四章②『ようこそ! 灼熱の妖精境へ』
街の門番も、通りを行き交う人々も、みんなみんな猫妖精。大きな猫が直立し、服を着て、歩き回り、人の言葉を話している。
街の中には緑が溢れている。大通りには大きな街路樹が、小さな道にも小さな木や花が、なにかしら生えている。
枝々で小鳥たちは歌声を競い合い、木の幹には蝉がとまってミンミンジワジワ大合唱。
商店が軒を連ねる店先からは、美味しそうな料理やお菓子の匂いが漂い、皆の鼻と胃袋を刺激してやまない。
中央広場には大きな噴水が設けられ、猫妖精の子供達が声を弾ませながら遊んでいる。そうして珍しい一行に気付き、その先頭にルクルクが居るのを見つけると、わらわらと寄ってきた。
「王女さまー」
「お姉ちゃん、今日はヒマ?」
「ねえ、ちょっとだけ遊ぼうよー」
「これって、ニンゲン?」
「なんか黒いのもいるぞ」
取り巻く子猫たちをいちいち撫でてやりながら、ルクルクが申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんね? お姉ちゃん、この人達をお城に案内しなくっちゃ。また今度ね?」
「じゃあ今度ね? ぜったいだよっ?」
そう言って手を振って見送ってくれる子猫たちに、ルクルクも手を振り返す。
「慕われてやんすねぇ」
感心したようなジャックの声に、ルクルクではなくクラウズェアの悔しそうな声が返ってきた。
「シアだって、差別さえされなければ」
忠義の騎士は、主の不遇と己の無力をままならぬと感じていた。
「詮索するべきじゃないんでしょうけど、良かったら訊かせて? アタシで力になれるかもしれない」
子供達との朗らかなやりとりと打って変わり、ルクルクは真剣そうな声で問うた。もうすっかり一行に慣れて、耳もヒゲも普段通りだ。
「ここは人の世とは違うようですし、ご厚意を無下にするのも礼に反しやす。お話ししてしまわれたら如何でやんす?」
ジャックのすすめにしばらく考えていたクラウズェアだったが、アルテミシアの将来を考えると、逃げてばかりもいられないと思い直し、いっそ話してみようかと思った。
横の幼なじみを見ると、とりたてていつもと違った風には見えない。が、緑の目に気付いて上げられた赤い目を覗き込むと、幽かに揺らぐ何かが見えた気がした。
クラウズェアの気持ちは決まった。
「シア、ルクルク殿下にお話ししましょう。わたし達にはお味方が必要です。しばらく軒を貸して頂くだけでも、千金の価値があります。いえ、旅の糧食を分けて頂くだけでも。ね?」
クラウズェアの優しく諭す言葉に、アルテミシアは黙ったままだったが、しばらくして、
「そう、だね」
と応じた。
「娘が命を救われたと聞いておる」
木材で組まれた城の中、石造りの城とはまた違った、精緻で上品な彫り物が施された壁面や調度品が囲む大広間に、大木から彫りだした逸品の玉座から声を掛ける猫妖精が居た。
この国の王、ナデファタだ。
王と呼ぶには少々威厳が足りず、気の優しそうな、それでいてくたびれた感じの、茶縞の虎猫だった。
ルクルクや他の民と同じく赤銅色した目を細め、穏やかに一行を見下ろしている。
「褒美を取らせねばなるまいて」
この言葉に、待ってましたとばかりにルクルクが口を開いた。
「お父様? こちらの御仁らは旅人なのです。心落ち着ける安息の地を求めて、あちこちに足を運ばれたとか。ですが、残念ながら満足できる土地は見つからずじまい。そこで、この平安穏やかな我が国に腰を落ち着けて頂くというのはいかがでしょうか? それこそ、命を救われたワタシができる、最高のおもてなしです」
アルテミシア達の身の上話をあらかじめ聞いていた王女は、示し合わせていた内容を口にした。このまま、客分扱いで永住させるつもりなのだった。
「ふむ、そうか。それは難儀であったな。その程度のことでワシの娘が受けた恩を返せるならば、安いものだ」
ナデファタ国王が永住の許可を与えようとしたときだった。
「待たれい!」
割れ鐘のような声が広間に響き渡った。
広間の両端に控えていた家臣団の、玉座に最も近い場所。武官が並ぶその列の頭、将軍職に就くバイガンが、王命を遮った。
彼は大きかった。ナデファタ王が一・五mくらいなら、二・五mはある。黄褐色の地毛に黒のまだら模様。体は瞬発力を詰め込んだような筋肉の塊で、手足は長くしなやかだ。口には恐ろしげな牙が並んでおり、目はギラリと輝いている。腰には馬鹿でかい曲刀を吊り下げており、それを振り回せる腕力もさることながら、牛をも易々と切り裂けそうな鈎爪もまた恐ろしい。
「豹じゃね?」
ジャックが小声で呟いた。
「どうしたバイガン?」
ナデファタ王がどことなく疲れた声で問うと、バイガンと呼ばれた猫妖精は一歩大きく前に進み出て、発達した大胸筋を張った。
「甘すぎる! どこの馬の骨とも知れんニンゲンと、ついでに魔物までおるではないかっ? ワガハイは納得いかんし、武官達もそうだ。だろうっ?」
獲物に襲いかかりでもするのかと思わんばかりの恐ろしい大音声で、国王と部下達に声を発するバイガンに、ナデファタ王はげんなりし、武官達は尻に火が点いたように口々に「そうだそうだ」とはやし立て始めた。随分と飼い慣らされているようである。
「バイガン叔父様、それは国王陛下にもお客人達にも失礼だわ」
ルクルクが高く鋭い声で抗議すると、バイガンはあざけるように鼻を鳴らした。その鼻息もいちいち恐ろしい。
「ルクルク、そもそも王女のお前が迂闊に外に出るから、このような事態を招いたのだぞ? 生意気な口を利くヒマがあったら部屋で反省でもしていろ!」
その一喝に、関係が無いはずの文官達は震え上がった。
「ではどうしろと言うのだ? 娘の不始末は確かだが、それはこの際問題ではない。今は、お客人達に礼をする話だ」
声に疲れをにじませながら問うナデファタ王に、バイガンは大きく裂けた口をニィとつり上げた。
その、どことなくミッドノール子爵を思わせる雰囲気や仕草に、クラウズェアは内心で嫌悪感を抱いた。
「そうだなぁ」
鈎爪の生えた大きな手をあごに宛がい、思案するバイガン。
「ちょっとちょっと、あれって豹じゃね? 猫じゃなくね?」
アルテミシア達は事態の推移をはらはらしながら見守り、ジャックは小声でなにやら言っている。
「妙案がひらめいたぞ。〈天焦山〉の剣を抜かせるのはどうだ? その力試しの結果で決める。あれを抜けばこのクソ暑いのもマシになってワガハイ達は助かる。それに、あれは恐らく名剣だ。そいつを褒美に与えれば、これ以上無い礼になるぞ。一石二鳥という奴だ」
そう言い放ってニンマリするバイガンに、ルクルクは血相を変えた。
「無茶よ! 危険すぎるわ。あんな火の海に、誰が近づけるっていうのっ? 恩を仇で返すつもりっ?」
そうとう怒っているらしく、耳だけでなくヒゲもバイガンの方へ向き、尻尾も膨らんでいる。
それをどこ吹く風と悠然と構えながら、バイガンはガハッハと笑った。
「お前こそ舐めるな。そこの赤毛はヒョロヒョロと頼りないが、あれはそうとう腕が立つぞ? 戦士のワガハイが言うのだから間違いない。それを、まるで腰抜けのように扱うお前の方こそ、どうなのだ? ニンゲンの世の習わしを真似るなら、太古の〈英雄騎士〉に誓って、そこの戦士はやり遂げてみせると、ワガハイは信じておるぞ」
勿論、嘘である。彼が人間を高く買う事などない。むしろ劣等種として見下している。だが、こう言ってしまえば後には引けなくなるだろう。話を受けたふりをして逃げ去ってしまうか。はたまた馬鹿正直に山の火に飛び込みでもして焼け死んだら、御の字である。
彼の野望のためには、邪魔な要素は排除しておかなければならない。バイガンは流血だけを好む訳ではないのだ。
ルクルクは怒りのあまり、すぐに言葉が出てこない。
ナデファタ王は額に手を当てて、どう事態を収めるか思案中。
アルテミシアは事態を飲み込めていない。
クラウズェアは拳を固く握り締めている。安息の地を得られるかと期待したのもつかの間のことだった。ここにも居られないのだろうかと、諦めの気持ちが湧きそうになっていた。事態の困難さにではない。“排除しようとする者がここにも居る事”にだ。
その時だった。
「よござんす。お受けいたしやしょう」
ジャックの明朗な声が上がったのだ。
一瞬、大広間が、しん、と静まり返った。
最初に開口したのはルクルク王女だった。
「無理よ! 天焦山の天辺は大昔からずっと燃え続けていて、夜になろうが風が吹こうが雨が降ろうが決して、火が消えた事なんてただの一度も無いんだから! バイガン将軍のことなら、ワタシが説得するから」
玉座が安置された段の上から駆け下りてきて、小さな体を一生懸命に動かし、身振り手振りも交えて説得に当たるルクルク。
アルテミシアは心中で、
【この子、良い子なんだね】
とモリオンに話しかけ、
【ホントウ、ホントウ】
と、子供が弾む感触を楽しんだ。
クラウズェアはジャックの言葉に一瞬だけ面食らったが、ルクルク王女の必死さに心打たれ、自分の弱い心を恥じた。
「いえ、大丈夫です。このお話、謹んで承ります」
王女を見、ついで玉座のナデファタを見上げる。彼女は心中で誓っていたのだ。『自分はどうなろうと、なんとか血路を切り開き、シアだけでも安住できる地を作るのだ』と。
「ううむ」
ナデファタ王はうなった。そして、文官達が居並ぶ列の先頭に声を掛けた。
「スルトン、どう思う?」
お声掛かりのあった宰相スルトンが、一歩前に進み出た。灰色の毛並みをしており、体は小さめで一・三mほど。
「はっ。バイガン将軍のご提案で宜しいのではないでしょうか」
この言葉に驚いたナデファタだったが、知恵者にして自分の腹心であるスルトンの言葉を信じる事にした。
「いいだろう。此度の礼、天焦山の剣を与える事を報いとする。また、しばらくの国への滞在も許可する。以上だ」
「お父様!」
ルクルクの悲鳴のような声が上がったが、それでおしまいになった。