第四話
「……ん? あれか?」
ライトの先に照らされた白い物体を見つけ呟いた。
結局ここまで、風呂を創った場所から三十分近く歩く事になってしまった。
実際の距離にしてみたら大した事は無いのだろうが、夜間の森で足場も其処まで良くないとすれば、その位の時間はかかってしまうのかも知れない。
まあその大半は、雪緒を慰めたりした為に、思いのほか時間がかかったのだろうが……。
俺は今両手が塞がっている――別に荷物を持っているのではなく、右手に少女(雪緒)、左手に幼女(絆)と云った、非常に歩きづらい状態だ。
流石にこの状況でライトは持つ事が出来ないので、今は絆に持って道を照らしてもらっている。というか現状の雪緒は余りアテには出来ないので、絆に任せるしかなかった。
辺りは暗くてまともに見れない上に、俺は両手が塞がっており咄嗟に動く事が出来ず、周囲を警戒しながら歩いていたのでかなり気疲れした。
俺は女の子と手を繋ぐのは嫌ではないが――いや、寧ろ大好きだが、それは時と場合による物だと、身を持って理解した。少なくとも魔物が潜んでいるであろう森の中でする事ではない。
ともかく、俺が魔術で探知したであろう、生き物の場所にまで特に何も無く到達した。 ライトを照らした先には……何かの動物が蹲っていた。
「お兄ちゃん。あれなの?」
絆はライトを動物に向け、訊ねてきた。
「……ああ、この辺りで間違いないはず」
俺はそう答えると、感度を上げるために範囲15メートル程に絞って、再び魔力を放ち探知を行ったが――反応はライトの先に照らされた動物からしか無かった。
「やっぱり、その動物からの反応みたいだったみたいだな」
「……そう……ですか」
「ふーん」
二人は俺の答えを聞くと、反応こそ薄かったが安堵の表情が見て取れた。
しかし、魔術探知では大まかなサイズしかわからなかったが、予想よりも更に小さく、人でも無かった……まだまだ改良の余地があるな、と考えていると。
「けど、お兄ちゃんの言葉を聞くと、この子って弱ってるんだよね……?」
絆はそう言うと、繋いでいた手を離して動物に近づいていった。
「お、おい、絆。あぶないから――」
「絆ちゃん。あぶないですから離れては――」
俺の雪緒の警告を気にもせず、蹲っている動物の傍らに近づいた。弱っているとは云え、もしかしたら魔物かも知れないのだ、俺達も恐る恐る近づいていった。
「……この子……犬?」
絆は呟くように言っていた。俺も近づき確認すると――ふわふわの白い和毛に包まれ、三角の耳に尖った顔、そして三つにわかれた尻尾。
「ううん、違います。たぶんですけど狐かと……」
絆の科白に雪緒はそう答えた。その言葉を聞き、俺も合点がいった。
「……ああ、確かに狐だな。ただ尻尾が三本ある狐と云えば――」
――妖怪だよな。
複数の尾の獣と云えば、日本の妖怪の代名詞だろう。有名な所で言えば『猫又』、狐で言えば『九尾の狐』。
しかし、ここは日本ではないし、この子は三尾しかないので、妖怪では無いのかも知れないが。というか魔物の可能性も残っている。ただ旅立つ際に事前に調べた情報だと、この周辺に狐型の魔物の情報は無かったんだが……。
ちなみに最後まで言わなかったのは、雪緒に妖怪と云う言葉に反応されては困ると思ったからだ。
絆は、弱って小刻みに震えて蹲っている狐? を見て、ポツリと言った。
「この子弱って震えてる……かわいそう」
絆はそう言い、俺達が止める間も無く、狐に手を翳すと治癒魔術を紡ぎ始めた。
『――慈悲の力。癒しの力よ。この子に光を』
絆の手のひらが薄く輝き、揺らぎだすと、魔術が発動した――が、狐の様子が改善される事は無かった。
「……えっ? なんで? なんで効かないの?」
狐は未だ蹲り、弱弱しく震えていた。
絆は、治癒関係の魔術だけは俺が使うモノよりも強力だ。それが効いていないので、絆は混乱していた。
「ちゃんと使ってるのに何で……?」
手のひらが、薄く輝き揺らいでいるという事は、魔術が発動しているという証拠なのだが。
「お兄ちゃん……なんで効かないの?」
絆は困惑した表情を浮かべ、訊ねてきた。絆の治癒魔術が効かない以上、俺が使っても意味はないだろう。ともかく俺は絆の疑問に答える為にも、魔術解析する為《魔術感知》使い、集中してみた。
集中してみたが――絆の魔術は正常に発動していた。と、なると、狐の方に何か問題があるのかもしれない。そう思い見てみると。
「……ん?」
「……どうしたの遥くん?」
俺が首を捻り声をあげると、未だに俺と手を繋いでいる雪緒が訊ねてきた。
「いや。なにかチョット違和感が……」
そう、なにか狐に違和感があるのだ。違和感と云うか不自然さが……。あとこの状況でも手を離さない雪緒というのも、十分不自然かも知れないが。
「違和感ですか……?」
「うーん…………あっ!?」
「なにかわかったの、お兄ちゃん!」
俺が声をあげると、絆が訊ねてきた。
「ああ。なにか違和感を感じると思ったら、その狐からは魔力を全く感じないんだ」
この世界の生き物は、大なり小なり魔力を持っている。たとえ魔術師で無くとも、人は少しでも魔力を持っているのだ。それがたとえ動物であろうとも、この『ガイア』に住んでいる生物であるのなら、少なくとも魔力がゼロと云う存在はしないし、俺もここまで見たことが無い。
なのに、この狐からは、その魔力が全くと云っていいほど感じないのだ。
「……魔力?」
「魔力……ですか?」
「ああ。二人には見えないのかもしれないが、この世界の生き物には、多かれ少なかれ魔力を持って生きているんだ。ただその子からは魔力が一切感じる事ができないんだ」
俺の言葉を聞いても、二人ともいまいち理解していないみたいだった……まあこれは、魔力を見る事が出来る俺だからこそ、わかることなんだろうけど。
「お兄ちゃん……よくはわからないけど、お兄ちゃんだったらこの子助けられるの……?」
絆は潤んだ瞳で俺に訊いてきた。
「――ああ」
俺の言葉を聞くと、絆は食いかかるように言ってきた。
「だったらお願い! この子を助けてあげて!」
絆は真剣な表情で俺に頼んできた……はぁ、しかたないか。今までこの環境で、特にわがままを言ってこなかった絆が、助けてと真剣にお願いしてきたのだ。それになにより、ここまできておいて見捨てるのも寝覚めが悪い。
まあ万が一この狐が魔物であって、襲ってきたらその時はその時だ。
「……わかった。俺が出来る事はやってみよう」
そう言い繋いだ手を離し、絆を雪緒に託すと……いや、この場合は逆か? ともかく俺は、狐に傍らにしゃがみ手を添えると――魔力を移し始めた。
「――グッ。思ったよりキツイな」
誰かに魔力を渡すと云う行為は、初めてだったので予想よりも遥にきつかった。
魔力譲渡は相手に1の魔力を渡す為に、俺の魔力を大体20~30使う事になった。俺はこの世界の人間では、規格外の魔力を持って居るとはいえ、それでも魔力消費量が半端ない。恐らくだが全快も無理だろうが、状態を改善させるだけでも俺の魔力の9割近くを消費する事になるだろう。
……ここまでやっておいて、今更出し惜しみも無いか。俺はそう考え、魔力を一気に送り込んだ。
「ゼェゼェ……」
「お、お兄ちゃん。どう?」
俺が激しく息を吐いていると、後ろで雪緒と手を繋ぎ見ていた絆は、心配そうに訊ねてきた。
「――ふぅ……ああ。恐らくもう大丈夫だ」
俺は一息吐くと、安心させるように微笑み答えた。
「ほんとう? ……よかった」
そう言い、絆は安堵の表情を浮かべていた。
俺は三尾の狐の状態を確認していると――突然真横の茂みがガサリと動き、黒い影が飛び出した。
「遥くん危ない!」
何かに気がついたのか、雪緒が悲鳴に近い声をあげた、それに俺は反射的に狐を庇うようにしゃがみ込んだ。
黒い影は、咄嗟にしゃがんだ俺の右腕を抉り通り過ぎた……。
「――グッ!」
俺は突然に襲われた激痛で、声にならない声をあげた。魔力譲渡で集中していて周囲が疎かになっていたのだろう、迂闊にも襲われるまで気がつかなかった。
確認はしていないが、寧ろ怖くて確認できないが、右腕の上腕の部分の肉を持っていかれたのだろう、袖口から鮮血がポタリポタリと滴り落ち、真っ赤に染まっていた。あの時雪緒の声が無かったら、恐らく俺の首が持っていかれていただろう。
ともかく俺は一時的に痛みを無視して、感覚の無くなってきた右腕を無視して、襲ってきた正体を確認した。
ライトに照らされた先に立っていたのは――漆黒の体毛に、紅い瞳、鋭い爪と牙を持つ体長1メートル程の体躯、ハイディングウルフが立っていた……。
「クソッ! こんな時にハイディングウルフかよ」
俺は吐き捨てる様に言った。
ハイディングウルフは、〈神光国家プレクスタ〉周辺で巣くう魔物だ。その名の通り隠密行動を得意として、獲物に近づきその牙や爪でもって獲物を穿ち殺す。俺が旅立つ上で調べた魔物の中でも、この周辺に出る魔物の中では最悪の部類だろう。
「雪緒! 周囲も警戒してくれ! こいつらは群れで行動する魔物だ」
そう、こいつらの習性で最も厄介なのは、群れで狩りをすると云う事だ――ハイディングウルフが最も得意とするこの暗闇中で、更に木々で周囲は死角だらけ、恐らく周囲に他の仲間も隠れているだろう……状況としては最悪だ。
雪緒は俺の声が届くより前に、絆を背後に庇った状態で、俺が創った《霊刀·雫》を澱みなく構えていた。
――るか、くんを。
雪緒には俺の声が届いておらず、雫を構えた状態で何かを呟いていた……。
「――遥くんを……傷つけましたね……」




