七章①『兄と弟』
七章
前王サイラスの葬儀は、新王エサルレッドの手により、粛々と執り行われた。
そう、王太子が、ここグリーンウェルに帰還したのだ。
それは、何とも慌ただしい数日だった。
遊学先から帰国したエサルレッドは、内々に簡易的な即位式を行い、王位に就いた。
王権を手にした若き王は、女王ベラの身柄を軟禁。これには、ベラも大人しく従った。彼女の権力を完全に剥奪してしまい幽閉なり処刑なりするかは、検討中だ。
それから、サイラスの葬儀。
同時に、今回の事件に荷担した者達を吟味し、その処罰を決する。
他にも、兵の編成や、破壊された建造物の修復、敷地の整備など、考えなければならないことは山積していた。
だから、兄弟がこうして静かに語らうのは、エサルレッドが帰国してから初めてのことであった。
いや、そもそもこの二人が、真実の血縁者であるにもかかわらずこうして兄弟水入らずの会話を行うのは、生まれて初めてのことだった。
「久しいな、アルテミシア」
母譲りの美しい金髪をした青年が、先に声をかけた。エサルレッドだ。
「はい。お久し振りです、お兄様。お目にかかれてうれしいです」
弟の方は、緊張で身を硬くしている。
その足下に落ちた影の中では、薄情者の兄への怒りを持て余したジャックが、何かあれば飛び出してやろうと待ち構えていた。
モリオンも、母の胸中でハラハラしながらグルグル回っている。
漂う緊張感の中、エサルレッドは深々と腰を折り、頭を下げた。
「すまなかった」
「え?」
突然のことに、アルテミシアは狼狽えるより他はない。
騎士の礼しか知らない少年は、誰もがごく当たり前にやるであろう“謝罪のために頭を下げる”という行為が分からないというのもある。
だがそれよりも、謝られる理由が解らないという部分にこそ、驚いたのだ。
「言い訳はしない。だが、君に肉親として何一つしてあげられなかったのは事実だ。私は酷い兄だ。恨んで良い」
この言葉には、ジャックは拍子抜けした。何か不届きな事でも言おうものなら、それを理由に暴れることができたからだ。だが、当てが外れた。そして、燻った気持ちは発散されず、影人間は益々不機嫌になった。
いっぽう、アルテミシアは、
「お兄様は、そのぅ……ぼくのお兄様ですか?」
この言葉に、エサルレッドの顔が上がった。
「勿論、そうだ」
この時、エサルレッドは弟の言葉をこう解釈した。つまり、遠回しに皮肉を言われたのだろうと。“お前など兄ではない”と。
だが、違った。
「よかったぁ。お兄様は、ぼくのお兄様なんですね」
白百合の蕾がほころんだようだと、エサルレッドは思った。
彼の弟は、表情にも、声にも、あまり変化がない。今もこうして話していても、そうだった。いや、クラウズェアならばその変化を感じ取ることはできただろうが、エサルレッドにはまだ無理だ。
だが、この時ばかりは違った。
彼にも――長い時を隔てて再会したばかりの兄にも、薄い表情の向こう、儚い声の中に、感情の色と弾むような律動を見付けることができた。
それは、喜び。
釣られて、エサルレッドの表情もほころんだ。
「ああ、そうだよ。私は君の兄だ。さあ、弟の可愛い顔を、私に見せておくれ」
「はい」
兄弟はそれから、限られた時間の中で、ぽつり、ぽつりと言葉を交わした。
一人の見送りも着けず、城を去って行くアルテミシアを、執務室の窓から兄は見送っていた。
「〈銀陰の子〉よ……〈金陽の欠片〉と歩む道は、どこへ繋がっているんだい?」
その呟きに、力強い声が答えた。
「それは陛下次第じゃないのか? そもそもどうして手放す? 大事な弟君だろう?」
名は、エグバート・セルペンティス。エサルレッドの幼なじみにして、現国王の近衛騎士。そして、クラウズェアの兄だ。エサルレッドと共に大学のある自由都市まで随行していたのだが、この度の件で、主に付き従って戻ってきたのだ。
エサルレッドは幼なじみを振り返り、こう言った。
「大事だから、だ。愛する者同士は、その思いの強さ故にお互いを縛る。だが、感情に従ってしまえば、たいてい愚かな結末にたどり着く。あの母のように。だから私は理性で考え、行動したのだ」
それは、信念だった。そして、エサルレッドは感情よりも理性に重きを置く男であった。
「ふぅん? そんなもんかね。まあ、陛下が言うなら従うが」
「二人きりの時には、“陛下”はやめて欲しい」
「はいはい、エサルレッド。これでいいだろ?」
「ああ」
一人は静かに、もう一人はニヤリと笑った。
「あの子はまだ幼い。いずれこの国に帰ることになるだろうが、それまでは自由にさせてあげたい。私が自由を得ていた代わり、と言ってはなんだが」
「自由ねぇ。あんだけしこたま勉学やらに励んでおいて、よく言うぜ。ぜんぶ殿下のためだろうが」
「ああ、そうだ。だが、そんな物は苦でもなんともない。あの子の苦しみに比べれば。それに、私はあの子を愛している」
「へぇへぇ。麗しい兄弟愛ですこって」
「そう言うエグバートの妹御はどうなんだい?」
「ローズか」
エグバートはガシガシと頭をかき、こう言った。
「あいつが幸せなら、それで良いさ」
「相も変わらず、大雑把だな」
だが、この兄が妹を大事に想っていることを、エサルレッドは知っていた。
「それより、〈彩化晶〉がたんまり手に入ったな。国庫が潤うぞ。どう使う?」
切り替えられた話題に、エサルレッドも頭を切り替えた。
「それはもう使い道が決まっているよ」
今回の一件で、貴族はもう当てにはならないことが露見した。
国王直轄の軍を作るべきだろうと、エサルレッドは判断した。そのためには、国のために尽くそうという、志の有る若者が欲しい。
だが、そんな有望な人間が果たして存在するのかが問題だった。
しかし、その件に関しては、アルテミシアとの会話の中で糸口を掴んでいたのだ。
「セロンという、弓の使い手に心当たりがある」
「ほう? 弓は、剣や槍よりも扱いが難しいからな。有り難い」
エグバートの言う通りだ。勿論、全ての武器に精通するためには、奥深い道のりを精進しなければならない。弓に限らず、剣も、槍も。
だが、剣や槍は、一定数の兵士に持たせて、陣を組んで進ませれば、ある程度の成果は出るものだ。しかし、弓はまともに射られるようになるまで、それなりの練習期間がかかる。ただ振り回せば良いという物でもない。
だから、弓使いは貴重なのだ。
「ひとまず、その若者を鍛え上げ、弓取りの長に据える。実験的に、弓を扱う騎士団を新設してみるつもりだ」
二人の話は、暫く白熱した。新王が激務に戻る、その時まで。




