過労死寸前の悪魔
俺は今夜も呼び出しを受け、職場に急行する。優雅に夕食を食べている時間も無い。もっとも毎日食う必要など無いのだが、やはり長年染みついた習慣を打ち消すのは難しい。
俺がドアをノックすると、依頼主がドアを開ける。驚いた顔をした依頼主に向けて、俺は慇懃無礼に自己紹介を始める。この時点で、大抵の依頼主は怯え錯乱しており、まともな応対は期待できない。だったらなぜ俺を呼んだりしたのだろう。呪いか、復讐か、興味本位か、はたまた自殺の代わりにでもしようとしたのか。
なにより、依頼主はまず俺の姿に怯えるらしい。とはいえ、完璧に着替えてから出向くなど、不精な俺には無理な話だ。せいぜい似合わない洋服が俺の姿を半分隠し、恐怖を二分の一にしてくれることを願うしかない。
俺は依頼主をなんとかなだめすかし、次の言葉を待つ。長い沈黙が落ちる。「帰ってくれ」嗚呼、その言葉は聞き飽きた。深夜に呼び出しておいてこれだ。泣きたくもなる。もっと何か無いのか。不老不死とか、世界征服とか、新世界の神になるとか、あるいは――俺のように悪魔になるとか?
くだらない考えが頭をよぎり、そのにやりとした笑みが依頼主を凍りつかせる。俺の外見はそれほどまでに恐ろしいのだ。それほどまでに醜いのだ。そして、帰ってくれと言われた以上、俺は帰るしかない。そこで、次の依頼が入ったことを上司から知らされる。一日に二件も回らねばならないとは、今日はついていない。
自力で契約を取って来れるようになるまでが、悪魔修行の第一歩である。それまでは、下働きに徹しなければならない。つまり俺の仕事は、上司の出番があるかどうかの調査。依頼主に、本当に魂を差し出してまで悪魔と契約をする気があるかどうかを、事前に調べる仕事である。
悪魔に人権は無い。ストの権利も、労働基準局も無い。口にしてしまえば当たり前だが、俺は当時、そんな単純な事実にさえ気付いていなかった。俺が悪魔を前にして願ったのは、もちろん、悪魔になること。
だが悪魔は万能では無かったし、上司もいるし、そして俺の予想以上に忙しかった。年中無休。夜な夜な人間に呼び出され、行って、聞いて、帰るだけの単調な仕事。飛び込み営業よりも裁量が少ない。掘っては埋め戻す土方作業。積み上げては崩す賽の河原。ああ、あれは鬼の仕事だったか。
夜のビル街をひゅうひゅうと飛びながら俺は思う。これなら人間のままサラリーマンをしていたほうがマシだったかもしれない、と。さて、これから悪魔になろうという方はいるだろうか。俺はその願いを喜んで叶えよう。それで俺の仕事が少しでも減るなら、そりゃあ大歓迎ってもんさ。
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