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六章⑥『決戦』

「ローズ!」

 惨劇の舞台に駆けつけたアルテミシアは、それを見た。

 地面や木々が無残に切り裂かれた姿を。そして、大切な幼なじみの少女が、一瞬で燃え尽きるのを。

 だが、物を知らない少年は、目が()いてから数ヶ月しか経っていないこの男の子には、目の前の光景がよく理解できなかった。

 つまり、“死”というものを、である。

「なんてことだ……」

 ジャックが呻いた。その博識な影人間に、

「ジャックさん、ローズは? どこに消えたの?」

 アルテミシアは問いかけるが、問われた相手は応えることができない。

 その代わり、別の声が答えた。

「死んだのさ。燃えて灰になったんだよ。解るか? 哀れで愚かな、色なし王子。貴様もじきにそうなる」

 嘲弄ちょうろうの声をかけると、タイタスの巨体はじわりじわりと地を喰いながら、アルテミシアへと迫った。

「クソっ()れが!」

 殺意の塊となったジャックに、アルテミシアは問うた。

「ローズ、死んじゃったの? お父様みたいに死んじゃったの? もう会えないの?」

「お嬢ちゃん……」

 一刻も早くこの場から逃げなければならないのだが、白い頬を涙で濡らす男の子を、無理矢理動かす事が躊躇われた。ジャックは逡巡し、それでも心に鞭を打ってアルテミシアの体を動かそうとしたとき、

 その身から、モリオンが飛び出したのだった。

 モリオンは怒り狂っていた。タイタスの私兵団を壊滅させた時よりも、なお一層だ。だから、躊躇わずに《視線》を使った。

 相手は勿論、タイタス・ゴードンである。

【イツ、イツ。クツ、クツ】

「なんだ?」

 突然現れた魔物に驚きの表情を浮かべたタイタスは、何をする暇も与えられず――その身を、石に変えられたのだった。

 肉の身も、土の身も、岩の武具も、金属の武具も、その一切合切いっさいがっさいが。そして、砂となって崩れ落ちた、その砂山の中に、大きな〈彩化晶〉が、黄、青、橙と、三つ並んで転げたのだった。

 脅威きょういは去った。

 ジャックは、その大いなる超常の()(わざ)を目の当たりにし、声が出ない。

 モリオンは、己が成したことを見届けると、急いで母の体内に戻った。そうして、何とか零れ落ちる涙を止めようと胸中から語りかけるのだが、アルテミシアはますます泣くばかりだ。

 ――その時であった。

「ローズ?」

 話しかけられた……アルテミシアはそんな気がした。

 声のする方を向くと、そこには地に刺さる薄紅が目に映った。その薄紅から、声が聞こえるのだ。アルテミシアにしか聞こえない声が。

「お嬢ちゃん?」

 (いぶか)り声をかけるジャックには応えず、ふらふらと歩み寄ったアルテミシアは、薄紅の柄に、そっと触れた。

 触れた手から、(りつ)(どう)が伝わる。アルテミシアにしか判らない、命の律動(リズム)が。

「ローズ?」

 声をかける度に、(せん)(りつ)が流れる。まるで、呼びかけに応えるように。

「ローズ!」

 呼びかけに、歓喜の旋律メロディーが応えた。〈薄紅〉が、赤いかがやきを放つ。その赫きはあまりに強く、まるで紅蓮の炎そのもので、やがて熱も伴い本当の炎になった。

「うおっ? ちょっ、待っ――」

 その紅蓮に、身の危険を感じたジャックは慌てて動き、悲鳴混じりの声を上げながらアルテミシアの髪と背の間に逃げ込む。

 紅蓮は止まず、益々(ますます)盛んに燃え、赤を増し、熱を増す。だが決して、アルテミシアを傷付けることはない。

 そして、爆発するように燃え上がった火柱が空へ伸び、天を()いた後は、縮んで地に戻った。

 後には薄紅も無く、換わりに、人の女性の形をした炎が在った。

 体は、一定の色を持たない。赤、オレンジ、そして白を経て、青にもなる。刻々と色を変えており、体全体が一度に変わるのではなく、段階的な移行(グラデーション)をしている。

 髪は紅蓮で、腰まで燃え落ちている。

 そして、目は太陽の如き金色だ。

 それは、その炎の異形いぎょうこそが、クラウズェア・セルペンティスであった。

 クラウズェアは、束の間、眠りについた心地だった。タイタスとの戦いも、己の体が炎にまかれる瞬間も。そして、自分が死んだことを思い出し、今こうして居ることを不思議に思い、我が身を見下ろした。

 炎だ。足も、腹も、胸も。眼前に掲げた腕も、炎だった。

 炎の化け物だ。

 彼女の認識は現実を受け入れきれず、限界を迎えようとした。

 その、直前。

「ローズ!」

 炎の体に抱きつく者があった。

「シア?」

 クラウズェアにとって、この世で最も大切な存在。その少年が、こう言ったのだ。

「ローズ、きれい」

「え、……き……れ、い?」

「うん。とってもきれい。なによりもきれい!」

 この言葉で。

 そんな単純な言葉で、クラウズェアの心は落ち着いた。彼女の全てを、少年は()()れたのだ。少女は、受け容れられたのだ。

「シア!」

 クラウズェアも、炎の腕で抱き返す。

「ぎゃーーーっ?」

 死の恐怖に怯えるジャックが叫んだが、(ほう)(よう)を交わす二人には聞こえない。

 代わりにアルテミシアの耳に届くのは、クラウズェアの音だった。

 素直で、

 力強く、

 明るくて、

 (にぎ)やかな、

 楽しい音。

 ずっと聴いていたい音だとアルテミシアは思った。そして、包み込んでくれる熱もまた心地良く、ずっとこうして抱き合って、一つになってしまいたい(ほど)だった。

「シア、顔がびしょ()れよ?」

 まさか自分が原因で流れた涙だとは知らず、クラウズェアは白い頬をそっと(ぬぐ)った。それで涙は一瞬で蒸発したが、アルテミシアの肌を焼くことは無い。

「ちょっとおかしい! なんかおかしい! 二人とも離れて! とりあえず離れて!」

 それまでずっと悲鳴混じりに騒ぎ立てていたジャックの声は、やっと二人の耳に届いた。その声に促され、身を離して辺りを見ると、信じられない事態が起こっている最中であった。

「なんだ、あれは?」

 クラウズェアの金色の目には、砂山が(ひき)(にく)の山へと変わっていくのが見えた。

「まだ死んでねぇのかよ」

 気味悪そうにジャックが漏らす。

「【モリオン? ……うん、おねがい】」

 我が子の提案に応じたアルテミシアの体から、モリオンが出てくる。そしてまた、《視線》を肉塊へと向けた。

 すると、先程の再現で、(うごめ)く肉が石化し、砂になる。だが、その中心で三つの彩化晶が強い輝きを放つと、今度はすぐさま砂から肉へと戻っていく。

 いや、砂を喰って肉に変えているのだ。

「オエーッ、吐き気を(もよお)す光景ですねぇ」

 宿主の髪の隙間から覗き見たジャックが、率直な感想を述べた。

「うむ、同感だ」

 クラウズェアが(しゆ)(こう)する。

「どうしよう?」

 モリオンを身に収めて視力を得たアルテミシアが、二人に問いかける。

「一目散に逃げるってぇのはどうですかい?」

 このジャックの提案に、

「そんな訳にいくか!」

「ぼくはここを守りたいの」

 二人は即答した。

「あ、やっぱそうですよねぇ。んじゃあ、戦うしか手はなさそうだ」

「うん、戦おう。ぼくが“固める”から――」

「ダメです」

 アルテミシアの提案は、途中でジャックに却下された。

「どうして?」

「シア嬢ちゃん、さっき《視線》を使いすぎて、頭イタイイタイになりかけたでしょう? もうダメです。今日はお終い」

「そんな。こんな大変なときに――」

「シア、めっ」

 食い下がるアルテミシアを、両手を腰に当てたクラウズェアが怒って見せた。

 (しか)られたアルテミシアは、しょげた仔犬みたいに頭を垂れる。

「わたしが行こう」

 黒髪を撫でながらクラウズェアが言う。

「うっひゃ? ……そうですねぇ。ところで姐さん、〈薄紅〉はどうしたんです?」

 伸ばされた炎の手に驚き引っ込み、髪のかげから問うジャックに、燃え盛る手を胸に当て、クラウズェアは答えた。

「うむ。この身の内にあるというか、体そのものが薄紅というか……よく判らん」

「んじゃあ、殴ったり蹴ったりするしかなさそうですねぇ」

「ん……む、そうだな。何とか頑張ってみよう。ところで、敵は風の共鳴術と火の共鳴術を使う。それから、気味の悪い(つち)(くれ)(つぶて)を飛ばしてくる。だから、二人は遠くに下がっていて欲しい」

「共鳴術ですかい? そんならあっしには効きませんし、お嬢ちゃんにも効きませんよ」

「効かない?」

「うん」

 ジャックの言葉を受けて、アルテミシアが答えた。

「以前、火の共鳴術を受けたことがあるんだけれど、なんだか、熱くなかったよ。体の中を素通りしていく感じ。妖精境の方が暑かった」

 少しだけおかしそうに言うアルテミシアに続いて、ジャックが言葉を補った。

「お嬢ちゃんは不思議ぃーな体質をしておりやして、共鳴術を吸い取ってしまうみてぇなんですよ、ええ」

「吸い取る?」

「はい。だから、共鳴術は効きません。そいから、飛礫(つぶて)なら避けますから大丈夫」

「何故、そんなことが判る? いや、一度は火の共鳴術が効かなかったこともあったのだろうが、だからといって、全ての共鳴術が掛からないとは限らんだろう?」

「んー……豚みてぇな侯爵が云ってました。お嬢ちゃんは特別な子で、神秘の力があるって。あと、影の国の医術で見立てたところ、やはりそういう診断結果が出てます」

 ジャックの言葉はめちゃくちゃであった。アルテミシアの体質に関しての知識は、〈練丹洞〉の手記から得たものである。ましてや、“影の国の医術”であろうはずがない。

 だが、この説明でクラウズェアは納得した。

「なるほど。侯爵は代々神官の家系と聞く。この世の神秘に通じているのだろうな。それに、ジャックの見立てなら、間違いあるまい」

 理に明るくない彼女だからこそ、そう素直に信じたのであった。それに、ジャックのお(すみ)()きであるならばと、そう判断したのだ。

 この信頼に、当のジャックは大変心苦しくなってしまったが、そんなことは顔に出さず――出す顔も無いのだが、ともあれ、しれっとこう言ったのだった。

「ほい、作戦終了。じゃあ、おっぱじめましょう!」

 作戦も何もあったものではない。だが、悲観も自棄も無く、ただ楽観の空気があった。


 クラウズェア達が話している間に、タイタスは復活していた。いや、よりその脅威を増していた。

 身長一〇mの巨人が、(ひざまず)いた姿勢から立ち上がる。まるで見張り(やぐら)のようだ。

 (つち)(くれ)の体を、分厚い岩石の鎧が覆い尽くし、右手には岩石剣、左手には岩石の盾。更に、剣はごうごうと燃え上がっており、盾は風を巻き起こして(すな)(けむり)を上げている。

 首の上には、巨体に相応しい巨大な大兜が()えられ、面頬(バイザー)の向こう側で、肉が(うごめ)いている。

 その巨人に、クラウズェアは駆けた。

 まるで体重を感じさせない(かろ)やかさで。いや、実際に炎の体となった今では、人の身の重さなど無いのだ。

 それに対し、タイタスは業火の岩石剣を振るった。その動きは、以前よりも速い。

 ところが、頭上に迫った大剣を、なんと、クラウズェアは避けもしなかった。

 彼女の紅蓮の髪に大剣の業火が触れたとき、美しい炎身の姿はそこには無く、タイタスの右手――大剣を握る手の上にあった。

 炎を渡って、一瞬で移動したのだ。

 それから、巨人の手の甲辺りを、炎の拳で殴りつけた。

 打ち込んだ拳の威力は巨人の手を砕き、地に剣を落とさせた。しかし、クラウズェアも後方に吹き飛んでしまった。

 威力の強さに対し、彼女の体重が軽すぎて、踏ん張りが()かないのだ。

「突きの反動を下に落とせるようになりましょう」

「面目ない」

 側に降ってきたクラウズェアに、ジャック先生が指導する。

「ローズ、格好良い」

「あ、ありがとう」

 主からの飾らない(さん)()に、炎の女神の如き少女は照れた。

「んまぁっ? お喋りは後にして下さらないっ?」

(こころ)()た」

 嫉妬しっとに狂う(みにく)い影人間から追い立てられ、再度、クラウズェアは立ち向かった。

 だが、この短い間に事態は変わってしまっていたのだ。

 砕かれた巨人の手は元に戻っており、大剣もその手にある。

 再生したのだ。

 その代わり、樹木のように太い足から周囲の土を吸い喰らい、身を(きず)く材料としている。自然、巨人の足下が少しだけすり(ばち)状にへこんだ地形となる。

 その復活した巨人へ迫ったクラウズェアだが、今度は上手くいかなかった。

 風を(まと)う大盾が振るわれて、その突風で炎身が吹き飛ばされてしまうのだ。

「フキトバシテヤル……タタキツブシテヤル……クラッテヤル……」

 巨人が、声を発した。

 それはもはや、タイタスの物とは思えぬ、知性の光の無い、不明瞭ふめいりょうで、(にご)った音だった。

(あわ)れな」

 こうなってしまうと、憎い敵だったはずの男に対し、憐憫れんびんの情にも似たものを感じる。だが、同情するつもりはクラウズェアにはなかった。

 炎身が大盾を避け、大剣の方から回り込もうとする。だが、巨人もそうはさせない。

 巨人が左手を振るい、クラウズェアが攻めては退くを繰り返していると、大兜に覆われた巨人の頭部に、木の棒が突き当たった。

 倒れていた木々から、枝の一つを槍に見立て、ジャック=アルテミシアが投げたのだ。

 これは、巨人にとっては痛くもかゆくもない攻撃であった。だが、その目を一瞬だけくらますことはできた。

 この好機を逃すクラウズェアではない。

 盾を避け、巨人の足下に飛び込んだ彼女は、その大木の(みき)を思わせる足に向かって、飛び蹴りを放った。

 それで、巨大な片足が砕かれた。

 蹴りの反動をあえて使い、もう片方の足にも跳び蹴りを打ち込んだクラウズェアは、崩れ落ちる巨体の下から飛び退(すさ)った。そして、地に膝と両手を突き、(ぜん)(けい)した巨人の背中を駆け上ると、大兜に覆われた後頭部めがけて、腕を振り上げた。

 薄紅の代わりに、指をそろえ、刀に見立てて作った掌を振り下ろす。

 鋭利な炎が打ち込まれ、巨人の頭を一刀両断にしてしまった。

 巨体が、崩壊を始める。

 崩れ落ちる土砂に巻き込まれまいと、肩を蹴り砕きながら飛び退るクラウズェア。

「やったか?」

 期待を込めて発された言葉に、

「まだみたい」

 アルテミシアが答えた。

 事実、少年の目と耳には、崩れゆく巨人の体が、なおもしぶとく生に執着しゅうちゃくし、周囲を貪り喰いながら広がっていくのが、銀の霧とその音とで理解できたのだ。

「殺気とも言い切れねぇ、重くてドロドロした醜悪しゅうあくな気配が満ちてますねぇ。まさに“邪気”と呼ぶに相応しい」

 呆れたようにジャックが述べる。

 よく見ると、クラウズェアの目にも、地面が変色し、土と溶け合うように広がっていく不気味な現象が見て取れた。そればかりか、共鳴術を行使する際に見せた、風が吹き込み、気温が下がるという異変も起こっている。

 (とど)まることを知らない貪欲な広がりは、じわじわとその範囲を拡大し、草花も、木々も、呑み込みながら、アルテミシア達の方へと迫ってくる。

 浸食の速度はさほど速くはないが、巻き込まれれば危ないだろう。不幸中の幸いであったのは、フィデリオが飛ばされた方へは、その(はん)()を広げていないことだろうか。

「まずいな、これは……シアっ」

 ここに居ては呑み込まれると、アルテミシアを抱いて後方に大きく飛び退るクラウズェア。

「ありがとう、ローズ」

「どういたしまして」

「しかし、どうしたもんですかねぇ」

 ジャックが腕組みして唸る。

「ねぇ、あれはぼくたちの方へ進んできてるみたいだけれど、ぼくたちがここから居なくなったら、おとなしくなってくれるかなぁ?」

 その少年の問いに、それぞれ二人が答えた。

「それは、すこし不味いかもしれないわ」

「そうですねぇ。あっしらが消えて大人しくなってくれりゃあ良いんですが、そうでなかった場合、野郎がどう動くか。なんかもう、人としての思考を失っちまってるっぽいですし、目標を見失ったら()(さく)()に周囲を呑み込みまくって、どんどん広がっていく可能性もありやすからねぇ。そしたら、お城も、もしかすっと城下町まで全部が喰われちまう未来も、無きにしも(あら)ずってーか」

「そんなの、ダメだよ」

 即答したアルテミシアに、

「ま、そうですよねぇ」

 ジャックが頷いた。

 ジャックとしては、このまま逃げてしまいたいところだったのだが、他の二人がそれを良しとはしないだろうと思っていた。だから、頭を悩ませているのだ。

 一方、クラウズェアも考えあぐねていた。このまま逃げるなど論外だが、かといって、先程の巨人のような体がある訳でもない相手に、一体どう攻めれば良いのか、判らない。

 動かない……いや、動けない二人を見て、アルテミシアが行動に移った。

 不思議を操る神秘の眼で、タイタスだったものを、見た。

 まるで、時が止まってしまったかのように、浸食現象が止まった。

 だが、広範囲への視線の負担は大きく、これまでも目を使ってきたアルテミシアは、すぐに限界を迎えようとした。

「シア、ダメ!」

 ()(もん)の表情を浮かべ始めた少年に気付き、クラウズェアが炎の体で視線を(さえぎ)る。

 同時に、モリオンは母の思いに(そむ)き、その身から抜け出し、視力を(うば)った。

「ど、う、してぇ?」

 見えぬ目から、苦痛と悔しさで涙を流し始めるアルテミシアと、彼の側でおろおろしながら赤い光を(めい)(めつ)させるモリオン。

「このままじゃ、お城が、なくなっちゃう。お母様たちの、家、なのに。ぼくの、家族の、家なのにぃ」

「シア……」

 炎身が、白い髪を持つ華奢な体を抱きしめた。

「ロぉズ」

 温かな体に、少女の熱に、アルテミシアも白い腕を回した。

 ――すると、どうだろう。

 二つの体が、まるで水や光が重なり合って一つになるみたいに、一人の存在へと完成されたのを、ジャックは見たのだった。

「こいつぁ、いったい……」

 “神々(こうごう)しい”という言葉が、これほど適切に使われる存在を、ジャックは生まれて初めて見た。

 神々しく、清らかで、高く澄んだ空の清浄さと軽妙けいみょうを。そして、深く(くら)い地の底に集まる圧倒的な質量を持った、荘重そうちょうなる(かたまり)。それらが同居した、人には推し量ることのできない(せい)(いき)が、人の身を写して現れ出たようであった。

 ()(たけ)は、クラウズェアとアルテミシアとの、ちょうど中間くらい。地に届かんばかりの長く波打つ髪は白金の色を()び、生者の髪とは思えない(きん)(ぞく)(こう)(たく)は、まるで(かがみ)だ。

 そして、両の(まなこ)()(がね)(しろ)(がね)。左目に(きん)(よう)を、右目に(ぎん)(いん)を宿したよう。

 段階的に移行(グラデーション)する炎が()(せん)(から)み、華奢な身を(ころも)のように包んでいる。

 その()(れん)で、美しく、恐ろしい姿を、いつの間にかモリオンの影に存在を移していたジャックが、もう何も思考の余地はないとばかりに、ただただ、心と感覚の全てを()()けられるままに、二人を――シア=ローズを見ていた。


 アルテミシアは彼自身でありながら、同時に、クラウズェアでもあった。また、少年が少女を包み、それでいながら、少女の中に少年が内包されてもいる。

 それは、クラウズェアにとっても同様だ。

 少年少女は、お互いで一つの存在であったが、アルテミシアはアルテミシア以外の何者でもなく、クラウズェアもまた(しか)り。同時に、クラウズェアにとってアルテミシアはなくてはならない(はん)(しん)であり、アルテミシアもまたそうなのだ。

 決して交わらないはずの“個”であるのに、これ以上なく()()の存在。

 ――それは、究極(きゅうきょく)調和(ハルモニア)

 二人は、()()(そく)なく、非常に満ち足りた心地であった。

 金眼と銀眼は、人の持つ肉眼とは違い、風景を映し出すことはない。だが、別の視点から世界を()ていた。眼は前を向いてはいるが、視線の向かう先のみならず、背後も、そして、天と地も同時に観ている。

 その特別な両眼が映すのは、命の輝き。

 輝きは脈動みゃくどうして知らせる。命の音を。

 一つとして同じ物はない命の音は、この世のあらゆる物、あらゆる場所に満ちている。

 輝きと音の(こう)(ずい)に満たされた世界。

 世界はとても自由で、そして、美しかった。

 だが、その光と音の、美しい世界の中にあって、自由にならず、ひしめき合っている音の()れがあることに、二人は気付いた。

 タイタスだったモノと、それに取り込まれたモノ達だ。

 広がり、呑み込み、溶かし、染み込み、腐らせ、分解し、同化する。風を吸い込み、熱を吸い()り、土を(おか)し、草木を喰い、二人に迫る。

 皆で居るのに、重ならず、(つな)がらず、分かち合わず、調和することが無い。究極(きゅうきょく)()(りつ)

 それは言っていた、「欲しい」と。「苦しい」と。

 自由なはずのこの世の中で、とても不自由そうだった。

((かわいそう))

 シア=ローズは思った。(とら)われているそれを、解放してあげよう、と。

 二人は、右手を(かか)げた。

 そうすると、空から(しら)(ゆき)のような(りん)(こう)深々(しんしん)と降り始め、月影を(くだ)いて振りまいたみたいに、皓々(こうこう)と地に積もった。

 それは、ごっちゃに絡み合い、引っ張り合うタイタス達を()きほぐし、これ以上周囲を貪り喰うのを止めさせた。

 次に二人は、左手を掲げた。

 すると、先程の(ゆう)(げん)()(わざ)とは打って変わり、(ごう)()が吹き上がった。まるで炎でできた竜が、空に(かけ)(のぼ)るように。

 浸食されていた範囲を焼いた炎竜は、天を衝き、やがて、黄金と弾けた。

 その光の中からは、青と、橙と、黄と、赤の〈彩化晶〉が無数に飛び散り、雨のように地に()(そそ)いだ。

「夢でも見てんのか?」

 おとぎ話の中の、ことさら(げん)(そう)(てき)な風景を切り取りでもしたかのような()(せき)()りしきられながら、ジャックは呆然と呟いた。

 その隣では、二人の勝利を喜ぶモリオンが、(まり)のようにちゅうで弾んでいる。

 アルテミシアとクラウズェアの二人は、見事に脅威きょういを退けたのだった。


 その劇的な勝利の舞台から、フィデリオは、いつのまにか姿を消していた。

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