第六話
帰る際は、流石に行きの様におててつないでとはいかなかった。
主な理由は俺なんだが、左腕では未だ眠りについている狐を抱いているので塞がれている、空いているはずの右手も先程の負傷で、怪我自体は完治しているのだが、幻痛と云うのだろうか違和感が半端なかった。今まで負ったことの無いレベルの怪我を受け、脳が混乱しているのかも知れない。
ともかく、絆にライトを預けて一歩先を先行してもらい、俺は狐を抱きながら後ろに続き、雪緒は俺の服の裾を摘んで後に続いた。
ふと気になり前を歩く絆に目を向けた、魔物惨殺時に咄嗟に視界を隠した、確認はしていないが特に動じた様子は無いので、上手く隠せたと思いたい。周囲も暗かったので多分大丈夫だとは思うのだが、敢えて蒸し返して訊くような話題でも無いだろう。あの光景を見て動じない子供と云うのは無いと思いたいから。
☆ ★ ☆ ★
木々に覆い茂られ真っ暗だった暗闇から、月明かりに照らされた森の外に出た。風呂を創った野営地まで戻ってくると、俺は風呂の用意を始めた。
俺自身が自分の返り血で赤黒く染まっていたからだ。絆に関しても視界を隠す際に抱きしめてしまったので、俺の血で髪の毛や顔、服などがベッタリと赤黒く染まっている……ある種のホラーだった。事情を知らずに見た人がいれば悲鳴を上げる事請け合いだろう。
雪緒も、激しく動いたからか冷や汗かはわからないが、汗をかいていたのでもう一度風呂に入りたそうにしている。
……あと、狐が獣臭い。野生だったから何処にいたのかはわからないが、乾いた雑巾の様な臭いが漂っていた。
ただ、鞄からテントと浴槽を取り出したはいいが、途中で俺は今魔力がカラッポだと云う事思い出した……。
無理をすれば湯を入れることは出来るだろうが、そうすれば万が一先程の狐の様な状態に、今度は俺がなってしまいそうである。そこまでリスクを負ってまで俺が入れる必要は無いだろう。というか命がけの入浴とか俺は嫌だよ。
と、云うわけで、雪緒に頼んで湯を入れてもらうことにした。湯の入れ方自体は、浴槽を創る時に横で眺めていたので、特に説明しなくても出来るみたいだった。
「……なんというか、今日は雪緒に迷惑掛けてばかりだな」
「ううん。よくわらないけど、遥くんには今までお世話になっていたんだから、この位はどうって事無いよ」
魔術で浴槽に水を溜めながら、雪緒はさも当然と云った表情で答えた。
そして水がある程度溜まると、今度は浴槽に向けて火の魔術を雪緒は行使した。すると次第に、グツグツとお湯が煮えてきた……って、グツグツ!?
「ちょ、雪緒。火力強すぎ、こんなのに入ったらいい出汁が取れてしまう」
「……あっ! いけない。……どうしましょう」
肉を入れたらしゃぶしゃぶとか出来そうな温度だな。
「とりあえず、水を足して温度を調整しよう」
「そ、そうですね」
そう言い気を取り直したのか、水を足して温度を調整していた。
「……うん。ちょうどいいくらいかな」
湯船に手を入れ掻き混ぜながら、温度を確かめ雪緒はそう呟いた。
「そっか。じゃあ先に入りなよ」
「……えっ? いえ、遥くんこそ先に入ったほうが」
「いやいや、俺が先に入ったらお湯が汚れてしまうし、それに……」
焚き火の側でうつらうつらしている絆を見て俺は答えた。ゴタゴタもあってかなり夜も更けている。疲れもあって今の時間は子供には厳しいだろう。
「……そう、ですね」
俺が言いたい事を理解したのか雪緒はそう答え、絆に近づいて行き肩を揺すりながら言った。
「絆ちゃん。お風呂の準備が出来ましたので、眠っちゃう前に一緒に入りましょう」
「うー」
絆はそう言いながら、眠い目を擦りながら答えていた。
「さあ、ね? 早く入っちゃいましょう」
「うー、うん」
そんなやり取りをしながら、絆は雪緒に手を引っ張られて浴槽のあるテントに入っていった。
――ふむ。
手透きの時間が出来てしまった。流石にこの格好のままで寝る気は起きない。血の金臭いにおいと狐を抱いていた獣臭で、なんとも云えないハーモニーを醸し出していた。ぶっちゃけ言えば臭い。
……はぁ、仕方が無い。二人が風呂から上がるまで狐の様子を見てることにしよう。
そう思い近寄ると、月明かりに照らされて森の中でははっきり確認できなかったが、とても美しい狐だと今は確認できた。
純白の和毛に、ふわっふわの三本の尻尾……ふわっふわ……さ、さわりたい。ヤバイ、もの凄くもふもふしたい。
俺は誘惑に耐え切れずに、しゃがみ込み尻尾に左手を伸ばそうとすると――丸まってスウスウと寝息を立てて寝ていた狐が、ピクッと耳をたて起きた。
……ヤバイ、俺の疚しい気配で起こしてしまったかと思い、手を伸ばした状態で固まっていると、狐は徐に立ち上がり、周囲をキョロキョロと見回し確認し始めた。
俺は手を伸ばして固まった状態で様子を見ていると――狐と目が合った。
「キュ!」
目が合い狐はそう吼えると、俺に襲い掛かって――は、こなかった。狐は飛び掛るように近づき俺の足に顔を擦り付ける――まるで人懐っこい子犬のようだった。
俺は恐る恐る抱き上げると、特に抵抗も無く大人しくしていた。験しにと犬にするように、首の辺りを一指し指で撫でてみると、気持ちよさそうに目を細めていた。
俺は先程からの誘惑に耐え切れずに、抵抗が無いことを良い事に、抱きし三本の尻尾をめもふもふして恍惚していたが――ムワッとした獣臭で気持ちが悪くなってきた……。
「……うぇ。お前も風呂に入らなきゃダメだな」
俺は嘔吐きを我慢しながら言うと、狐はキョットンとした表情をして首を傾げていた。
「――るかくん。お風呂上りました」
俺が狐の尻尾に夢中になっている間に風呂から上がったようで、タオルで髪を拭きながら俺に言ってきた。
絆は眠けが限界だったようで、風呂から上がり着替えが済むと、焚き火の近くに立てておいたテントに向かっていた。
「遥くん……あれ、その仔目が覚めたんですか?」
雪緒は俺の腕の中でモゾモゾしている狐に気付き訊ねてきた。
「ああ」
「大丈夫だったんですか……?」
もしかしたら魔物かも知れないのだ、心配になったのだろう。
「たぶん大丈夫だと思う、寧ろ人懐っこいヤツだと思うぞ」
「そうなんですか?」
そう訊ねながら雪緒は、恐る恐る頭を撫でてみようと手を伸ばすと……。
コンッ!
「――キャッ!」
狐は雪緒に吼え、撫でようとしていた手に噛み付こうとした、雪緒は驚いて咄嗟に手を引き短い悲鳴を上げた。
「は……えっ?」
俺もいきなりの事で驚いた……俺のときと対応が違うぞ。
「……私なにか変なことしました?」
「いや、特には無いと思うが」
雪緒はショックを受けた表情をしていたので、俺は咄嗟にフォローを言った。
「た、たぶん。目覚めたばかりで気が立っているんだよ、明日になれば大丈夫だと思うから……」
俺の腕の中で大人しくしているのにそんなことは無いのだろうが、雪緒を慰める為に咄嗟にそう答えていた。
「……そ、そうですね」
「ああ、雪緒も色々あって疲れているだろうし、今日は早く休んだ方がいい」
「そう……ですね。うん、そうします……おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
そう言うと雪緒は絆が入っていたテントに向かっていた……。
――ふう。俺は安堵に近い溜息を漏らすと、狐を目の前まで抱き上げ言った。
「おい、おまえ。噛もうとしたらダメだろ!」
俺は犬を躾が如く言ってみたが、狐はよくわからないと云った表情で首を傾げた。
「……はぁ。言った所で通じるわけが無いか」
俺はそう呟くと、仕方無しにとお風呂に向かった。テントの中に入ると置いてあった鞄の中から着替えとタオルを取出し、血で汚れた服を脱ぎ全裸になると、風呂桶代わりに使っている手鍋で掛け湯をして、狐にも同じく掛け湯をすると――
『――キャウ! あつーい!』
いきなり俺の頭の中に声が響いた。