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六章③『師弟対決』

「おおきいね」

 近づくにつれ、城の()(よう)が視界を占めていく。

 東の大陸にある、いくつかの大国に比べれば、(けん)(らん)たる()(よう)には(おと)るかも知れないが、(しつ)(じつ)(ごう)(けん)を体現した、まことに立派な城であった。

 木陰から見上げるアルテミシアの目には、いつもは希薄な感情の揺らぎがあるように、クラウズェアには感じられた。

 遊歩道を抜けてここまで来た一行だったが、これ以降は身を隠す場所が限られる。見張りの数も増える。どうやって城まで近づき、侵入を果たすか、考えあぐねていたのだ。

「さあて、こっからどうしやす? 今まで通りにゃあいかんようですが」

「ああ。それに、無事入り込んでも、城内は侵入者を惑わせるために多少複雑な作りになっている。(えい)()もそれなりの数が居る」

 衛士とは、王が住まう城や宮殿の警備に当たり、王族を()()する上級兵士のことだ。兵卒よりも文武に秀でた者が選ばれる。

「【ん? どうしたの、モリオン? ……あ、そうなんだ】」

 二人が相談している横で、これまで城のあちこちを見上げていたアルテミシアが、胸中からの語りかけに答え、それにクラウズェアが反応した。

「モリオンはなんて言ってるの?」

「うん、あのね?」

 アルテミシアが答えようとした、その時――

「誰だっ?」

 気配を察したジャックが(すい)()の声を発したのだ。殺意も敵意もなく、穏やかな気配であったので、接近を許してしまった。それを、ジャックは悔やんだ。

 それはつまり、二通り考えられるだろう。

 一つには、敵ではない可能性。

 もう一つには、それなりに腕の立つ者の可能性だ。だが、ここは敵地と言って良い場所であるはずだ。

 そして、現れたその相手は、

「お初にお目にかかります、殿下。クラウズェア・セルペンティスに一時(いっとき)剣を教えておりました、フィデリオと申す者です」

 腰に細剣(レイピア)()いた(そう)(れい)の男だった。(ひげ)を蓄えた整った容貌と、理知の光が宿る眼。細く引き締まった(たい)()は、しなやかさと機敏とが窺える。

 男は、騎士が取る最敬礼で、皆を迎えた。

「先生!」

 思わず叫んでしまったクラウズェアに、礼を解いたフィデリオは落ち着いた声で忠告した。

「静かにしなさい。警備の者が駆けつけても良いというなら、別だが」

「す、すみません」

 慌てて謝罪する少女を目にし、フィデリオの顔に微かな笑みが浮かんだ。

「騎士たる者、むやみに頭を下げるものではない。ましてやそれが敵であるならば、(なお)(さら)(すき)を見せてはならない」

 その言葉にハッとしたクラウズェアは身を硬くした。だが、師匠の口から聞かされた『敵』という単語が、彼女の心を千々に乱した。

 クラウズェアも、可能性としては覚悟をしていたのだ。

 師と、剣を交えることを。

 だが、心の準備をしていても、実際にこのような局面にもなれば、動揺する。

 彼女はまだ、二十歳にも達していない若さなのだから。

 それでも。

 それでも彼女は決めたのだった。他ならぬ師が云っていた、教えの一つである『優先順位を誤るな』という言葉を、胸中で言い聞かせて。

 クラウズェアにとっての一番の大切は、アルテミシアである。それは、(れん)(たん)(どう)での、あの日の夜に、ジャックと交わした会話の中で再確認した、彼女の(かく)()す部分だ。

 だから、言った。

「先生、どうか道を開けて下さい。さもなければ、剣をもって切り開くことになるでしょう」

 決意と共に変成された〈薄紅〉が、赤い(かがや)きを放つ。

 その姿に。見事な紅刃よりもなお目を()く、緑の眼差しに宿った力強い輝きを目にし、フィデリオは満足そうに頷いた。

「クラウズェア、成長したな」

 その言葉に、(うる)んでしまう目はどうしようもなく、(あふ)れる心を零れ落とさないよう必死に努力しながら、クラウズェアは言葉を重ねた。

「殿下の、シアのお父上が……。この子を、会わせてあげたいのです」

 だが、その言葉には、

「通す訳には、いかない」

 柔らかなものから、一瞬、苦渋に満ちた表情を浮かべたフィデリオは、すぐさま全ての表情を消し去り、腰の細剣をスラリと抜き放った。

 ところで。

 当初に掛けられた言葉にも、何の反応も示さなかったアルテミシアだが。それは、意図的に無視していた訳ではなかった。

 少年の不可思議を見る目は、今回も人には見えない物を見ていた。そしてそれは、とても“嫌なモノ”に感じられたのだった。

 中段に突き出された剣の向こう。フィデリオの右の手首に()まる腕飾り(ブレスレット)から、〈銀の霧〉が発生し、音を奏でている。

 霧はブレスレットをグルグルと巡り、右腕を伝ってフィデリオの全身へと張り巡らされている。

 まるで、彼を縛る(くさり)のように。

 ザリザリと(けず)るような、キィキィと引っ()くような、ともかく周囲に()き散らされるその不快音を止めたくて、その一心で、少年は思わず《視線》を使ってしまった。

 歯車に物が挟まって上手く動かない水車のように、ガタガタと音を鳴らしながら(とどこお)った銀の霧は、それでも無理に動こうとして、そこから行き場を失った。

 パキリ。

 割れた(うで)(かざ)りは地に落ちた。

 それを、驚愕きょうがくの眼で凝視したフィデリオだったが、アルテミシアへと視線を移してから、こう言った。

「気が変わりました。殿下お一人でしたら、お通ししましょう。ですが、クラウズェアは(しば)しお借りします。殺し合いではないことをお約束致しますし、時間はかからないと思いますので」

「ローズがそれで良いなら」

 アルテミシアは即答し、クラウズェアは焦った。

「シアっ、わたしはっ、わたしは――」

「うん、わかった。ローズは良いみたい」

「ち、違う!」

「感謝致します、殿下」

「先生!」

「国王陛下は、寝室におられます。最上階の中央、中庭の噴水が見下ろせる、黒いカーテンが閉め切られた窓があります。城内の経路は――」

「ううん。それだけ分かればだいじょうぶです。ありがとうございます、ローズの先生」

「シア一人なんて、無茶よ!」

「モリオンがね、『だいじょうぶだ』って」

「モリオンが?」

「それに、ジャックさんもついてるから」

「お任せを」

 少年の影からひらひらと起き上がったジャックを目にし、フィデリオは片眉を上げた。

「……わかった。充分に気を付けていくのよ? それと、無理はしないって、約束して」

「うん、約束」

 そう言って駆けて行こうしたアルテミシアは、思い直してこう言った。

「さきほどはご挨拶にお答えせずに、申し訳ありません。ぼくの名前はアルテミシアです。フィデリオ先生、ぼくの大切な友人であり、最高の騎士でもあるクラウズェアを、どうかよろしくおねがいします。えっと……」

 フィデリオが(おこな)った、そして、クラウズェアが犬妖精達にして見せた騎士の最敬礼を真似ようとしたとき、その少年の動きをフィデリオが制した。

「殿下、お待ち下さい。王族は、頭を下げないものです。貴方は堂々としておいでになれば、それで良いのです。それが王族の礼法なのです。先程のお言葉だけで、充分ですよ」

「そうですか」

 その言葉に納得し、王子はクラウズェアへと最後に視線を向け、その場を去った。

「霊妙不可思議な力に加え、〈影の英雄アンブロシアル・スキアー〉も付き従う、か」

「先生?」

 知らず呟かれた声を聞き取りきれず、クラウズェアが問いかけた。

「いや、耳にした話とは随分とかけ離れた御方のように見える。所詮しょせん、口さがない連中の話など、当てにはならんな。あの方が、お前のお仕えする主殿か」

 去りゆく少年の後ろ姿を目で追いながら、フィデリオは感慨深げに問うた。

「はい。わたしがお仕えする、わたしの主です」

「そうか」

 二人の顔に笑みが浮かび、そして、(せい)(かん)なものへと変わった。

「ここは少し城に近い。場所を移そう」

「はい」



 敷地内、中庭一角。

 この時間帯、警備兵の巡回経路から外れる場所があった。城内および敷地内の警戒よりも、侵入者を城壁より内側に入れさせない事を最優先としたのが原因であり、指示を出したのは侯爵だ。

 だがそれは、この師弟にとっては好都合であった。

「良い剣だ」

 〈薄紅〉を目にしながら、フィデリオは素直な(さん)(たん)の言葉を述べた。『武器を替えたのか?』とも、ましてや『私が持たせた細剣(レイピア)はどうした?』などとは訊かない。

 問われた弟子も心得ていたので、

「有り難う御座います」

 とだけ答えた。

 細剣と刀とでは、(そう)(ほう)が異なる。それはつまり、戦い方を変えたということであり、剣術を替えたということだ。だがここで、クラウズェアが言い訳じみたことを言ってしまえば、現在の師であるジャックにも、修練中の剣術へも不義理である。また、かつての師であるフィデリオと、彼から習った剣術を(ぼう)(とく)することにも繋がる。

 だからクラウズェアは、無様なことは言わず、堂々としていた。内心の葛藤は、今は振り払った。

 フィデリオは中段。

 クラウズェアは正眼。

 二人は構えて、動かない。

 これは、かつての師弟の稽古風景とはガラリと変わった構図であった。

 以前のクラウズェアであれば、フィデリオに果敢に攻め込んでいた事だろう。それは、“稽古を頂戴ちょうだいする”弟子の立場だから、というのもある。そして稽古のみならず、実戦においてもそうしただろう。

 だが、この状況はそういったものとは違う。

 攻め(あぐ)ねているのだ。

 中段に構えられた細剣は、フィデリオの中心線を守っている。下手に斬り込めば、最短距離を通った突きが放たれ、薄紅が届く前にクラウズェアは絶命するだろう。そうでなくとも、的確にいなされ、次の瞬間には返す刃で一突きだ。

 タイタスのような、高い身体能力に任せた荒削りな剣とも、ましてやヨドークごときチンピラが振り回す剣とも、隔絶している。――それが、今のクラウズェアには判るのだ。

 それはつまり、クラウズェアがフィデリオの実力を理解できるようになったという事であり、即ち、妖精境における鍛錬は実を結んでいるという事である。

 弟子の成長に、フィデリオは満足した。

「では、私から行こう。本気で応じなさい」

 軽快なフットワーク、滑るようなステップインに乗り、細剣が繰り出される。

 対するクラウズェアは、その突きを薄紅で右に流しつつ、左前方、フィデリオの右側面へ抜けていく。

 だが、フィデリオも易々と制されてはくれない。レイピアを流されるまま、手首を回して剣を小さな()(えん)に巡らせ、クラウズェアの眼前に突き出した。

 何とかそれを、膝と股関節の力を抜いて落ちながら身を低くしたクラウズェアは、同時に、頭上に(かか)げた薄紅で細剣を(くぐ)るように受け流す。

 紅刃の上を、細剣の白刃が滑っていく。

 クラウズェアとフィデリオは互い違いにすり抜け、そして、振り返った。

「ふむ」

 フィデリオは頷き、クラウズェアは小さく息を吐く。

「これはどうかな?」

 次も、フィデリオが先手を取った。

 滑るようなサイドステップからの、伸びる突き。体は軸をずらし、薄紅の剣先から逸れている。

 その突きを、クラウズェアは右に逸らす。だが、フィデリオの手首が小さく動くと、彼女から見て右回りの円を描いたレイピアの切っ先が、薄紅の下から回り込んで上を取り、その紅刃を押さえつけた。

 薄紅を下に落とし、そのまま突きへと移行するフィデリオ――そうなる予定だった。

 しかしクラウズェアは、上から抑えられるのを、抑える力に逆らわず、腕の力を抜いてふわりと刀を逃がしてやる。

 素早く浮き上がる紅刃が、レイピアを横に反らす。

 武器による“場の取り合い”を経てそのまま歩を進め、同じくステップインしていたフィデリオと体がぶつかりそうになり、お互い上げられた腕によって(つば)()()いが生まれた。

 交錯する視線。

 片腕からの力不足に押し負けそうになったフィデリオは、空いていた左手でクラウズェアの顔めがけて軽く速いパンチを放った。

 右足を引きながら体の軸をずらし、それを避けるクラウズェア。

 回避動作に伴い、鍔迫り合いの力が一瞬、緩む。

 フィデリオがそれを見逃すはずもなく、前に出ていた右足を閃かせ、鋭い蹴りを突き込んでいく。

 それを、上げた左足で巻き取るように右にずらしたクラウズェアは、残った左の軸足を刈りに行く。

 瞬時に察したフィデリオは、レイピアで薄紅を押しながら咄嗟に身を離し、そのまま数歩、ステップバックで距離を取った。

「私の方が下がることになろうとはな」

 言葉とは裏腹に、口許は緩んでいる。

「時に」

 フィデリオが言葉を継ぐ。

「流派名を訊くのを失念していた。私に教えてくれないか?」

 戦いの()(なか)とは思えぬような、かつての(けい)()(ふう)(けい)(おも)わせる、穏やかな空気が流れた。少なくとも、クラウズェアにはそう感じられた。

影流かげりゅう

「影流……覚えておこう」

 そして、また空気が張り詰めた。

 女騎士の頬を、汗が伝い落ちる。

「次で、決めよう」

 静かに紡がれたその言葉と共に、フィデリオの方から()すような何かが発されるのを、クラウズェアは感じた気がした。ジャックみたいに気配が判る訳ではないのだが、それは、フィデリオの殺気に他ならなかった。

 気がつけば、クラウズェアの全身は汗だくだった。ここは妖精境と違い、まだまだ寒さが残る初春のグリーンウェルだというのに。

 二人は、まだ動かない。

 息が乱れるのを、クラウズェアは感じていた。

 呼吸が制御できない。それは、心拍数が上がっているからであり、心が平静ではないからだ。戦場で体力が尽きるのは、何も心肺機能の問題だけではない。精神状態も大いに関わる。要は、平常心だ。

(先生は本気だ)

 クラウズェアは思った。緊張で、身が強ばる。

 未だに殺し合いには慣れていない。しかも、あろう事か相手は尊敬する剣の師だ。今すぐにでも止めたい。逃げ出したい。だが、逃げてはならない。下がってはならない。勝負が付くまで、フィデリオは通してはくれないだろう。そして、先へ進むためには、勝たなければならない。

 師を、斬り伏せてでも。

(シア)

 クラウズェアは想った。自分が仕える主を。この世で一番大切な存在を。銀月のように静かな少年を。

 深い呼吸で息を送り込むと、(はら)の中で熱が増した。熱は全身を巡り、薄紅とのつながりを強くする。

 (うす)(べに)(いろ)の刃と、星々のように散らされた(くれない)(にえ)が、赫きを増す。

 熱気が天へ昇るが(ごと)く、

 自然、クラウズェアの手が上がり、上段の構えを取った。

 左足が、前に出る。

 そこへ、フィデリオが踏み込んでいく。クラウズェアが知る中で、最も速い師の動き。

 途中、腰を落としながらのステップインは、消えたと思わせる動き。そこから、滑るような軌道の細剣が、喉元へ伸びる。その突きは、閃光と呼ぶに相応しい。

 以前のクラウズェアであれば、首を貫かれて死んでいたであろう速度。反応する(いとま)すらも与えられず。

 だがクラウズェアは、その白刃に合わせて見せた。

 左足を軸にしながら右足を前に出し、剣を真っ直ぐ振り下ろす。

 白刃と紅刃が交差し、そして――

 フィデリオの突きは、クラウズェアの左側面、頬のわずか横へと逸れた。

 クラウズェアが振り下ろした剣は、フィデリオの左腕を斬り落としていた。頭上に振り下ろされた紅刃を、咄嗟に上げた腕でかばったのだ。

 ――[合撃(がっしうち)]。

 (せみ)の羽一枚分の薄さを思わせる、正確で繊細な剣(さば)き。その剣を以て、敵の剣のみ()らして斬り勝つ精妙(せいみょう)なる(ぜつ)()

 別名、[(せん)(よく)(とう)]。

 それを、クラウズェアはやってのけたのだ。

「先生!」

 頭を割る直前で止めていた薄紅を引き、クラウズェアは叫んだ。

 それに対し、フィデリオは――彼にしては大きく表情を崩し、破顔したのだった。

「見事だ」

 細剣を引き、鞘に収める。そして、緑の視線が向けられた腕を掲げながら、

「案ずるな。大した事はない」

 軽々と言ってのけた。

 その顔に苦痛はない。不思議なことに、傷口からの出血もない。

「先生、腕が……」

 その不可解さに混乱しながらも、(ぜん)(わん)の半ばから断たれた師の腕に、クラウズェアは手を伸ばそうとする。

「私の体は少々頑丈でな。この程度では死にはしない」

 そう言って向けられた傷口は、およそ肉の断面とはかけ離れた、鉄がぎっしりと詰まった、奇妙な物であった。

 今まで様々な不思議を見てきたクラウズェアは、それで何となく納得した。だから、別の疑問を口にしたのだった。

「手加減をされました。本気で応じろと仰ったのに、ご自分は……」

 実際、フィデリオは全力を出してはいなかった。クラウズェアはジャックのように殺気が判る訳ではないので、うわべの雰囲気に騙されたのだ。

 その、演技上手な男はこう言った。

「そうだったかな?」

 とぼけてみせるフィデリオに、

「そうです!」

 今いっとき、凜々しき騎士から少女の顔に戻ったクラウズェアは、怒りの形相で師匠を睨み付けた。

「腕を上げたな」

 その言葉に、騙されまいと思いはするのだが、嬉しさで表情が崩れてしまう弟子であった。

「さあ、行きなさい。殿下がお待ちだ」

 表情を引き締めてそう促すフィデリオに、クラウズェアも騎士に戻って応じた。

「はい。有り難う御座いました。行って参ります」

 赤毛の騎士が頭を垂れ、身を翻して城へ向かおうとした、その時だった。

「待て!」

 強い制止の言葉に振り向けば、眉間に(しわ)を刻んだフィデリオが、とある方角を睨み付けているのが見えた。

「先生?」

「何か、おかしい」

 フィデリオの様子は尋常じんじょうではない。厳しい視線が向く先は、クラウズェア達が来た方角であった。それは、タイタス・ゴードンと刃を交えた区域のある方角である。

「おかしい、ですか?」

 クラウズェアには、アルテミシアのような特別な目も、ジャックのように気配や殺気を察する力もない。だから、彼女にできることをした。目をこらし、耳を澄ませ、そちらに神経を集中させる。

 そうすると。

 ずるっ、ずるる。

 何か、重い物を引きずるような音が聞こえることに、気がついた。

「何か、こちらに来る?」

 そうして、その音の正体が、角を曲がり姿を見せた時。クラウズェアは目を疑った。

「何だ、あれは?」

 泥を多く含んだ()(なみ)か。はたまた火山泥流かざんでいりゅうのような。ドロドロとした(おも)()な“肉色の何か”が、じわじわと広がりながら流れてくるのが見えた。

 その不気味な肉色の塊には、流れに巻き込まれた木や草花の他にも、槍や鎧の一部、更におぞましいことには、人間の腕や足が突き出ているのさえ見えたのだった。

 人間の精神を(おか)すような、吐き気を(もよお)す光景だった。

 そして、その動く肉の塊の一部が盛り上がり、人の形を作った。

 その姿は、

「タイタス……ゴードン」

 呻くような声が、クラウズェアの口から漏れた。

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