花嫁修業を完遂したら何故か婚約者に逃げられる
「レオ様、お久しぶりですわ。本日は大変お日柄もよく⋯⋯」
あ、間違えた。今日は紛うことなき曇りの日だった。とクリスティーナは、はたと気付いた。
けれど気付いた頃にはもう時既に遅し。
目の前に座っている婚約者のレオ・フランソワは一瞬口元をひくつかせ、けれどまたいつもの涼しい笑みを浮かべた。
このレオという男は、クリスティーナを気に入っていた。というのもこのクリスティーナという女は、中々に顔が良かったからだ。
(女は少しとぼけている方が可愛げがあっていい。俺の好みにぴったりだ、俺を立ててくれそうで)
男はとにかくクリスティーナを手に入れたかった。
クリスティーナ・モントルイユ。
彼女は広大な領地を持つそこそこ力のある侯爵家の末裔だった。
この度、互いの力を強くするという政略結婚という目的で、フランソワ家の次期当主であるレオという男と婚約させられた。
それに関して、クリスティーナは特に何の感情も抱いていない。
貴族には体裁というものがある。もうそろそろ彼女も普通の貴族であるならば人妻となるであろう年齢に達していた。
親が男をすすめてくれるなら、それに乗っかる他に選択肢はない。
クリスティーナは自分の夫となる男がどんな奴であろうと特に気にしていなかった。
とにかく、彼女なりに精一杯、らしい妻であろうと努力することにしたのだ。
「レオ様。聞きましたわ、結婚の日程が決まったと。両家の顔合わせも済んだことですし、いよいよですね」
「ああ。お前もフランソワ家の屋敷入りを楽しみにするといい。既にお前の部屋も用意してある」
「まあ。嬉しいですわ」
正直そこまで嬉しくはなかったが。
クリスティーナは自分の家が大好きだったので。
(レオ様、良い方そうなのだけど少しこだわりが強い方で不安なのよね。私、上手くやれるかしら⋯⋯)
「⋯⋯あ、そういえば。レオ様」
クリスティーナには思い出したことがあった。
手をぽんと打ち、「前に仰っていたでしょう」と目の前の男に向かって微笑む。
「『俺の花嫁になるからには、そこそこ花嫁修業をして貰わんとな』⋯⋯と」
「ああ、そんな事も⋯⋯言ったな」
本当はレオは大してそこまで過去の自分の発言を覚えていなかったが、取り敢えず頷いておいた。
まあいずれ当主となるであろう自分を支える妻としての心得──礼儀作法、社交術、家の財政管理を習得できているのなら大変望ましい。
そして何より男は自分を立ててくれる麗しい女性がタイプだったので、にやりと口角を上げた。
そんな男の胸中など露知らず、クリスティーナはにこにこと口を開く。
「私、花嫁修業を完遂して参りました」
「それは素晴らしい」
正しい言葉遣いやマナー? それとも、もしや使用人の管理方法なども学んだのだろうか?
(俺の妻になんとふさわしい女だ)
レオが内心舌なめずりをした時だった。
クリスティーナは満面の笑みで、
「レオ様をこれで古今東西の敵からお守りできますわ」
「⋯⋯、うん?」
「安心してください。四方八方から矢が降ってこようと、私が剣で全てさばいてご覧になりましょう」
「お前は戦争を学んだのか?」
(な、なんだ。こいつは何を言っている⋯⋯!?)
レオは思わず目を白黒させた。危うく椅子ごと後ろにひっくり返るところだった。
まて。クリスティーナはなんと言った? 剣で? 弓をさばく??
いかにも花嫁修業とは程遠い単語の数々に目眩がする。
一体この女は何を言っているのかと、レオは「く、クリスティーナ!」とたまらず叫んだ。
「お前は何を言っている?? 花嫁修業とは⋯⋯もっと礼儀作法だとか、そういうことで⋯⋯! お前は一体何を学んできたんだ!?」
「え? もちろん、貴方様のために武術を学んできましたわ。うちのローレンが『旦那様をお守りするのは妻の務め』と⋯⋯」
「誰なんだそのローレンとやらは。そいつが元凶か!」
男に叫ばれたクリスティーナは目をぱちぱちと瞬かせ、「ローレンはうちの領地を守る騎士団団長ですわ」と教えてあげた。
「モントルイユ騎士団団長だとォ!?」とやはりその場に椅子ごとひっくり返るレオ。
(モントルイユ家の持つ騎士団とは、あの一騎当千で有名な⋯⋯! そこの団長ローレンとは名を聞いたことがある、そんな奴が末恐ろしい助言をクリスティーナに!?)
何故、どうしてそんなことに。
□
───話は一ヶ月に遡る。
「ローレン。私、ようやく結婚相手が見つかったわ! あの有名なフランソワ家の次期当主、レオ様よ」
にこにこと自分を見上げる女を前に、ひたすら面白くなさそうな顔をしながら「へえー⋯⋯」とじっとりとした視線を向けている男は───モントルイユ騎士団団長、ローレンである。
眩い銀髪に深い海の色をした瞳を持ち、屈強な体格をしている彼。
丁度訓練中に「ローレンローレン! 聞いて!」と騎士団本部の庭に駆け込んできたクリスティーナをどうしてやろうかと思っていた。
男は新人の団員たちを扱いている途中だった。
今も尚、「助かった! 鬼団長がクリスティーナ様に気を取られてる!」とわいわい騒いでいる奴らに一瞥をくれた後、ため息をついて「クリスティーナ様」と口を開く。
「毎度毎度、本部まで来るのやめてもらっていいですかね。俺だって暇じゃないんです」
「あら。ローレンはいつも暇だってドミニクが言ってたわ。いつでも来ていいって」
「あのクソ新人⋯⋯」
思わず振り返って背後から様子を伺っている新人をギロリと睨むと、「ひっ!」とドミニクと呼ばれた男は仲間の方へ逃げて行った。
ローレンは使っていた剣を地面に置き、「で? なんだったか」と再びクリスティーナに向き直った。
「旦那が見つかりましたか。おめでとうございます、晴れて花嫁ですね。貴方を腕に抱いてあやした日々が懐かしいです」
「もう、私とあなたが初めて出会ったのは私が9歳であなたが19歳のときでしょう。赤ちゃんの頃の私なんて見ていないのに、嘘つかないでちょうだい」
「はっ。あの頃の貴方はお転婆が過ぎましたね。訓練中の俺に向かって『やだ! ローレンは私とあそぶの! 私とくんれんどっちがだいじなの!』って泣いて⋯⋯」
「あら。でもあなたは訓練よりも私の方が大事だって言ってたわ」
「⋯⋯⋯、貴方を泣き止ませるための口実ですよ」
痛いところをつかれ、ローレンはそっぽを向く。
そんな彼の耳元が赤くなっていることにも気付かず、クリスティーナは「ねえねえローレン」と嬉しそうに再度口を開いた。
「私、この前お会いした時にレオ様に言われたの。『花嫁修業をするべきだ』って。ねえ、花嫁修業って何かしら? 私は何をしたらいいのかしら」
どこかわくわくしている様子でそうまくし立てる彼女を、思わず目を細めて見下ろしてしまう。
(クリスティーナ様はモントルイユ家のお嬢様だ。こうなる事なんか、とっくの昔に分かってた)
彼女を幼い頃から知っている。
ずっとずっと、そばで守ってきた。
そんなクリスティーナがもうすぐモントルイユ家の領地を出て、知らない男の家へ嫁に行く。
想像すると心臓を鷲掴みにされたような苦しさを覚えるのに、気付かないふりをした。
「花嫁修業、ねえ。そのレオとかいう方に言われたんです?」
「ええ。花嫁修業をして立派な妻になるようにと言われて」
(ふうん。ロクな男じゃねえな)
ローレンは内心舌打ちをしたくなった。
けれどクリスティーナの手前、それを抑え、代わりにニッコリと怖いくらいの笑顔で微笑みながら「クリスティーナ様」と名を呼ぶ。
「分かりました。俺が貴方様の為にその『花嫁修業』とやらを教えて差し上げましょう」
「えっ!? うそ、ほんとうに?」
「ええもちろん。俺が貴方に嘘をついたことがありますか?」
ぱああっと顔を輝かせ、ひたすらきゃっきゃと笑い声をあげるクリスティーナ。
「あなたに教えてもらえるのなら安心ね」とローレンの内心なんて露知らず、ひたすら純粋に喜んでいる。
(見てろよ、レオとかいうお貴族さま)
ローレンは口元で弧を描いた。
「花嫁修業っていうのは、まさしく修業。つまり貴方がレオ様を守れるよう、それ相応の実力を身に付けなければならないということです。
つまり、実力ってんのは、まあ極端な話───」
□
「──という訳で、ローレンはそれから昼夜問わず一ヶ月間、私に付きっきりで武術を教えてくれたんですの! 私の剣の習得の早さにとっても驚いていましたわ。『貴方がお嬢様でなけりゃ、俺の部下になっていたかもしれませんね』とまで言ってくれて!
この前なんてね、大型の魔物を三びきも───」
「待て待て待て待て!!!」
レオは全力で嬉々として語るクリスティーナの話を止め、「はあはあ」と肩で息をした。
ひたすらきょとんと瞳をまあるくさせるクリスティーナ。
(なんだ⋯⋯何なんだこの女! まさか俺は、とんでもない奴を引き当ててしまったんじゃ⋯⋯)
「剣を習得? 魔物を三匹? そんな⋯⋯そんな凶暴で恐ろしい女を妻になど出来るか!」
「えっ!? そんな、レオ様!?」
「も⋯⋯もうこうしておれん、俺は帰る!!」
脱兎のごとくその場を飛び出し、部屋を出ていった男を追い立てたのは「おのれローレンめ」という怒りか、はたまた強者と成り果ててしまったクリスティーナへの本能的な恐怖心か。
とにかく、その場には「え⋯⋯?」とひたすら困惑するクリスティーナだけが取り残されたのだった。
【花嫁修業を完遂したら婚約者に逃げられた、完】
「ローレン! もう、"また"婚約者さまに逃げられてしまったわ! どうしてなの、いつも"あなたの言った通りに"しているのに⋯⋯」
「まあまあ。次の男を待ちましょう、なに、次はきっと大丈夫ですよ。それよりもクリスティーナ様、明日は行きたいと言っていたメルド町に連れて行って差し上げましょうか? 丁度馬が空いたので」




