四章③『将軍の無理難題と、炎獄の名剣と、王女の後悔』
スルトン宰相の考えはこうだった。
アルテミシア一行はとりあえず〈天焦山〉に行く。行くが、山頂までは行かない。街から見える山の反対側に回り、誰も来ないであろう場所、それでいて、なんとか住めそうな場所を探す。そこでしばらく仮住まいをして貰う。その間、城の者で信用のおける者を遣わし、衣食住の便宜を図らせる。そうして、ほとぼりが冷めた後、こっそり街に戻ってきて貰い、用意した住居に隠れ住んで貰う。
要は“逃げた”と思わせておいて、こっそりかくまうのだ。
「こういう具合なんだけど……本当にごめんなさい。恩人にこんな仕打ち」
ルクルクが小さな体を更に縮めて項垂れるのを、アルテミシアが肉球のある手をそっと握って止めた。
「ううん。ルクルク殿下には感謝してるよ? せいいっぱいの事をして貰ってるもの。これ以上、なにかを望んだらぜいたくすぎて罰が当たるよ」
人形みたいに表情も抑揚もなかったが、不思議と柔らかさのある人間だと、ルクルクは思った。
「ありがとう、アルテミシア。それと、アタシ達種は違うけど同じ王族なんだから、『殿下』って付けなくてもいいわ。クラウズェア達も、恩人なんだから付けなくていい」
「ではお言葉に甘えて、他の者の目が無い時は敬称を省かせて頂きます」
生真面目な女騎士は、それで妥協した。
「そいで、これからさっそく向かうんですかい? その天焦山とやらに」
アルテミシアの影に足を突っ込んだまま、竹を編んで作った敷物の上にだらりと寝そべり、片肘を突いているジャック。だらけきった人間の見本のような有様だった。
ここはルクルク王女の私室。王族の部屋にしては質素な造りだが、竹を使った調度品は存在感を主張しすぎず、だがよく見れば品の良い物だし、威圧感を与えないように高さはあまり無い。安心感を与える作りと配置だった。
風通しもよく考えられていた。広くない部屋を広く見せているが、物が少ない訳ではない。
日を遮る軒先には、風に揺られる陶器の鈴が涼やかで柔らかい音を奏でている。
ころころ、ころりぃ。
ころりぃ、ころろ。
茶の用意だけさせて侍女達を下がらせ、今はルクルク王女とアルテミシア達のみだ。
「あー、スイカ食って海で泳いで花火してぇなぁ」
溶けに溶けきったジャックが、黒い尻を掻きながらボンヤリと漏らすのを、クラウズェアは歯をぎしりと噛みながら睨み付けた。
「もはや、不躾を軽く通り越して狼藉の域に達している。生かしてはおけぬ」
彼女は、口から火でも吐いて、汚らわしい影人間を浄化してやりたい気分だった。
「スイカって、なぁに? 花火って、どんなの?」
聞いた事の無い単語に興味を示したアルテミシアが、ジャックに話をねだった。
「スイカってぇのは、野菜の一種ですね。キャベツよりでかくて、重くて、けど、キャベツと違って凄く甘いんです、果物みたいに。あと、緑色したまぁるい奴で、黒い縞模様が入ってます。あぁ、ナデファタ王様みたな縞々です」
「き、きさっ、貴様なんという事をっ? 不敬罪で手打ちにされるぞ!」
泡を食ったクラウズェアが、ジャックを処刑する手段を講じるか、ルクルク王女に詫びるために己の命を差し出すか、混乱した頭で考えていると、王女のころころとした笑い声がそれを制した。
「いいのよクラウズェア。それよりも、ジャックの話を聞いてみましょう? 面白そうよ」
ジャックへの怒りとルクルク王女への申し訳なさで、顔を赤くしたり青くしたりと忙しい女騎士に、ルクルクは大麦を煎じた麦湯をすすめて落ち着かせようとした。
かしこまったクラウズェアが一口飲むと、香ばしくも涼やかな味が口内に広がり、気分を幾分か落ち着かせてくれた。
「棒きれでカチ割って遊んだり、遊んだ後は皆で貪り食うんですよ」
ジャックは周りの騒ぎなど気にせず、スイカ談義に花を咲かせている。
「最初に割る遊びをする作法なの?」
アルテミシアが不思議そうに訊いた。食べ物で遊ぶなど、育ちの良い彼からしたら考えられない事だったのだ。
「遊ばなくたっていいんですがね? まあ、伝統と格式を重んじる奴らは総じて、まずカチ割って遊びますね。そいで、シア嬢ちゃんのお目々みたいな赤い中身に齧り付いて、黒くて小さい種を一番遠くまで吹き飛ばした奴が優勝です」
「面白そうね。やってみたいわ」
ルクルク王女が楽しげな声を上げる。ヒゲも上向きだ。
「ぼくもやってみたいな」
「だめよ、シア。破廉恥の国の罰当たりな遊びなのよ?」
女騎士がたしなめた。だが、食べてみたいとは思っていた。女性の多くは、甘い物に目が無いのだ。
「いやぁ、赤い実を豪快に貪り食って、種を遠くまで飛ばせる力強さがあってこそ、一人前の男子と認められるんですがね? シア嬢ちゃんには無理かぁー」
返ってくる答えが分かりきっているジャックは、ことさら残念そうな声色で首を振ってみせた。
「シアを侮るのも大概にしておけよ? 浅知恵脳足りんの早とちり者が。この子なら、そのスイカとやらを二〇個ほどもペロリと平らげて、この窓からあの天焦山まで種を飛ばし、あっという間にスイカ畑を作り上げてしまう事だろう。英雄騎士に誓ってな!」
「勝手に誓わないでよ。キャベツよりも大きくて重いんだよ? ……どれくらい重いの?」
子供の頃にお転婆娘がこっそり持ち込んだ品々の中で、ずっしりと重たかったキャベツを思い返し、少年が問う。
「キャベツが~物にもよりますがだいたい一㎏前後として、スイカは~やっぱ物にもよりますが三㎏から五㎏だから、三倍から五倍ですかねぇ?」
楽しげなジャックの声に、アルテミシアとルクルクは目を丸くし、クラウズェアはうなった。
「それは大きいな。だが、丸一日掛ければ、なんとか二〇個は平らげられるだろうか」
「ねえ? ローズならもしかするとやり遂げられるかもしれないけれど、ぼくには絶対に無理だよ。お腹が裂けて大変な事になっちゃう。【モリオンだったら食べられる?】」
幼なじみ兼専属騎士の独断専行で窮地に陥った少年は、血を分けていない我が子に助けを求める事にした。すると、母親的少年の胸中で、ちかちかと赤い光が瞬く感覚があった。それは、
【ワカンナイ、ワカンナイ】
そう、返答しているように思われた。
「モリオンというのは、アルテミシアの中に居る魔物よね?」
言葉による紹介は受けていたルクルクだったが、実際にはまだお目にかかっていない。ジャックの例もあり、恐怖より好奇心が勝っていた。心根の優しい娘であるのと同じくらい、冒険心溢れるお転婆娘なのだ。それは、色々と心労の絶えない父親のために、妖精境より外の世界に珍しい花を摘みに行く度胸を見れば解る。
その冒険心に負け、ルクルクはお願いしてみた。
「アタシ、モリオンと会ってみたいわ」
瞳孔が丸く開いた赤銅色の目をきらきらさせて、ルクルクが興奮気味に言った。
「えっと……【モリオンいい? ……うん、わかった】いいって。だけど、驚かないでね?」
クラウズェアが不安そうに見守る中、黒髪赤目の少年は子供を紹介することにして、我が身から出してあげた。
王女の部屋の中に、黒く大きな球体が出現する。
「モリオンだよ。ちょっと恥ずかしがり屋さんなんだけれど、すごく良い子なんだ。仲良くしてあげてね? ところで、部屋の隅から聞こえるのは何の音?」
白髪黒目の少年が見えぬ目の代わりに探り当てた音の正体は、モリオンを見た瞬間に部屋の隅に置かれた箪笥の上に飛び乗り、毛を逆立てて威嚇している王女のうなり声だった。丸かった瞳孔は縦に裂けきり、耳もヒゲもモリオンへ向いている。
「まあ……最初は多少びっくりするものですよ」
『多少』どころではない事はクラウズェア自身がよく解っていることだったが、他にどう言葉を選べば良いのか彼女には判らなかった。気遣わしげな視線を両者に送っている。
幼なじみの声色からルクルクの様子を察したアルテミシアは、しばし沈黙した後、モリオンに手と頬を触れさせてぽつりと言った。
「【ありがとう。もういいよ】」
消えたモリオンを確認し、恐る恐る箪笥から降りた王女は、ばつが悪そうに敷物の上に座り直した。心なしかアルテミシアとの距離が離れている。
「ごめんなさい」
恐怖が薄らぐにつれて後悔の念が押し寄せ始めているルクルクは、俯きながらか細い声を出した。落ち込んだ彼女の心を示し、ヒゲも項垂れている。
「ううん、ちょっとした誤解があっただけだよ。気にしないで? モリオンは気にしてないみたいだから」
そう言うアルテミシアの様子は普段と変わらないように見える。人形のように静かで落ち着いた雰囲気だ。スイカの話をしていた時とも変わらない。けれど、クラウズェアには判ってしまう。繊細で優しい少年が、モリオンのことで傷ついているのだと。
だが、クラウズェア自身も気付いていないことだったのだが、それは神殿に居た頃の彼女とも似ていたのだ。忌み子として生まれたアルテミシアを、王が、女王が、側仕えの巫女達が作った見えない壁の向こう側で〈色なし王子〉と言外に忌み嫌い恐れるのを。そうした中で、文句一つ言わずに、静かに、消えてしまいそうに在った少年と、それを悔しい思いで見守り続けた幼なじみの少女との姿に。
常夏の熱気が勢いを失ったかのように思える空気の中、ジャックの脳天気な声が床から上がった。
「そろそろ行きますかい?」
普段はごくつぶしと罵る下品な影人間相手に、この時ばかりは心中で感謝しながら、クラウズェアは話を合わせる事にした。
「今日中に行くのか? その天焦山とやらに」
「今日は休んで、明日行ってはどうかしら? ささやかだけど、我が国の伝統料理を振る舞いたいわ」
ルクルク王女も、失敗を取り戻したい一心で提案した。
「やあ、ごちそうにありつけるのはありがたいですがね? あのバイガンとか言うおっとろしい将軍様が、あっしらに変な見張りでも付けてきやしたら、どうにも動きづらくなっちまう。っていうか、あいつ豹じゃね? 猫じゃあないですよねぇ?」
「確かに、叔父様が変な気を起こしてみんなに見張りを付けると言い出す可能性はあるわね」
「では、今から向かうべきか」
「うん、そうだね」
三人の話が天焦山行きに向く中で、ジャックがもう一度訴えた。
「いや、それより豹がね?」