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四章⑮『弟子にして下さい、ジャック先生!』

 地に身を横たえて事態を見守っていたツユクサに、アルテミシアが頼み込んで皆を背に乗せて貰い、(れん)(たん)(どう)まで運んで貰った。

 一瞬だった。

 犬妖精の比ではない。行きの苦労は何だったのかと思わないではなかったが、問題もあった。

「気持ち悪い……」

 馬に乗り慣れているはずのクラウズェアが、乗り物酔いを起こしていた。犬妖精達と同じく快適なはずのその背も、あまりにも速度が速すぎて、不都合が生じるようだった。

「だいじょうぶ? お水飲む?」

 (かい)(ほう)の仕方など知らないアルテミシアは、少女の周りでおろおろしている。

「シア嬢ちゃんは大丈夫なんですかい?」

 クラウズェアより体の弱そうな少年への、当然の疑問だった。

「うん。途中で急に眠たくなってきて、寝てる間に着いていたから」

 ジャックの問いに答えたアルテミシアの回答は、勘違いである。眠ったのではない。あまりの速さに気絶したのだ。

 腕組みをしたジャックが言った。

「加速度病、いわゆる乗り物酔いですね。実際に体が揺れなくても、目から入る情報を脳が処理しきれずに起こる事がありやす。一時的な自律神経失調症とも言えやすが。奥に良い薬がありましたから、取ってきやしょう。シア嬢ちゃん? 一緒に行きやしょう」

「ローズを治すお薬? うん、わかった。待っててね? ローズ」

「うん」

 洞窟入り口付近で壁を背にして座り込んでいるクラウズェアは、少年の声に弱々しく返答した。

 ちなみに、薄紅はツユクサに乗る際に髪に戻してある。名付けた事で、呼び戻しが自在になったのだ。それと、ツユクサは一行を洞窟前まで運ぶと、すぐさま姿を消してしまった。アルテミシアは残念がっていたが。

 暫くして。

「持ってきたよ」

 ジャックを従えたアルテミシアが、丸い盆に陶器でできた入れ物と、水差し、空の湯飲みを載せて持ってきた。

「ありがと」

 青白い顔のクラウズェアは、吐き気を我慢して律儀に謝意を述べた。

「ううん、気にしないで?」

 クラウズェアの事は心配だが、役に立てるのが嬉しいアルテミシアは、ジャックの指示に従って甲斐甲斐しく用意をしていく。と言っても、湯飲みに薬湯を注ぐだけなのだが。

「はい、どうぞ」

「うん……うっ?」

 渡された湯飲みには、薄い泥水のような(にご)った液体が入っていた。匂いも、あまりよろしくない。

「こ、これをわたしが?」

 ハーブティーを想像していたクラウズェアにとって、それは、飲むのにかなりの勇気を必要とする(しろ)(もの)だった。

「うん。すぐに良くなるって」

 だが、無邪気な幼なじみの眼差しを前にして、飲めないなどと言う余地はなさそうだ。彼女は腹をくくり、それを一気に飲み干した。

 不味かった。すぐさま湯飲みに水を注ぎ、口の中の後味を流し去る。不幸中の幸いだったのは、薬湯が冷えていたのでまだしも匂いがきつくなく、飲みやすかった事だろう。

小半夏加茯苓湯しょうはんげぶくりょうとうという漢方です。『胃を開き、気を下し、(おう)()を止む』と云われてやすね。まあ、腹の調子を良くし、興奮した心を落ち着け、吐き気を抑える効能があるっちゅー事で。あと、腹ん中に溜まった水を出す効果がありやす。ポンポンがチャポチャポしてっと、酔いやすくなりやすからね。暑さのあまり、水をがぶ飲みしたのもまずかったんでしょう。ま、仕方のねぇ事ですが、あの暑さじゃあ」

 慰めの言葉に感謝し、そしてジャックの博識ぶりに驚かされたクラウズェアは、ただじっと黙って耳を傾けていた。

 そうして、暫く安静にしていると、クラウズェアの体内で生理現象の兆しが感じられた。

「ちと、行ってくる」

 すっくと立ち上がった少女は、足早に洞窟の奥へと去って行った。アルテミシアが声を掛ける暇も無かった。

「ローズ、どうしたんだろ?」

 少年の疑問に、

「お花を摘みに行ったんでげしょう」

 グヘヘェと下卑た笑いで返すジャック。

「お花? 花ならそこに咲いてるよ?」

 白い手が洞窟の外を指さす。

「そういうお花じゃあないんですねぇ。言うなれば秘密の花園です。特別なんです。自然が姐さんを呼んでるんです」

「そうなんだ?」


 くだらない話で盛り上がっていると、どこかすっきりした顔のクラウズェアが奥から戻ってきた。顔色は元に戻り、足取りは軽い。

「お花は摘めなかったの?」

 手に何も持っていないのを見て取ったアルテミシアが、不思議そうに尋ねる。

「お花?」

 一瞬、面食らったクラウズェアだったが、元凶を察し、破廉恥のっぺらぼうを睨み付けた。

「ジャック」

 低く、ドスの利いた声だった。彼女の怒りに誘われ、右手にはいつの間にやら薄紅が握られている。

「ひぇっ?」

 のっぺらぼうから間抜けな声が漏れた。慌てて逃げようとするが、アルテミシアの影に住み着いた身では、どこへも行けない。

「薄紅が怖いのか?」

 今までとは違うジャックの反応に、少女の唇が下弦の弧を描き、目が細められる。その恐ろしげな笑みに、哀れな影人間は小水を漏らしそうになった。

「お、おたすけぇ~!」

 アルテミシアの後ろで、土下座しながら手を合わせている。

 その、あまりの情けなさに毒気を抜かれたクラウズェアは、思わず吹き出してしまう。

「冗談だ」

 そうして刀を仕舞(しま)うと、地に伏したジャックの側に右膝を突いた。

「顔を上げて欲しい」

 その声につられたジャックが顔を上げると、今度はクラウズェアの方が頭を下げたのだった。

「へ? 姐さん、いってぇこいつぁ」

 戸惑うジャックに、クラウズェアは言った。

「貴殿の腕を見込んでお頼み申し上げる。どうか、わたしに剣術をご教授ください」

 クラウズェアにとってジャックという存在は、最初、単なる怪しげなお調子者であった。やがて信頼するに到り、その博識ぶりにも驚かされた。

 だが、それだけではないと気付いたのだ。

 あの、衝撃的であったタイタスを打ち倒した瞬間の事を、今でも鮮明に覚えている。当初、影の国の共鳴術のようなものだと思っていたが、共鳴術は使えぬと云う。

 思い返せば、出会った時に身のこなしについて指摘を受けた。

 『突こうという意識が強すぎる』と。

 他にも、足場の悪い場所での歩き方なども。刀の造りにも詳しそうだった。専門用語が多すぎて、クラウズェアにはさっぱりだったが。

 それらから推論するに、『あるていど武の道に通ずる者ではないか?』との考えに到ったのだ。

「姐さん、顔を上げてくださいよ。これじゃあ話もできやしねぇ」

「では、ご(かい)(だく)いただけるのでしょうか? そうでなければ、頭を上げる訳にはいきません」

 クラウズェアの決意は固かった。ジャックに応じて貰うまで、頭を下げ続けるつもりだった。

 ウーンという唸り声が続き、ハアという溜息が影人間から漏れた。

「教えるたって、あっしは人に何かを教えられるような上等なモンじゃあねぇんですがねぇ。……剣の振り方の基本程度なら、まあ、なんとか下手なりにで良ければって感じですが」

 その、渋々といった言葉に、クラウズェアの頭ががばりと上がる。

「それで構いません!」

 弾んだ声に混じり、アルテミシアのほっとした溜息が添えられた。幼なじみの大事な時だったのだ。はらはらしながら息を潜めて見守っていたのだが、良い結果になりそうで安堵したのだ。

「そいじゃ、ま、据物斬りをするってぇ話でもありやしたし、外に出ましょうか?」



「刀はレイピアと違って、基本的には両手で扱うもんです」

 ジャックの言葉通り、刀の柄は両手で持つようにある程度の長さがある。

 薄紅も例にもれず柄は長く取ってある。

「まあ、こう言うと反論も挙がるかもしれやせんが、あっしが知る限りにおいちゃああくまでも基本(、、、、、、、)であり、将来的にゃあ、そこにこだわる必要はありやせん。ともあれ、右手は(つば)の下を、左手はその下を持ちます。強く握り込まず、柔らかく持って下さい。持つ力は左右均等。柔らかく、とにかく柔らかく」

 ジャックの教えに従い、薄紅を両手で持つクラウズェア。

 収まり良く、手の内に安定する。長年使い続けたレイピアよりも持ち慣れた感のある、不思議な心地を覚えた。手の内にあるだけで心が落ち着くのだ。

 今は、直立したクラウズェアが、刀を地面に対して垂直に立てた状態だ。切っ先が天を、柄頭が地を向く。刃が前方だ。

「刀という物は、刃筋を立てないと切れません。切る物に対して、刃を垂直に――真っ直ぐ当てましょう。それから、腕は真っ直ぐ。手首を利かせて小手先で切るでもなく、肘を曲げて前腕で切るのでも、肩から先の腕で切るのでもありやせん。(こし)で切るんです」

「腰?」

 クラウズェアの眉間にしわが寄った。『腰で切る』という事が理解できなかったのだ。

「そうです。人の手足ってのは、肩や股から生えてるんじゃねぇんです。手も足も、“腰”から生えてます。腰を使って手足を動かすんです。武器を振るのも、素手で殴るのも、手じゃなくて腰です。足で蹴るのも、歩いたり走ったり跳ねたりすんのも、ぜぇんぶ腰。腰を使います」

「む」

 形の良い眉がますます寄り、クラウズェアの唇は引き結ばれた。

「今は理解できなくて構いやせん。そのうちご自分の体を通して分かるようになりやすからね。さて。そいで肩は落として下さい。肩の力を抜いて。それから、肘は外側じゃあなく、地面に向ける。そうすると、肩が落ちます。余分な力を抜いて~。あぁ、そんな眉間にシワなんて作ってちゃあいけやせんぜ。歯も食いしばっちゃあダメ。リラックスです。脱力です」

 いったん力を抜くため、クラウズェアは深呼吸をした。

「お、いいですねぇ。お次は、胸を張らず、腰を反らさず、背を真っ直ぐに。それから、足は踏ん張らず、力を抜き、足の裏全体を地面に着ける」

 言われた通りにすると、刀の重さが足の裏に落ち、姿勢が安定した。

「ほんじゃあ、あっしが言ったことを守りつつ、剣を振り上げて」

 薄紅が弧を描き、頭上に振り上げられる。

「振り下ろして」

 声に合わせ、振り下ろされた。

「剣筋がブレてます。真っ直ぐ振り下ろして下さい。閉まる寸前の扉があったとして、扉と壁の隙間が薄紅の刃の厚さ分だけしか開いてないとしやす。その隙間をキレイに通せるくらいの精密さで、振り下ろしましょう」

「むむっ」

「眉間にシワが寄ってます。力を抜いて。じゃ、もう一度」

 再度、薄紅が振りかぶられ、振り下ろされる。

「力でムリヤリ真っ直ぐにしやしたね? いけませんぜ、そりゃあ。剣を振る速度が遅くなるし、動きが硬くなるし、切る事もできなくなっちまう。無駄な力みを捨て、身を柔らかく保てば、自然と剣は真っ直ぐに振り下ろせます。もう一度です」

 深呼吸をしたクラウズェアは、めげずに剣を振る。

「少しだけマシになりやしたね。それが“斬り”です。以上で終わりです。お疲れ様でした~。有り難う御座いました~」

「ちょっと待った!」

 クラウズェアの鋭い突っ込みが入った。

「なんでやしょう?」

 すっとぼけるジャックに、

「これだけのはずがない! もっと多くの動きがあるはずだ! それとも、やはりわたしに教えるのは」

 そこまで一息に言い、

「嫌になったのですか?」

 尻すぼみに声が漏れた。見るからにしょげている。

「あ、いやぁー、そういう訳では」

 真っ黒い禿()げ頭を黒い手で()いたジャックは、言葉を選んで説明をした。

「基本なんてぇのは、本当にさっきの通りなんですよ。後は応用です。()()に――斜めに斬るも、突くも、薙ぐも、受け流すのも、“真っ直ぐ斬る”ことができて初めて活きる動きです。そもそも、斬りかかる敵の動きに応じてこちらも刀を合わせてやれば、向こうさんの攻撃は勝手に逸れてこっちの攻撃が一方的に当たる[合撃がっしうち]やら[切り落とし]やら云われる、攻防一体の特殊な(あい)()ち技になりやすからね。でも、そいつぁ先の話です。今はさっき教えた“斬り”の動作を反復練習するのが良いと思いやすよ? 基本を(おろそ)かにすると、大成しやせんぜ? ……って偉そうになに語ってんでしょうね?」

 アハハと笑うジャックの前で、黙って聴いていたクラウズェアは、いきなりがばりと頭を下げた。

「申し訳ありませんでした! 己の浅はかさに恥じ入るばかりです。これからは先生のご指導を守り、一生懸命精進しょうじんいたします!」

「せんせいっ?」

 勢いよく頭を下げた堅物騎士に、影人間は素っ頓狂な声を上げた。

「ちょいと! ちょいとちょいとっ、よしてくださいよ! 先生っ? えっ、なんですそりゃあ?」

 頭を下げられた方が弱り切っているのもおかしな話だが、ジャックは確かに弱っていた。先生など、いまだかつて呼ばれた事はない。呼ばれるに値する器でもないと思っている。

 だが、クラウズェアの方は違った。

「これからはわたしの剣の師匠なのですから、先生とお呼びするのは当たり前です」

 真っ直ぐな目は真剣さを帯び、尊敬の念できらきらと輝いていた。

「そんな目であっしを見ないで! (けが)れた体が消滅しそう! だいたい、姐さんのお師匠さんは別におられるんでげしょう?」

「フィデリオ先生は確かにわたしの剣の師匠です。けれど」

 そこまで言ってから、クラウズェアの口が引き結ばれる。

「なんかあったんですかい?」

 そう促すジャックの声に、意気消沈した声が答えた。

「最近、『もう教えることは何もない』と云われたばかりで……。『後は自分の思う道を進みなさい』とも。きっと、わたしに剣の才の無いのを呆れられたに違いない。だが、お優しいフィデリオ先生は、わたしが傷付かぬよう、遠回しにそんな風に仰ったのです」

 話すにつれ、女騎士の声は地の底まで落ちていった。

「ふーむ?」

 ジャックは腕組みをした。

「別に、才能が無いなんて思いやせんがね? 百年に一人の天才かと問われれば、それこそ非才の身であるあっしにゃあ人の才なんて推し量れるはずもありやせんが。今まで姐さんの剣捌きをいくつか見る機会がありやしたが、それなりの腕をお持ちじゃあありやせんか。落ち込む要素なんて、どこにもありゃしやせんって。そのフィデリオ先生が云ったのだって、何か深いお考えあっての事じゃあありやせんかねぇ? 姐さんがそこまで尊敬なすってる御方だ。弟子を()()に扱うお人じゃあねえでしょう?」

「それは……確かにそうですが」

 心細げな目が、不安に揺れている。美徳であるはずの真面目さが、彼女の心を弱らせていた。

「信じるこってす、自分を。良き師の(もと)でコツコツと修練した自分を。薄紅の主人に選ばれた自分を。それに、クラウズェア姐さんを信じているシア嬢ちゃんを、信じられている自分を信じるんです」

 ジャックの言葉にはっとしたように緑の目が動いた。影の横に(たたず)む少女のような少年は、ずっとクラウズェアの事を見ていた。

 緑の目と赤い目の視線が絡み合う。

 アルテミシアが微かに笑った。

「だいじょうぶだよ、ローズ。ローズはすごく強くって、それに最高の騎士だよ」

 自分の言葉をかけらも疑っていない目だった。

 少女は、この少年を守りたくて、

 剣を手に取った自分を『かっこいい』と言ってくれた期待に応えたくて、今まで一心に剣の鍛錬をしてきたのだ。

 そうしてここまでやってきたのではなかったのか? 

 ここで止まってしまえば、全てが無駄になってしまう。前に進み続けるより道はないのだ。簡単な事だった。

 少女は、幼き日の気持ちを思いだし、闘志を奮い立たせた。

「シア、わかったよ。もう大丈夫。それからジャック先生。わたし、もう迷いません」

 もう落ち込んでいないクラウズェアに、アルテミシアは微かに顔をほころばせ、ジャックは慌てふためいた。

「えっ? 結局あっしが先生なんすか?」

「勿論です!」

 きっぱりと言い切るクラウズェア。

「剣術は教えますが、先生はナシ! 先生って呼んだり、あとその言葉遣いもやめてください! 普段通りで。でなきゃあ、あっしは何にも教えませんぜ」

 ジャックの激しい抵抗にあい、クラウズェアは渋々ながら条件を受け入れることにしたのだった。



「えー、っつー訳で据物斬りです」

 しばらく剣を振っていたクラウズェアに、ジャックがそろそろいいかと声を掛けた。

「わかりました」

「えっ、なんですって?」

「……わかった」

 ジャックの聞き返しに、普段通りの言葉に言い直すクラウズェア。

「えーと、じゃあ、あすこに丁度手頃な枝がありやすから、あいつを切ってみてください」

 クラウズェアの頭の高さに張り出した枝があるのを、ジャックが指さした。

 太さは、成人男性の腕ほどもある。この場合の成人男性とは、農夫や狩人、剣や槍を振るう戦士など、ある程度の筋肉がついた男のことだ。

「自信は無いが、やってみよう」

 クラウズェアが乗り気でないのには理由がある。

 まず純粋に、枝が太い。

 また、高い位置にある物を切るのは難しい。力が入りにくいのだ。

 そして、薄紅は軽い。使っていたレイピアよりも軽い。見た目以上の軽さだ。

 それとこれが一番の理由になるが、クラウズェアは突くことに専念した剣術をやっていたので、切ることに自信がなかった。

 だが、そうも言っていられない。やるしかないのだ。

 クラウズェアは垂直に持った刀を、胸の高さから頭上に持ち上げた。自然、上段の構えになる。そして、切り下ろした。

 ()(たん)、切り落とされた枝と木の切断面が、炎に包まれる。

「なっ?」

「水、水っ、姐さん水! お嬢ちゃんは火を固めてください!」

「うん」

「わ、わかった!」

 処置が早かったので、よそに燃え移ることもなく、山火事に発展することはなかった。

「なんてぇ刀だ。おっとろしいな、こりゃ」

「うむ。驚いた」

「でも、なんだか便利そうだね? ()(くち)(ばこ)の代わりになるよ」

 このアルテミシアの言葉に、ジャックとクラウズェアはおかしそうに笑った。

「全くですね。こいつなら、ちまちまと火を(おこ)す必要はねぇや」

「言われてみれば、確かにね」

「ところで姐さん。切った感触はどんな(あん)(ばい)でしたかい?」

 この問いに、うむ、と神妙に頷いたクラウズェアは、薄紅をまじまじと見ながら語った。

「凄まじい切れ味だ。切った感触が全くなかった。こんなにも軽いのに、大したものだ。それと、やはり薄紅から熱が流れ込む感触があるのだが、今回はそれと同時に、刀身から火が走り出る感触もあった。結果はあの通りなのだが」

 紡がれる言葉に、熱が籠もっていく。

「走り火、ですか」

 ジャックは興味深げに薄紅を見て、それから切れ味の鋭さに興奮冷めやらぬといった風のクラウズェアに向かって言った。

「姐さん、剣の切れ味に振り回されちゃあいけやせんぜ?」

 この言葉に、はっとしたように、夢から覚めた心地のクラウズェアが、影人間へと目を向ける。

 それを受けて、

「切れ味に()えば、剣は殺すだけの道具に成り果てます。振るうのは姐さん。斬るのも姐さん。斬ることの、斬ったことで生まれることの全てを感じ、背負わなきゃあなりません」

「斬ったことを、背負う」

「ま、小難しい言い方をしちまいましたが、要は“脱力”さえできてましたら、斬り手に感触は伝わるもんです。姐さんはまだ力んでて、力と勢いで切ってるから、手に感触が生まれない」

「うっ、面目ない」

「ま、おいおいモノにしていきやしょうぜ……お?」

 そうしているとやがて、天からぽつぽつとくるものがあった。

「雨か」

「あめ?」

 いつの間にやら雨雲が覆っていた空を見上げ、一面の鉛色と、そこから落ちてくる透明な雨粒を赤い目に映し、生まれて初めて雨を見た少年が呟いた。

「白い雲が灰色になってる。それに、あんな色から透明な水が出てくるなんて、不思議」

 白い掌に受けた雨粒を見つめ、次いで、再び天を見上げながら鼻をひくひくさせる。

「部屋の窓からかいだ匂いと一緒だ。雨の匂いはここでも一緒なんだね」

 懐かしさを含んだ声色。

 決して楽しい思い出だけじゃない。むしろ寂しい思いをたくさんした、格子のはまったあの部屋は、今は遠い。

 雨風を防ぐ頑丈な石壁は今はなく、代わりに冒険があった。

 肌を濡らす水の冷たさも、身を焦がす猛火も、頬を打つ風も、足をくたくたにする広い大地も、太陽と月の過ぎ行く昼と夜も、全部を体いっぱいで感じた。

 そうしてその冒険には、ジャックが、モリオンが、クラウズェアが一緒だった。

「雨に濡れると風邪を引くから、ね?」

 そう言って差し出された幼なじみの手を握り、温かな体温と繋がったまま、洞窟へと入っていったのだった。

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