始まりの朝
サラリーマンのため息溢れる週明けの電車がホームに滑り込む。
見慣れた青と白のコントラスト。
同じ時間に毎日一本だけ走っている通勤快速電車だ。
鉄道好きにとっては堪らないらしいレアな塊に乗り込むと、密集度の高いドア付近を避けて一番奥にある大きな窓の側に立った。
そこが私の定位置。
流れる景色に見送られながら、今日も一日が始まった 。
一駅着くごとに車内の密集度は増していくばかりで。
私が降りる駅まではほぼ誰も降りないような田舎道を走る鈍行から外に目をやると、田んぼの畦道に立って一生懸命にシャッターを切る人の姿が飛び込んでくる 。
「あっつ、」
立ちながら寝てる人や爆音で音楽を聞いてる人、小説や教科書を読んでる人、携帯や鏡に夢中な人。
いろんな人がいる中で、クーラーなんて全く意味をなさないらしく。
窓際ならなおさら。
じりじりと肌が焼かれる感覚にみんながこの場所を避けている。
それでも私はここが好きで。
って言うのもここにいれば、ほら。
毎日あの人を見つけられる。
通学のピークよりかなり早いこの時間に、自転車を飛ばして細道を駆け抜けるその人。
着てる制服から同じ学校の人だって言うことは分かるんだけど、校内で見つけたことはなくて。
いつもこの数分だけ彼を見るのが習慣になっていた。
「っあ、」
少しだけ前にいたその人を、今日も橋の手前で電車が追い抜く。
その時に。
「やっば、」
こちらを流し見た彼と、目があってしまった、気がした。
それは一瞬の出来事で。
本当に目があったのかも分からないけど。
たったそれだけのことで、私の心臓はバカみたいに鼓動を速めていた。
「ふぅ、」
それから10分。
開いたドアから雪崩のように降りていく人の波を見ながら深呼吸。
最後の最後に電車を降りて、波が引いたホームを歩いた。
鞄の中から伸びたイヤホンを耳につけて、聞きたい曲を選びながら改札を抜ける。
駅からまた10分。
お店もなにもない、街灯も疎らな道をひたすら歩いて学校に向かうことになる。
「ねぇねぇ」
「……え、」
いつもなら誰もいない通学路。
声にビックリして顔を上げると、自転車を押して近づいてくる彼の姿があった。
「おはよぉ」
「お、おはよう、」
「一緒にいかない?」
「え?」
「学校、一緒にいこう?」
「……あ、うんっ」
窓を挟んでしか見たことがなかった彼が、今は触れられるくらい近くにいて。
「実はね、ずっと前から気になってたんだ」
「…………?」
「いつもすれ違う電車の同じ場所に、同じ学校の子がいるなーって」
「っ、」
やっぱりバレてたんだ。
毎日、私が見てたこと。
恥ずかしくて恥ずかしくて、顔に熱が溜まっていくのが分かった。
「でね、毎日盗み見てたんだけど、今日は目が合っちゃったような気がして」
「……っえ?」
「なにあいつキモいって思われて、明日から違う車両に乗っちゃったらヤダなーって思って」
恥ずかしそうにぽりぽりほっぺたを掻きながら話す彼の言葉に、ドキドキと胸が鳴った。
「だからこれきっかけに話しかけてみた」
ニコリと、始めてみた彼の笑顔に完全にノックアウトされてしまった私は。
「わ、私も、前からずっと見てたの」
正直に薄情してみると、彼は一瞬キョトンとしたあとにふんわりと笑った。
「なーんだ、よかった」
「っ、」
「じゃあさ、とりあえずお友達からってことで!」
可愛い人だな、と思った。
電車の中から見ていた彼は、その切れ長な目元と風に揺れる金糸の髪から少し怖い印象だったのに。
差し出された手に私のそれを重ねて握手すると、彼はまたにっこりと八重歯をみせてくれた。
「一瀬 燈ってゆーの。よろしく」
「藤波 緋、です」
いつもはつまらない通学路が、彼といるだけでこんなにキラキラして見える。
なんでもないコンクリートが続く道。
チリチリとタイヤが回る音と二人分の足音が澄んだ空気を揺らしていた。
「“あけ”ってさ、どーやって書くの?」
「えっと、糸偏に“非”。あの、うじゃうじゃーっとしたやつ」
「うじゃうじゃ?あー、あれだ!“悲しい”の上のや つ!」
「そう、それ!」
「へー、難しいね」
「じゃあ、“とう”ってどう書くの?」
「火偏に“登る”」
「へー、かっこいいね」
コツコツとゆっくり足を進めながら、私達はその日、 今までの時間を埋めるように自分のことを話した。
誕生日はいつだとか、血液型とか、趣味、特技、今ハマってるテレビの話。
いつもは長い長い10分のはずなのに、気づいたら本当にあっという間に校門の前まで来ていて。
「俺、校舎あっちだから」
彼が指差したのは理数コースの別棟で。
だから見かけなかったんだって納得。
「ねぇ、緋、」
「んー?」
「今日さ、一緒に帰らない?」
「っえ、あ、うん!」
お互いの携帯を向かい合わせて、アドレスを飛ばしてから別れた。
なんだか夢の中にでもいるみたいにふわふわと足が弾んで仕方ない。
これが恋なのかもしれないな、と、そんな風に思ったら途端に顔が熱くなってきて。
「うわー、」
誰もいない廊下に立ち止まって冷えた壁に背中から凭れて両手で顔を覆った。
end.