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四章⑥『ぷりずむ』

 赤、青、黄の鳥たちが樹上で歌い、緑や茶の縞々(しましま)模様や(まだら)模様の(へび)やトカゲが枝を渡り地を横切る。灰色の猿が紫の木の実を囓っていたり、見たことの無い四つ足の獣が遠くから一行を(うかが)う。

 水たまりの水面をすいすいと渡る不思議な虫を眺めた後、視界の隅を横切った青くて綺麗な動物に、アルテミシアの興味が移った。

「さっきのはなんだろうね?」

 赤い目が、緑を基調とした色彩空間を見渡しながら、同行者達に(たず)ねた。

「何か珍しい動物でも居たの? まあ、ここには珍しい動物ばかりだけど」

「草花だって、面白いのばかりですぜ。あの真っ赤でデカい花やら、この尻尾みてぇに垂れ下がった葉っぱやら」

 クラウズェアとジャックは、アルテミシアの見た『さっきの』には気付いていない。だが、モリオンは少年の胸中でちかちかと瞬いて教えた。

【コッチコッチ】

「【こっち?】」

 促されるままに赤い目が向いた先には、青く大きな揺らめきがあった。

 海が、浅瀬から(しん)(えん)へと、また深きから浅きへと深度を変えるにつれ色の濃さ深さが変わるように、様々な“青”に刻々と変じゆく、まこと(くす)しき毛色の(おお)(けもの)がそこには居た。

 長い時を()たような()(はく)(いろ)の目が、木々や草花の向こうから赤い目を見つめている。

「きれい」

 心の思いをそのまま言葉にしたアルテミシアが、瞬きもせず見つめ返すその獣に、遅れて気付いたジャックとクラウズェアは圧倒されていた。

「……熊……よりデカい、狼、なのか? 三mはあるな。長ぇ尾を含めりゃもっとか」

 ジャックの呟きに機を得、手足の思うようにならぬ女騎士は、それでも(なた)を前に突き出しながら、守るべき主人の前へ身を進めた。暑さ以外の冷たい汗が噴き出す。

 ふと、ゆったりとした(さざ)(なみ)が青の毛並みを波打たせたかに見えた時、幻のような獣は、とーん、と地を踏み、羽毛のごとき身軽さでもっと遠くの地面に降り立った。

 枝葉の一つも揺らさなかった。いつの間にか、取り巻いていた騒々しい音が消えている。

 首だけゆるりと(めぐ)らせ、やはりアルテミシアを見る。

「着いてきて欲しいのかな?」

 一人だけ普段通りのアルテミシアが仲間達に問うと、誰よりも先に青き獣の尾が、ゆうらり、と招くようにうねった。

「そうらしいですぜ」

 普段のなりを(ひそ)めたジャックが、慎重さの中に好奇心のうかがえる声で、王子の言葉に同意する。

「シア……山鬼(バグベア)の時みたいに、解るの? 鳴き声一つあげてないけど」

 幼なじみの少年が持つ“不可思議な力”を実感し始めていたクラウズェアは、もしやと思って問うてみた。

「うん。なんとなくだけれど、たぶん」

 そう言ってアルテミシアが歩き出すと、大獣は先導するように自らもまた歩き出した。通常ならば足の運びに伴うはずの下草を鳴らす音一つ聞こえない。

「シア待って」

 遅れまいと、慌てて一歩を踏み出した女騎士は、コケで足を滑らせ、前に居たアルテミシアに抱きついてしまう。

「わっ、だいじょうぶ?」

「ごめんなさい、シア」

 慌てて体勢を立て直した女騎士に、

「できるだけ地面を蹴らず、かかとで着地せずに歩きやしょう。シア嬢ちゃんみたいに。何度も抱きつきたいなら別ですがね?」

 ジャックの()()するような声が、女騎士を赤面させた。

「む」

 言葉の一つも言い返してやろうかと思ったクラウズェアだったが、獣が悠長に待ってくれるとも限らないと思い直した。それに、新しいことを学ぶというのは、大事なことである。それが、自分の欠点を補うならばなおさらだ。

 クラウズェアはアルテミシアの歩き方を観察した。少年は、確かに地を蹴らずに歩いている。常人がやるように、踵から浮かせてつま先で地面を蹴る、という事はしていない。足の裏全体を浮かせている。同様に、踏み出した足も、踵から着かずに足の裏全体で着地している。そして、後ろ足に重心を残しながら、前足に一気に体重を掛けることはしてない。なるほど、これならば確かに転びにくいと、クラウズェアは納得した。

 そして、今まで目の見えなかった少年の苦労が、改めて(おも)われた。



 危なげなく歩いて行くアルテミシアと、歩く必要すらないジャックの後を、クラウズェアは慣れない歩き方でなんとか着いていく。

 やがて、一定の距離を保ちながら先導する青い獣の行く先から、どどどど、という水の流れる音が聞こえてきた。

「滝かなんかですかねぇ」

 ジャックの言葉は、果たして見事に的中した。木々が開けた先に見えたのは、大きな岩肌の裂け目から吹き出す水が滝を作り、(ふち)と小さな川を生み出す場所だった。

 木々の密集していた場所とはまた違った種類の佳景(かけい)で、柔らかい趣の草花に(ちょう)(はち)が口を寄せ、枝で身を休める小鳥たちはやかましく鳴くことも無い。淵で跳ねた魚を、背景ごと絵に描き写して寝室に飾れば心休まるだろうと、見る者に思わせる静かな空間だった。

 足を止めた一行は、この景色に心を奪われていた。とりわけ、滝のしぶきが生み出す(にじ)に、アルテミシアの赤い目は釘付けになる。

「あれは虹っていうんですぜ。赤、(だいだい)、黄、緑、青、(あい)、紫の七つの色がありやす。まあ、色と色の間にゃ人の目ではとらえきれねぇほどの無数の変化があって、実際は無限の色彩のかたまりだとかなんとか」

 ジャックの説明に、アルテミシアは目を瞬かせた。

「“みんな”みたいだね」

 発した本人に、たいした意図は無かった。何気ない言葉であり、()(くつ)さも悲しみも無い、当たり前に思った感想を述べただけ。だが、自分以外の人(みんな)の髪と(こう)(さい)の色を指したその言葉は、クラウズェアをとても悲しませた。

「シア……」

 幼なじみの沈んだ声を耳にしたアルテミシアは、理由までは解らなかったが、自分の不用意な言葉が少女にこんな声を出させてしまったのだと気付いて、慌てて謝った。

「ごめんなさい」

 そして、その言葉がクラウズェアを更に悲しませた。

「シア、どうして謝るの? あなたが謝る必要なんて、何一つだって無いのよ? なんにも、誰からも責められる(いわ)れは無い。誰であろうとも」

 『例えシアの両親であろうと』という言葉を飲み込んで、硬い手が今では黒い髪を撫でた。

 アルテミシアは、その優しい手に嬉しくなり、また、何故だか悲しくもなった。

「虹ってぇのは、光がバラバラに分かれて映し出されたものなんだそうです。ですからね、あの色とりどりのあいつらを一緒くたに混ぜ合わせてやると、元の光の色――白い光になるんだとか。まあ、正確に言えば“透明”ですかね」

 唐突に始まったジャックの(うん)(ちく)に、アルテミシアは感心したように「そうなんだ」と言い、クラウズェアは神妙な顔で黙っている。

「話は変わりやすが、あっしはちぃとばかり髪にはうるさいんです。古来より『一(かみ)、二化粧(けしょう)、三衣装(いしょう)』なんてぇ言葉もありやしてね? 髪の綺麗が一番の綺麗です、ええ。シア嬢ちゃんの黒髪も、クラウズェア姐さんの赤毛も、どっちも綺麗であっしは好きですが、世の中には白い髪のやつも居る」

 アルテミシアの細いからだが、びくりと震えた。

「白い髪ってぇのはね、実は透明なんですよ」

 そう言ってジャックは滝の方を指さした。

「水は透明なのに、滝が流れ落ちてるとこいらは、(あわ)で白いでしょ? それと一緒で、白い髪ってぇのはその細っこい一本一本の中が、泡みてぇになってるとでも考えてくだせぇよ。だもんで、白い髪は実は透明なんですね。あら不思議」

 影人間が、黒い両手を大仰に挙げて見せる。

「シア嬢ちゃんのね、その白い髪も透明、目のぐるりも透明」

 のっぺらぼうの真っ黒い顔の上で、虹彩を指して円を描く影の指。

「透明ってぇのはね、全部なんです。ぜーんぶの色を持ってるんです。何もないから透明なんじゃあないんです。シア嬢ちゃん、アンタはね、その髪と目に、全部の色を持ってるんですよ。……あっしはね、その白い髪と透明な目が、大好きですよ」

 そうして、ジャックの声が途切れた後は、滝の音があたりを満たすだけとなった。だがそのうち、滝の音に紛れて誰かの泣き声が聞こえ始め、やがて大きな()(えつ)へと変わっていった。

 肩をふるわせて泣きじゃくる子を胸に抱き、赤毛の少女が水底に沈んだみたいに揺らめく緑の目をジャックに向け、やっとの事で、一言だけ述べた。

「感謝する」


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