても些細なことだった。
花が咲いていた。白く、小さく、可憐な花だった。
下草の生い茂る隙間から、せいいっぱい背伸びして、空へ向かって伸びようとする姿が薄明かりに照らされているのが目に映った。
「はな」
花だ、ということを知っていた。知っていたことに気付いた。まるで、自分のものではない誰かの知識が、唐突に自分の中にあるような、そんな、不思議な感じ。
花の名前は分からない。でも、そんなことはどうだってよかった。
おそるおそる手を伸ばして触れてみると、花弁は柔らかく、しっとりとした手触りだった。ローズが摘んできてくれる花の感触と似ていた。
土の匂い、草の匂いに混じって、これだけ顔を近づけてみてやっとわかるほのかな匂いだったが、甘くて優しい匂いだった。いつか、ローズと一緒にかいだ匂いに似ていた。
ふと、立ち上がってみたくなった。
夜露で湿った下草と小石が散らばる地面に手を突き、立ち上がった。
視線が高くなり、
視界が広くなり、
世界が――広がった。
そこは、夜の森だった。
木々が生い茂る森の中で、ここだけが空間が開けている。夜空に輝く銀の月が、枝葉の間から顔をのぞかせ、光を投げかけている。月光に照らされた湖をぼうっと瞬かせており、とても幻想的だ。
倒れている間にずいぶんと砂をかぶってしまったようで、小石が散らばる地面の上で、零れ落ちる砂をはたいた。
頭を振り、髪を指で梳くと、リボンがほどけて地に落ちた。
赤いリボンだ。
ローズと同じ髪の色のリボンが欲しいとねだったら、街で買ってきてくれた思い出のリボンだ。
残念な事に、辺りに落ちているのは一つきりだった。来る途中で落としたのだろうか?
拾い上げ、前髪をかき分けながら、月光に照らしてみる。
「これが、赤い色。ローズの髪の色」
口に出して、確認してみる。
それは、とても温かい色だと思った。
ローズにぴったりの色だ。
ローズはあまり自分の赤毛が好きではなかったようだが、アルテミシアは好きな色だと思った。今この瞬間、大好きになった。
「あれ?」
ふと、気がついた。
最初は、暗いからだと思った。足下の白い花と見比べてみた。
黒い。
髪が、黒いのだ。
前髪を横目で見て、長く重い髪を手ですくってみて、両手で捧げ持って月光にさらしてみても、黒い髪は黒いままだった。
白い花とは正反対の。
呪われた髪とは正反対の。
「どういう、こと?」
誰とはなしに零れた問いは、意外なことに返事が得られた。
その返答は、言葉ではなかったのだが。
声なき声は、不思議なことに、アルテミシアの身の内から返ってきた。それは、形にならない“意思”や“感情”のようなものだった。嬉しそうに飛び跳ねて、せいいっぱい自分をアピールしているように感じられる。昔、ローズが連れてきた“仔犬”に似た感じだった。
その何者かの、声なき声をあえて言葉にするならば、
【ジブンガ、ジブンガ、ジブンガイルカラ!】
と繰り返しているように思えた。
「【君のおかげなの?】」
アルテミシアの問いかけに、嬉しそうに飛び跳ねる鞠のような躍動感が胸を満たした。自分の感情とは違うものが胸の内にあるというのは変な感じだったが、その弾む気持ちにつられて、アルテミシアまでも楽しくなってくるようだった。
「【じゃあ、いま目が見えているのも? あ、色とか、花の形を知っているのも?】」
この問いかけにも、元気いっぱいの肯定の意が返ってきた。
【ホメテホメテ!】
と言っているかのようだった。
「そうなんだ。【ありがとう】」
感謝を伝えると、【モットモット!】と胸の内を跳ね回る。
アルテミシアは他の言葉を考えたが、ふと、言ってみたい言葉がぽろりと口を衝いて出た。
「【えらいね】」
最初の言葉も、後に続く言葉も、思いがけず自然と湧き上がってきた気持ちを、優しく語りかけるように、言葉にしていく。
「【ほんとうに、えらいね。すごく、たすかるよ。ありがとう。君がいてくれて良かった。ほんとうに良い子だね】」
それは、家族に言って欲しかった言葉。
それは、親にかけて貰いたかった言葉。
それは、頭を撫でて貰いながら優しい声で言って欲しい、お母さんの言葉だった。
アルテミシアの言葉に、今まで以上に跳ね回る胸の中の存在は、嬉しくて仕方がないようだ。
その反応に幽かに笑いながら、アルテミシアはもう一度周囲を見回し、そして、空を見上げた。
静かな森には、静かな音と色があった。
閉ざされた部屋とは違う、耳の奥を圧す嫌な静けさとは違う。
それは、小さな虫たちが歩く音。
それは、巣で身を寄せ合う狐の親子の吐息。
それは、木の上で身繕いをする梟の羽音。
それは、ごつごつした木々の間を抜け、なめらかな湖面を撫で、ぎざぎざの枝葉を揺らす風の音。
そして、それらを優しく包み込む、夜のとばりと月の影。
――世界は、美しかった。
「見えてるんだ、本当に」
月を見上げて呟いた言葉に、自分で零したその言葉の意味が、その時初めて実感を伴い、アルテミシアの心を揺さぶった。
水が一杯に満たされたコップが、揺らされて中身を零すように、きっとずっと我慢してきた心が揺られ、押されて涙があふれ出した。
「【だいじょうぶ。これは、だいじょうぶな涙だよ】」
あふれ出す涙と静かに泣いているアルテミシアに、胸の奥から心配そうな気持ちが生まれてくる。それに安心させるように、アルテミシアは優しく【だいじょうぶ】と紡ぎ続けた。
静かな夜の静かの森で、音もなく流れる涙のかわりに、月影がさらさらと鳴っていた。
「殿下!」
そんな切迫した鋭い声が響いたのは、髪をリボンで纏め直したアルテミシアが、そこらを歩き回って木の幹の手触りを楽しんだり、湖面に映る自分の顔を見て面白がったりしていた時だった。
「ローズ?」
決して間違えるはずがない、少年にとって一番心許せる人物の声に振り返ると、赤い前髪を振り乱し、緑の目を見開いた背の高い少女が、肩を上下させながら荒い息をついている姿が見えた。
その手には、赤いリボンが握り締められている。
日が落ちきる直前。森に入る手前で、川岸に引っかかっている見覚えのある赤いリボンを、緑の目が見付けたのだ。
結局、森に入る所で乗りつぶしてしまった馬に、騎士として自責の念を抱きながら感謝を捧げ、祈るような気持ちで川沿いを上り、クラウズェアは、こうしてここまでやって来たのだった。
「ローズだよね? ローズって、そんな姿をしてたんだ」
上下に視線を動かした少年は、赤い髪をあらためて見てみる。リボンと同じく赤い色で、リボンよりももっともっと好きな色だと、アルテミシアは思った。
「シア、なの?」
対して、クラウズェアは動揺していた。
眼前の少年が、アルテミシアだという確証が持てなかったからだ。
否、彼女の心は、この少年こそが幼なじみであり仕えるべき主であるアルテミシアだと訴えていた。だが、彼女の理性は違う判断をした。
黒曜石も斯くやと思わせる、しっとりとした黒く耀く長い髪は、氷のように白かった髪とは正反対だ。
そして、いつか見せて貰った水晶のように透き通った虹彩は、紅玉のように赤く色づいている。
しらず、よく見ようとクラウズェアが前へ踏み出した時だった。
「【だめ!】」
叫んだアルテミシアは、目許を両手で覆い隠した。
「シア?」
「【ちがうの。ローズはだいじょうぶだから。こわくないから】」
制止の叫びと、一転、優しく何かをなだめるような独り言を呟く眼前の少年に、ただならぬ切迫を感じたクラウズェアは、心が理性を押しのけて、アルテミシアに駆け寄っていた。
「シア、大丈夫? 何が怖いの? 何かあったの?」
少年の頭を胸にかき抱き、背中を撫でてやりながら、優しく問いかける。
この、突然のことに驚いたアルテミシアだったが、しばらく背中を撫でられたのち、
「うん。もうだいじょうぶ。この子も安心したみたい。ありがとう、ローズ」
穏やかな声で答えることができた。
「それは良かった……って、この子? さっきから、なにを?」
アルテミシアの両肩に手を置いて、顔をよく見ようと覗き込んだ時だった。
緑の目と、赤い目の、視線が合った。
「え?」
クラウズェアの心に、強い違和感が生まれた。
生まれながらの全盲であるアルテミシアは、本当は見えているのではないかと思わせる行動を取る事がある。
杖もなしに部屋を歩き回るのも、その一つだ。
だがそれは、慣れ親しんだ自室などに限られており、生まれてこの方、数限りなく繰り返した反復行動の賜なのだ。
それなのに。
今のアルテミシアはいつもとは違うように、少女には思われた。変わってしまった外見を抜きにして。
そういえば、『そんな姿をしてたんだ』と、最初にアルテミシアが言っていたのを思い出した所で、クラウズェアは目を瞠った。
「目が、その……」
紅玉みたいに赤い目を見ながら、もしも違ったらと、この繊細な少年を決して傷付けずに確認するにはどうすればと、そう思うと、それ以上は言葉が出てこない。
だが、アルテミシアはあっさりと、
「うん。見えてる。見えるようになったんだ」
クラウズェアだけが判る幽かな笑顔で打ち明けたのだった。
クラウズェアの顔にも、笑顔の大輪の花が咲いた。
「凄いっ、シア! 凄いよ!」
アルテミシアの両手を取って振り回し、抱きしめ、抱きしめたまま振り回し、少年が目を回してしまう寸前でやっと解放した。
「でも、どうしてそんな奇跡が? 神々のご加護? 常葉の森の神秘? 赤陽は吉事の徴だったの?」
興奮冷めやらぬクラウズェアの言葉に、
「この子のおかげなんだけれど――【だいじょうぶ? ……うん、わかった】――ローズ、驚かないでね?」
クラウズェア以外の“誰か”とも話している口ぶりに、訝しげな表情を浮かべる女騎士。
「今から紹介したい人がいるんだ。お願いだから、驚かないで? とっても臆病な子なんだ」
とても真剣なアルテミシアの雰囲気に、これはただ事ではないと感じたクラウズェアは腹をくくり、「わかった」と返事した。
「【出ておいで?】」
アルテミシアが言い終わった瞬間、
彼の側に、黒い塊が忽然と現れた。
「なっ?」
クラウズェアが悲鳴を上げなかったのは、実に、賞賛に値する事だった。
直径一mほどの黒く丸い塊。いや、塊ともつかぬ、霧のような朧の奥に、赤く不気味な光が灯っている。沼地や墓場に現れるという鬼火にも似ていたが、もっと得体の知れぬ妖しさがあった。
それが、アルテミシアのすぐ隣に、ふわりともせずに浮いていたのだ。
「ば、化け物!」
訓練の賜だろう。大切な人を守りたいという気持ちも強かった。腰を抜かすこともなく一瞬の硬直から脱した女騎士は、近い間合いに細剣は不利と咄嗟に判断し、腰の後ろに差した短剣を逆手で引き抜いた。
一連の動作は、実に素早かった。
だが、しかし。
「待って!」
幼なじみの緊張を肌で感じ取り、遅れて動いたアルテミシアが、より近い位置にいた事もあり、倒れ込むようにして黒い塊に抱きついた時、ダガーはまだ標的に刺さってはいなかった。
「シアっ、どきなさい!」
もはや、少年の髪が白に戻っていることなど、クラウズェアにとってはどうでもよかった。
緊急事態だった。
どういった訳かわからなかったが、アルテミシアは、なにか恐ろしく質の悪い魔物に誑かされているのだと、クラウズェアは思った。
けれど、
「どかない! この子を傷付けないで!」
アルテミシアは、言うことを聞かない。
「シア!」
いよいよ誑かされているのだと強く確信したクラウズェアが、アルテミシアが覆い被さっていない方をダガーで一突きしようと動いた時だった。
「【戻って!】」
少年の叫び声が終わる前に、何の前触れもなく揺らめきもせず、それは、現れた時と同じく忽然と姿を消してしまった。
黒い怪異は、消え去っていた。
「いなく、なった?」
油断なく辺りを見回し、ついで、短剣を手にしたまま小さな主に振り返った女騎士は、黒曜石の髪の下から見上げる、彼女にしか判別できないだろう恨めしげな色を帯びた目に、たじろいだ。
「シ、シア?」
「驚かないでねって、言ったのに」
年下のご主人様は、無茶なことを言った。
「シア、さっきのは? いいえ、そんな事よりも、早くここから離れましょう。化け物が戻ってくるともかぎらない。話はその後で」
そう言って腕を引く守護騎士に逆らい、主は動かない。
「シア?」
「……行けない」
「シア!」
「行けないよ」
恨めしげに見上げていた赤い目には、今は悲しみが満ちていた。
その、夜の暗さに浮き上がるように煌めく赤い目は、どうしようもなく先程の不気味な光を思い出させて、たまらなく少女を不安にさせた。
「行けないって、いったい」
「さっきの子はね、ここに居るんだ」
アルテミシアの両の手が、己の胸にあてがわれる。
クラウズェアの顔から、血の気が引いていく。
黙ったままの少女を見て、自分の説明が悪かったのかと、少年は言葉を付け足した。
「さっきからずっと、今でも、一緒にいるんだよ。……ねえ、どうしたの、ローズ? しゃべってくれないと、わからないよ」
他人の表情を読み取るという行為を、見えている人間ならば当たり前のことを、今の今まで“できなかった”アルテミシアには、幼なじみの顔が“絶望”にゆがんでいることなど、解らなかったのだ。
「この子のおかげで目が見えるようになったんだよ。とっても良い子なんだ。きっと、とっても良い子だよ。だからローズ。ローズ、どうかお願い。『よかったね』って、言って?」
親や周囲の人間から学ぶはずだった“表情”を、学ぶ機会のなかった盲目の少年は、変化の乏しい相貌の代わりに精一杯の“感情”を声に乗せ、大好きで大切な幼なじみにぶつけた。
「シア、わたしは……」
クラウズェアは混乱の極みにあった。何も考えがまとまらず、頭の中は真っ白で、そして、ただひたすらに怖かった。
アルテミシアが怖かったのではない。アルテミシアを取り巻く状況が怖かった。
青ざめた顔と、さっきから収まらない震えとで、端から見れば、今にも死んでしまいそうなほどの有様だった。
その時、ふと。
さきほどから指の骨が砕けるのではないかと思うほどに固く握り込んだダガーの事が、少女の意識にのぼった。
ダガーは、飾り気もなく実用一点張りの物で、何の特別さも持ち合わせてはいなかった。その柄を握り込む彼女自身の手は、来る日も来る日も細剣を握り、厚くなった皮と剣ダコで、およそ伯爵令嬢のものとは思えぬほどに無骨だった。
その手は、彼女の誇りであり、存在意義の証だった。
アルテミシアを守ると誓ってできた手だ。
『いま、何を守らなければならないのか』
女騎士は自らに問いかけた。
アルテミシアは、待っている。クラウズェアの言葉を。
ダガーを握る力を緩めると、肩の力も抜けた。そのまま、鞘に収める。
「ローズ」
不安げな声が、クラウズェアの耳に届いた。
「シア、良かったね。目が見えるようになって、良かった」
ぎこちない言葉だったが、それでも良かった。
彼女は守れたのだ、アルテミシアの心を。
その証拠に、アルテミシアの顔には、微かにだけど確かな笑顔が浮かんでいた。
その笑顔を見て、クラウズェアの決心も固まった。
「行こう、シア」
唐突な少女の言葉に、最初は驚いた少年だったが、力なく目を伏せた。
「行けない」
「どうして?」
「神殿に戻っても、一緒だよ。髪は白くなくなったけれど、この子の事が知られたら、きっと良くないことになるよ」
アルテミシアの言葉は正しかった。〈魔物〉を受け入れる人間など、この世には存在しない。人間等は、そう考える。普通は。
「じゃあ、どうするの?」
クラウズェアの問いかけに、しばらくうつむいていたアルテミシアだったが、ぽつりと漏らした。
「ここにいる」
「ずっと?」
少女は、静かに語りかける。
また、しばらくしてから、アルテミシアは答えた。
「ずっと」
「ここには、家もないし、ご飯もないんだよ? ずっといたら、死んじゃうよ?」
いままでで一番長く黙っていたアルテミシアだったが、夜風が奏でる小さな葉音にも負けそうな、可哀想なくらいに弱々しい声で言った。
「……死ぬしか、ないのかな」
「ばか! シアのばか!」
ぺちんと、クラウズェアの両の掌が少年の頬を挟み、地面を向いていた顔を上げさせた。
「そんなことを言うシアは嫌い。なんでも諦めるシアは嫌い。『死ぬ』なんて言うシアは、大嫌い!」
彼女の言葉に、とうとうアルテミシアの我慢していたものが壊れてしまい、たくさんの涙があふれ出し、頬の手をびしょびしょに濡らした。
「街へ出かけて、美味しいお菓子を食べよう? 草原や山を越えて、妖精も竜も探しに行こう? 見たこともないものを、たくさん見に行こう? そうして、楽しかったことの全部を、お話ししよ? みんな、二人一緒によ?」
涙で揺らめく赤い目を覗き込み、幼なじみの男の子に言葉をぶつける。
「でも……」
「『でも』じゃないの! そんな言葉は聞きたくないの!」
クラウズェアの目からも、涙が零れていた。
「わたしが守ってあげるから、言って欲しいの。わたしが叶えてあげるから、言って欲しいの。わたしは“シアの騎士”だから、言って欲しいの」
少女の言葉はまっすぐで。
純粋な祈りを捧げられた彩化晶が、律動をもって返すのに似て。
頑なになっていた少年の心を、とうとう震わせた。
「死にたくないよぅ……もっと、生きていたい」
嗚咽でしゃくり上げながら、アルテミシアはこれ以上ないくらいに心の中身をさらけ出していた。
自分より小さな主の、素直な気持ちを聞き出せた騎士は、満足そうに頷いた。
それから、一歩、二歩と後ろに下がり、泣き続ける少年に手を差し伸べた。
「手を取って。それから、命じて」
少女の、緑に煌めく眼を見上げてから、アルテミシアは前へ進み、その剣ダコのできた手を握った。
「ここから連れ出して、ぼくの騎士ローズ」