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三章④『光の剣の使い手』

 敵は三人。

 皆、(ふと)(もも)(たけ)(くさり)で編んだ帷子(かたびら)――鎖帷子(チェーンメイル)を着込み、長剣と丸盾で武装していた。昨日のゴロツキ連中よりも少しは腕のある奴らだったし、何よりも金を掛けた武具が(きょう)()だった。

 ――敵が、じゅんたくな資金を有した大きな組織である可能性が高くなるからだ。

 手綱を引く余裕はなく、乗っているアルテミシアに任せ、クラウズェアは戦いに集中していた。

 街道から少しそれた、木がまばらに生える牧草地の木陰で、そろそろ食事休憩を終えて出立しようとした頃だった。

 突然の襲撃。

 盾には“巨人の剣が岩を断つ”図案が()(しょう)()された紋章。貴族の持つ家紋ではなく、部隊章である。クラウズェアは知らなかったのだが、それは、ミッドノール子爵タイタス・ゴードンの抱える私兵団の部隊章だった。

 さっきから、草に足を取られないよう、気を使いながら戦う羽目になっている。ステップを踏む際、地面を蹴る必要があるのだが、草で滑りそうになるのだ。

 囲まれないよう、小刻みに方向を変えながら、ステップインとステップバックを繰り返す。その機敏な動きに、クラウズェアを包囲できないと判断した敵は、完全に囲みきろうとせず、半包囲でじりじりと前進し始めた。

「えいっ」

 そのとき、馬上のアルテミシアが、ジャックの指示を受けて(てつ)(なべ)を投げつけた。三脚付きで()()の上に置けるし、ふたの上にも(まき)(すみ)()せられる優れものだ。馬上という高所から投げたのが幸いし、思ったよりも飛んで行った鍋は、端の兵士の頭に当たった。

 ごぅんっ、という、出来損ないの(かね)でも突いたような音が鳴る。

 鎖帷子のフードをかぶっているとはいえ、それは“斬撃”に対して効果を発揮するのであって、“鈍器”に対する防御力は低い。この時、鉄鍋は普段の使命を忘れ、鈍器となっていた。

 一瞬、頭がふらつく兵士。そして、この隙を逃すクラウズェアではなかった。

 素早いステップインで間合いを詰め、鎖帷子の(おお)っていない膝に剣を突き込んだ。

「ぎゃっ」

 悲鳴を上げる敵を尻目に、素早くステップバックで距離を取るクラウズェア。だがその時、少しだけ草で滑ってしまう。

 一瞬ひやりとしたが、他の二人の敵の攻撃を受けることなく、間合いを外すことができた。これで一人、無力化された。

 残り二人となった兵士は、アルテミシアも警戒の対象に入れたようで、自分たちとアルテミシアを結ぶ線上にクラウズェアを挟むよう、位置取りをした。

 これには、クラウズェアも助かった。守護対象の主の方へ、敵を向かわせる危険性がなくなった。自分さえ倒れなければ、の話だが。

 兵士二人がタイミングを合わせ、同時に斬りかかってくる。“斬る”と言っても、長剣に斬り裂く鋭利さなど無い。せいぜいが“刃物を模した鈍器”程度の物だ。()(きん)技術の問題で、強度のある薄い刃を作れないからだ――普通は。

 クラウズェアのレイピアは、少し特別だったが。

 同時に斬りかかってきたが故に、同じタイミングで下がればどちらも避ける事ができる。また、攻撃する時は盾の裏側から剣を持つ方の腕を伸ばさねばならない。

 兵士達の攻撃に合わせ、ステップバックで剣を(かわ)すクラウズェア。同時に、彼女から見て右の兵士が振り下ろした“鉄”の長剣を、腰を落とす力を乗せた“鋼”の細剣(レイピア)で地面に押さえつけてやる。ついで瞬時にステップインに反転しながら、下方向へ伸びきった兵士の腕の付け根、肩口にレイピアを突き入れた。

「ぐぅっ」

 鉄より硬い鋼の剣が、鋭利な切っ先が鎖帷子を貫通し、兵士の苦悶の声を誘う。

 残り一人。そう、クラウズェアが心中で(かん)(じよう)し、ステップバックで最後の敵から距離を取った時だった。

「呼び子を鳴らせ!」

 (いま)だ無傷の兵士が叫んだ。

 彼らは当初、手柄を三人だけで分け合う算段だった。

『レイピア使いの女剣士は生け捕れ。もう一人の生死は問わない』

 そう、タイタスからの命令だった。

 馬上の子供はいかにも無力で、細腕の剣士も楽に()()できると踏んだのだ。手柄を立てれば騎士の身分はおろか、隊長職にまで昇格できるかもしれない。男爵だって夢ではない。彼らの主、タイタス・ゴードンは、将軍の位を約束された風雲児なのだから。

 だが、現実は違った。

 いま、彼らは敗北しようとしていた。負けるという事は標的を取り逃がすという事であり、それはつまり、三人の死を意味した。ミッドノール子爵は気性が荒い事で有名なのだ。命あっての(もの)(だね)だ。

 実際、昨晩脱走したセロンを捕まえられなかったとある男などは、共に追走した兵士達から責をなすり付けられ、タイタスに処刑されたのだから。

 ともあれ、この兵士の言葉に(あせ)ったのはクラウズェアだった。

 先に無力化した敵のどちらかが、知らせの笛を持っているのだろう。それを確認する余裕は、今の彼女には無い。眼前の敵を倒さなければならなかった。

「させんっ」

 果敢に突き込んでいく。だが、焦りが気を(はや)らせ、剣を雑にする。

 兵士は防御に専念するつもりらしく、盾と剣を使ってからくも攻撃を防いでいる。

 ピィーィッ、という、呼び子の甲高い音が鳴った。

 その音に一瞬の安堵が生まれたのだろう。兵士の隙を突いて繰り出した剣が、彼の喉元に突き込まれた。

 三人目は絶命した。

 クラウズェアは何も考えなかった。

 もう一度笛を吹こうと息を吸い込んだ兵士――二番目に肩を刺しておいた男を、駆け寄った勢いに任せて剣を繰り出し、彼の喉にも風穴を開けた。無傷な方の手で笛を持つために盾を外し、無防備だった。

 一瞬だけ、レイピアを握る手が震えた。

「ひぃっ、た、た、た、たすけっ」

 膝を刺されて走れない兵士が、転んで()いずり、立ち上がってまた転び、と繰り返すその背中めがけ、追いすがる。

「ローズ!」

 声と共に横から抱きつかれ、血走った目をそちらに向けた時、馬から下りたアルテミシアが駆け寄ってきたのだと初めて気がついた。クラウズェアは、恐ろしいものでも見るような目で、主の顔を見た。

「殿下……わたしは」

 そう言ったきり、言葉が出ない。何を言いたいのかすら、クラウズェアには分からない。

「とっととずらかりましょう……と言いたかったんですが、こりゃあ」

 ジャックの声に促され、それ以上にアルテミシアの顔が見られないクラウズェアは、主の白い顔から視線をそらして、周囲を見た。

 三方から、こちらに迫ってくる騎馬や兵士の姿が見えた。いずれも武装している。三〇人は居るだろうか。

 逃げ切れないと、クラウズェアは思った。

 荷を全て捨てて馬を走らせるにしても、馬術の心得の無いアルテミシアに代わり、誰かが手綱を操作しなければならない。その役目は自分にしかできないが、二人乗りをすれば重くなる。重くなれば遅くなる。遅くなれば追いつかれる。

 絶望的だった。だが、何とかしなければならない。きっと逃亡が知られ、追っ手がかかったのだ。捕まれば、アルテミシアは殺される。その最悪の未来だけは、なんとしてでも引き寄せてはならないと、女騎士は思った。

「殿下、わたしは敵の指揮官に一騎打ちを挑みますので、その隙にお逃げください。西に向かえば、少しは捜索の手が薄く……殿下?」

 アルテミシアから何も返答がない事を(いぶか)しんだクラウズェアが背後を見ると、少年は兵士の死体の手から長剣をもぎ取っている最中だった。固く握り込まれた死人の手を、やっとの事で開かせる。

「殿下っ?」

「ごめんなさい。借りるね?」

 死体に謝罪をした後、クラウズェアの方を振り返るアルテミシア。その目には、嫌悪や非難や恐怖のどの表情も浮かんではいなかった。赤い目が、緑の目をじっと見つめる。

「ぼくも戦う」

 いつも通りのアルテミシアに、恐れた表情が浮かんでいなかった事に一瞬だけ安堵してしまったクラウズェアだったが、少年のとんでもない言葉とその手の剣の意味に、何もかも吹き飛んだ。

「なりません!」

 声を限りに叫んだ。

「なりませんっ、早くお逃げください! ジャック!」

 後の事を(たく)そうと呼びつけたジャックは、いつも通りののっぺらぼうで、アルテミシアの影の中に立っていた。

「無理です」

 その、いつもとは違う真剣な声色に、クラウズェアは余計に(いら)()った。

「無理でもなんとかしろ! そうしなければ殿下はっ――」

「ローズ、ぼくも戦う」

 アルテミシアが割って入った。

「だめ! シアっ、言う事を聞きなさい!」

 もう、上下関係も礼儀も無い。アルテミシアの命さえ守れれば、クラウズェアにとって他はどうでもよかった。

「いやだ!」

 その時アルテミシアが上げた叫び声は、幼なじみの少女にとって、今まで聞いた中で一番大きな声だった。いつも人形みたいに大人しい、女の子みたいな少年の、魂からの声。

「ぼくも戦う! もう、守られてばかりは嫌なんだ! 一緒に戦う! ローズと一緒に戦うんだ! ローズを守る!」

「た、戦うのはわたしの役目なの! シアは守られるのが役目なの! お姉さんの言う事を聞きなさい!」

 アルテミシアの剣幕に一瞬だけひるんだクラウズェアだったが、ここで退いてはならないと、身を乗り出して言い返す。

「だいたい、シアに何ができるのっ? 私より細い腕で、そんな大きな剣を振り回せるわけないでしょう。もう、こんな口論を続けてる時間は――」

「モリオンも一緒に戦ってくれるって()ってるから!」

 (さえぎ)られた言葉に、クラウズェアが()(げん)な顔をした。

「モリオンが?」

「うん。なんとかできるみたい」

「モリオンなんて、ただ黙ってじっと浮いてるだけじゃない! そんな――」

「いえ、ここはお嬢ちゃんとモリオンを信じましょう」

 静観していたジャックが、口を挟んだ。

「モリオンとお嬢ちゃんには、確かに不思議な力があると思います。あの魔法使いとの戦いで、姐さんも助けられたはずですぜ?」

「それは……けどっ」

「さあ、もうお(しやべ)りはおしまいです。来ましたぜ」

 ジャックの言葉を聞くまでも無く、馬の(ひづめ)の音も、鎖帷子がジャラジャラと鳴る音も、全員の耳に届いていた。



「俺は、ミッドノール子爵、タイタス・ゴードンだ。そちらは、ノーザンコースト伯爵令嬢のクラウズェア・セルペンティス殿とお見受けするが?」

 大柄な男が、馬上で肩をそびやかしながら呼びかける。くすんだ金の髪(ダーティーブロンド)が、陽光を鈍く照り返している。青い目は、人を威圧する強さを持っている。

 一目見た時から好きになれない男だと思ったクラウズェアだったが、彼の名乗りを聞いて、その思いが確信に変わった。

 男は、クラウズェアの両親が決めた許嫁(いいなずけ)だったのだ。とはいえ、娘の方は納得などしていなかったのだが。

「知らん。わたしはクロード。見ての通り、旅の剣士だ。貴殿の目は(ふし)(あな)か?」

 いまさら言い訳が通じるとも思わなかったが、嫌味の一つでも言ってやりたいクラウズェアだったのだ。

「そうか。それに関しては後で確認すればいい。町に宿を取ってある」

 そう言って口角をつり上げるタイタスのおぞましさに、クラウズェアの全身に鳥肌が立った。

(けが)らわしい!」

 そう吐き捨て、剣を構える(だん)(そう)(れい)(じん)。最初から、交渉の余地など無かった。

「俺達の勝負に手を出すな! 未来の夫の技量で、婚約者殿を納得させる必要がある。そこの〈色なし王子〉は、適当になぶり殺しにするなり、好きにしろ」

 タイタスの()()に、色めき立つ兵士達。もともと“そういう趣味”の人間も、少なからずは居るものだ。ましてやアルテミシアほどの()(ぼう)ともなれば、そういう趣味の無い男の欲望も(あお)った。人を(じゅう)(りん)する事は、金品の(りゃく)(だつ)と同じく、戦場では“当たり前の事”だった。

「貴様ぁっ、騎士にあるまじき言動、(はじ)を知れ!」

 仮に捕まる事があったとしても、王都に送られ刑の執行を受けるまで、身分相応の扱いを受けられるだろうと思っていたクラウズェアにとって、“死”以上の惨劇が大切な主の身に降りかかろうとしている事態に、目の前が真っ赤に染まるほどの激怒を覚えた。

 すでに下馬して抜剣済みのタイタスが、顔をゆがめて笑う。

「何を仰る。俺は騎士ですよ。愛する祖国グリーンウェルに必要のないモノは、この〈光の剣(クレイヴ・ソリッシュ)〉で全て(はい)(じょ)する。これ以上無いくらい、立派な騎士です。かの〈英雄騎士〉も、()くの(ごと)くあったでしょうな」

 光の剣(クレイヴ・ソリツシユ)と名付けられた、金や宝石の(こしら)えで飾り立てられた大剣を肩に担ぎ、タイタスは(おく)(めん)も無く言ってのけた。構えるでもなく(ゆう)(ぜん)と立つその姿は、まるでクラウズェアをあざ笑っているかのようだ。

 彼女の理性が、怒りで焼き切れた。

「英雄騎士を()(ろう)するなぁッ!」

 怒りの声をなびかせて、赤髪の女騎士は矢のように突っ込んでいった。

 タイタスは、(きん)(こつ)隆々(りゅうりゅう)たる大男である。身長は二m、体重は一二〇㎏もある。その巨漢が、鎖帷子(チェーンメイル)を着た上から更に金属甲冑(プレートアーマー)を着込んでいるのだ。これは、相当な重さである。物にもよるが、タイタスの(よろい)は総重量が四〇㎏もあった。重さに比例するように、圧倒的な防御力を誇るものだ。(かぶと)をかぶらず顔を晒してこそいるが、鉄の城とでも例えられそうな()(よう)である。

 これほどまでの重武装、よほどの大戦(おおいくさ)か、()(もの)(とう)(ばつ)に騎士団を編成する際にしかお目にかかれないだろう。その重装騎士あいてに、クラウズェアはレイピアだけで挑んだのである。無茶としか言いようがなかった。だが、彼女は(あきら)めてなどいなかった。眼前の敵を倒し、一刻も早くアルテミシアの加勢に回らなければならない。ただ、それだけを考えていた。

「せいッ」

 地を蹴りステップイン。いくつかある鎧の継ぎ目――腋の辺りに鋭く突き込んでいく。余裕の表情を浮かべるタイタスは、右手の黄金の両手剣(クレイヴ・ソリッシュ)を肩に担いだままだ。

(いける)

 そうクラウズェアが思った(せつ)()、神のご加護か直感か、はたまた(たん)(れん)(たまもの)か、(とつ)()に剣を引いた彼女の判断は間違っていなかった。間に合うはずが無いと踏んでいたタイタスの剣が、棒きれでも扱う軽やかさで(いつ)(せん)されたのだから。

 黄金の()(どう)を逃れたレイピアは、折られる事なくクラウズェアの手にあった。

「惜しかったな」

 暇つぶしのゲームに負けた程度の気軽さで、タイタスは呟いた。草花が咲く地面に切っ先をめり込ませた剣を、無造作に引き抜いて右肩に担ぎ直す。

「もう一度だ。次はへし折ってやろう」

 だらりと下げていた左手を持ち上げ、(てのひら)を上にして手招きをする。

 この身振りに怒りを感じないではないクラウズェアだったが、それ以上に、先程起こった事に(きょう)(がく)を禁じ得ないでいた。

 クレイヴ・ソリッシュは、全長二・五m、重量は八㎏にも及ぶ。勿論、クラウズェアにそういった事が正確に判る訳はないのだが、ヨドークの大剣よりも(なお)長大で、彼女のレイピアに比べれば三倍程度の長さに見て取れる。重さは推して知るべしだ。それを、眼前の男は片手で振って見せたのだ。

 恐るべき事であった。だが、止まってはいられない。剣を肩に担ぎ直す時がチャンスだったのだと悔やみもしたが、次に活かせば良いだけだ。フィデリオの『常に冷静さを失うな』という教えが脳裏によみがえった。

 右膝を曲げて腰を落とす。左足は後ろに伸ばして、(かかと)を浮かす。膝のバネを活かし、リズムを取る。小刻みに上下に揺れる事で、攻撃のタイミングを敵に(さと)らせないためであり、いつでも動ける“()め”を作る準備行動であり、“動き続ける”事で心を止めないためである。

 人間、緊張下でずっと集中し続ける事は難しい。本人にその気がなくても、気付けば集中がとぎれている事がままある。それを防ぐためには、常に動き続けることが有効だ。

 クラウズェアのフットワークは非常に優美であった。タイタスを(かく)(らん)する目的で繰り返されるステップインとステップバックは、(へき)(がん)(まど)わせるのに役立っていたし、身長の実に半分を()める脚線から生み出される足捌きは、さながら足の長い蜘蛛(くも)(すべ)るように動く様を思い起こさせ、端から見る者があったら感嘆の溜息を吐かせたことだろう。

 クラウズェアの動きに、タイタスが不機嫌そうに顔をゆがめた。そして、一瞬の(まばた)き。

 その隙を見逃すクラウズェアではなかった。上下のリズムに紛れ込ませた動きに乗り、腰を落として“溜まった”足のバネを使い、驚くべき速さと距離を生み出す。そして、軽やかな突き。

 さきほどよりもほんの少し遅れて、タイタスが剣を振り下ろす。とはいえ、速い。なんとかクラウズェアの突きに間に合うタイミング。驚嘆に値する。

 だが、これはクラウズェアのフェイントだった。

 素早く前足の踵で地を蹴りながら剣を引き、黄金の軌跡が通り過ぎた空間を、瞬時に切り替えたステップインに乗せて再度レイピアを突き込む。

(次こそ)

 そう、思わずにいられない、(ぜつ)(みよう)の二段突きだった。

 だが。

 だがなんと、(じょう)()(いっ)した速度で、タイタスの剣が戻ってきたのだ。

 振り下ろした武器を、振った時と同じ速度で振り上げようと思えば、振り下ろした時に使われたものより圧倒的な力が必要になる。それは、片手から両手に持ち替えたとしても追い付くものではない。

 だが、タイタスは左手を足しただけで、それをやってのけたのだ。それはつまり、彼がまだ片手で剣を振っていた時、“全力を使っていなかった”という事になる。手加減をしていたのだ。

 この振り上げに巻き込まれれば、レイピアは折られてしまうだろう。

(間に合わない)

 絶望的なイメージを振り切るように体を動かしたクラウズェアが、前足の踵で地を蹴ってステップバックしようとした時だった。

 草と足との接触面が、()(さつ)を生み出してくれなかった。(よう)は足を滑らせてしまった訳だが、これが良い方向に事を運んだ。

 後ろに転ぶ勢いで、右手もレイピアも高速で後ろに引かれ、クレイヴ・ソリッシュの斬撃から(まぬが)れたのだ。転んだ勢いを殺さずに後転し、間合いから離れるクラウズェア。それを、タイタスは追撃しなかった。

「よく動く」

 背にびっしょりとかいた冷や汗と跳ね上がった心拍数を静めるため、構えたまま息を整えているクラウズェアに対し、タイタスは不機嫌そうに低い声を漏らす。だが次には、口角をつり上げる独特の笑いを浮かべた。

「さすがは俺の許嫁殿と言ったところか。強者に相応しい女だ。神殿騎士など所詮は“経歴に(はく)をつける”ための名誉職だと思っていたのだがな」

 ますます口角がつり上がる。

「赤い髪はあまり縁起が良くないと言う輩も居るが、俺は気にしない。だが、女の髪は長くあるものだし、男のために着飾るべきだ。勿体ない姿だ。俺の配下に“体をいじる”術を持った共鳴術師が居る。そいつに命じて髪を戻させてやろう。それから、これまでよりも(ぜい)(たく)をさせてやろう。俺の持つ財と勢いに、ノーザンコースト伯爵家の家名が加わる事は、両家にとって利が大きい。お父上には(せん)(けん)(めい)がおありだ」

 愉快そうに笑うタイタスに、息が整ってきたクラウズェアが()(べつ)の笑みで返した。

「よく喋る男だ。それに、名門の家名欲しさに(こん)()とは、なんと器の小さい奴だ。そんな、女を物扱いするような下郎なんぞに、この髪の(ひと)(すじ)たりともくれてやるものか」

 この言葉に、タイタスのこめかみに青筋が浮かぶ。

「婚約者と思い情を掛けてやれば、図に乗ってくれる。さっきので実力差を思い知ったと思ったが、少々頭の足りん女のようだな。さすが〈色なし王子〉の監視役にされるだけの事はある」

「貴様!」

 クラウズェアの頭が瞬時に(ふっ)(とう)した。

「殿下を悪く言う事は決して許さん! 殿下の御前で、地に這いつくばらせてやる」

 柄を砕かんばかりに握り込んだレイピアをタイタスに向け、温度の高い炎のような緑の目で睨み付けるクラウズェア。それに、ハッハと高笑いで返すタイタス。

「お前が? この俺を? 這いつくばらせるだって? できもしない大言を吐く前に、この剣をよく見てみろ!」

 掲げられた黄金剣の柄頭には、黄色の宝石が鈍く光っていた。

「これが何か解るか? 〈石〉の使えんお前には解らんだろうな。教えてやる、〈(さい)()(しょう)〉だ」

 タイタスの言葉に、クラウズェアの目が見開かれた。巨大な剣を軽々と振り回すタイタスの身体能力に、まさかと思ってはいたのだ。だが、こうして(しよう)()を突きつけられると、ショックが大きかった。

「石の使えんお前には、俺には絶対に勝てん。思い知らせてやろう」

 言うやいなや、タイタスは剣を両手で右肩に担いだまま、真っ直ぐ突っ込んできた。そのスピードは、重装とは思えぬほどのものだった。

 〈調律歌(チューニング)〉を必要としない〈共鳴術(レゾナンス)〉が働き、タイタスの〈律動(リズム)〉と黄色の〈彩化晶〉の〈律動〉が一致(ハルモニア)する。その力は、金属の塊で身を包み込んだ巨体を、軽々と駆けさせる。

 距離を詰めるのは、一瞬で事足りた。

 間合いに入った瞬間、(ごう)(そく)の剣が振り下ろされる。金色の軌道をからくも避けるクラウズェアだったが、もはや、剣をかいくぐって突き込もうなどと女騎士に思わせる隙はなかった。

 振り下ろして振り上げる。そんな単純な動きに、何もできずに下がるだけのクラウズェアは、圧倒的なスピードとパワーの前に、一方的な後退を強いられるのみ。

 勝負は決している。あとは時間の問題だ。

 そして、その時間はすぐに訪れた。

「くっ?」

 タイタスの猛攻を躱しきれず、クラウズェアは思わず細剣(レイピア)で受けてしまった。折られた剣は彼方に飛び、柄も握っていられずに手から弾かれた。指や手首が折れなかったのは、不幸中の幸いだ。

「勝負あったな」

 光の剣(クレイヴ・ソリッシユ)の切っ先が、クラウズェアの喉元に突きつけられた。

「〈先天共鳴者(ヘレディタリー)〉どころか〈後天共鳴者(エクワイアード)〉ですらないお前には、万に一つでも勝ち目は無い。現実を受け容れろ。そして、俺の物になれ」

 勝利者の無慈悲な言葉が、剣以上の鋭利さで女騎士へと突き付けられたのだった。


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