新世界へ
リュカに連れられ家から出るとそこはもう町でした。
私の身長の何十倍もの高さの建物がずっと先まで並び大勢の人が忙しそうに行き交っています。私が抱いた第一印象は「せわしない」でした。
「あの人たちはなんであんなに早足で歩いてるんです? 脅迫でもされてるんですか?」
目線は前へ向けたまま唖然と口にします。リュカは細く笑うと、「脅迫というか強迫観念だね。ある意味」と答えました。どう言う意味でしょう? 私にはよくわかりません。
しばらくのんんびりと歩くリュカ。おかげで私は鞄の中からゆったりとこの町を眺めることができました。長年閉じ込められていた薄暗く埃っぽい店に比べれば何百倍も開放的で素敵なところだと思いました。
「――ん?」
そんな時。私の小さな鼻腔になにやらいい匂いが入ってきました。くんくんと鼻を動かし正体を突き止めようとする私。
「どうやらあそこですね」
ここから二十メートルほど離れた路上。そこに十人ほどが並んで小さな行列が出来ています。匂いはそこから来ているようでした。
「あれはなんですか?」
リュカを見上げ私は質問をします。「デリッシュだよ」とリュカは教えてくれました。なんでしょう。
「気になるなら僕が買ってきてあげるよ。でもあそこは人が多いからね。きみはもみくちゃにされてしまうかもしれない。だから向こうの木陰で待っていてくれ」
そう言うと向こうを指差すリュカ。その方向を見ると小さな広場があり数本の木が植わっていました。
「でも大丈夫でしょうか? あんなところに私一人で」
人はみんな忙しそうに広場の脇を通りすぎるだけで木のそばに人はいませんがどちらかといえば不安です。でもあの行列の中で無事でいられる保証もありません。
「……私、あそこで待っています。だからなるべく早く戻ってくださいね」
そうしてリュカは私の入った鞄を通りから見えないよう木の裏側へと置き早足で行列の方へと歩いて行きました。
私は頭を引っ込めて息を殺します。誰かに見つかりませんように……。
「あんたドール?」
早速見つかってしまいました。私はどうしたものかとさらに息を潜め底のほうへと潜り込みます。しかし相手は諦めていないようで鞄をこつこつとつつきだします。
「だ、誰ですか?」
恐る恐る鞄のふちから顔を出します。するとむすっとした表情で腕組みをしている人が。いや、人形が。水色の綺麗なエプロンドレスを着込み頭には可愛らしいリボンをつけています。
「あたしはラセット。あんたは?」
なんて高圧的な態度でしょう。なんだかイライラしてきます。自分から名乗ったとは言えこの態度はいただけません。
「それが人にものを頼む態度ですか? もっと言い方というものがあるでしょう」
まったく。偶然出会った人形がこんな礼儀知らずな方だとは。私も運がないのかもしれません。しかしラセットと言うらしい彼女は別段気にする素振りは見せず、逆にうっすらと笑います。ところで関係ありませんがラセットという名前の由来はどうやら彼女の髪のようです。それほど綺麗な栗色の髪をしていました。
「なかなか言うじゃない。そういう反抗的な言動は嫌いじゃないわ」
と、おもむろに彼女は自分のスカートの中に左腕を突っ込みます。なんでしょう? 私は目を丸くして見ますがスカートから引き抜かれた彼女の手に握られていたのは一本の棒。
「というかそれ、剣……?」
どう見ても剣です。それも人形のサイズに合わせて作られたもの。一体どうするつもりなのでしょうか。ただ単に自分の持っている剣を自慢したいわけではないとは思うのですが。しかし彼女は私の思ってもみないことを喋りだします。
「あんたも抜きなさいよ。持っているんでしょう?」
「いえ、そのような物騒なものは……」
持っているわけないじゃないですか。だいたいどうしてそんなものが必要になるのでしょう。このラセットとかいう人形さんは軍人かなにか?
「はあ? あんた持ってないの? なんで?」
「なんでって、それはこちらが訊きたいのですが……」
町中で初対面の相手に武器を向けるなんて一般的な常識が欠如しているとしか考えられません。どういう教育を受けたらこんな性格に仕上がってしまうのでしょう。私は彼女の生い立ちがちょっぴり心配になりました。いえ、今は自分の心配をするべきでしょうけれど。
「動くドールなんてあんたも誰かに魔法で命を与えてもらったんでしょう? その目的がこれよ」
威勢良く言うと剣を私の前へと突き出す彼女。これよって、全然説明になっていないのですけど。
「もっとちゃんと説明してくれませんか?」
私の小さな頭では理解しきれません。詳しい説明を要求します。
「だから。最近ドールを使って戦わせるのが流行ってるの。勝った方が負けたやつから好きなものを貰えるのよ」
なんですかその物騒な話は。そんなことリュカは話していませんでしたよ?
「よくわかりませんが、私は戦うつもりはありませんので。お引き取り願います」
シレっとした態度で帰ってくれるよう頼む私。女の子がそんな武器を振り回して戦うだなんて絶対に嫌です。しかしそれに彼女は怒ったのかなにやらぶつぶつ言いながら鞄をよじ登ってきました。
「ちょ、なんですか! 来ないでください! 私はあなたが嫌いです!」
「るせぇ、黙ってこっから出てこい!」
なにこの人形怖い。本当に恐怖心が湧いてきます。このまま捕まってしまったら鞄から引きずり出されて無理やり戦わされる? 私武器なんか持っていないのに。というかそれ以前に戦ったことなんて一度もないのに。
「いーやー! こっち来ないで! ……こっち来んなボケェ!!」
一瞬理性が飛びそうになり自分でもよくわからないことを叫びながら私は内側から鞄を思い切り蹴ります。
「うっ……」
すると外側からドスっという音が聞こえ何やら呻き声がしました。もしかして私の適当に放った蹴りが当たってしまったのでしょうか? もしそうなら彼女は大丈夫なのでしょうか。
「…………あ、あの。大丈夫で、」
鞄から顔を出して下を見てみますが誰もいません。その代わり頭上からリュカが私を見ていました。
「ただいま。買ってきたよ」
「リ、リュカぁ……」
途端、涙腺が緩んで感情が目から溢れ出します。これが涙ですか。ちょっぴりしょっぱいものなのですね。しかし今の私にそんな涙の味を冷静に分析する余裕なんてありません。本当に怖かったのですから……。
「……? どうしたんだ? 誰か来たの?」
「人形が……。私と同じ人形が来たのです。生きていました……」
あのような人形はこの町にはたくさんいるのでしょうか。私だけが特別というわけではないのでしょうか。というかラセットというあの人形はどこへ行ったのでしょう。いなくなってくれたことはとても嬉しいのですけど。
リュカは私から目線を外し空を見つめています。なにやら思案顔でした。
「……その人形というのはなにか武器の類を持ってはいなかったか?」
「そうなんです。スカートから剣を出して私へ突きつけてきました」
薄い緑色の刀身をした細身の剣だった気がします。あんなもので斬られでもしたら痛みを感じる暇もないでしょう。
「……やっぱりか。近頃成り上がりの魔法使いが人形たちに魔法をかけて追い剥ぎまがいのことをさせているんだ。決闘、とか言ってほとんど一方的にね」
なんなんですかそれ。人形はそんなことのために生まれてきたのではないのに。誰かに大切にされるため、愛されるために作られたものなのに……。
「――――!」
もしかして。もしかしてですけれど、リュカも? 違いますよね?
「……リュカ?」
リュカを見上げると小さく声を漏らします。でももしリュカも私に戦わせることが目的で魔法をかけたのだとしたらどうしましょう。私、そんなことはしたくない。でも彼の頼みだとしたら……。
「……大丈夫だよ。僕はきみを戦いの道具になんか使わない。きみは僕の友達なんだからね」
そう言ってリュカはしゃがみこむと鞄から顔を出す私の頭を優しく撫でます。
そうです。こんなに優しい彼がそんなことするわけないじゃないですか。私も少し疑心暗鬼になっていたようです。
「それよりほら。デリッシュを買ってきたよ」
そうでした。私は彼にこれを買ってきてもらっていたのでした。へんな人形に絡まれたせいですっかり頭から抜け出てしまっていたようです。
「ありがとう」
お礼を言って彼の手元を覗き込みます。小さな紙袋の中に入っていたのは二本の棒状のなにか。白くて細かい粒子のようなものも降りかかっていました。
「これがデリッシュ……」
どんな味なのでしょうか。今朝飲んだコーヒーのように甘いのでしょうか。それとも今まで経験したことのないような?
「……はい」
リュカは少しちぎると私へと手渡してきます。受け取り頬張る私。
「……おいしい、です」
私は他の食べ物を今日に至るまで一度も食べたことはなかったので何かに例えることはできないのですけれど、このデリッシュという食べ物は外側のところがサクっとしていて中の方はふわふわと柔らかです。ついでに全体にまぶしてある白い粉がとっても甘くてコーヒーに合いそうな味でした。
「そう。ならよかった」
紙袋に手を入れ自分も食べだすリュカ。
そうして私たちは木陰で二人仲良く過ごしました。天気も良くて空気もおいしい。こんな些細なことでも幸せだと感じることはできるのですね。
「そうだ。これから少しあるお店に行きたいと思うのだけど、いいかな」
歩きながら下を向いて鞄の中の私に確認を取ってきます。
「ええ。いいですよ」
断るわけないじゃないですか。リュカが行くところなら私もついていきます。
「そう。なら行こう」
そうして私とリュカは人混みの中へと消えていきました。
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