四章⑦『謎の洞窟でお弁当を』
アルテミシアが泣きすぎてしゃっくりが止まらなくなった頃。
日が暮れて空が虹のオレンジみたいになってきたので、野営のできそうな場所を探すことにした一行は、幸いにも滝の近くに洞窟を発見することができた。中は涼しく、外の熱気が嘘のようだ。
ついでに、洞窟の直ぐ横には、何故かスイカの生い茂る一角があるのを、ジャックが発見した。
青い獣は、いつの間にやら姿を消していた。
洞窟は思ったよりも奥が深そうだったが、取り立てて危険な要素はなさそうだったので、取り敢えずは遅い昼食兼夕食を摂ることにした。スイカは冷えた方が美味しいとのジャックの言に従い、クラウズェアが滝壺に沈めてきた。
籐というツル植物で編まれた敷物を洞窟内入り口付近の地面に敷き、その上に弁当箱を置いて三人で囲んだ。竹で編まれた敷物に似ているが、象牙色のそれは質感がつるつるとしており、それでいて意外と軟らかい。何より、ひんやりとした冷感が火照った体に気持ちが良かった。吸湿性も高く、心地よい肌触りが長持ちする。
「おいしそう」
木製の弁当箱のふたを開けると、食欲をそそる良い匂いが辺りに漂った。サンドイッチだ。
薄くてちょっともちもちした黄色いパンの間に、ピリ辛のタレに漬け込んで軟らかく蒸した鶏肉が挟んである物と、甘辛く味付けされた焼き茄子が挟んである物との二種類があった。
また、デザートとして芋の餡を詰めた饅頭もある。
竹の水筒には、甘竹という植物から採れる竹糖で造った酒が満たされていた。もう一方の竹筒は、翌日に開けるように言われている。中身が発酵してヨーグルトになるそうだ。
祈りの言葉を済ませたアルテミシアが小さな口を開け、焼き茄子サンドイッチに齧り付いた。じゅわりとした汁気が口内に広がり、香ばしい風味としっかりしているが濃すぎない味付けが、少年を幸せな気分に浸した。
クラウズェアは蒸し鶏サンドイッチを頬張った。高価な胡椒と塩がふんだんに使われた味付けにまず驚き、それでいて食べたことの無い調味料も混ざった未知の料理とその旨さに、食欲旺盛な彼女の思考は食べること一色に染まった。
「すごくおいしいね、この料理」
アルテミシアの感想に、頷くだけの返答をしたクラウズェアは、少年に身振りが通じないことと己の不作法に気付き、口の食べ物を飲み込んでから改めて返事をした。
「美味しい。凄く美味しいよ、シア、わたし幸せ」
その、夢見るような少女の言葉に、
「街で見かけた鳥たちの肉だったりして」
グヘヘェと意地悪そうに笑うジャックの言葉に、かじったサンドイッチの断面をまじまじと凝視するクラウズェアだったが、こう言い切った。
「残さず食べることで、手向けとしよう」
ためらいなく頬張り始めた。
「え? 姐さんってこういう人?」
珍しく戸惑い気味なジャックの言葉に、アルテミシアが微かに笑んで幼なじみを弁護した。
「ローズは食べるのが大好きなんだ」
弁護ではなく、単にジャックの疑問を確信に変える証言が得られただけであった。
饅頭もまた旨かった。皮と餡がそれぞれ別の芋から作られているのだが、皮はしっとりとした質感と仄かな甘みがあり、中の餡はほろほろと崩れる柔らかい食感とずっしりとした食べ応えのある重みが同居し、芋の持つ個性的な甘みがサンドイッチで満たされたはずの食欲を新たに刺激する。
結局、三段重ねの弁当箱に六個ずつ入っていた三種類の料理は、アルテミシアが焼き茄子サンドイッチ二個と饅頭一個を食べ、残りは全てクラウズェアの胃袋に収まった。
「お腹いっぱいだね」
「そうね。まだ少し物足りないけど、腹八分目が体に良いって聞くものね」
満腹の上限が違いすぎる二人は、甘竹酒で食後の一杯を満喫していた。蜂蜜酒とはまた違った香りと、口当たりの柔らかい適度な甘みが心地良い。
外はすっかり日が暮れて、夜の帳を月と星々の優しい光が彩っている。昼とは違う虫が鳴き始め、小さな滝の音を伴奏に、聞く者の心を安らげた。
暗くなりきる前に灯しておいた精油ランプから、カモミールに似た林檎のような甘い香りと青草の深く爽やかな匂いの混じった香気が漂ってきている。
「いかん。眠ってしまう」
頬を軽く叩いて眠気を払ったクラウズェアが、唐突に立ち上がった。
「まだ寝具の用意をしていないものね」
漏れ出るあくびを上品に掌で隠したアルテミシアが、二人分の寝具を求めて背負い袋から毛布代わりのクロークを取り出そうとした。
「あ、シアは先に休んでいて? わたしはこの奥を見てくるから」
そう言ってジャックに「あとは頼む」と告げた女騎士は、精油ランプの火を松明に分けた。
樹脂を豊富に含んでいた松は思ったよりも早く燃え始め、ぱちぱちという音を洞窟内に反響させ始める。
「ぼくも行く」
取り出しかけたクロークをしまい、アルテミシアも立ち上がった。
「シアは駄目。奥に危ない物があったらどうするの?」
そう言っていつものように諫める女騎士に、
「そうでもねぇかもしれやせんぜ?」
ジャックが反論した。
「どういう意味だ?」
「いえね? 確かに姐さんの仰る通りでやんすし、奥は足場が悪い可能性もある。有毒ガス――あ~、吸うと毒になる悪い空気が溜まってる事だってあるかもしれやせん。洞窟内に棲む生き物で狂暴な奴も、居たりするかもしれやせん。ですがね、それは姐さんもいっしょです」
クラウズェアの疑問に、ジャックが滔滔と答える。
「そこへ比べて、あっしなら多少の知識がありやす。ガキの頃、よくババアに色んな場所に連れて行かれたもんです。洞窟なんかもその一つですね、はい」
懐かしむようなジャックの言葉に、
「ジャックさんのお祖母様? それとも乳母?」
興味をひかれたアルテミシアが尋ねた。
「ああ、いえいえ。鬼婆みてぇに厳しかったんで、つい悪し様に言っちまいやしたがね、あっしの母親です」
「なんと、影人間も親から産まれるものなのだな」
今度はクラウズェアが驚きの声を上げた。
「こんな形ですがね? 木の股や石の裂け目から勝手に産まれた訳じゃあねえんですよ、これがまた。まあ、親と言っても赤ん坊ん時に勝手に拾って育てやがった血の繋がらねぇ義理の親ですがね」
ジャックの口調は軽かったが、予想だにしなかった重い話に、少年と少女は黙ってしまう。
「いやいや、あれれぇ? どうしちまったんですかい、お二人さん? ここは黙る所じゃあなく、クソババア談義に花を咲かせるとこですぜ?」
ことさら明るい声を出したジャックに、硬い表情のクラウズェアが口を開いた。
「不躾なことを訊いてしまった。申し訳ない」
「待った! まったまった、ちょいと待った!」
頭を下げようとしたクラウズェアに、慌てたジャックが静止の声を上げる。
「いや、そういうのはナシ。そういうのは勘弁で」
両手を大仰に振ってみせる影人間。
「あっしは湿っぽいのは苦手なんですよ。こう、パーッと行きやしょう、パーッと! っていうか、あっしのせいですね、はい」
そう言って黒い頭を掻くと、
「洞窟探検の話ですよ、お二人さん。洞窟名人のあっしが着いてりゃ姐さんも百人力。で、あっしが着いていくにゃあ、シア嬢ちゃんも行かなけりゃあならん、と。ですからね、お嬢ちゃんも一緒に行きやしょう」
「ローズ、お願い」
まくし立てるようなジャックの言に、アルテミシアが追従した。この二人の言葉に、なんとなく断れる雰囲気ではなくなってしまい、クラウズェアは渋々了承したのだった。