五章⑦『パジャマパーティー?』
城に戻った一行を、ナデファタ王は熱烈に歓迎し、直ちに凱旋を祝す宴が催された。
ずらりと並んだ料理の数々に、本来なら思いの丈をぶつけるように黙々と手と口を動かすはずのクラウズェアは、怪我をした主の隣に陣取り、甲斐甲斐しく食事の世話をしている。
少年を挟んで反対側にはルクルク王女が座り、やはり何くれとなく気を遣ったり、料理や食材、食べ方の説明などをしている。
そんな風景を眺めながら、ナデファタは英雄に怪我を負わせたことに気を病みながらも、それ以上の喜びで終始ニコニコしていた。
ちなみに、バイガン将軍の姿はないが、武官達は列席していた。その中には、クローシェーイの姿もある。
今回の一件で、彼と襲撃部隊の兵士達の扱いについて、王に判断がゆだねられることとなった。
当初、指揮官であったクローシェーイと、矢を射掛けた兵士の二名は責を負わせ、処刑すべきとの判断を下したナデファタに、宰相が恩赦を言上したのであった。
ナデファタは渋ったが、結局、スルトンの熱意に負け、二人を許した。
暗殺未遂事件は伏せられ、ルクルク王女も知らない。アルテミシア達も何も言わなかった。少年の背の怪我は、魔物に襲われた際に負ったのだと、王女には話してある。
英雄達は、〈神速狼〉を討ち取ったのみならず、天焦山を彷徨く魔物まで軽く一蹴してきたのだ。そういう事になっていた。
宴が終わり、間もなくのこと。
王の私室に、ナデファタと宰相のスルトンの姿があった。
「恩人であるにも関わらず、国のために利用したばかりか、命の危険にさらしてしまうことになるとは」
椅子に深く腰掛けたナデファタは、背を丸めながら重い溜息を吐いた。
ナデファタもスルトンも、〈神速狼〉の存在に関し、バイガン将軍と同じく眉唾物だと判断していたのだ。だが、実際に蓋を開けてみれば、伝承の魔狼は存在したのだ。それを、将軍の配下ばかりか、王と宰相からの信が篤いヒクイシーまでもが見ているのだ。信じるより他はなかった。
そんな魔狼を、英雄達は見事に討ち取った。真の英雄である。それを、殺しかけてしまった。守ることができなかった。
死なずに帰ってきた。それは結果論だ。
ナデファタには、他にも思い煩う理由があった。それは、責任の取り方についてだった。
事件の首謀者であるバイガンも、実行犯であるクローシェーイや配下の兵士も、誰も罰されてはいない。ナデファタも、英雄達に頭を下げることができない。それは、スルトンから説き伏せられたことであり、ナデファタ自身もそれは納得していた。
今回の一件は無かった事にする。
それから、バイガン将軍を吊し上げ、軽挙妄動に走らせる結果も招きたくはない。
それが、王と宰相の共通見解だった。
「陛下」
置物のように側に控えていたスルトン宰相が、恭しく口を開いた。
「何の申し開きも御座いません。ただ、首をご所望されるのは、今しばらくお待ち下さい。せめて、華燭の典がつつがなく行われる、その時まで」
そう言って、静かに頭を垂れた。
「ワシがお前の首を刎ねることなどあり得ない。定命を使い果たすまでこの国に仕え、ワシを支えてくれ」
傅く忠臣の側まで歩み寄り、自分よりも少し小さなその肩に、ナデファタは手を置いた。
「勿体ない、お言葉です」
万感の思いと、新たにした決意を込めて、スルトンは短く答えた。
診断結果は、打撲。
アルテミシアが背に受けた“見えない刃”による攻撃は、少年の白い肌にあざを作り、女騎士を激怒させた。
襲撃は十中八九、バイガン将軍の差し金だということは見当が付いていたので、薄紅を手にしたクラウズェアが、将軍の下へ単身乗り込まんとした。それを、アルテミシアがしがみついて留め、ジャックが説き伏せて場を収めたのだ。
代わりに、怒りに燃える緑の目を向けられたジャックは、生きた心地がしなかったのだが……。
そのジャックだが、例の如く漢方薬を処方した。とは言え、今回はアルテミシアの手は借りず、クラウズェアに指示を出した。
一つは治打撲一方。打ち身や捻挫に効く薬で、煎じ薬だ。
もう一つは雲南白薬。出血を止め、あるいは滞った血の流れを促す薬効がある。飲んでも効果はあるが、今回は湿布として患部に貼ることにした。
腫れと痛みが引くまでの間、酒、辛い食べ物、湯浴みは禁じられた。だが、その後は逆にジャンジャン温めるようにとも、ジャックは言った。
これが、帰城した直後の話。
今は、宴の後。アルテミシアの私室である。
窓の外には夜の虫たちの鳴き声が立ち上り、
部屋には、カモミールと蜂蜜の甘い香りと、ミルクの濃厚で膨よかな香りが満ちている。ルクルクが煎れた、カモミールのミルクティーだ。
「それでっ? それでどうなったの?」
「ええ。森のあちこちから湧いて出た獣たちは、闇のように黒く、不気味な連中でした。その数、およそ百頭」
「百頭っ?」
ルクルクが目をまん丸にして驚く。
「ううむ」
クラウズェアは唸り、
「そうだったかなぁ?」
アルテミシアは小声で呟いた。
「絶望的な状況に皆が死を覚悟した時、あっしは隠していた切り札を使う時だと悟ったんです」
「切り札」
手に汗握るルクルクが繰り返した。。
「秘奥義・閻王百穿掌。黒い獣どもはことごとく皆、胴体に風穴を空けて死に絶えました」
「すごい!」
「ううむ」
「そうだったかなぁ?」
「危機は去りました。ですが、秘奥義を繰り出したあっしの体も無事では済みませんでした。何故なら、覇王絶好調を使うと、命の灯火を燃やし尽くしてしまい、使用者も息絶えるからです」
「そんなっ?」
「ううむ」
「【モリオン、さっきと技の名前がちがうような気がするんだけれど、ぼくの気のせいかなぁ?】」
少年の問いかけに、胸中の子は瞬いて答えた。
【チガウヨチガウヨ】
モリオンも母親の意見に同意だった。
「その時です! 死に逝くあっしにしがみつき、シア嬢ちゃんが清らかな涙を流したのです! この世の全ての乙女達の清らかさと、宝石の美しさと、神々の気高さと、あとそいから、えーと……なんやかんやのアレコレが凝縮された聖なる涙があっしの体に滴り落ちました。すると、どうでしょう」
そこでいったん溜を作り、影人間は聴衆を見回した。
ルクルクは固唾を呑んで見守っている。
クラウズェアは眉間に皺を寄せ、腕組みをしている。
アルテミシアはカップに口を付け、ミルクティーの甘さに頬を緩ませた。
何故、ジャックがこんな馬鹿話をしているかというと。理由はこうだ。
ルクルクがアルテミシアの背の負傷を心配し、どういった経緯でのものかを訊いてきたのだ。だが、真実は話せない。話せば、ルクルクはバイガン将軍に抗議をするだろう。法の裁きを求める可能性もある。そうなれば、この国に大きな混乱と不和を招くこと請け合いだ。それは、アルテミシア達の望むところではなかった。
だから、口の達者なジャックに話を一任したのだ。
……それで、このザマである。
「――奇跡が、起きました」
「まあ!」
「ううむ」
カモミールとミルクが効いたのか、一日の疲労が出たのか。アルテミシアの瞼は重そ気に下がり始めている。
「死の淵から蘇ったあっしは、お嬢ちゃんと固く抱き合い、心が通じ合った者同士がする熱い口付けを――」
「待て、そこまでは許さん」
「――しようとしましたが、そこまでは許されませんでした」
女騎士からの鋭い物言いがつき、話は修正された。
「そう。それは……良かったわ」
猫妖精の王女は、知らず胸をなで下ろした。
「ところで、アルテミシアの背の傷はどうなったの? いつ怪我をしたの?」
ルクルクのこのもっともな問いに、
「あ、ケガ? ……えーと、それはぁ、ああ、そうそう! 転んでできたモンです、はい」
「えっ、転んで? 戦いで負ったものじゃないの?」
「ええ、まあ、そうです。はい」
眉を逆立てて睨み付けるクラウズェアから視線を逸らし、気まずげなジャックは早口に言った。
「この話はもうお終いです! もう夜も遅いですし、寝るとしましょう」
「えぇ~っ?」
不満たっぷりにルクルクが声を上げた。
「アタシ、まだ眠くはないわ。ねぇアルテミシア。もうちょっとここに居ても良いでしょう?」
そう言ってアルテミシアの腕にすがりつくと、少年の顔を覗き込んだ。
アルテミシアはと言うと、うつらうつらと船をこいでいた時に抱きつかれたものだから、びっくりして目を覚ました。
「あれ? もう朝なの?」
目をぱちくりさせ、周囲を見回す。
「まだ夜よ。うたた寝していたのね」
「ごめんなさいっ、アタシったら」
クラウズェアの指摘と、ルクルクの謝罪が続く。
「どうしてルクルクが謝るの?」
叱られた子供みたいにしょげている少女へと、白い手が無意識に伸び、ダークブラウンの髪をそっと撫でた。
「あ」
まるで、母の手で撫でられているような抗いがたい安心感がルクルクの理性を溶かし、つい我が侭を言わせた。
「アタシ、今晩はアルテミシアと一緒に寝たい」
「え?」
「マジでっ?」
「うん、いいよ」
クラウズェアとジャックが仰天し、アルテミシアは抵抗なく聞き入れた。
「だめよ!」
「パジャマパーティー! パジャマパーティー! パジャ――」
「少し、黙っていてくれ」
「ひっ、ひゃい!」
最高潮に達したジャックのテンションは、薄紅と、その刃と同等に鋭い緑の目によって鎮圧された。
「駄目かしら、クラウズェア?」
「ローズ、だめ?」
赤と赤銅の目に見つめられ、少年の保護者である女騎士は一瞬ひるんだが、彼女の道徳観念に従って二人の少年少女に注意することにした。
「いけません」
「何故?」
ルクルクが問う。
「この国では分かりませんが、我々の祖国であるグリーンウェルでは、二人の年齢で同じベッドに入ることは不道徳な事だとされているのです」
「それなら大丈夫! アタシの国では不道徳ではないから」
「い、いえ。そういう問題ではなく」
「二人じゃだめなの? モリオンもいるし、それにローズとジャックさんとの五人で寝たらいいと思う」
「それだわ!」
「それです!」
【モリオンモイッショ】
「シア、人数の問題じゃなくてね? あと、ジャックは黙っていろ」
「ふぁい」
ひと睨みで黙らされたジャックがいじけて体育座りをしていると、ドアを叩く者があった。
「姫様? そろそろお部屋に戻られませんと。時間も遅う御座いますし、お客様方にもご迷惑になります」
「ちぇ」
はしたなく不満の声を漏らしたルクルクは、クラウズェアの予想を裏切り、あっさりと侍女の言葉に従ったのであった。
「お休みなさい、アルテミシアとモリオン、クラウズェア、ジャック。また、後でね」
そう別れを告げ、部屋を去って行ったのだった。
「帰っちゃった」
アルテミシアが残念そうに呟いた。
「一緒に寝るくらい、良かったんじゃあねぇんですかい? 何が起こるでもなし」
「それはそうだろうが。やはり男女の慎みというものがある」
「けど、ルクルクちゃんの口ぶりじゃあ、この国においては同衾しても問題なさそうですぜ?」
「うっ。法が許しても、道徳が許さんのだ!」
「あっしの国には“郷に入っては郷に従え”ってぇ、ありがてぇ言葉もあるんですが」
「それはお前の国の話だ。我が国にそのような言葉はない。だいたい、わたしはシアの守護者として、この子に厳しくあらねばならんのだ」
「……それ、本気で言ってるんですかい?」
どの口が言うのかと、発言に責任を持たない信条のジャックですら、呆れ果てた。
「何だ? 文句でもあるのか?」
じろりと睨み付ける視線を物ともせず、ジャックは話題転換を図った。
「いいえ、別に。それよりも、今日の戦い。ありゃあなんです?」
現在の武術の師匠の言葉に、クラウズェアの表情が気まずげなものに変わる。
「あれはぁ……そのぅ……」
さっきまでと立場が完全に逆転してしまっていた。
「動きが直線的すぎる」
「うぅっ」
図星を指された弟子は、うめき声を上げた。
「敵の動きも直線的で単調だったから良かった様なものの、もっと厄介な動きをしてくる相手だったら、どうなっていたか」
「面目ない」
「ツユクサに到っては、手加減されてやしたしね」
「くっ、まことに面目ない」
女騎士の身が縮こまり、垂れた頭をますます項垂れさせた。
「ですが、ま、鍛錬の成果は出てやしたね。この短期間で、よくあそこまで動きの質を変えられやした。上出来です」
一転したジャックの褒め言葉に、最初は惚けたようであった少女の顔が、徐々に喜びのものへと変わっていった。
「ほ、本当かっ?」
「本当です」
「わたしに気を遣って――」
「遣ってやせん」
師の言葉で高揚感が増していき、背中から後頭部に掛けて生まれたぞくぞくする震えを感じたとき。少女の側に、それまで成り行きを見守っていた少年が寄り添って言った。
「よかったね、ローズ」
その言葉が引き金となり、クラウズェアの歓喜は限界を突破し、背の震えは全身に広がった。
「シアーーーっ!」
幼なじみの少年を抱き上げた長身の少女は、暴走した独楽さながらに、部屋中をグルグルと回り始めた。
「明日っからは、もっと厳しくいきやすからね? あと、シア嬢ちゃんの目が回らねぇウチに止めといた方が良かぁねぇですかい? って、聞こえてねぇな、こりゃあ。つか、そろそろじゃねぇのかなぁ……って、おいでなすった」
ジャックの言葉の後に、開け放した窓の向こうにぶら下がる影が現れた。
ルクルクだ。
「何よ、みんなだけで楽しそうに。アタシを仲間外れにするなんて狡いわ」
ほっぺたを膨らませたルクルクが窓から部屋に侵入してきたのだった。就寝用の薄着を身にまとった姿で。
「えっ、ルクルク?」
「目が回るぅ」
「再び、こんばんは」
三者三様の対応に、
「ええ、こんばんは。と言う訳で、皆で寝ましょうよ!」
王女は宣ったのであった。
窓から差し込む月明かり。仄かに照らされた室内には、三人の少年少女達が静かな寝息を立てていた。
あれから――ルクルクが窓から侵入を果たした後のこと。
頑としてアルテミシアと寝ることを譲らなかったお姫様に根負けし、一度だけという約束でとうとうクラウズェアも折れたのだった。更には、二人にせがまれ、なし崩し的に女騎士も夜を共にすることになった。
アルテミシアに宛がわれたベッドは大きく、なんとか三人寝ることも可能ではあったのだが、クラウズェアの『ベッドは二人で使って下さい。わたしは床で寝ます』との言葉に、それならばと、アルテミシアとルクルクの二人も床で寝ることを選んだのだった。
当然、焦ったクラウズェアが『二人にそんなことはさせられない』と説き伏せようと試みたのだが、無理だった。
それで、今はこうして床に敷物を広げ、三人仲良く眠っている。
月光によって伸ばされた影の中で、三人より少し離れた場所で寝っ転がったジャックは、一人、惟っていた。
それは手記のことであり、アルテミシアのことであった。
虚空に在る、銀の月。金色の太陽と対の存在。
その月と深い結び付きのあるという、〈銀陰の寵児〉という単語が散見される項目があった。
――銀陰の寵児。
“人の身でありながら、その内に月の蔵を宿す。何色も持たず、総てに染まり、万に冒されぬ水晶の眼と髪を持つ”と。
ジャックは想った、アルテミシアのことを。氷のような白い髪を。見えない刃に傷付かなかった、不思議の髪を。今ではモリオンの色を宿した、耀く黒髪を。
〈銀陰の寵児〉には、また、別名があった。
それは――
「〈晶公子〉、ねぇ」
呟かれた言葉には、どこかしら苛立ちの色が混じっていた。
ジャックは、己の機嫌が悪い方へ傾くのを自覚していた。それは、呟いた言葉が連想させる、とあるもののせいだった。
〈彩化晶〉に〈晶界〉。
「お嬢ちゃん達をそっとしておいてくれよ。どうか、頼むから」
願いの込められた小さな声を、月だけが静かに聞いていた。
さらさら、さらさら、と。




