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四章⑧『こ、これが、大陸の王侯貴族が入るという』

 ジャックはガスの存在を指摘したが、自分自身ではその可能性は極めて低いと考えていた。

 火山で形成される溶岩洞は、文字通り流れ出た溶岩が冷え固まってできた洞窟だ。この場合、冷える過程で溶岩中のガスが外に吹き出し、その勢いで空いた穴を維持したまま冷えた物となる。それが溶岩洞であり、鍾乳洞などとはまた違った独特の岩肌になる。また、ガスの性質上、たいていは上に吹き出すものであり、横穴ではなく縦穴になる。

 だが、この洞窟は溶岩洞としての特徴が無い。アルテミシアを連れて行こうと()したのは、その面では安全だろうと踏んだからであり、もう一つの理由は、戦力の面である。

 今現在、クラウズェアはレイピアを失っている。鉈やダガーはあるが、それでは心許ない。それに比べ、アルテミシアにはモリオンが()いており、いざとなればジャック自身も取り憑く事ができそうだ。そういう意味で、二人揃っていた方が安全だとの計算だ。

 洞窟は歩きやすかった。

 入り口近辺は外から流れ込む雨が土を運び込んでおり、ごつごつした岩肌ではなく柔らかで平らな地面が形成されていた。だが、中に踏み入れば足場も悪くなるだろうと思っていたジャックとクラウズェアは、意外なほどの平らかさに驚いていた。

 警戒していた蝙蝠(こうもり)や虫なども見かけない。湿度も高くないばかりか、むしろ外よりも乾燥している。暗いことを除けば、とても快適であった。

「洞窟というものは、もっと劣悪な環境で、(なん)()すると思っていたのだがな」

 入り口からずっと、縦横三mほどの幅を維持したまま緩やかにうねった道を奥に進みながら、クラウズェアが感想を述べた。コツコツコツというブーツの音が、洞窟内に反響する。

「ゴキブリなんかも見かけやせんね。けど、天井辺りにうじゃうじゃいたりぃ~」

 足音を立てることの無い影人間が、女騎士をからかってやろうと恐ろしげな声を作ってみせた。

「ゴキブリってなぁに?」

 先に反応したアルテミシアに、

「虫の一種よ。木の皮や土よりももう少し黑っぽい焦げ茶色で、小さくて、すばしっこくて、(はね)で飛ぶこともできて、何でも食べる汚い虫よ」

 眉をひそめてこそいるが、たいした嫌悪や恐怖などは感じられない少女に、ジャックは拍子抜けした。

「普通、女の子は虫やらが嫌いだと思ってたんですがねぇ。特に、ゴキブリなんかは」

「わたしは騎士だ。そんな軟弱な精神は持ち合わせていない」

 ジャックの言葉に胸を張って答えるクラウズェア。

 だが、

「その、ゴキブリという生き物は、鳴いたりしないの? 昼に見たあのカエルっていう綺麗で可愛い生き物みたいに」

 アルテミシアのこの言葉に、凜々しき女騎士の顔が恐怖に(ゆが)んだ。

「シア! シア、カエルは綺麗じゃないのっ、ましてや可愛くなんてない! あれはね、あれは恐ろしい生き物なのよ。そう、なにかこの世の生き物とはまた違った、天下のあらゆる汚物を集めて、そこに人々の悪意や絶望を詰め込んで、七日七晩のあいだ邪悪な神々への祈りを捧げてできあがった物なの。そういうアレなの!」

 さっき、ジャックが演技して見せた恐ろしげな声など比ぶべくもない、真の恐怖を語る者のみが発する()()(せま)る雰囲気に、アルテミシアとジャックは圧倒された。

「う、うん、そうなんだね。ごめんね? ローズ。もうカエルのことは――」

「いけない!」

 少年の怯え混じりの謝罪を、少女の絶叫が遮った。

「そのおぞましい名前を口にしちゃだめ! きっとあいつらを呼び寄せてしまうわ。そうなればここは逃げ場の無い洞窟。きっとわたし達は殺されてしまう。殺されてしまうのよっ? カエルに殺されれば、きっとカエルに生まれ変わる。そうなればもうお(しま)いだわ! ああ、天と地の神々よ、お助けください」

 唐突に跪いて祈り始めたクラウズェア。その鬼のような形相に、アルテミシアが思わず言葉を漏らした。

「ローズ、こわいよ」

「そうでしょうっ? カエルは怖いのよ! 恐ろしい!」

「……もう、いいですかい?」

 すれ違う二人を見ているのも面白かったが、これでは先に進めないと、ジャックが一声掛けた。

「わかった」

「うん、そうだね」

 二人とも納得し、また歩き始める。

「なかなか面白いキャラなんですねぇ、姐さんは」

 小さく(ひと)()つジャックに、耳の良いアルテミシアがやはり小声で言った。

「ローズは子供の頃から凄く楽しい子だったよ。さっきは少し……そう、ほんの少しだけ怖かったけれど」

 幼なじみの少年は、控えめな感想を述べた。

「む」

 先頭のクラウズェアが声を発して止まり、会話が聞かれてしまったのかと肩をぶるりと震わせてしまう後ろの二人。だが、その心配はなかった。

「道が二手に分かれている」

 クラウズェアが松明(たいまつ)をかざす先は、確かに道が二股になっている。そして、どちらの道も特徴の無い、今までと代わり映えのなさそうな道に見えた。とはいえ、松明の照らす範囲は狭い。結局は行ってみなければ判らない。

 そのとき、

【ミテミテ】

「【ほんとだね。見える】」

 モリオンから話しかけられたアルテミシアが、同意の返答をした。

「なにが見えるの?」

 クラウズェアが問うと、

「どちらの道からも、〈銀の霧〉が漂ってきてる。いまあらためて“見て”気付いたけれど、この洞窟全体が他より濃い銀色をしてる。どうして気付かなかったんだろう? ……【隠れてたの?】」

 前方や周囲に視線を向けたアルテミシアは、クラウズェアに答えた後に、モリオンの声に耳を傾けた。実際に声を聞いている訳ではないのだが。

 アルテミシアが〈銀の霧〉を見るようになって、〈彩化晶〉のような特別な石のみならず、あらゆる物、あらゆる場所にそれは在った。

 空中にも地面にも、更には人にも。

 そして、彼の目からすると、この洞窟全体が濃い銀の霧を含んでいるのだが、最初に入り口を見付けた時や食事を摂っていた時には気付かなかったのだ。取り立てて“見よう”としていなかった事ではあるのだが。

 静かな洞窟内に、松明のぱちぱちと燃える音と、さらさらという銀月に似た独特の音が流れ、少年の白い耳をくすぐる。

「こっからは気をつけて進みやしょう」

「わかった」

 ジャックの呼びかけにクラウズェアが応じ、前方に視線を向けたまま問いかけた。

「シア、どっちに行こうか?」

 緊張をはらんだ声に、うーんと考え込んだ少年は、

「こっち。なんだか温かい感じがするよ?」

 白く(たお)やかな(ゆび)()し示した方向は、左手の道だった。

「では、こっちへ」

 クラウズェアが今までより慎重な足取りで進み始めた。コケで足を滑らせないよう気をつけている時の歩法だ。自然、足音が小さくなる。

 静かに、慎重に進んでいったすぐ先で、一行は行き止まりに出会った。

「何もない、のか?」

 周囲を松明で照らしてみて、目をこらして見たものの、緑の目には石壁しか映さない。

 だが、赤眼には別の光景が映り込んでいた。

「そこの突き当たりの壁にね、何かあるよ?」

 アルテミシアが指さしたらへんを(さや)に収まったままの鉈でつついてみると、クラウズェアの手に何かがずれる感触が伝わってきた。よく見ると、腹の辺りの高さに出っ張った石があり、それが横にずれたのだ。

「〈石〉ですかい?」

 ずれた跡に、茶色の石があるのをジャックがめざとく見付けた。

「うん。〈石〉だね」

 〈彩化晶〉である事をアルテミシアが肯定し、茶色の〈石〉に手を伸ばす。

「シア、危ないわ」

 慌てて止めようとするクラウズェアの手に白い手が触れ、安心させるように言った。

「だいじょうぶ。危ないことは無いと思う。なんだかね、開けられそうな気がする」

「開ける?」

「うん。この向こう側があるんだと思うよ」

 赤い目が、突き当たりの石壁を見ている。

「お嬢ちゃんを信じて、お願いしてみやしょうぜ」

 このジャックの言に(しば)し考えたクラウズェアだったが、少年の綺麗で真剣な眼差しに折れ、従うことにした。

「何かあったらすぐに下がるのよ?」

 言いながら、鞘から鉈を抜く。

「うん」

 アルテミシアがそっと手を伸ばし、茶色の〈石〉に指先を触れさせた時、

 驚くべき事が起こった。

「動いたっ?」

 驚きの声を上げるクラウズェアの眼前で、〈石〉のついた壁が()ず少しだけ上にずれた。ずれるというよりも、“浮いた”と言った方が正確か。そして、でっぱった石の分だけ奥に動くと、そのまま上に浮き上がって天井の中に消えてしまった。

 後には、石壁の消えた向こう側に大きな部屋くらいの空間が広がっている。

「ほら、ね?」

「自動ドアだな、こりゃ」

 二人の声は、驚きで固まったままのクラウズェアを動かしてくれた。

「これは……試練を求める者(ならずもの)どもがしきりに口にする〈遺跡〉なのか?」

 太古に栄華を極めた大国は、東の大陸にだけ影響力を持っていた訳ではない。ここグリーンウェルにもその勢力を広げ、〈(まった)き民〉と呼ばれる古代人が建設した建物や施設が残る。

 都が丸々一つ残る場所もあれば、山中や荒野に残る“隠された場所”も存在する。

 そういった遺跡に入り込み、調査で入る学者を護衛したり、自分たちのみで踏み入って金目の物を盗み出す事で生計を立てているのが〈試練を求める者〉と呼ばれる連中だった。

 そして、この洞窟こそが“隠された遺跡”なのではないかと、クラウズェアは考えたのだ。

「遺跡ですかい? 楽しみですねぇ。さっそく入ってみましょうや」

 ジャックが促し、クラウズェアが鉈を前に突き出したまま入っていく。アルテミシアも続いた。

 そうすると、またもや一行を驚かせる事態が起こった。

 暗かった空間が、にわかに明るくなったのだ。床も壁も天井も、ぼうっとした白い光で(おの)ずと光り、壁一面に松明やランプを並べたよりもなお明るい場となった。

 そうして(ぜん)(ぼう)が明らかになった中は、天井の高さこそこれまでと変わらず三mほどだったが、横は五mほどもあり、奥行きに至っては一〇mくらいもあった。

 その広い空間が、手前と向こう側およそ中間点くらいで趣を変えている。

 手前は机と椅子が備えられ、壁際には棚が(しつら)えてある。奥は、短い下り階段があり、縦横五m、深さ六〇㎝に落ちくぼんだ場となっていた。

 クラウズェアもアルテミシアも、目を丸くして言葉も発さず固まっている。

「こりゃあ、水の張ってねぇ屋内プールに似てやすねぇ。あすこにあるのなんて、まるで蛇口みてぇじゃねえか。ねえ、シア嬢ちゃん? あすこのあの(つつ)みてぇな出っ張り、アレに触ってみやせんかい?」

「どこ?」

 今まで目が見えなかった事であまり常識を知らないアルテミシアは、クラウズェアよりも衝撃が少なかった。なので、ジャックの言で興味を持ち、すぐさま行動に移った、

「……あ、待ってシア!」

 遅れて思考を取り戻したクラウズェアが、慌てて後に続く。

「筒って、この温かい感じがする筒?」

 筒は二つあった。横の壁から突き出す形で、口を落ちくぼんだ場所に向けており、一つは赤、もう一つは青い色をしている。

「あ、じゃあますは赤い筒からお願いしやす」

「大丈夫なのかしら?」

「うん、たぶんだいじょうぶ。危ない感じはしないし、分かれ道の手前で感じた温かい感じは、きっとこれだよ。触るね?」

 そう言って触れてみると、アルテミシアにだけ分かる銀の霧が筒に集まり、次いで、赤い筒から熱湯が噴き出してきた。

「わわっ?」

 びっくりしたアルテミシアが思わず筒に触れると、今度は熱湯は出なくなった。

「ははあ、なるほど。ほいじゃあ今度は、青い方をお願いしやす」

 ジャックの言に従い青い筒に触れると、こちらは冷水が勢いよくどばどばと出てくる。そして、もう一度触れると、出なくなった。

「風呂ですね」

 納得げなジャックの声に、クラウズェアが驚きの表情を浮かべた。

「風呂というと、大陸の王族や一部の大貴族だけが好んで入るという、あれか? だが、大勢の下男下女を使って沸かした湯を運ばせるものだと聞いていたが」

 風呂を沸かすのは、時間も労力も金もかかる。そんな手間暇を掛けた信じられない贅沢は、グリーンウェルの王族だってやらない。せいぜい、たらいに湯を張ってその中で体を洗う程度だ。平民に至っては、濡れタオルで体を拭く程度である。常葉の乙女達は例外で、泉の水で(もく)(よく)するのが日課となっている。だがそれも贅沢としてではなくあくまでも清めの儀式であり、使われるのは水だ。

 だから、そんな贅を尽くした〈風呂〉などというものがこんな洞窟にあるという事は、クラウズェアを心底驚かせた。

「ねえ、もう一度出してみてもいい?」

 最初は驚いたが、今や好奇心の塊となったアルテミシアが、変化の薄い表情と声にわずかな興奮を忍ばせ、ジャックとクラウズェアを見上げた。

「出しましょう。出しちゃいましょう。しばらく出しっ放しにして、後でもう一度見に来やしょう」

「何か凄く勿体ないことをしている気分だ」

 真面目な女騎士は悩んだが、今は残る右手側の分かれ道を調べるのが先決である。ここで見ている訳にもいかないし、風呂というものに興味もある。

 ここにはまた後で来るとして、分かれ道まで戻ることにした。


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