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四章⑯『捨てるということ』

「おかあ……さま」

 ベッドで眠るアルテミシアが身じろぎし、小さな寝言を漏らした。

 ずれた毛布をかけ直してやったクラウズェアは、少年のあどけない寝顔をそっと撫でながら、地に寝転んだジャックに抑え気味の声で問うた。

「わたしは、この子の役に立てているのだろうか?」

「どうしなすったんですかい? いきなり」

 スカートだったらパンツを見上げられたのにと、救いようのない影人間は()(らち)な考えなどおくびにも出さずに、赤毛の少女に問い返した。

 そんな事など(つゆ)とも知らず、クラウズェアは沈んだ声で答える。

「ふと、思ったんだ。わたしはこの子の期待に応えられているのか。この子が望む『最高の騎士』に、いったいどれほど近付けているのだろうか、とな」

 整った凜々しい顔に、自嘲の笑みが浮かんだ。

「昼間、強くなると誓ったばかりなのにな。すぐこれだ」

「なるほど。最高の騎士、ですか」

 そう言って身を起こしたぺらぺら真っ黒人間は、胡座(あぐら)を掻いた。

「姐さんが言う、その『最高の騎士』ってぇのは、いったいどういう騎士です? 一つこのジャックに教えてくださいな」

 つかみ所のない声は、つかみ所のない故に、気軽に話しやすかった。

「最高の騎士とは、フィデリオ先生のような、剣の腕が立ち、思慮深しりょぶかく、礼法を(おさ)め、わたしのような未熟者にも情けをかけてくださる方のことだろう。そして何より、騎士の祖である〈英雄騎士〉のような、文武両道を極め、神々を敬う(けい)(けん)さ、主君への揺るがぬ忠誠、弱者への救済、正義の執行、悪に染まらぬ清廉潔白せいれんけっぱく、天地に恥じぬ高潔、などを兼ね備えた人物だろう」

 最高の騎士の条件を歌い上げる女騎士に、ジャックが「へぇ」と仰天した声を上げた。

「フィデリオ先生がご立派な方だってぇのは分かりやした。しかし、その英雄騎士ってぇのはそんなに凄い人なんですかい?」

「凄いとも。この国――いや、この世の全ての人間が知っているだろう。皆、子供の頃から子守歌代わりに聞くものだからな、(えい)(ゆう)(たん)を。彼が、どれだけ偉大な王だったかを。騎士とその従うべき(てん)(ぱん)を作り、大陸のほぼ全てを統一し、平和と豊かさを築いたのだから」

 熱のこもり始めたクラウズェアの声に、ジャックの疑問の声が上がった。

「王様だったんですかい? 国で一番偉いのに、主君への忠誠ってぇのは、ちぃとおかしいんじゃありやせんか?」

「それは……王になる前は騎士だったのだ。騎士として、名君に仕えたのだろう」

「騎士は、その英雄騎士が王様になってから作ったもんなんじゃあ?」

「うっ。身分は一介の戦士だったのかもしれんが、心は騎士だったのだ」

「その一介の戦士が最終的に王様になったってコトは、仕えていた主君を追い落として王位を奪ったってぇコトなんじゃあねぇですかい?」

「なんと失礼なことを! きっと禅譲ぜんじょうを受けたのに違いないだろう!」

「姐さん、声が大きい」

「うっ、すまん」

 人差し指をのっぺらぼうに(あて)がったジャックにたしなめられ、クラウズェアは慌てて声を落とした。幸い、アルテミシアは目覚める様子はない。

 ちなみに禅譲とは、血縁への相続や武力による(さん)(だつ)ではなく、徳の高い者へ王が王位を(ゆず)る、理想的な王位継承の事である。

 さて。

 深呼吸の一回で気持ちを落ち着けた熱血騎士に、地に座るジャックがポンと手を打ち言った。

「ははあ、なるほど。しかしこれで解りやしたよ」

「なにがだ?」

「姉さんの悩みの種が、です」

 ジャックのこの言葉に、クラウズェアが訝しげな表情を浮かべた。

「どういうことだ?」

「ようは、欲張りすぎなんです」

「欲張りすぎ?」

 意味が解らず問い返すクラウズェアに、ジャックが明瞭に答えた。

「英雄騎士なんてぇいうご立派すぎる騎士を目指すあまり、それが逆に姐さんの騎士像をボヤケさせてるんですよ」

 この言葉には、面食らわざるを得なかった。これは、クラウズェアの根本を揺るがしかねない問題発言だ、と少女は思ったからだ。

「いや、だがわたしは騎士として――」

「その騎士はなんのためか、ってぇことですよ」

 騎士は皆、英雄騎士を()(はん)とし、『彼の様たれ』と教えられて修練に励む。英雄騎士ほどの完全無欠の騎士になった者は居ないし、そもそも騎士として性根に問題のある者も居ないではないが、それでも建前上は『そうあるべき』とどの騎士も云う。

 だが、ジャックの言はまるで『英雄騎士を目指すな』と言っているように、クラウズェアには聞こえた。

 多くの言葉を尽くして反論しようとしたのだが、ふと、ジャックの言葉が気になった。

 騎士は何のためか?

 これは、(あまね)く騎士叙勲を受けた全ての騎士達のことではなく、クラウズェア自身のことを問われている気がした。そもそも、『アルテミシアの騎士として』という弱音混じりの問いから生じた会話なのだから。

「騎士とは……」

 クラウズェアは言葉を探した。

 だが、模範となる騎士像を述べる言葉が脳裏に浮かび、なんだか思考を不明瞭ふめいりょうにした。それでも考えていると、頭の中が邪魔な物で一杯に詰まっている気がしてきて、彼女の秀麗しゅうれいな眉が真ん中に寄せられた。

 そこで、ジャックが助け船を出した。

「姐さんは、どうして“騎士になろう”って一念発起いちねんほっきしなすったんです?」

 この問いには、間髪を入れず返答があった。

「シアだ」

 少女は、言葉を繋げた。

「シアを、あの牢獄のような部屋から連れ出したいと思った。色んな所へ連れて行って、楽しみと喜びを分かち合いたいと思った。そして、この子を傷付けるものから守ろうと思った。だからわたしは剣を取り、騎士になったのだ」

 硬い手が、黒い髪をそっと撫でた。白い頬に触れ、『おかあさま』と呟いた可哀想な唇をなぞる。

「それで良いんじゃねぇですかい?」

「……え?」

 言われた意味が解らず、遅れて問い返す。

「姐さんにとっての騎士像ってぇのは、それで良いんです。それで充分なんですよ」

 穏やかな声だった。

 なんだか、クラウズェア自身もそれで良いような気がしてくる。だが、まだ頭の中にこびりついた、繰り返し言語化された“騎士像”達が、頭の中を巡りゆく。

「だが、しかし……」

 言いよどむ堅物騎士に、噛んで含めるような優しい声が、ジャックののっぺらぼうから紡がれた。

「渡り鳥ってぇのはね、目的地まで飛んでいくことしか考えてねぇんです。余計なことを考えたり気を取られちまったら、道を(あやま)っちまいますからね。余計な荷物も持ってやせん。身一つきりです。でなきゃあ、重さで力尽きて道なかばにして落っこちちまいやすでしょう?」

 落ち着く声だな、とクラウズェアは思った。

 不思議な声だった。彼女は今、最初みたいにごちゃごちゃと考えていなかった。ただ、ジャックの語るその声だけが頭に入ってくる。

 ふと、肩に力が入っていたことに気付き、ふっと、身を緩ませた。

「“たった一つの大切なこと”だけを抱いて飛ぶべきです。余分な物は“捨てる”ことです。捨てたら、身が軽くなります。身が軽くなれば高く飛べます。高く飛べば視野が広がります。ほんでもって、捨てきったら、最後には一番大切な物が残るはずです。その一番大切な物が、姐さんに力を与えてくれます」

「捨てる」

 呟いてみた。

 今までは前向きな意味を感じられなかったその言葉が、不思議と、とても大切なことのように思われ始めた。

 何かが変わる。

 そんな小さな予感が生まれた。

「ええ、そうです。そうして、身軽になってみてください。身軽だった“最初の頃”に戻ってください。そしたら、姐さんの思うように飛べていることに気付くはずです。飛び続けていれば、必要な力が身についていきます。その時初めて、他にも大切な物ができていたら、そいつを拾ったら良いです。一つ、一つ、(てい)(ねい)に。欲張らないことです」

 ジャックの話は終わった。

 だが、ふわりと軽くなった心地のクラウズェアは、その感触に少しだけ浸っていたくて、暫く黙っていた。ジャックも黙っていた。

 それから。

「そうか」

 たったそれだけを、クラウズェアは言った。

 ジャックは、『あっしの話は理解できやしたか?』なんてことは訊かなかった。ただ、元のようにゴロリと地に寝転がった。

 それからは、静かな夜だった。



 朝は〈春の間〉で朝食を摂った。

 桃の木の下で広げた保存食は、いつもよりも(ごう)()に思えた。

 花々の(かぐわ)しい香り。耳には小鳥たちのさえずり。あちらには黄色い菜の花畑、そちらには白い水芭蕉みずばしょう、あそこに水仙、こちらに()(たん)。そこここに色とりどりの花が咲き乱れ、向こうの山には山桜。

 ぐっすりと眠ったはずなのに、腹が満ちると眠りを誘う、穏やかさ。

 食後は〈冬の間〉で雪合戦をした。

 一面の銀世界と、身を切る寒さ。二人ともクロークを着込み、ジャックの指導に従って雪玉を作り、投げ合った。

 雪だるまの胴体にモリオンを乗せたりもした。アルテミシア曰く『はしゃいでいる』とのことで、魔物でも遊んだりするのだなと、クラウズェアは妙に感心したのだった。

 冷えた体を温めようと、今度は〈夏の間〉に入った。

 水着がどうのとジャックが悔しげに(わめ)いていたが、少年少女は無邪気に遊んだ。

 海に足を浸してみたり、砂で城を作ったり、リベンジに燃えるクラウズェアがスイカ割りに何度も挑戦し、最後に薄紅でかち割ったスイカを蒸発させた所でお開きになった。

 そして最後は〈秋の間〉。

 目に鮮やかな紅葉。熱くない赤や黄やオレンジ。雪のように散りゆく紅の中、集めた枯れ葉で火を熾し、掘り起こしたサツマイモで焼き芋をして食べた。

 焼き芋奉行、などと訳の分からぬことを言い出したジャックの厳しい指導の下で、芋は焼かれた。

「焼き芋と言っても、直接焼く訳じゃあねぇんです。落ち葉が焼かれて灰になったその下に埋めて、じっくり熱を通すんです。だいたい五〇度、って、薄紅で直接焼くなぁーっ?」

「時間も大事です。芋ん中にどんくらいの水分が残るかが(かん)(よう)です。パサついたりベッチャリせず、丁度良いホクホクさ加減を出すにゃあ、まあ、四〇分を目安に、ってまだ早い!」

「だいたい、落ち葉で焼くよか石焼きにした方が旨いんだよなぁ。芋も、二ヶ月くらい寝かせたモンの方が旨いし。はぁ~。テンション下がるぅー」

「やかましい!」

 終いには、ジャックのくどくどと(うつ)(とう)しい言葉に(かん)(にん)(ぶくろ)の緒が切れたクラウズェアの、大音声の怒声が響き渡った。

 芋は、ホクホクとした食感と充分に出た甘みが食欲を刺激し、二人はお腹いっぱいになるまで食べたのだった。

「芋を食い過ぎると、オナラがたぁんと出やすぜ?」

「うっ」

 訂正。クラウズェアは腹七分目でやめたようだ。



 そうして、西の空が(あかね)色に染まり始めた頃。荷を纏めた一行は、山を下りた。

 犬妖精達と別れた辺りまで下り、貰った笛を吹くと、(ふもと)で待機していた境内走狗隊輸送班の二名がすぐさま駆けつけてくれた。

「ご無事でしたか」

 開口一番、タッタルガル班長が言った。

「殿下も気を揉まれていたようです」

 ヒューヴァウワーが続いた。

「無事、とは何のことでしょう?」

 クラウズェアの疑問に、

「話は戻りの道すがらにでも。さ、背にお乗りください」

 そう言って、二名は緑色の巨体を地に伏せさせた。


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