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六章⑤『化け物』

このお話(始まりのお話し編)も、もうそろそろお終いとなります。

そこで、いつも読んで下さってる皆さんに感謝の気持ちをお伝えしたかったので、この場を借りてお礼申し上げます。

本当に、ありがとう御座います。

好きで執筆していることではありますが、やはり、それを他人に読んで頂けるというのは、また格別の嬉しさがありますから。

ともあれ、あともう少しおつきあい頂けたら幸いです。


 クラウズェアとフィデリオの二人は、化け物と戦っていた。

 そう、化け物だ。

 地面に突き出た巨人の上半身。(つち)(くれ)でできた巨体は、肩から腰までがおよそ2.5m。それを、岩の鎧が覆う。

 右手には、クレイヴ・ソリッシュを模した大剣が握られ、剣身のみで一〇m。

 左手に(たずさ)えた騎士が持つような五辺形の大盾は、あまりの大きさに構えることができず、横に寝かせて地に置かれている。

 その勇壮に(そび)える(いわお)の上半身とは裏腹に、腰から下は嫌悪を誘う。泥と(ひき)(にく)()ねて作ったのかと思わせる、ドロドロとした不定形の塊が(うごめ)いており、おぞましいことに、地面や触れる物の全てを溶かし喰っている。それに食い散らかされた跡が、()()がった川のようにくぼんだ道を作っている。その道は、まるでナメクジが()った跡を想起させてならない、奇っ怪なヌメリによって塗りたくられている。

 これほど大地が(けが)される(さま)を、恐らく誰も見たことはないだろう。

 そして、その大地の冒涜者ぼうとくしゃたる巨人の首の上。本来であれば頭が乗っかっている部分からは、甲冑姿のタイタス・ゴードンの上半身が突き出ていたのであった。

 右の腕には、黄金剣クレイヴ・ソリッシュ。腕と剣が溶け合い、手首から先に剣身が生えている。

 左の腕は、これまた奇っ怪。斬り飛ばされた二の腕の先が、異様に長い。だらりと垂れ下がったそれは、人の身とも、自然界の物とも思えない。あえて例えるなら、ミミズのお化けか。様々な色が混ざりきれずに絡み合う、まるで、濁った(にじ)だった。

 そんな化け物と、二人の騎士は戦っていたのだ。

 いや、戦いと呼んで良いものか。

 そもそも、タイタスに近寄ることが難しいのだ。

 まず、動きが速い。

 巨大な岩石剣だが、大きいということは長いということである。柄を握る手をほんの少し動かしただけで、剣の切っ先は大きく動く。そして、速い。更に、剣がなぎ払う範囲が広い。その攻撃範囲から逃れるので精一杯なのだ。

 仮に、剣をかいくぐって近寄れたとしよう。だがまだ、小屋ほどもある岩の大盾がある。その向こうには、これまた(いわお)の大鎧。そして、その腰から下にうごめく不気味な塊には、おいそれと触れる訳にはいかない。

 騎士達が手も足も出ないのを見下ろしながら、タイタスは心の底から湧き上がる()(えつ)(おさ)えられないでいた。

「遅いなぁ。遅い遅い!」

 縦に、横に、岩石剣を振る。ただそれだけで、矮小わいしょうな者達は必死で逃げ惑う。

 生まれ変わった心地であった。

 否、実際にタイタスの体は作り替えられ、より強く、より大きくなった。もはや人の(くく)りから外れた超越者。――もう誰も、血統や、母親が誰であるかなど、陰口は叩かせない。タイタスは、血よりも、家柄よりも、なお強大な力を、その身に宿したのだから。

 岩石剣が、また並木の一本を切り倒した。

「どうしたものやら」

 飛び退りながらフィデリオが呟き、

「くっ、化け物め!」

 クラウズェアは切羽詰せっぱつまった(あく)(たい)()いた。

雑魚(ざこ)共め! 逃げるだけか? 騎士らしく、剣を交える勇気もないか!」

 なぎ倒した木を、おぞましい下半身で溶かし喰らいながら、タイタスは挑発ちょうはつする。

 勿論、そんな挑発に乗る二人ではなかったが、かと言って、逃げ続ける訳にもいかない。

 騒ぎを聞きつけた兵士達が集まってきたが、恐慌きょうこうをきたして逃げ去るか、(きも)(つぶ)して遠巻きに眺めることしかできない。

 ()()(もと)で薄紅の炎を浴びせかけてはみたものの、巌の表面を熱するにとどまり、クラウズェアの怒りに(まき)をくべるだけの結果となった。

 その、蛇の舌のように伸びた薄紅の走り火を見て、一計を案じたフィデリオが、クラウズェアにそれを(ささや)いた。

 それに頷く赤毛の騎士。

「タイタスよ!」

 クラウズェアは叫んだ。

(ずう)(たい)ばかり大きくなって、総身に知恵が回りかねているようだな! ただ()(たら)()に剣を振り回すばかりではないか!」

「なんだと?」

 この挑発に、額に青筋を浮かせながら女騎士を睨み付けるタイタスの、その(へき)(がん)は血走って濁っている。

「もっとよく狙ったらどうだ? わたしはここだ! そんな(なまくら)剣なぞ、我が名刀で受け止めてくれる!」

 この言葉がいよいよタイタスの理性を消し飛ばし、

「ならばっ、受けてみろ!」

 頭上にかざされた細い(わん)(とう)ごと、女の身を叩き潰さんと、岩石剣が風を巻き上げ振りかぶられ、(うな)りを上げて振り落とされた。

 無論、馬鹿正直に受け止めるつもりなど、クラウズェアにはない。彼女は、左手側に避けた。

 だが、ただ避けただけではない。

 〈薄紅〉の刀身が燃え上がり、切っ先から空中へと()(れん)が走る。炎でできた蛇の舌は真っ直ぐに伸び、タイタスの顔を(おそ)った。

「ぬぅっ?」

 大盾は間に合わない。仮に間に合うとしても、岩石剣が邪魔で上手く動かせないだろう。そこでタイタスは巨腕でない方の右腕を動かし、クレイヴ・ソリッシュの剣の腹で炎を防いだ。

 炎が剣身を舐め、僅かに赤熱させたが、それで終わりだ。

 光の剣をかざしながら下を(のぞ)くと、女騎士の姿があった。

 だが、フィデリオの姿は無い。

「どこだ?」

 慌てて首を巡らせれば、タイタスの左後方に、目当ての人物は居た。クラウズェアが()(くら)ましをしている隙に、大盾のかげに隠れて回り込んでいたのだ。

 そしてフィデリオは、既に(とう)(てき)動作を終えて短剣を放ったところであった。

「ぐあッ!」

 悲鳴を上げてのけぞったタイタスの、その左目に、深々と短剣が突き刺さっている。その刃は脳まで達していた。

「知恵の勝利だ」

 不敵な笑みとともに、フィデリオは言った。

 だが、その勝利宣言も(つか)()

 タイタスに突き刺さった短剣が、(がん)()の中にズルズルと呑み込まれ、消えていく。

 喰っているのだ。

「なに?」

 さすがのフィデリオも、驚きを禁じ得ない。

 そして、タイタスの左腕から垂れる不気味な長腕がフィデリオを向いたかと思うと、筒状つつじょうの先端から、金属の弾丸が発射されたのだった。その金属弾は、タイタスの体内で作り替えられた、短剣の成れの果てであった。

 フィデリオは、後ろに飛び退る。

 飛び道具に対して、後ろに避けることは愚かの極みである。何故なら、直線で飛んでくる物に対し、その射線上から退()くことにはならないからだ。

 だが、フィデリオにはそうせざるを得ない理由があった。

 金属弾の射出と同時に、巨人の大盾が横薙ぎに振るわれていたからだ。

 右は、タイタスが()った不気味な(みぞ)がある。左からは、大盾が迫る。細剣を抜いていれば、弾丸を叩き落とすなり逸らすなりできたかもしれないが、投擲のために鞘に仕舞われていた。片腕の不利が(たた)ったのだ。

 唯一の救いは、高所からの射出により、金属弾の射線が地面と水平ではなく、斜めに撃ち下ろす軌道であったことだろう。

 フィデリオのステップバックは俊敏だった。おかげで、胴体への直撃を避けることができたのだ。

 だが、無事という訳にもいかなかった。

「くっ」

 地面を蹴るのに使った左足が、丁度膝を撃ち抜かれ、千切れ飛ぶ。

 だが彼は、恐るべきバランス感覚を発揮し、倒れなかった。

 続いて迫る大盾を、残った右足を軸にしながら、切り落とされて短くなった左腕と、無事な右腕を使い、身を守る。

 衝突と同時にフィデリオの両腕はひしゃげ、だが、頭と胴体は何とか守った。

 しかし、さすがにその場に踏みとどまることは叶わず、何メートルも弾き飛ばされて、遊歩道の整備道具を仕舞う園芸小屋にぶつかり、くずおれた。

「先生ッ!」

 クラウズェアが悲鳴を上げると、

「案ずるな、大した事は無い」

 すぐさま、弟子への師の返答があった。相変わらず傷口からは血の一滴たりとも零れてはおらず、苦痛のうめき声も発していない。

「ふんっ、〈自動人形(オートマトス)〉か。畜生(ちくしょう)以下の哀れな存在め」

 タイタスが()(べつ)混じりに吐き捨てた〈自動人形〉とは、太古の統一王国時代に作られた、彩化晶を動力源とするカラクリ人形のことである。自発的な思考ができずに家事や土木作業などの単純労働をする物から、まるで人間さながらに動き、話し、思考する物まで、様々あったと云われる。旧大国の滅亡と共に製造技術も失われたと云われているが、定かではない。

 フィデリオは、タイタスの嘲弄ちょうろうには応えない。

 だが彼の代わりに、口を開いた者があった。

「私の先生を()(ろう)するな」

 クラウズェアであった。

 決して大きな声ではなかったが、まるで彼女の深い怒りが剣に乗り移ったかのように、炎を吹き上げている。

「ほう? 生者でないガラクタを“先生”呼ばわりか?」

 タイタスが言い終わる前に、クラウズェアは駆けていた。

 待っていたとばかりに振るわれる、長大な岩石剣。

 横薙ぎに迫るその剣を――なんと、クラウズェアは薄紅で斬り裂いてしまった。

「なにっ?」

 タイタスの驚愕きょうがくをよそに、その身に迫る女騎士。

 だが、そこまでだった。

「くっ?」

 炎が風で揺らいだような――。そんな奇妙な、胸騒ぎにも似た感覚を覚えた時、クラウズェアは咄嗟に立てた薄紅を体の正面にかざしたのだった。

 風が、吹き抜けた。

 (かま)(いたち)を伴った突風が、タイタスの前面に発生し、クラウズェアを吹き飛ばしたのだ。幸い、薄紅のおかげで直撃は受けていない。

 並木や地面を切り刻み、辺り構わず傷を付けていく風の刃。

 後方に吹き飛ばされたクラウズェアだったが、薄紅をかざしている限り、その身が刻まれることはなかった。だが同時に、突風で前進することもできない。

 更に驚くべきことが起こった。

 薄紅で斬り飛ばされたはずの岩石剣が、みるみる元の姿へと戻っていくのだ。

 これには理由がある。

 突風や鎌鼬は、青い〈彩化晶〉の力だ。ノーマンの物を呑み込んだとき、備わった力だ。

 再生の力は、これは哀れな女共鳴術師の力だった。赤い彩化晶こそ取り込んではいないが、その“熱情”の律動が宿ったのだ。それに、石がなくとも今のタイタスであれば共鳴術は使える。

 人と彩化晶とには、(りつ)(どう)がある。

 だがそれ以外のものにも――獣も、山川草木や大気にさえも、アルテミシアが見ている風景が証明しているように、あらゆるもの、あらゆる場所に〈銀の霧〉は存在した。

 銀霧――すなわち、彩化(こたいか)していない〈月の雫〉である。

 共鳴術には彩化晶が使われるが、彩化晶は銀の月から零れ落ちた物が彩化(こたいか)したものであり、〈銀霧(きたい)〉としてならあらゆる場所に(へん)(ざい)している。

 タイタスは、それを取り込んだのだ。

 命が刻む律動(リズム)と、タイタスへと向けられる(くる)おしくも(ひた)()きな熱情の(メロディー)とを。

 女の愛が、タイタスの傷付いた体をやし、岩石剣を再生させる。

「俺は無敵だッ!」

 タイタスは吠えた。

 周囲の大気を吸い溶かし、減った青い石を補充する。そして、《突風》と《鎌鼬》の共鳴術を放つ。

 クラウズェアは、風の圧力を地面に逃がし、今度は吹き飛ばされることはなかったが、その場に止まることもできずに後ずさる。

「ちっ」

 薄紅によって風の刃が阻まれるのを見て取ったタイタスは、風の共鳴術を止め、濁虹色の長腕を向けた。そして、地面と、それから兵士達の体を貪り食い、混ぜ合わせて作った土弾(タスラム)を撃ち出す。

 狙いは当然、クラウズェアだ。

 次々と撃ち出される土弾は、女騎士の体の至る所を狙って射出される。上下左右へと次々に撃ち分けられる土弾に、クラウズェアも薄紅だけでは対処しきれない。斬り、叩き落とし、逸らし、あるいは動き回って避けたり、並木などの遮蔽物しゃへいぶつを取って身を隠す。だが、いくつか土弾を撃ち込まれると、遮蔽も破壊されるので一カ所には止まれない。

 しかも――なんと恐ろしくもおぞましいことか。土弾(タスラム)がぶつかり(はじ)けた地面や木の幹では、巨人の下半身と同じく、浸食しんしょくのような現象が起こっているのだ。浸食は長続きせず、広範囲に広がりこそしなかったが、それに当たれば恐らく、まともな死に方はできないだろう事は予想された。

「鬼ごっことは。女子供しかやらん遊びだぞ? いやはや、お前にはむしろ相応しいか」

 高笑いに混じり、嘲笑の言葉が放たれる。

「挑発に乗るな!」

 身動きの取れないフィデリオが、鋭く弟子に忠告を飛ばす。

「ガラクタは黙っていろ!」

 声の方へ放たれた土弾は、フィデリオに直撃こそしなかったものの、園芸小屋の壁を撃ち壊し、()(れき)で彼を埋め尽くしてしまう。

「先生!」

「お前の相手は俺だろうが!」

 そう言って土弾を乱射するのだが、クラウズェアには当たらない。

「ええいっ、相も変わらずちょこまかと!」

 忌々しげな叫びと共に、土弾は止んだ。だが、また違った異変が生じる。

「なんだ?」

 クラウズェアは違和感に気がついた。

 気温が下がり始めたのだ。

 春とは言え、まだ寒風の吹くこの辺りではあったが、更にそれを(しの)ぐ、冬に逆戻りでもしたのかと思わせる冷気が満ち始める。

 否、そうではなかった。

 冷気が発生したのではない。熱が奪われているのだ。

 タイタスは、土や風と同じく、周囲の熱まで貪り始めていた。そして、体内にある(だいだい)の彩化晶を使った。

 タイタスの眼前に、火の塊が生まれる。

「なにっ?」

 そして、驚くクラウズェア目がけて、その《火球》から(えん)(すい)状に炎が吹き出した。

 咄嗟に木陰に飛び込んだクラウズェアだったが、それは無意味だった。

 何故ならば。

 (しや)(へい)にした樹木ごと焼かれ、()(たい)も残すことなく、()()()()()()()()()()()()のだった。

 跡には……

 赤毛の騎士が存在した印を残すかのように、薄紅が地に突き刺さるのみであった――

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