第9話
「お招きしたにもかかわらず、とんだ無作法を……申し訳ありませんでしたっ!」
ユリスが愛たちのもとを訪ねてきたのは、日もすっかり傾き、晩餐の支度が始まる頃だった。
どうやら慌てて駆けつけたらしく、息を切らしながら扉を開けるなり、深々と頭を下げる。
「いいのよ。こちらこそ、大変な時にお邪魔している身なんだから。それに、ずいぶんと良くしていただいているもの」
すでに昼間の騒動でのわだかまりもすっかり消えていた愛は、穏やかに笑みを浮かべながらそう言い、テーブルに並べられた茶器や菓子へと目をやった。
ユリスが来るまでのあいだにも、紅茶が冷めるころになると必ず誰かが現れ、新しいものを静かにサーブしていく。
そつのない所作で入れ替えを済ませ、音も立てずに退出していく――その姿は、使用人という存在に馴染みのない愛にとって実に新鮮で、思わず感心してしまうほど見事な仕事ぶりだった。
使用人の働き方で、仕えている家の格がわかるというが、まったくその通りだと思ってしまう。
フォルナート家は実に働きやすい職場なのだろう。
愛の言葉に安堵したのか、ユリスは小さく息を吐き、ひと言礼を述べると、愛たちが腰かけているソファの向かいに静かに座った。
「詳しくは聞かないけれど、父君との話し合いは終わったの?」
「一応は……明日の選考会には出られるようになりました。あんな父でも、罪悪感はあるんでしょうね。今日は縁談相手のスネウィルが客として来ていますけど、父が責任をもって取りなすそうです。それを見て、許すかどうか考えたいと思います」
「お父君にはずいぶん辛辣ねぇ」
「父にはしたたかさが足りないんです。父からすればスネウィルなんて若造でしょうに、あしらえなくてどうします? せめて兄が帰ってくるまでは、父が相手をすればいいんだわ」
頬をぷくりと膨らませて怒る姿には、まだどこか子どもらしい幼さが残っている。
この世界で成人とされるのは十五歳。愛からすれば、成人するにはあまりにも早い年頃だ。
ユリスが父親に抱く失望には、父がこれまで何度も彼女の前で“父としての責務”を果たせなかったことへの落胆だけでなく、思春期の少女特有の潔癖さも影を落としているのかもしれない。
騒動の外にいる愛たちには、彼女の怒りをただ受け止め、静かに耳を傾けることしかできなかった。
しばらく言葉を交わしていると、ふと廊下の方が騒がしくなる。
オズウェルがそちらに目を向けた次の瞬間、数人の言い争う声が近づき――勢いよく扉が開いた。
そこに立っていたのは、見知らぬ男だった。
くすんだ金髪に、整った顔立ち。だがその表情には、ユリスを嘲るような色が滲んでいる。
男は軽薄そうな薄笑いを浮かべ、ギラギラと輝く豪奢な指輪を見せつけるように髪をかき上げた。
そして、まるで愛たちの存在など眼中にないかのように、ユリスへと声をかける。
「やぁ、ユリス。こんなところにいたのか。探したぞ」
「スネウィル……!」
ユリスは勢いよく立ち上がり、男を鋭く睨みつける。
スネウィルと呼ばれた男は、その視線にもひるむことなく、ずかずかと客室の中へ踏み込んできた。
使用人たちが慌てて止めに入るが、男は彼らを無造作に振り払う。
「勝手に入ってこないで! ここはあなたの来るような場所じゃないわ!」
「婚約者にしては、ずいぶん冷たいじゃないか」
大げさに肩をすくめながら言うスネウィルに、ユリスは冷ややかな眼差しを向け、吐き捨てるように言葉を返した。
「婚約者なんかじゃないわ。あの誓約書も、あなたたちが無理やり書かせたものでしょう。父の署名があったとしても、私自身が了承していない以上、無効よ」
その主張に、スネウィルは心底おかしそうに鼻で笑う。
「世間でそんな屁理屈が通ると思っているのかね」
「周りが何と言おうと、あなたは私の婚約者でも何でもないわ。あなたが欲しいのは私じゃなくて――神殿に卸している《竜癒香》の製法と、その供給権でしょう?」
ユリスの言葉に、スネウィルの眉がぴくりと動いた。
「残念だけど、あなたたち《イラセント商会》の思いどおりにはさせない。明日の選考会には必ず出るわ。竜神の巫女の選考会は神聖な催し。あなたたちがいくら力を持っていても、この地を治めるルメリア公爵が黙っているはずがないもの」
「……あまり思い上がるなよ。今この場で無理やり連れて行ってもいいんだ。こっちには、お前の親父さんから正式にもらった誓約書がある。お前が何を言おうと、どうとでもできる」
「そちらこそ、あまりこちらを舐めないでいただける? 私たち《フォルナート商会》は代々、ルメリア公爵家と深く関わりを持つ一族。あなたたち《イラセント商会》のような歴史の浅い商会とは違って、堅実に商いを続けてきたの。……聞いたわよ、隣国との取引に失敗したんでしょう? 強引に進めた事業が破綻したからって、私たちの縄張りにまで手を出そうとするなんて――許せないわ」
真っすぐな眼差しを向け、ユリスはスネウィルに向かって言い放った。
その苛烈なまでの言葉に、スネウィルはカッと頭に血が上ったのか、思わず手を振り上げる。
しかしその瞬間、その手は何かに押さえつけられたように、振り上げたままの形で静止した。
「なっ……!」
「困るんだよねぇ、こんなところで喧嘩されると」
スネウィルの手を止めたのは、これまで静観していたオズウェルだった。
その冷たくも平坦な声に、ようやくスネウィルは、ユリスが招いたという客人へと目を向けた。




