第五話
戦闘描写難しい……。
雪緒は能面の様な表情で呟いた。
先程まであった周囲への恐怖や困惑等の表情ではなく、今の雪緒からは表情がストンっと抜け落ち、なまじ美人でもあるのでよけいに迫力があり、もの凄く怖かった。
「雫。参りますよ……いいですね」
『イエス。マスター』
そう受け答えをするとゆらりと進みだし、ゆったりとした歩みで真っ直ぐハイディングウルフに進んで行った。
突然の行動で驚いた俺は、再度雪緒に注意を喚起した。
「ちょ、雪緒。周囲にも他の奴らが――」
――いるかもしれない。
と、俺が言い切る前に、横の木の陰で隠れていたハイディングウルフが飛び出してきた。 雪緒は不意打ちにも近い形の、先程俺がくらった切り裂き攻撃を、首を傾けると云う行動一つでいとも簡単に躱した。
そして、雪緒の歩みは止まらない、止められない。不意打ちの攻撃に何の反応を見せずに、ただ淡々と躱し歩みを進める。
不意打ちを躱されたハイディングウルフも、体勢を立て直すと、雪緒に向かって構えた。
雪緒はその様子にも一向にも介さず歩みを進める――すると更に隠れていたのであろう、群れのハイディングウルフが、雪緒に向かって襲い掛かった。
あるものは爪で切り裂き、あるものは顎で噛み付こうと――しかし雪緒は体を傾ける、または体を捻る、或いは一歩踏み出す。ただそれだけで悉く躱してみせた。どの攻撃でも言える事だったが全て、雪緒の歩みを止めるには至らなかった。
その光景に、絆はライトを照らした状態で、俺は左手で狐を抱いた状態で、右腕の痛みを忘れてポカンとして見ていた。
森の中は真っ黒に近い暗闇の中で、ライトのお蔭で辛うじて周囲の様子が窺える状態なのだ。ハイディングウルフは体躯が黒く、この暗闇の中ではまともに視認することすら難しい。なのに雪緒は躱すのだ、歩みを止めない最小限の動きで。
周囲に隠れていた何頭かのハイディングウルフ。俺には周囲がよく視認できない上に、動き自体も早く何頭いて、何頭隠れているのかもわからない。なのに雪緒はまるで見えているかの如く攻撃を躱している……。
いや、これが《危機感知》であり《見切り》の恩恵かも知れない――が、これがもしも、雪緒の元々の資質であったのなら何とも言えない気持ちになりそう……。
ともかく、進む。俺達を襲ってきた魔物に目掛けて。
周囲に隠れいているモノも、襲ってきたモノも、雪緒を最大の脅威とみなした様だ。俺や絆を警戒していた奴らも雪緒に向かって唸りだした。
「うふふふふふふふふふ……。全く躾のなって無いワンちゃん達ですね。チョット躾が必要かもしれませんね」
『イエス。マスター』
雪緒と雫は何か呟く様に遣り取りをしていたみたいだが、俺や絆の所には、魔物の唸り声やその声自体が小さかった為届かなかった。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
唸り声から遠吠えに近い声をあげると、一斉に雪緒に向かって襲い掛かってきた。
雪緒は流石に歩みを止めたが一斉攻撃に何の反応も見せず、無表情で襲ってきたハイディングウルフを見つめていた。
ハイディングウルフの噛み付きが当たる――と、思った瞬間光刃が煌き、噛み付こうとしたハイディングウルフの顎が消失した。
「もう。まったくヤンチャなワンちゃんですね」
そう嘆くように呟くと、斜め後ろと真横から同時に襲ってきたモノ対してバックステップすると、動きが早すぎた為お互いの勢いを殺しきれず、同士討ちをさせた。片方の牙は肩に食い込み、片方の爪は耳を引き裂いた。そして雪緒は、その二頭に向けて雫を真一文字に振り抜く――二頭の手足が飛んでいった。
その体勢の状態で、背後から襲ってきたモノに対しては、背中に目があるかの如くギリギリまでひきつけると――突然しゃがみ込み、上に向かって振り上げた。するとゴロンと前足と顔が落ちる。
圧倒的だった――ここ一帯で最強を誇るハイディングウルフの群れが、雪緒の前で悉く切り裂かれていく。早すぎる斬撃は刀身の汚れを許さず、問題にすらならない。
何頭いたのだろうか、既にまともに動く事が出来るのは、最初に俺を襲って爪が赤黒く染まったモノのみであった。
「さて。残すはあなただけになりましたね……覚悟はいいですか」
そう呟くと雫を鞘に収め、柄の部分に右手を添えると腰を屈めた。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAA」
その様子に、警戒するように構えたハイディングウルフが低く唸る。そして飛び掛ろうと強く大地を踏みしめ様と――その瞬間雪緒の姿が消えた……。
突然標的を失い、ハイディングウルフは周囲を見回していた。すると雪緒は背後に現れ、ハイディングウルフは背後に振り向こうと――体躯がズレだした……。
手が、足が、鼻が、顎が、耳が、首が、そして胴体がズレ、ボタボタと肉塊になり地面に落ちた。
今まで呆けていた俺は、我に返り絆まで駆け寄ると、ライトを奪い視界を遮るように痛む右腕で頭を抱え込んだ。……って、呆けて忘れていたけど、半端じゃないくらい痛い。
俺はズキズキと痛む右腕を我慢して、雪緒の様子を窺った。
「…………あれ?」
雪緒は先程の様な無表情では無く、何時も通りの柔らかい表情を浮かべ……いや、今は困惑も混じってはいるが、ライトを持っている俺のほうに向かって歩いてきた。
「……遥くん。どうしたんですか?」
「……うん?」
雪緒は不思議そうな表情を浮かべて、俺に訊ねてきた。
「いや、えっと……ううん?」
いや、何がどうしたって俺の科白でしょう。と、俺が困惑していると……。
「は、遥くん! その腕どうしたんですか!?」
雪緒は驚いた様に訊ねてきた。俺の右手はダクダクと今現在と流血しております。
「いや、だからさっき……」
「と、ともかく治療しないと!」
雪緒は俺の科白を見事にスルーすると、俺の右手をガッシリと掴んできた……って、ギャー! イタイイタイ!
「ど、どうしましょう……どうしたら……」
雪緒さんはパニックの真っ最中です。
「お兄ちゃん……イタイの……?」
その遣り取りに、今まで抱きしめていた絆が顔を上げて訊ねてきた。
「ああ。まあ、それなりに……」
……ゴメンナサイ。ウソです。もの凄く痛いです。ただ男の子は、女の子の前では見栄を張るものだもん。
「でも、いたそう……」
狐を抱いていない肉が抉れた右手を見て、絆はそう呟いた……血に余り動じないってことは、ヤッパリ絆も女の子なんだな。俺は怖くてとてもでは無いが見れません。
すると絆は、俺の右腕に手を添えると治癒魔術を唱え始めた。
『――慈悲の力よ。癒しの力よ。お兄ちゃんを癒して』
輝きだすと――次第に痛みが治まりだし、出血が止まった。
俺は患部を見てみると服は破れ、血で赤黒く染まってはいたが、腕には損傷の痕が全くわからなかった。
「す――ごいな」
俺は呟く様に言った……流石に俺でも、あの怪我を傷跡一つ残さず治すのは無理だ。やはり治癒魔術に関しては、絆には勝てそうに無いな……。
その様子を見ていた雪緒は、俺の怪我が完治するのを見て、安堵の表情を浮かべていた。
「そういえば遥くん。その狐って大丈夫なんですか?」
雪緒は、俺が左腕に抱いていた狐の状態が気になったのか訊ねてきた。
「ああ、状態は安定していると思う……」
俺は腕の中で、スウスウと穏やかな寝息をたてる狐を見つめながら答えた。
「ともかくだ、ここを直ぐに離れた方がいいと思うんだが、俺は」
俺は今すぐここを離れたかった。ここは魔物の血の金臭い臭いが充満しており、その臭いに惹きつけられて他の魔物が来かねない。先程の事では無いが、魔力が無い俺は、とてもでは無いが戦力にはならない。
雪緒に訊ねたい事もあったが、別にここでなくてもいいだろう。
「そう……ですね。はい、そうしましょう」
雪緒は、周囲が真っ暗だったのを思い出したのか、俺の服の裾を掴んでそう答えた。